最強の鬼に見初められました ~桜の夜に捕まって逃げられません~

 血まみれの殺人鬼にフルネームという最大級の個人情報を渡してしまった間抜けな私。

「ひびの……ひより……」

 しかも、復唱されてしまう。
 考えてみたら、別にあれ、名前を聞かれたわけじゃなくて、威嚇みたいな感じだったよね。
 お前、何者だ、的な。

(怪しいものではありません……とかでお茶を濁すべきだった!) 

 私はいつもこうだ。
 間違った選択肢ばかり選んだあと……割と直後に、正解に気づく。
 この殺人鬼にとって私は獲物(姫山さん)を掠め取ろうとしている不審者なのだ。
 自分勝手もいいところだが、そうじゃなきゃ犯罪なんて犯さない。
 確かに怒りを覚えても仕方ないだろう。
 コンが私の前に躍り出た。その隙に男の手を払いのける。
 掴まれていた部分が、氷を当てられたようにじんじんして……その刺激は胸の鼓動へと変わっていく。

「あのっ。こいつ、アホやけどっ。それ以外は害のないいい奴なんですっ。あやかしもいっぱい助けとる。それに免じて許したって。この通りや!!」

 コンの全身の毛が恐怖のためか逆立っている。
 私を守るために、必死なのだ。
 ただ、怯えるだけじゃなく、私も男の隙をつかなくては。

「あ、あのっ! 今、通報しましたからっ。も、も、もうすぐ警察が」

 勿論嘘だがこの場合仕方ないだろう。
 ところが。

 コンをちらっと見た男の視線が、凍りつくように冷たいのに気づき、私は思わず震え上がった。

「雑魚め。邪魔だ」 

 そう言うと、さっと右手でコンの体をはらう。
 まるで、舞を舞うかのような優雅な所作。
 それなのに。

「うわああ」

 一瞬で小さな体は弧を描き夜空の彼方へ消え去った。
 どれほど遠くに飛ばされたのだろう。星がキラリと光るように、コンの体も発光して消える。

「きゃああああああ。な、何するの!」

 私は両手で頬をはさみ、叫んだ。多分、美術の教科書に出てくる有名な絵そっくりな、絶望をあらわにしたポーズだったと思う。あやかしの生命力は凄いから、簡単に死なないのは知っているけれど、それでも心配でたまらなくなる。だって、絶対成層圏超えてるよ。

「妖狐のくせに、この俺に指図をした。万死に値する大罪だ。殺さないだけありがたいと思え」

 殺人鬼はいかにもそれらしいセリフを吐くから、私はわかりやすく震え上がった。
 男はうるさそうに前髪をかきあげると、また私をまっすぐに見る。
 何気ない仕草なのに、匂い立つような色気を感じた。

(なんたるフェロモン! 同じ人間とは思えない!)

 凄いものを見ると称えずにはいられない、実況中継レポーターみたいな性格を改めたいが、いきなりすぎて、どうしようもなかった。

「んん……」

 タイミング最悪にも、仰向けになっていた姫山さんが、呻きながら寝返りを打った。
 男は振り向くと、「俺を呼び出したのはこの女か」そう言うと、スタスタと彼女に近づき、足で転がし上向かせる。

「な、な、な、な、何するの!!!!!」

 コンがどうなったか知ってるが故に私は焦り、彼女の前へと滑り込んだ。

「どけ」

 怒気を帯びた男の眼が、私を見下ろしている。
 ものすごい迫力に、思わず泣いてしまいそうだ。

(あああああっ。逃げておまわりさんを呼ぶべきだったかなあ) 

 後悔するがもう遅い。
 勝手に体が動いたのだ。なんとかこの場を切り抜けなければ。

「……姫山さんに何する気?」
「その女、姫山と言うのか」
(くううう。個人情報……っ……っ)
「ち、が、いますっ。えっと、山田……」
「姫山だな。まあ、名前などどうでもいいが」

 彼は右手を首の下あたりにまで持ち上げ、ふっと息を吹きかけた。
 すると、手のひらから小さな青い炎が現れて、ゆらりと揺れる。

(えっ?)

「ただの人間が俺を500年の眠りから呼び出したとは思えんが……とりあえず憂さ晴らしをさせてもらおうか。まずはこの女を血祭りに」
「ひえええ。やめてっ」

 いたいけな女子高生を血祭りとはなんという、非道。

「ふん。怖がっているな」

 男は笑った。

「人の恐怖は美味だ。もっと怖がれ。お前の恐怖は美味そうだ」

 嫌だこの人。最低最悪!

