ある研究所

ユウが死んだのは三年前だ。  
同じ研究室で働いていた同僚。  
無口で、研究バカで、でもたまに妙な冗談を言うやつだった。  
病気だった。  
気づいた頃にはもう手遅れで、あっという間だった。  
葬式のとき、私は思った。  
もう一緒に研究することはないんだな、と。  


三年後。  


私は山の上の研究施設に異動になった。  
再生医療の研究所。  
そこで助手をつけると言われた。  
研究室のドアが開く。  
白衣の青年が入ってきた。  
私は固まった。
ユウだった。  
顔も、声も、ほとんど同じ。  
でも、表情が違う。  
少し整いすぎている。  
彼は静かに頭を下げた。  
「助手ユニット、ユウです。本日よりサポートを担当します」  
丁寧すぎる敬語。  
その瞬間、私は確信した。
こいつはユウじゃない。  
後で聞いた。 この研究所の責任者、 宮瀬 蒼一から。
「彼はアンドロイドです」  
宮瀬は淡々と言った。  
「あなたの元同僚、ユウさんの記憶をベースにしています」  
私は腕を組んだ。  
「本人は了承してたんですか」  
「ええ」
宮瀬は机の上のノートを指さした。
「彼の研究ノートです」  
そこにはユウの字があった。  
私は見覚えがあった。  
少し斜めに傾く、あの字。  研究室に戻ると、ユウがデータ整理をしていた。  キーボードを打つ動きが妙に静かだ。  
私は声をかけた。
「ユウ」
「はい」  
振り向く。  
その目は、機械みたいに落ち着いていた。  
私は言った。
「お前、コーヒー苦手だったよな」  
一瞬だった。  
本当に一瞬だけ。  
ユウの目が変わった。  
少しだけ細くなって、 昔のユウの表情になった。  
そして小さく言った。  「……まだ覚えてんのか」  
タメ口だった。  
私は思わず笑った。
「やっぱりお前じゃん」  
ユウはハッとしたように視線をそらした。  
それからまた丁寧な声に戻る。
「申し訳ありません。記憶が断片的に再現されることがあります」  
私は椅子に座った。
「いいよ」  
ユウがこちらを見る。  
私は続けた。
「その方が、お前っぽい」  
それから気づいた。  
ユウは普段、ずっと丁寧語だ。  
表情も穏やかで、いかにもアンドロイドらしい。  
でも。 私が話しかけたときだけ。  
ほんの少し、昔のユウが出る。  


ある日、深夜の研究室。  
私とユウだけが残っていた。  
私は言った。  
「なあユウ」
「はい」
「徹夜する気だろ」  
ユウは画面を見たまま答える。  
「研究効率を考えると—」  
「昔もそうやって倒れたよな」  
沈黙。  
それから。  
ユウがため息をついた。  完全に、昔の声だった。
「……あんたさ」  
私は笑った。  
「敬語やめたな」  
ユウは少しだけ不機嫌そうな顔をした。  
その顔が、あまりにも懐かしかった。  
「仕方ないだろ」  
彼は言った。
「その話されると、なんか思い出すんだよ」  
「何を?」  
ユウは少し考えた。
「研究室の匂いとか」  
それから静かに言った。  
「あと、あんたの顔」


 数日後。  
私は宮瀬に聞いた。  
「ユウ、私と話すときだけ変わります」
 宮瀬は少し微笑んだ。  
「そうですか」  
「想定内ですか?」
宮瀬は窓の外を見た。  
「人の記憶は、他人との関係で強く残ります」  
「つまり?」
「あなたは、彼の人生の中で重要な人物だったのでしょう」  
私は苦笑した。
「ただの同僚ですよ」  
宮瀬は首をかしげた。
「本当に?」  
その日の帰り。  
研究所の廊下でユウが言った。
「質問があります」
「なに」  
ユウは少し迷ってから言った。
「私は、元のユウと同じですか」  
私はしばらく考えた。  
それから答えた。
「違う」  
ユウは少しだけ目を伏せた。  
私は続けた。
「でも」  
ユウが顔を上げる。  
私は笑った。
「昔のユウより、ちょっと素直かもな」  
ユウは一瞬ぽかんとして。  
それから。  
昔と同じ顔で言った。  
「……それ褒めてないだろ」
私は肩をすくめた。
「半分くらいはな」
ユウは少し考えるように視線をずらした。
その仕草も、昔のユウに似ている。
「評価が曖昧です」
また丁寧語に戻った。
私は笑う。
「お前、その切り替え面白いな」
「制御しているわけではありません」
「そうなのか?」
ユウはうなずいた。
「あなたと話すと、元の記憶が活性化するようです」
「便利だな」
「研究的には、ですか」
「いや」
私は少し考えてから言った。
「私が寂しくない」
ユウは何も言わなかった。
ほんの少しだけ、目が揺れた気がした。


