『で、なんか適当でもいいから撮らないとまずい』
「適当でいいの!?そこに写真家としてのプライドはないの!?」
『いや、私写真家じゃないし』
「と、とりあえずそのへん歩いて探しましょうか……」
苦笑して首をすくめる日向くん。
結局あれから夕食もそこそこに寝てしまって、翌日。葵に事情を話し、手伝ってくれると言うので部活を日向くんと抜けて校内をうろつく。
『そう言えば、葵部活はいいの?』
スポーツしてるイケメン好きな葵が、バスケ部のマネージャーをサボるなんて。
「いいの!胡桃ちゃんが困ってたら放っておけないし、それに……」
葵はちらっと日向くんの方を見た。日向くんは申し訳ないくらい真剣に良さそうな被写体を考えてくれているので気づかない。
『あ、日向くんの顔狙いか』
「違うって!胡桃ちゃんと日向くんの恋模様をこの目にしっかり焼き付けて置かないと!」
『なるほどね』
そっちだったか。でもそれなら私と葵がライバルになることはなさそう……って、何を考えているんだろう私は。というか、私日向くんにこの気持ちを伝える気はあるのだろうか?今までろくに恋愛というものをしてこなかった代償が、まさかここで払われるとは。
うん、これはもう仕方がない。
『葵センパイ、頼りにしてますっ』
「ふふん、私に任せたまえ後輩よ」
どんと胸を叩き誇らしげにする葵を横目に校内を見渡す。ありふれた光景。よほどセンスのある人は、こんな何気ない日常の1ページだとしても冒険の一幕のような、或いは懐かしい日々を思わせるような一枚を撮れるのだろう。しかし私は素人に等しい。そこまで芸術的な目でものを見れない。
「んー」
黙って考え込んでいた日向くんが、不意に顔を上げる。
「先輩、ちょっと外にも出てみませんか?」
「うわ、すごい人ですね」
『もうすぐクリスマスだからかな』
私達の高校、翠清高校は一般的な私立高校の文化祭時期からかなり外れた、12月の終盤に文化祭がある。周辺高校と文化祭の日をずらす為にこうなっているらしい。だから毎年文化祭というよりクリスマスな雰囲気で、出し物もクリスマス寄りだったりする。
「もうツリーがあるよ!なんていうんだっけこの木」
『えっと……モミの木?』
「あー、そうだそんな感じの〜。……うん、よし決めた!今年こそはクリスマスまでに恋人作ってこのツリーの前で写真撮る!」
『え?もう1ヶ月もないけど』
「いけるいける!」
『そんな間に合わせみたいな恋人でいいの』
「ん〜その後は――」
この子もう聞いてないな。
『どうしようか、日向くん』
そう言って彼を見上げる。……が、珍しく私に気づいていないようだ。こういうときにはいつも、相手の服の袖をちょっと引っ張る。
「あっ、先輩。すみません!どうかしましたか?」
『うん。来たはいいけど、何撮ろうかなって。無難にツリー?』
「そうですねー。というか先輩、ほんとにこだわりないんですね……」
カメラを取り出して、ツリーをレンズに収める。被写体には特に拘らないけれど、やはり写真好きとして撮り方にはそれなりに拘りがある。
あ、そういえば……。
『日向くん昨日さ、お母さんの話聞いてみたらいいって言ってくれたでしょ?』
「あ、はい。でもその様子だと、聞けなかったみたいですね?」
『そうなんだよね。丁度仕事が入っちゃったらしくて』
タイミングが合わないな、ほんと。
「おかあさん見て!おっきい木だよ!」
「そうね〜。あっ、写真撮ってあげる。ほらそこ立って」
「やった!ここ?」
その時ツリーの前で、親子が写真を撮り始めた。幼稚園児くらいの女の子が満面の笑みで母親の持つカメラに目を向ける。
私は一旦カメラを降ろした。こういう風景もいいけど、流石に一般人を写すのは許可がいるから難しい。
「……なんか、いいですね」
『そうだね』
少し離れた場所で、行き合う人々の合間、私達は暫く立ち止まった。
――じゃあ、僕が撮るよ。
――ありがとう!
私は彼に預けた、お気に入りの赤いカメラを見つめる。
夕闇に負けないくらい、街はきらきらと輝いている。装飾は勿論、その前を往く人々だって、同じくらい幸福に満ち足りた表情で。ここにいるみんなが今この瞬間、世界の誰よりも幸せそうに見えた。私だって――あのときまでは。
――母さん?
バリンと割れたレンズ。
――胡桃!
