長い冬を越えて、日向に芽吹く



「あ!やっと帰ってきた」

鈴花先輩のその言葉にはっとする。あれ、私何してたんだっけ?

「すみません。先輩と森の方に行ってみたんです」

横で日向くんが言う。
そう、だったかな。そんな気もするような、しないような。

「構わないさ。まだ間に合うからな」

「間に合う?なにかありましたっけ」

小首を傾げる日向くん。

「ふふっ、聞いて驚け!なんと、今日の夕食は――」



多種多様なTシャツ姿の生徒で溢れた川沿い。はしゃぐ声に交じってゆっくりと流れ行く川のせせらぎと、じゅうっと焼ける音。

「皆さん、そろそろ良さそうですよー」

恵くんがみんなを呼ぶ。私達翠清高校の生徒は思い思いに話すのをやめ、恵くんの方へ集まった。

「調理番ありがとうございます、恵先輩」

「いえいえ、全然いいですよ!」

弥生ちゃんが代表で謝ってくれたので、私もぺこりとお辞儀をする。
鈴花先輩が素早く私の紙皿に野菜やお肉を盛っていく。

「はい、できた。くるみん遠慮するのは禁止ね」

は、はい。いやだめ、太る。

次々にみんなが取っていくと、バーベキューの食材はあっという間にはけていった。追加の食材が焼かれていく最中、私は空を見上げた。旅館の方が、学生ならもっと盛り上がれるほうがいいだろうと気を遣ってくれて、ちかくの川沿いでバーベキューをすることになったそうだ。私と日向くんが出かけている間にみんなは着々と準備を進めていたみたいで、帰ったときにはもういくだけになっていた。でも一つだけ気がかりなのは天気だ。曇り空がずっと続いていて、今にも雨が降ってきそう。

「って、ひなたん焦げちゃってるよそれ」

「えっ、あ、ほんとだ!恥ずかしい……」

「なに、気にすることはない。誰にでも得意不得意はある!」

「そーだよ。部長なんか、文化祭の出し物のクッキー全部焦がしたことあるから、気にしない気にしない!」

「この感じ……〝青春〟じゃないですか」

「はい!僕こういう青春な感じに
憧れてたんですよね」

楽しげな言葉が私の不安をかき消していく。焦らず今を楽しむ。ふと、遠足のときの日向くんの言葉を思い出した。
ずっと人からの言葉が怖かった。それと同じくらい、自分の言葉が怖かった。まだ、恐怖を全て拭い切れたわけでは無いけれど、今は。

「くるみ先輩!こっちに来て、みんなで写真取りましょう!」

日向くんが呼んでいる。

『写真なら、私の得意分野だね。任せて!』

私はつかの間の憩いを思い切り楽しむことにした。
うまく言えないけど、生きるってきっとこういうことの繰り返しで出来てる。




かすかに耳へ届く、窓越しの小鳥のおしゃべりに目を覚ます。
まだあたりは薄暗く、夜は明けていない。見慣れない天井。知らない空気。一瞬の後、ここが家ではなく研修先だと思い出す。
枕元をまさぐりスマホを手に取る。まだずいぶん早い時間だ。昨日割と遅くまで起きていたのに、いつもより早く目が冷めてしまうなんて。
二度寝する気になれなくて、私は布団から這い出た。
弥生ちゃんを起こさないよう注意しながら窓の側の椅子まで移動する。
部屋の中に光が入らないように、ほんの少しだけカーテンをめくってみると、空はうすい桃色に染まっていた。もうすぐ日が昇る。
その時、ふと視界に動くものを見た。
視線をむける。昨日行った庭に、見慣れた後ろ姿があった。
私はすぐに身を翻すと、急いで庭へ向かう。なぜかはわからないけれど、今すぐ行けなければいけない気がして。

庭に出てすぐ、池の側にしゃがみ込む日向くんの姿を見つけた。
近づいていっても全くこちらに気づいておらず、ぼんやりとわずかに揺らめく水面を見つめている。
そっとその袖を引っ張ると、ようやく彼は私に気付いた。

「えっ、あ、くるみ先輩?」

彼は目を丸くして、私に焦点を合わせる。

『おはよう。随分早起きだね』

「先輩こそ、眠くないですか?」

『うん。もうすっかり目が覚めちゃったみたい』

「あはは。僕もです」

少し、歩きますか?そう問われて、頷く。なんとなく今なら、親しみやすいのになぜか掴めない、日向くんのことが少しわかるような気がした。
違和感の正体。それを確かめたい。

「昨日は暗くてちゃんと景色を見れなかったから、今度は川の方に行ってみましょうか」

うん。
昨日の人生初めてのバーベキューを思い出して、早朝の静けさが寂しくなる。今日で研修も終わり。
楽しい時間は一瞬だってよく言うけれど、本当に楽しい時は、今がその瞬間なんだって気付けないことが一番悲しい。大切にしなきゃいけない時間だってことを、意識しないまま無為に過ごしてしまうから。

「山の朝って、いつもの朝とは違う空気な気がしませんか?」

『わかる。新鮮っていうか…住宅街の空気とはまた違った良さがあるよね』

それから私はちょっとからかいたくなって、口角を上げて文字を打つ。

『新聞部に入って良かったでしょ?』

ですね!って、いつもみたいに明るい笑顔と声が帰って来るものだと思っていた。

「……そうですね」

小さく、低く呟かれたそれは、空気をわずかに揺らす。儚く伏せられた長いまつげの下の瞳は、さっきの池の水面みたいに静かで、虚しい。微笑んでいるのに、泣いているみたいだった。
聞こうと思っていたことが、頭から抜け落ちる。
なんで、私……言いたくないだろうことを、無理に聞き出そうとしてたんだろう。今、日向くんがちゃんと笑ってくれて、生きているなら、それでいい。その筈だ。私が首を突っ込む必要はない。
だって私だって、日向くんにたくさんの隠し事をしていて、それでも今楽しいんだから。

「あっ、見てください先輩!魚が泳いでますよ!」

えっ、本当だ! 
さらさらと流れる川の中、小さな魚の影が群になっている。

「あっ、ほらこっちにも」

急に、日向くんが私の手を引く。
どきりと胸が音を立てた。

「早起きして良かったですね〜」

そうだね。
それより、未だに繋がったままの手に彼は気づいているのかいないのか。
時間が経って旅館に戻るまで、私は手の温かさに気が気でなかった。何気なく離された手に、名残惜しく思っている自分に気づいて、さらに恥ずかしくなった。