長い冬を越えて、日向に芽吹く


――
意識が浮上する。私は、泣きつかれて眠ってしまったようだ。
沈みゆくオレンジ色の太陽を反射して、海が燃えている。

「くるみ先輩?」

寄りかかっていたわたしが身じろぎしたのに気づいて、日向がわたしの顔を覗き込む。

「あ……くるみちゃん、だよね」

見た目でわかるはずもないのに、日向には一瞬でわかったみたいだった。

「そうか、もうそんな時間だったんだ」

眩しいほどのオレンジを見上げて、日向はどこか寂しげに呟いた。空を透過するようなその目には、とても深い諦めの色が浮かんでいるように見えた。
どうしてだろう。この人は、ときに誰よりも苦しそうに見える。

「声を失くしてすぐの頃」 

彼に、知っていて欲しいことがあった。

「あの子は、学校でいじめられてた」

メモ帳に書く言葉をちゃんと受け取ってくれる人はいなかった。
小学校低学年の頃だ。周りもまだ小さくて、理解がないのも当然だとは思う。
でもあの子にとって、これほど辛いことはなかった。生きる為に声を失くしたのに、それでも辛い現実が耐えられなくて、あの子はよくわたしを頼った。
家にいる時間以外は殆どの時間、あの子は現実には来なかった。

「幼稚園のころから、ずっと仲のいい子がいたの。あの子は、誰もが自分を嫌ったとしても、その友達だけは裏切らないでいてくれるって思ってた。でもね」

その先を想像できたのだろう。
日向は小さく息をついた。

「『胡桃ちゃんは普通じゃない。おかしい』って言われた。だからあの子は、自分を受け入れてくれていない人の前では話せないんだ」

「……本当に、なんにも知らないな」

自嘲気味に、日向は呟く。

「また、教えてくれる?君たちのこと」

いつもの笑顔で、彼は言った。

「情けないけど実は、幸せにする具体的な方法思いついてないんだ」

あれだけ調子いいこと言っておいて、最低だよね、と笑う。

「今は、ただ側にいることくらいしかできない」

「それで、いいんじゃないかな」

「え?」

虚をつかれたように、日向がわたしの目をみる。

「少なくともあの子は、日向が自分を受け入れてくれてるって思ってるみたいだから」

「あ……」

あれだけ初対面の人とは話さないあの子が、日向とはまるで旧友のように話しているのだから。
それも、会ってすぐに。

「ごめん。僕が弱気になってたら駄目だよね。よし!そろそろ行こう、くるみちゃん」

差し伸べられた手をとる。
集合場所に戻るまでずっとわたしの手を握っていたその手は、今までで一番優しい手だった。
あの子が戻って来る直前、もしかしたらあの子も、心の何処かで遠い昔に日向と会ったことを覚えているのかもしれない、と思った。


――
この頃からだった。私が日向くんに違和感を抱き始めたのは。

「7月号は豪華になりそうだね」

鈴花先輩が機嫌よく言った。
ちなみに、この学校では学校新聞を4月、7月、10月、1月の年4回発行している。毎月発行するような意欲的な部活ではない(部長だけはやりたがっているけど)。

「一年のデビュー号でもあるしな」

「頑張ります」

責任感たっぷりに頷く弥生ちゃんに、部長は軽く笑う。

「そんなに気負わなくても大丈夫だ。ここには心強い先輩が沢山いる!」

そして胸に手を当て、堂々と宣言。

「一番優秀なのは、勿論この俺だがな!」

「自分で言う人が一番信用できないんだよ」

「部長は文章以外はてんでだめじゃないですか」

辛辣な言葉に項垂れる部長。一瞬にして部室は笑い声で溢れた。
こんなやり取りをもう何回もしているはずなのに、少しも飽きない。つられて笑っていると、私も普通の人になれた気がする。
ふと、日向くんの方を見た。
そこには、いつも明るくて元気な日向くんの笑顔があるはずだったのに。

「……」

彼は、今までに見せたことのない無表情で、騒ぐ私達の方を見ていた。或いは、どこか、時間も場所も違うところを見ていた。
その虚ろな視線に、声をかけるのも憚られて。目を離せないまま、周囲の音も消えていく。まるで、時間が止まったようだった。

「よし、それじゃあ早速、それぞれ担当に分かれて製作開始!」

部長の声で我にかえる。

「くるみ先輩、よろしくお願いします!」

はっとして見ると、そこにはいつもどおりの一点の曇りもない笑顔の日向くん。

『よろしくね』

動揺を悟られないよう、なるべく平静を装って返事をする。
手で示して私の机の前に並んで座ると、私はパソコンを起動した。

「えっと、球技大会と遠足の写真ですよね?」

うん。
私はカメラからパソコンに移しておいた写真を画面に写す。
えっと、まずは球技大会のフォルダに……。

「あっ。これって」

日向くんが吹き出しそうになって笑いをこらえる。
一方の私は不意打ちに耐えられず、笑ってしまった。
まずい。部長にバレたら……。

「どうしたんだ?そんな楽しそうな顔をして」

よりにもよって、部長が話しかけてきた。

「い、いや!何でもないです」

「本当に?」

「本当ですよ!ね、くるみ先輩――」

あっ、振り返っちゃ駄目!

