輝夜様に私が夢喰いだとばれた翌日、朝一番で屋敷内の使用人をまとめているという女性が深々と頭を下げていた。
「みちる様! 真に申し訳ございませんでした!」
「えっ、あの。えぇ……」
「離れの使用人たちが、みちる様のお世話を放棄していたとのこと、私の管理不行き届きにございます。なんなりと処分をお申しつけ下さい」
その女性の傍らには離れで散々私に聞こえるように陰口をたたいていた使用人たちが震えながら床に額をこすりつけていた。
「あなたのお好きなようになさってください。辞めさせるでも、なんでも」
なぜか輝夜様は私を後ろから抱きしめながら囁いていた。
輝夜様はなぜ、ここにいるんだろう。
あなただって……昨日まで私に全然興味なかったはずなのに。
「さあ、みちる様。なんなりと!」
実際のところ、困ってはなかったから……ふむ。
「い、今まで通りで問題ありません。私のお世話は食事の配膳くらいで大丈夫ですので!」
「あなたたち! みちる様のご恩情に感謝なさい!」
「みちる様~~」
離れの使用人女性たちは顔をぼろぼろにしながら泣いていた。
それからというもの、離れの使用人女性たちは分かりやすく態度を改めた。今までの行いが嘘のように甲斐甲斐しくお世話をしてくれるようになり、さらにとても懐かれてしまった。
どうして……こんなことに。
四六時中側にいてくれるようになった。
「私、ずっと思っていたのですけれど、みちる様はもっと明るい着物の方がお似合いになるのではないでしょうか?」
「あ! おじい様にいただいた着物があるんですが私にはどうにも似合わないような気がして……」
「まぁ! 似合わないのではありません。似合わせるのですわ。お化粧から色味を変えれば華やかになります」
「い、いえいえ。私は地味で目立たない方がよくてですね」
これまでの静かな離れは嘘のようにとても賑やかで楽しい部屋になった。いつも一人で過ごしてきた私には誰かが常に近くにいて話し相手になってくれるこのにぎやかさはとても新鮮だった。
「あらまぁ! みちる様見間違えましたわぁ」
女性たちに着替えやお化粧、髪を整えてもらっていると、いつのまにか使用人を取りまとめている女性も加わりさらににぎやかになった。
「みなさんのおかげで……」
「あと! 微笑まれ方ですが、こうぐにゃぐにゃ笑うから不気味に見えるのです!」
ぐにゃぐにゃ……。
「小さく口元を緩めて小首をかしげると上品に可愛らしくなりますわよ!」
「こ、こうですか……」
表情筋を無理やり動かして笑うと周りの使用人の女性たちが笑顔になったのでこれが正解なのだとわかった。
「これで、輝夜様も絶対! さらに惚れ直すこと間違いありませんわね」
「輝夜様は私などに興味はございませんから!……えっと、少し外の空気を……」
私が慣れない賑やかな空気から逃れるために部屋を出た時、庭に見慣れない殿方が立っていた。
ぱちっと目が合って、殿方は柳のようにしなやかに微笑まれてから颯爽と近づいてきた。
「これは麗しいお姫様だ。輝夜のお身内の方?」
何とも嫌味のない話し方、流れるような所作で気づけば手を取られていた。
輝夜様とはまた違った美しいお顔をしていた。
「……」
何を話していいかわからない、こういう時にこそついさっき教えてもらった笑い方をすれば、不気味に思われないのかも。
教えてもらった通り笑えたかなと頬を触った瞬間、身体が後ろに引っ張られぐらっと傾いてそのままぽすんと背中に何かが当たった。
「申し訳ありません!」
振り向けば背後に立っていたのは鬼の形相で目の前の殿方を睨む輝夜様だった。
何故か、どう見ても怒っていた。
「水月、手を離せ。私の妻だ」
「お前、いつの間に結婚してたの? 俺、聞いてないんだけど」
「えっと、お二人はお知合いですか?」
殿方は咳払いをしてつるっと襟に綺麗な指を滑らせて正した後、頭を下げた。
「失礼しました。はじめまして、俺は橘水月と申しますお姫様。輝夜の同僚陰陽師です」
「陰陽師の方……」
「今後ともよろしくお願いしますね? お姫様」
