翌朝、目が開きづらくて何かの病かと手鏡をのぞくと、とんでもなく腫れていた。
たくさん泣いた自覚がある。
むくんだ顔を見ながら手鏡を傾けると色の戻っていない金色の髪と瞳が映った。
悪夢を喰らいすぎて……もう人には戻れない。
「ものの怪……」
顔をぺたぺたと触りながら、じわじわと悲しみと怒りが混ざってぐちゃぐちゃな感情が身体を駆け巡った。
「どっちでもよかった……つい最近まで、どっちでよかったのに! 人でも! ものの怪でも! 一人だったら気付かなかったのに!」
思わず叫び出してしまった。誰に言い訳をしているのか、誰に怒っているのか、悲しんでいるのかわからない。
畳を何度も何度も叩いて、何も返ってこないひとりぼっちの静かな部屋に感情さえも吸収されていってしまった。
感情が落ち着いてくると、心の空っぽさに気付く。そして、残っているのは煮凝りのような想いだけだった。
「半端でもいいから人でいたかった……」
私はものの怪になってようやく今までひとりぼっちで生きてきたのは半端ものでいたかったのだと気付いた。
普通に生きて、普通に誰かを好きになって、普通に人として人生を終えたかった。
「違う……あなたのために人でいたかった……のかも」
悪夢を喰らえる人であれば、あなたに好きでいてもらえた。
悪夢を喰らうものの怪になってしまったら……もう、何もかもなくなってしまう。
こんなに……いつのまに、彼を好きになったのだろう。
「みちる、みちる」
輝夜様の声がする。
声なんて聞こえるはずないのに。あなたの少し掠れた不器用な声が好き。
「みちる」
もう一度名前を呼ばれて腫れぼったい瞼をひきあげると、目の前には輝夜様がいた。
目の前のことが信じられなくてガチンと身体が固まった。
ゆっくり起き上がってさぁっと血の気が引いて、慌てて距離を取った。
「勝手にいなくならないで」
私が距離を取ると輝夜様は躊躇なく近づいてきた。
「あの、どうしてここに」
「夜通し都中を探しても見つからないので、おじい様に聞きました。宝物を隠すように特殊な術がかけてありました」
眉をハの字に困った顔をした輝夜様を見て、私ははたと自分がもう人ではなく、ものの怪になってしまったことを思い出し、近くにあった布を被った。
「お手数をお掛けしました。お帰りには充分お気をつけくださいね!」
「みちる」
「私と! ……離縁してください! 輝夜様の汚点になりたくないのです」
布の中で精一杯の声を出した。
これ以上輝夜様に嫌われたくない、顔を見られたくないその一心だった。
離縁されるくらいなら、私から切り出したい。
「みちる」
輝夜様は離縁をするしないではなく、私の名前を呼んだだけだった。それから、布越しに抱きしめられた。それが何を意味するのか考えるのが恐ろしかった。次に彼が発する言葉を待つのが耐えられなかった。
「いや! 触らないでください。これ以上は近づかないで、お願いですから!」
身をよじって輝夜様から逃れようとしても彼は私を放さず、声色そのままに名前を呼ぶだけだった。
「みちる」
「呼ばないで! お願いですから……もう帰って……おねがいだから」
肩を震わせて泣くと布越しに輝夜様は私の肩に頬を寄せた。
「あなたが月へ還るなら、私も連れていってください。あなたが地上に残るというなら……あなたを一生側で守らせてください」
今まで一度も聞いたことのないあまりに優しく穏やかな声だった。
引き留められるとは少しも考えていなかった。
「かぐやさまに……きらわれたくない……です、こんなすがたで、わたし、もうひとじゃないのに」
輝夜様は私の頭にかかる布をさらりと取り去ると金色に染まった髪を手に取って愛おしそうに口づけていた。
「嫌われたくないってどういう意味です?」
「かぐやさまがすきです……りえんしてもすきでいることはゆるしてほしくて」
「離縁はしません」
「でも、陰陽師の妻がものの怪なんて……」
「関係ありません。出自が理由ならなおさら」
輝夜様は私の鼻水を布で拭ってから昔話をはじめた。
「私は実際のところ、藤原の子かどうかわからないんです。
それが理由で疎まれ、蔑まれてきた。私の味方は祖父と水月だけでした。でも、元服してから陰陽師の才があることがわかって、幸い容姿にも恵まれ、周りの人達は一斉に手のひらを返しました。それが、気持ち悪くて仕方がなかった」
なんでもできる方も実はとても大変なんだなと胸が痛んだ。
「誰かに手を差し伸べてもらったことは一度もなかったから、悪夢の中で毎夜手を引いてくれるあなたが愛おしくて仕方がなかった。見返りもなく、そこには純粋な真心しかなかった。みちるが出自を気にするなら、私も同じ。よく狐の子と言われました。出自なんて瑣末なことですよ。大切なのは今でしかない……といわないと、半年間あなたを放置していた私の顔がありません」
「輝夜様はお優しいですね」
「あなたにだけです」
「わ、わたしだけ……」
甘い雰囲気に酔いそうになったところで私はふと昨夜のことを思い出した。
そう、甘いと言えば……。
「あ、輝夜様。あのあとの宴はどうなったのですか?」
「急な話題変更……あれからはあなたが悪夢のものの怪を喰らって何もありませんでしたよ」
「今、気づいたことがあって」
「気づいたこと?」
「お酒はお調べになられたのですか?」
「調べました。何もおかしなところはありませんでした」
「あの悪夢はおそらくものの怪ではなく、呪いです。味から輝夜様の悪夢と同じものを感じました。おそらく、同じ術者だと思います」
「私の悪夢と同じ呪い......であれば、あの量をみちるが喰らい、成就していないわけだから呪詛返しできているはずですね」
「あの量でしたら、今ごろ動くこともできないと思います。死には至らないとは思いますが、人を呪えば穴2つですから」
「みちる、失礼します」
輝夜様は私の顎を指先でくいっと持ち上げると軽く口付けた。
私が羞恥を感じる前に輝夜様は紙を咥えて唾液を混ぜて、鳥を折って飛ばした。
「何を?」
「呪詛返しを手掛かりに都中の対象術者を探し出すのは骨が折れます。何日もかかって復活したら元の木阿弥。みちるの唾液から呪跡を辿ります。私の式神が呪いの跡を追いかけ、術者を見つけ出します。夜が明ける頃には判明するはずです」
迅速な対応に思わず拍手をすると輝夜様の頬はやや赤らんでいた。
「好きな人に称賛されると……調子が狂います」
翌朝、呪跡を追った式神が戻ってきて、輝夜様は頭を抱えていた。
「術者は、橘……水月」
式神は間違いなくそう告げたのだ。

