最強の鬼に見初められました ~桜の夜に捕まって逃げられません~

◇鬼は外

壁全体を覆うほどの私の本棚。
その一角は恋愛ものを中心とした少女コミックと、妖怪ものの少年コミックで埋められている。
祖母の形見だ。
一冊を最低10回は読み返しなさい、と言い遺して亡くなった祖母に操られるかのように、私はあやかしへの理解と恋への憧れを育てていった。
それにしても。

「生殖だなんてっ。はしたないっ!」

私は両手で自分の体を抱きしめた。
もう私は昨日までの、曇りのない眼で白馬の王子を夢見ていた女じゃない。
たった一晩で、欲望を抱けば報いが来るという、浦島太郎の気づきを得た。
人間は無欲になるべきなのだ。そう。解脱したコンみたいに。 
それなのに。

「『世界で一番お前が可愛い』『お前のためなら俺は死ねる』『逃さない』『俺の腕の中で眠れ」か。似たようなセリフばっかなんで覚えたわ」
「きゃあああああ。やめてっ」

この悲鳴は性癖を抉られた羞恥心ではない。
うっかり萌えてしまったものだ。この鬼、無駄に声までカッコいいんですけど。

「は? お前もこれ読んで発情しまくってたんじゃないのか? ん?」
「発情なんて、変な言い方しないで!」
「他になんて言えばいいんだ? 欲情? どっちも似たりよったりだろう」
「強いて言えば……ときめき……でしょうか」
「ときめき? よくわからんな」

あなたが今、ごく自然に掻き立ててる奴ですよ! 

「『お前が好きだ』こう言えばときめくのか? 発情ではなく?」

はあはあ言っている私の前で、彼は何度も仕入れたばかりのセリフを吐き出している。その度に繰り出される萌えビームに私は一人悶絶した。

(こ、この鬼はっ……)

隙あらば強さを誇示するくせに、美貌への自覚は薄そうだ。
自分が息を吸うように特大のフェロモンを放出していると、全くわかってないらしい。

(な、慣れなきゃ)

どんなに殺傷能力が高くとも、色気は法で裁けない。こっちが対策するしかなかった。
鬼はベッドの上から新しい一冊をとるとペラペラとめくり、

「しかし、軟弱そうな男ばかりだな。こんな細腕で、戦えるのか?」

蔑むような口ぶりで言った。

「令は……平和なの。喧嘩なんてないからっ。それでいいんですっ」

私は慌ててそれを回収し、まとめて本棚にもどした。

「よくない」

手持ち無沙汰になったためか、鬼はベッドに腰掛け私を見上げる。

「『お前は一生俺が守る』。この男はそう言っているが強くないと惚れた女を守れない。ただの口先だ。約束を守れない男はクズだぞ」

私はごくん、と唾を飲む。

「そんな事ないわ。コミュニケーションは対話が基本よ……もし対立があっても誠実に向き合えば」

ふっ、と鼻で笑われる。

「バカか。この世は魑魅魍魎蠢く地獄なんだぜ。食うか、食われるか。やられる前にやる。やられたら当然倍返しだ。そうじゃなきゃ生き残れない」
「……あなたは、そうやって誰かを守ってきたの?」

恐る恐る私は尋ねる。

「まさか。俺のものに手を出す奴などいない。俺は絶対王者だからな」
「……」
「そう。誰も俺を倒せない。つまらん事だ。いくら強くても、その能力を使わねば腐る。殴りあえる相手がいない世界に意味はない……残るのは深い退屈だけだ」
「……でも、あなたを封じた人はいるんでしょう? その人はとても強かったのね」

鬼は少し寂しそうな表情を浮かべた。

「詳しい事は忘れたが、自ら眠りについたはずだ。深い眠りを誰かが起こした。くそ。鬼の眠りを妨げるとは万死に値する罪だな」

どうやら私は墓穴を掘ってしまったらしい。

「そうだな。退屈しのぎに、今からそいつを見つけに行くか」
「見つけて……どうするの?」
「ぶっ潰す」

当たり前だと言わんばかりの態度に、背中に冷たい汗が流れる。

(コンや姫山さんがおおらか過ぎて忘れてた。この人は、恐ろしい鬼だった)

こんな事もあろうかと、封をきってスタンバイしていた豆を私はギュッと右手に握る。

「やられたら、やり返す前にまず対話。それが法治国家のルールよ! 物騒なポリシーは捨ててもらうわ!」
「俺は鬼だ。雑魚どものルールなど知ったことか」

鬼の目が釣り上がる。冷え冷えとした空気があたりに立ち込め、突風が床の桜を竜巻のように舞い上がらせた。
ああ、圧が伝わってくる。
こんな感じでコンを仲間に引き入れたのだろうか。だとしても私はそんなのには屈さない。

(ちゃんと警告はしたんだからね!)