 私、ここで死ぬのかな。
 白馬の王子様がいつか迎えにきてくれると信じてたのに、まだ恋もしていない。 
 
(コン、ごめんね。あなたの言うことを聞くべきだった)  

 日本は法治国家である。犯罪者は警察の管轄なのに、私は思い上がっていた。
    
 絶望の縁に立たされた私の頭の中に、聞き慣れた声が響き渡る。

{落ち着け。そしてしっかり相手を見るんや!)

 それはコンの声をしていたけれど……私の心の声だった。

(こんな時に落ち着くなんて出来ないよ!)
(死ぬ気になったら、何でも出来るやろ。観察はお前の得意技や。解釈はどうでもええ。とりあえず見ろ!)

 コンはいつだって、私に厳しい。
 ブレーキばかりかけてくる。
 でも。
 
 心の底から、私の事を思ってくれている。

 仕方ない。
 私はかっと両目を見開き彼の手のひら……そして炎……を見つめた。

 いや、2次元から出てきたかのように、麗しくもかっこいい姿なんですが。
 殺人鬼なんかにこのビジュアルはもったいない、と地団駄を踏みたくなるほどの完成度なのですが、目を奪われたのはそのせいじゃない。

 あれ。やっぱり変だよね。
 ただの人間が、こんな事できる?

(そうや。他にもあったやろ。思い出せ!)

 次は記憶だ。
 違和感の正体を捕まえるため、私は深い思考の海へと潜りこんだ。

「どうした。お前。ピクリとも動かなくなったな。まさかこの程度の恐怖で思考停止か?」

 なんだか男が言ってるけれど、相手にしている暇はない。
 思考の海にダイブした私は大忙しだ。頭の中で数々の情報が渦巻いている。
 何もないところから生み出した炎もアレだけど、そう言えばこの殺人鬼、血柱から出てきたんだよね。
 500年とか、眠りとか、たった今投げかけられたセリフの中に、聞き捨てならないものがあったような。
 青い深い思考の海の中で、悠々と泳ぐ殺人鬼の姿が見える。
 私は銛を手に彼を追いかけていた。歩くのも走るのも飛び跳ねるのも全部苦手な私だけれど、妄想の私は泳ぎが達者で、彼のものすごいスピードにしっかりついていく。

「この男、鬼やで! 俺等なんか一秒で瞬殺や! 正気に戻る前にずらかるで!」
「妖狐のくせに、この俺に指図をしたからだ。殺さないだけありがたいと思え」

 コンと殺人鬼のセリフが海の中に響き渡り、「人間とは思えない」私のモノローグが重なった。瞬間、謎が全て解ける。


(……仕留めたり!)

 頭の中にパッと閃光がきらめき、私は銛を男へと投げた。

 ザバン、と海から上がると同時に私は手にした拍子木を打ち鳴らす。

 カンカンカンカン!!!

 それは、コンが鳴らした時とは比べ物にならないほど、よく響いた。
 公園だけじゃなく、街中に響き渡るかと錯覚しそうな大音量。
 風が止まる。
 思考の海から戻ってきた私は、夜の公園で仁王立ちになり、男に向かって拍子木を突きつけた。

「わかったわ。あなた、あやかしね。しかも鬼。あやかしの王様だわ! そうなんでしょう!?」

 ドキドキしながら返事を待つ。

 思い起こせばどんな怪力でも、人間がコンを成層圏まで飛ばすなんてあり得ない。
 それ以前に。
 人間には見えないはずの妖狐であるコンが、この男には普通に見えていた。
 何よりもコンが言ったのだ。

 この男は、鬼だ、と。

 桜の木が、枝を振り回して踊り狂った。風だとしたら、こんな動き方はしない。
 目の前にいる血まみれの男が、己の強さを見せつけている。
 彼はにやりと、笑って頷いた。

「その通り。俺は鬼。あやかしの王だ」

 やっぱり。 
 私はごくりと唾をのむ。
 黒髪の上にそそり立つ角が、見えてきた。それにしてもなんと美しい異形なんだろう。

「500年、桜の樹の下で眠っていた。鬼一匹で国が滅ぶ。その鬼が、蘇った。別に起きたかったわけじゃねーが、こうなったら、遊ばせてもらうぞ」

 すごい迫力だ。私は目を瞑って、その圧に耐える。
 怖くない……わけはない。

 でも。

 あやかしとは、何度となく、コミュニケーションをとってきた。
 つまり。


「あやかしなら、私の管轄よ! あなたに今から人間界のルールを教えてあげるわ!」

 私は叫ぶ。

 その昔、あやかしと人間はほぼ対等に生きていたらしい。
 その頃は恐らく、能力の強いあやかしの方が、何かと立場も強かったのだろう。

 しかし時代は変わった。

(あやかしを感知できる人間はほぼいない。だから、今のところ、あやかし側が人間のルールを尊重する必要があるの)  

 それは、物心ついてから、あやかしお助けセンターとして動いてきた私の、現実に即した最適解だった。