「こ、これは……」

部長の目にパソコンの画面が写ったようだ……。

「なんだ、この写真は!?」

部長は自分の失態がばっちり写った写真を見て絶叫した。

「あははっ、なにこれ最高じゃん」

つられて様子を見に来た鈴花先輩が声をあげて笑う。

「どこか最高なんだっ!最悪の間違……待てよ。そういえば、くじ引き」

【恥ずかしい失敗をしちゃうかも!?ハートマークの人と組むと回避!】

「くっ、そういうことだったのか!というか、回避できてないじゃないか!」

「どんまい、当たらなかったんだねー、そこだけ」

「ど、どうしてこんなことに……!」

『じゃあ、編集しちゃいますね』

「お願いくるみん」

「そうだ、編集でかっこよくできたりは――」

私は見せつけるようにゆっくりと首を横に振った。
部長はがっくりと肩を落としたのだった。

『じゃあ、まずは私がやるのを見てるだけでいいから』

「ありがとうございます!」

流れるように作業に入る私と日向くん。ちょっとかわいそうな気もするけど……面白いし、まあいいか。

『写真が見やすいように、色味を調整するんだ』

細かくグラデーションに分かれた設定を調整して、目立たせるように明るくするところと暗くするところを考えて配置していく。

『メインは明るく、他は対称的になるようにして』

色に注目すると、部長のおもしろ写真も気にならない。何度も繰り返した作業をこなしていく。

『こんな感じかな』

「早いですね!……確かに、見やすくなりました」

『二枚目いこうか。例に自分でやってみてくれる?』

「は、はい」

日向くんは緊張したように背筋を伸ばした。

『そんなに緊張しなくていいよ。慣れれば簡単だし、今すぐできる必要はないから』

「あはは……頑張ります」

日向くんはメモ帳を閉じて側に置いた。気づかなかったけど、私が説明している間、ちゃんとメモしてくれていたみたいだ。真面目でいいことだけど、そんなに気負わなくてもいいのに……。

「えっと、次は……」

色の明るさを、色ごとに変えていく場面だ。
数値で設定できる明るさを、目で見て判断していく。
マウスを操作する彼の手。
何気なく見たそれが、少しだけ震えていた。
どうしたのだろう?彼の横顔を見る。集中している――いや。緊張している?まるで、間違ったら死んでしまうデスゲームみたいな、そういう種類の緊張。

「あー、お腹空いてきた。コンビニ行って来ようかな」

その声に、日向くんを見ていた視線を上げる。
鈴花先輩がぐーっと伸びをして、席を立った。

「あっ。私もそろそろ帰らなければいけないのですが」

「おお、もうこんな時間だったか。じゃあ解散といこう。続きはまた明日!」

その言葉を皮切りに、みんな次々と部室から去っていく。

「くるみ先輩、今日は色々とありがとうございました!」

日向くんがまた、いつもの笑顔に戻って言った。

『ううん。また明日』

「はい、また明日!」

そして日向くんも出ていった。

「胡桃くん。鍵を閉めるから、そろそろ出られるか?」

はい。
素早く荷物を掴むと、私と部長は部室の外に出た。
昔ながらの締めにくい鍵を閉めている部長の手を見て、さっきの日向くんの手を思い出す。
拭いきれない違和感。あの元気な笑顔を見ていると、つい忘れそうになるけれど。
そういえば入学式のときもそうだった。ただ、初対面の同級生に囲まれているからだけではない、なにか別の――そう。今日感じたような、本能的な緊張を感じた。
どうして今の今まで忘れていたんだろう。思い返すと、おかしいことはもっとあった。

例えば、入学式の日。初めて会ったあの時。

『くるみだよ』

「……え」

妙に引きつった、彼の表情。


例えば、その翌日。誰もいない空き教室に、あの真面目な日向くんが入り込んでいた。

「あはは、たまたま見つけたので、ちょっと気になっちゃって」

例えば、私に「幸せか」と聞いてきたあの球技大会の日。

「忘れようって思う程、罪悪感が大きくなって……。無理に忘れたフリをすれば、その分だけ忘れたいことに縛られているような気がする。今を見られなくなる」



日向くんの記憶。今まで感じていた違和感の部分が、頭の中でリフレインする。
でも繋がらない。こんなにヒントはあるのに、正体がわからない。
日向くん。貴方は、いったいなにを抱えているの?

――