湧き上がる罪悪感を押し殺しながら、私は、精一杯の力をこめて、声高らかに叫ぶ。

「鬼はー外ー!!!!」

ヒョロヒョロ声で迫力0だが、同時に投げた豆には、渾身の力をこめさせてもらった。
豆は、彼の胸のあたりにぶつかって――そのままポタポタと床に落ちた。
鬼は、私をじっと見る。

「あ、あれ?」

私は新しい豆を掴むと再び、今度はもう少し上の位置に投げてみた。

「鬼はーそとー!!!!」

さっきと同じく何も起きない。鬼は、きょとんとした顔をしている。
無防備なその表情に「なにやってんだ、こいつ」という文字が書かれている気がした。

(効かないっ。まあ、そりゃそうだよね)

……こんなので鬼が退治できるなら世話はなかった。

「失礼しました」

私は一礼すると、作り笑いで誤魔化した。
何故これが通用すると思えたのだろう。

(私にあやかしを祓う力なんてないのに……)

でも、ここまではっきりと、人間に危害を与える、と宣言している鬼になら、底しれぬ力が発揮されるかも……私はそんな甘い期待を抱いていたらしい。
駄目でした。これからは基本にのっとり、対話で行こうと心に決める。
鬼の目が、意味深に細められる。

「お前……俺を殺そうとしたな。最強のあやかし、この俺を」
鬼は私を凝視しながら立ち上がる。

「……誰一人、歯向かおうとしなかったこの俺を……お前が……この細腕で」

腕に手を伸ばされ、私は思わず後退る。
謎の笑みを浮かべると、彼は舌なめずりをして、私との距離をつめてきた。
さっきまでの空気とは明らかに違う。

「あ、あ、あ、あの、ごめんなさい」

じりじりと私は後ろに下がる。

「どうした。俺を滅するんだろ?」
「…………そこまでは……ただ、街を出ていってくれたら嬉しいな、って」
「なるほど。じゃあ。次から殺意をこめろ」

鬼は豆を拾うと私に持たせた。

「命を奪う気でやれ。そしたら、殺されてやっても構わない」
「そんなっ。む、無理です。ほんと、ごめんなさいっ」

ドクン、ドクン、と心臓が跳ねる。思いつきで豆なんてぶつけてみたものの、私には相手を倒す覚悟も、そのあとの罪悪感を引き受ける覚悟も、何一つ持ち合わせてなかったのだと思い知る。
だって……。

(この人はやられたら倍返しの人よ! 殺意なんてこめたら……八つ裂きにされるわっ)

……怖い。

「さっきまであんなに自信たっぷりだったのに、今は怯えきっているな……お前、俺の煽り方がうますぎる。天才か? いや……」

とん、と背中が壁につくと、鬼は両肘を壁につき、手の檻に私を閉じ込めてしまった。
桜の花びらが、私たちの間に舞う。
命の危険に晒されているのに、花の香りが、私たちの間に怪しげな気配を醸し出す。

「違う……お前のそれは……能力じゃない……他の何かだ」

突き止めようとするかのように、鬼は私を凝視する。
ああ、もうこれ以上立ってられない。そんな事を思っていたら……。
バン、と戸があいて、コンがぷかぷかと入ってきた。

「兄貴に日和! 味噌汁さめるからはよ来てや! さっきからずーっと呼んどるのに!」
「うわっ」

母親にイタズラを見つかった女子高生みたいなテンションで私は鬼から距離を取ろうとした。
しかし、鬼はちっとも動じず、私を手の檻に閉じ込めたまま、不愉快そうにコンを見つめる。

「無粋だな」
「発情すんなら、俺のおらんとこでやって。これでも、日和のおかんなんや」

昨日はあんなにビクついていたのに、コンはナチュラルに私の盾になっている。

「ふん」

やっと私は開放された。はああ、と大きく深呼吸。
しかし、何一つ解決しておらず、今でも鬼は、復讐計画を頭の中で練っているのかも。
私はこれから、どうすればいいのだろう。
コンが床に落ちた豆と花びらを見て、毛を逆立てる。

「なんや、これ。散らかして! 花びらは兄貴の仕業やな。戸を開けたらあかん言うたのに! 豆は日和か……はあ。アホすぎる。今から片付けるから! 2人とも下で食べよって! 今日だけ特別やで!」

なんだか、すっかり世話焼きおかんが板についたコン。

「いい匂いだな」

鬼は先に部屋を出る。トントン、という足音を聞きながら

「大変なの。コン。あの鬼ったら、危険思想の持ち主よ……!」

私はアワアワとコンに話しかけた。

「兄貴の事なら大丈夫。ただ絶望しとるだけや」
「絶望?」
「そ」

絶望なら……知っている。
あやかしたちの多くが抱えているものだ。
泣いて助けてと縋り付いてくるから、わかりやすい。
しかし、あの、自信たっぷりに見える美しい鬼が、彼らと似たものを抱えているなんて、言われるまで想像すら出来なかった。

「まあ、大丈夫や。美味しいもん食べて満足したら、痛いチクチクやトゲトゲも丸うなる。日和がずっとしてきたことやろ」
「コン……」

どこか、慈愛のこもった目で見つめられ、私はハッとしてしまう。
そうか。
確かに、美味しいものを誰かと食べて、普通に淡々と生きていたら……。
言葉を交わすよりも数倍、慰められるって事、あるよね。 
復讐心。
力を試したいという気持ち。

そんな事で、消えるかどうかはわからない。
でも、コンの、この眼差しを信じてみよう。

「さあ行きや。日和も熱いうちに食べるんやで!」

コンのセリフに見送られながら、私も階下へと降りていった。