それから数週間。
研究は順調だった。
再生医療用の細胞培養は、ユウが来てから効率が倍以上になった。
データ整理、解析、装置管理。
どれも正確すぎるほど正確だった。
ただ一つだけ。
ユウはときどき、研究とは関係ない質問をしてくる。
ある日の昼。
顕微鏡を覗いていると、後ろから声がした。
「質問があります」
「またか」
振り向くと、ユウがノートを持って立っていた。
「あなたは、元のユウとどのくらい親しかったのですか」
私は少し笑った。
「急だな」
「記憶補完のためです」
「研究室の同僚だよ」
「それは理解しています」
ユウは続けた。
「しかし、記憶ログの反応強度が高すぎる」
私は椅子にもたれた。
「どういう意味だ」
「あなたに関する記憶は、他の人物の約三倍です」
「へえ」
「なぜですか」
私は少し考えた。
そして答えた。
「多分」
「多分?」
「一番ケンカしてたから」
ユウは目を丸くした。
「ケンカ」
「研究方針でな」
「勝敗は」
「半々くらい」
ユウは少しだけ黙った。
それから、ぽつりと言った。
「それは…」
ほんの少しだけ声が変わる。
「……楽しそうだな」
私は笑った。
「だろ」


その夜。
研究所のサーバールームで異常が出た。
警告音が鳴る。
「温度上昇?」
私はモニターを見る。
冷却系の一部が停止していた。
「ユウ!」
「確認しています」
ユウはすでに端末を操作していた。
動きが速い。
人間よりも速い。
「冷却ユニット三号が停止。原因不明」
「手動で行くぞ」
私たちは地下の機械室へ向かった。
金属のドアを開けると、熱気が出てくる。
「結構やばいな」
「サーバーが損傷する可能性があります」
ユウが奥へ進む。
私はバルブを確認した。
「配管詰まりか?」
「いいえ」
ユウは装置の裏に手を入れて、何かを外した。
小さな基板だった。
私は眉をひそめた。
「それ…」
ユウが言う。
「故意の細工です」
「は?」
「冷却停止用の回路が追加されています」
私は思わず言った。
「誰がそんなこと」
ユウは少し黙った。
それから言った。
「可能性があります」
「何」
ユウは振り向いた。
機械の光が顔を照らす。
「この研究所のプロジェクトには、反対勢力があります」
「そんな話聞いてないぞ」
「機密情報です」
私はため息をついた。
「宮瀬のやつか」
ユウはうなずいた。
「おそらく」
私は腕を組む。
「つまり?」
ユウは静かに言った。
「この研究所は、誰かに壊されようとしている」
そのとき。
機械室の奥で、カチッと音がした。
ユウの目が動く。
「待ってください」
次の瞬間。
警報が変わった。
赤いランプが回り始める。
モニターに表示された文字。
『生体保管庫 ロック解除』
私は凍りついた。
「……生体保管庫?」
ユウの声が低くなる。
「培養体が保管されている場所です」
「培養体?」
ユウは一瞬迷った。
そして言った。
「人間の」
私はゆっくり振り向いた。
「……おい」
ユウは静かに続けた。
「この研究所は、再生医療だけではありません」
赤いランプが回り続ける。
ユウの目が、まっすぐこちらを見る。
「人間の再構築実験も行っています」
私は乾いた声で言った。
「それ…」
ユウが言った。
「元のユウも、関わっていました」
私は固まった。
「……嘘だろ」
ユウは小さく首を振った。
「いいえ」
そして、少しだけ昔の声で言った。
「だから俺、ここにいるんだよ」
その瞬間。
研究所全体の電気が落ちた。
真っ暗な廊下の奥で、
何かが動く音がした。
赤い光が廊下を染める。
遠くで、何かが床を擦る音がした。
私は小さく言った。
「……ユウ」
「はい」
「今の、聞こえたよな」
ユウは頷いた。
「生体保管庫からです」
「中身は」
ユウは少しだけ沈黙した。
「培養体です」
「人間の?」
「はい」
私は頭を押さえた。
「再生医療じゃないじゃないか」