「お……夫がお世話になっております!」
「書物を取ってすぐ戻ると言ったのに、勝手に離れに入るな!」
「本邸はよくて、離れはダメ? なるほど……お前が離れに隠しておきたくなるわけだ」
品定めするように橘様は私の頭から爪先までを見て何度か頷いていた。でも、今日の私は使用人のみんなに着飾ってもらっただけでとてもいたたまれなくなった。
「いつもはこんなじゃなくて、もっと地味で、不気味です。今日はたまたま綺麗にしてもらっただけで」
「じゃあ、次はいつもの姿のお姫様に会いにきますね」
「来るな! 先に牛車に乗ってろ!」
輝夜様は水月様背中を押し出した後、ささっと戻ってきて水月様に取られた方の私の手を着物で拭いた。
「輝夜様?」
「あいつの手垢がついたので……」
「気にしてないですよ?」
「私が気にします」
「はぁ……行かなくてよろしいのですか?」
遠くから水月様の声が響いていた。面倒そうに輝夜様は水月様の方を見てから私に耳打ちをした。
「その姿のまま、寝ずに待っていてください。今夜離れに行きます」
「お疲れでしょうし、気を遣ってもらわずとも大丈夫ですよ!」
「言わなければわかりませんか、可愛らしいあなたを愛でたいと言っているんです」
「……うっ」
致死量のときめきが体中の臓器を攻撃してくる。心臓が今にも口から飛び出してしまいそうだった。
『さらに惚れ直すこと間違いありませんわね』
使用人の言葉が何度も身体の中でこだましている。
本当にそう、なのでしょうか。
輝夜様が寝ずに待っていてと言ったから、彼が離れに来るのを今か今かとうとうとしながらも寝ずに待っていた。
『言わなければわかりませんか、可愛らしいあなたを愛でたいと言っているんです』
一生で一度言われるかどうかの貴重な言葉を繰り返し、繰り返し、頭の中で流していた。けれど、輝夜様は離れにはやってこなかった。
からかわれてしまっただけ、だったみたいだ。
◇◇◇
やっぱり、いつもの格好が落ち着く。
分不相応な明るい色の着物や煌びやかな化粧を施した装いは気を大きくしてくれるけれど、そもそも気の小さい私にはもったいないように感じた。もっと綺麗で優雅で家柄のいいお姫様だったらそうは思わなかったのかもしれない。
——半端ものの不気味な私には全然程遠い。
部屋に掛けられた昨日身に纏っていた明るい色の着物を眺めながらため息をついた。
「みちるさーん!」
外から声がかかって顔を出すとそこには橘様は立っていた。
「橘様?……あれ、名前」
「何度聞いてもあいつは教えてくれなかったら、使用人の女性に聞いたよ」
「そうでしたか、輝夜様はこちらにはいらしてないですよ?」
輝夜様を訊ねに来たと思い、そう告げると水月様は違う違うと微笑んで近寄ってきた。
「輝夜ではなく、いつものあなたに会いに来たんです。お近づきの印にこれ、季節限定の花餅。可愛らしい花の形のお餅のお菓子が都で流行っていて、みちるさんにお土産」
「わぁ、これはお餅なのですか?」
「そうそう。お茶と一緒に食べると美味しいよ。甘いもの嫌いじゃない?」
「大好きです。もし、よろしければ橘様も一緒にお茶はいかがでしょうか」
「いいの? じゃあ、仕事前に休憩しようかなぁ」
使用人に花の形のお餅を見せると今とても人気のあるものですよと声を弾ませていた。
お茶の用意が整って橘様とお茶を飲みながら談笑をした。
「橘様と輝夜様は長いお付き合いなのですか?」
「そうだね。子供のころから」
「幼馴染ということですね」
「そういうみちるさんと輝夜はいつ結婚したの?」
「今からだと、半年ほど前でしょうか?」
橘様は顎に手をあてなにやら思案していた。
「半年前ねぇ……」
「あの、何か?」
「いやいや、そういえば半年くらい前からやたらとあいつが仕事に精を出しはじめたから納得だなって。みちるさんのおかげってことかぁ。羨ましい奴め」
「私のおかげってことはないと思います。輝夜様は私をからかっているだけで、興味はありませんから」
「手厳しいお姫様だなぁ」