いつになく必死なお母さんの声。
真っ赤なカメラの破片と、今まで見たことがない色をした赤。
私は、なにを――忘れて……。
「くるみ先輩!」
ふっと視線を上げると、真剣な表情でこちらを見つめる日向がいた。
「日向……?」
「っ、くるみちゃん……?」
驚いたように目を見開き、わたしの両肩を掴んでいた日向の手から力が抜けていく。
「くるみちゃん、日向くん!どうしたの、なんかあった!?」
その時、どこからか現れた葵がわたし達の名を叫んだ。
「葵先輩。すみません、くるみ先輩急に具合が悪くなったみたいで」
咄嗟に日向が誤魔化す。
わたしは……あの子のフリをしておくべきだろう。
「そうなの?じゃあ一旦、学校に戻る?」
「そうですね。行きましょうか、先輩」
一つ頷き、歩き出しながらわたしは考える。もう少しであの子は、全てを思い出しそうだった。でもその寸前で、あの子自身が拒絶した。日向が現れてから、あの子は変わった。強くなった。だから、今度こそは。そう思ったのだけれど、まだなにかが足りないのだろうか。この過去を乗り越える為に、あの子はなにを必要としているのだろう……。
こんなにもあの子のことが分からないのは初めてだ。それだけ、わたしとあの子が解離し始めているということだろうか?それは吉兆なのか、今のわたしには判断がつかない。
「くるみちゃん?大丈夫?」
顔を上げる。いつの間にかわたしは保健室のものらしきベッドに座っていて、日向が心配そうに顔を覗き込んでいた。他には誰もいない。
「大丈夫……。わたしは大丈夫」
「よかった……。先輩は?」
あの子を案ずる声色に、わたしは視線を落とす。
「わたしにも、わからない」
「そっか……」
ベッド脇に跪いたままで、日向は暫く思案するように目を閉じた。それは何かに耐えているようでもあった。
その時、やっと気がついた。
あの子だけじゃない。日向もまた、あの日に囚われているのだということに。
クリスマス。街に飾られた大きなツリー。
その下で写真を撮る人々。
幸せの象徴であるそれらは、わたしたちにとってこれ以上ない悲劇の象徴。
変えられようのない過去を、無理やりに思い起こさせるもの。
「くるみちゃん」
顔を上げて、まっすぐにこちらを見る瞳。
それは苦しみを湛えながらも、何よりも勁い。
「クリスマスの日。君の一日が欲しい」
ともすればデートの誘い文句のようなそれは、わたしたちにとって全く別の意味を持つ。
過去と向き合う、覚悟を表す言葉。
「……うん」
「ありがとう。僕を信じてくれて」
触れたら壊れてしまうものにでも触れるかのように、日向はそっとわたしの手をとる。
「約束は守るよ」
そう言って、彼は微笑んだ。わたしを安心させるように、翳りを見せずに。
「……どうして」
「ん?」
「どうして君は、そんなに勁いの?」
一番失くして、一番傷ついたのは日向だ。
本当はわたしなんかが勝手に傷ついていいことじゃない。助けられるべきは、むしろ彼の方なのに。
「それはね、くるみちゃん。君が、とても勁いからだよ」
慈しむようにわたしの手を包み込んだままで、彼はわたしをみあげる。
「小さな頃、僕は数え切れないくらい君に助けられたんだよ。だから僕は、真似をしてるだけ。憶えてる?『すぐ駆けつけるから!』って胸張ってたの」
「そ、それは……小さい頃の話で」
ちょっと気まずくなって目を逸らす。夕日のせいだけではない熱さが頬を染める。彼は微かに笑って、空気が揺れた。
「恥ずかしがらなくても大丈夫だよ。だって君は本当に頼もしかったんだ。そんな君を、僕はずっと――」
日向の声が、不意に遠くなる。目の前がぼやけて、夕焼け色に包まれる。
ああ、もう夜になってしまうんだ。
もう少しだけ……彼の言葉を、聞いていたかった、な。
――
「……くるみ先輩」
微睡む意識が、ゆっくりと覚醒していく。
「……起きましたか?」
少し低い、気遣うような声色に目を開ける。目の前に……日向くんの不安げな顔。
日向くん……。ん?
ん?え?なんで?
私、確かコンテスト用の写真を葵と日向くんと一緒に撮りに行って……それでなんで、日向くんの顔がこんなに近くに?
ん?
私……ベッドの上で……日向くんの、腕の中に……。
「くるみ先輩?」
日向くんの無邪気な瞳が私を覗き込む。
まさか……まさか私!
その瞬間、私は日向くんの腕を振り払ってがばりと体を起こした。白い天井。白い壁。ここは……保健室?
「大丈夫ですか?急に具合が悪くなったみたいですけど」
控えめに日向くんが尋ねてくる。そうだったっけ?生憎、まったくと言っていいほどそのあたりの記憶がない。
『ごめん。憶えてなくて』
「あ、ですよね。僕たち、コンテスト用の写真を撮りに行ったでしょう?そこで先輩が具合が悪くなったと言ったので、学校の保健室まで戻ってきたんです。葵さんがくるみ先輩の鞄を取りに行くっていなくなったら、先輩急に倒れて、僕咄嗟に受け止めちゃって。すみません」
そういうことか……。なんだ、よかった。
私はほっと胸を撫で下ろした。
『いろいろありがとう。もう大丈夫だから、戻っていいよ』
「いえ……あの、先輩。カメラの話なんですけど、お母さんに話を聞くの、もう少し待って貰えますか?」
どうして急にその話に、と不思議には思ったものの、真剣な表情に気圧されて頷く。
「ありがとうございます。あと……もう一つ、お願いが」
なに?と首を傾げる。
「今度のクリスマス、僕とデートしてくれませんか」