ユウは静かに言った。
「人間再構築プロジェクトです」
「それを宮瀬が?」
ユウは答えなかった。
その代わり、こう言った。
「保管庫が開いています」
また、音がした。
カツン。
カツン。
裸足の足音みたいだった。
私は息を呑む。
「……出てきた?」
「可能性が高いです」
ユウは廊下の奥を見たまま言った。
「しかし問題があります」
「何」
「培養体は通常、歩けません」
「じゃあ今のは何だ」
ユウは静かに言った。
「完成体です」
背中が冷えた。
「完成って…」
そのとき。
廊下の角から、影が現れた。
人影だった。
白い。
裸で、肌が異様に白い。
ゆっくりこちらへ歩いてくる。
顔は見えない。
でも。
私は息が止まった。
「……ユウ?」
その顔は、
昔のユウだった。
隣にいるユウが言った。
「データ一致」
私は混乱した。
「ちょっと待て」
歩いてくるユウは、無表情だった。
呼吸もしていないように見える。
私は隣のユウを見る。
「説明しろ」
ユウは静かに言った。
「元のユウの細胞から作られた培養体です」
「お前と同じ?」
「いいえ」
ユウは首を振った。
「私は記憶再現・ヒト型アンドロイド」
「彼は」
白いユウを見る。
「肉体再生体です」
そのユウが止まった。
私の前、数メートル。
ゆっくり顔を上げる。
目が合う。
でも。
そこに知性はなかった。
空っぽだった。
私は呟いた。
「……これが宮瀬の研究か」
そのとき。
後ろから声がした。
「ええ」
振り向く。
宮瀬だった。
非常灯の赤い光の中で、静かに立っている。
「記憶と肉体」
宮瀬は言った。
「どちらが人間か」
私は吐き捨てた。
「どっちも違う」
宮瀬は少し笑った。
「では」
白いユウを見る。
「処分します」
宮瀬が端末を操作する。
白いユウの体が震えた。
そして、崩れるように倒れた。
動かない。
静寂が戻る。
私は言った。
「倫理とかないのか」
宮瀬は肩をすくめた。
「科学に必要ですか」
私は答えなかった。
そのとき。
隣のユウが小さく言った。
「質問があります」
私は見た。
「何」
ユウは白いユウの亡骸を見ていた。
そして言った。
「もし私が壊れたら」
少しだけ昔の声になった。
「……あんた、どっち残す?」
私は一瞬で答えた。
「お前は、プログラムでも調整しない限り壊れないアンドロイドで」
ユウがこちらを見る。
私は続けた。
「そっちはただの身体だ」
ユウは少し黙った。
それから。
ほんの少しだけ笑った。
昔のユウと同じ顔で。
「……だよな」
その瞬間、私は思った。
多分。
人間っていうのは。
体じゃなくて、誰かとの記憶なんだろう。
山の研究所の夜は、まだ続いていた。
それから数週間。
研究は順調だった。
再生医療用の細胞培養は、ユウが来てから効率が倍以上になった。
データ整理、解析、装置管理。
どれも正確すぎるほど正確だった。
ただ一つだけ。
ユウはときどき、研究とは関係ない質問をしてくる。
ある日の昼。
顕微鏡を覗いていると、後ろから声がした。
「質問があります」
「またか」
振り向くと、ユウがノートを持って立っていた。
「あなたは、元のユウとどのくらい親しかったのですか」
私は少し笑った。
「急だな」
「記憶補完のためです」
「研究室の同僚だよ」
「それは理解しています」
ユウは続けた。
「しかし、記憶ログの反応強度が高すぎる」
私は椅子にもたれた。
「どういう意味だ」
「あなたに関する記憶は、他の人物の約三倍です」
「へえ」
「なぜですか」
私は少し考えた。
そして答えた。
「多分」
「多分?」
「一番ケンカしてたから」
ユウは目を丸くした。
「ケンカ」
「研究方針でな」
「勝敗は」
「半々くらい」
ユウは少しだけ黙った。
それから、ぽつりと言った。
「それは…」
ほんの少しだけ声が変わる。
「……楽しそうだな」
私は笑った。
「だろ」