橘様は突然お腹を抱えて笑ってお茶を飲み干した。
「じゃあ、また。輝夜によろしくね」
「はい、お気をつけて」
今日の月はとても大きく明かりが強かった。
廊下から手を伸ばせば、触れられるような気がして手を伸ばした時だった。
腕を引かれて身体が後ろへ倒れ、ぽすっと収まるような音をたてて私は誰かの膝の上に座った。
「勝手に月へ還ろうとしないでください」
「輝夜様!? すみません。重たいですよね」
「いえ、このままで……」
後ろから抱きしめられ、輝夜様は私の肩口にすり寄っていた。
「この前は突然現れたものの怪の対応で帰れず、すみませんでした。寝ずに待っていてくれたと使用人からお聞きしました」
「いえいえ、気にしていません」
「気にしてください……私はあなたに会えなかったのがとても辛かったのですから」
気にしていないと言うこともないけれど、私だってからかわれただけだったという事実に落ち込んだ傷がまだ少しだけ癒えていないのだ。
「半年……会ってなかったのですから、数日くらいで大袈裟です。そうやって私をからかわないでください。こういうこともお控えください。ちょ、放していただけますか!?」
身をよじり、彼の腕を解こうとすると離さないと言わんばかりに力を込められてしまった。着物が擦れる音がする。
「からかってない。好きです……あなたが好きです。何度言えば、信じてくれますか。あの日、明るい色の着物を来たあなたに目を奪われて、紅桜のような色をした唇で可愛らしく微笑まれる姿が愛おしかった。でも、あなたは私には気づかず……水月に笑いかけていた。ただ嫉妬しました。私以外にあのようなことはしないで。おかしくなる。四六時中あなたの事を考えてる。もう半年ずっとです。からかいなどと片づけないでください」
彼の言葉は嘘ではないのだと思う。
でも、まっすぐ彼の気持ちを信じられないのは私が半端ものの不気味な女だからなのだろう。
ただ、そのまっすぐな気持ちを無下にもしたくはない。
「せ、せっかく来てくださったのでお茶でも、水月様からいただいたお餅があるんです。お花のかたち……で」
「水月が来たのですか、今日、ここに?」
「はい……ごあいさつにと」
「失礼」
「うわっ!」
輝夜様は私を軽々と抱き上げて離れの長い廊下を歩き出し。本邸の方へ向かっていった。足取りはバタバタと乱暴だった。
「輝夜様!?」
「水月ともお茶をなさったんですか?」
「えぇ、はい。可愛らしいお菓子をいただいたので、ご一緒にどうですかと……いけませんでしたか?」
「軽々しく男を部屋に上げないでください。あいつにお茶は金輪際、結構です。そのへんの雨水を飲ませておいてください」
「あの、何を怒っていらっしゃるんですか」
眉間に深い皺が刻まれているのが見えた。
「怒らずにいられますか、私が四六時中思いを馳せている妻が日中自分の友人の! しかも男とお茶をしていたなんて、正気でいられませんよ」
随分、余裕のない表情と言動だと思った。
寡黙で、冷血な一匹狼の陰陽師は妻が日中夫の友人とお茶をしていただけで怒ってしまうほど余裕がないなんて都の人たちは知らない。それを考えると途端に可愛らしく思えてくる。
彼が私を好きだと言ったことがにわかに信じられないと悩む私は今この時は心が軽かった。
「ふふっ」
「なにか?」
「輝夜様って、随分、可愛らしい方なんだなって」
「幻滅しました? 心の狭い男だとでも」
「いえ、もう少しあなたの事を知りたくなりました。好きな食べ物、嫌いな食べ物、あとは……」
「あなたになら、何を聞かれても全部お答えします。今日は私の部屋で朝までお話してください」
輝夜様はいつの間にか眉をハの字にして微笑んでいた。私もつられて、彼の着物をぎゅっと握ってしまった。
☆☆☆
真っ暗な部屋で青い炎を前ににやりと口の端を持ち上げている男。
「なるほど、みちる……半年前に輝夜と結婚したお姫様。輝夜が悪夢を見なくなったのも半年前から……あのお姫様、目障りだな」
不穏な悪夢がすぐそこまで来ていたのに、浮ついた私は気づいてすらいなかった。

