最強の鬼に見初められました ~桜の夜に捕まって逃げられません~

 あたりを祓うような、怖いほどの美貌。

 私は何かに圧倒されるのがとても好きだ。
 大きなもの、信じられないような動き、想像を絶するものたち。
 この世には、不思議で凄いものが沢山ある。
 人口五十万程度の地方都市、ここ、詠門市から一度も出たことがない私にとって、新しい何かに出逢う事は、未知の場所や異世界をくぐり抜けたような、スペシャルな体験なのだ。
 そんな私は、今、目の前に現れた美貌の男に、息をするのも忘れて見入っていた。
 つややかな黒髪に高い鼻梁、長いまつ毛。整った眉。
 まるで月の化身のようにクールな美貌。
 全身から放たれる特別なオーラ、言うならば、覇王色のようなそれが、国宝のような美貌を際立たせている。
 コンと私とが動けなくなったのは、きっとそのせいだろう。
 もしかしたら、神様が何か意図があって、この人にこんな綺麗な見た目を与えたのでは……。そんな思いが頭を巡る。
 美貌にぶん殴られたような気分なんて初めてだった。

 と……。

 ポタ、ポタ。

 髪や着物の裾から垂れている赤い液体と、むせ返るような鉄の匂いに、朦朧としていた意識が現実へと立ち戻ってくる。

 ポタ、ポタ。
 赤い、雫が地面へ落ちる。

 残影なんかじゃない。
 私が目にしているのは、まさしく血を被った男だ。
 美の化身かとまで思えていた彼が、一瞬で生々しい血まみれの男へと変わる。しかも、被っているのは、尋常ではない量の血。
 私がいたのは、麗しい神話の世界なんかじゃない。
 おどろおどろしい、スプラッタの世界だった。

 コンも同時に我に返ったらしい。

「日和、逃げるで。あいつはヤバい。ヤバいなんてもんじゃあらへん」

 前を向いたまま囁きかけてくる。

「で、でも、怪我……してるんじゃ」

 血まみれなのは血柱のせいだったとしても、さっきからずっと目を閉じたままだ。 
 生きて……はいるんだろうけれど、心配にはなる。

「アホか。この期に及んで……!」

 男の様子をうかがう私の目の前に、立ちはだかるようにしてコンは言った。

「この男、鬼やで! 俺等なんか一秒で瞬殺や! 正気に戻る前にずらかるで!」

 いつも以上に早口のコン。その全身から、強い獣臭が漂ってきた。
 あやかしとはいえ、コンには獣の属性があり、危険を見極める嗅覚は確かだった。
 そのコンが。
 この人の事をはっきり、鬼と言った。

(鬼……瞬殺。そして全身血まみれのこの体)

 つまり、目の前にいるこの男は……。
 殺人鬼!

(さっきの血柱は、殺した人間の血で出来ていた的な? どうしよう。そんなの想定外!)

 こう見えて実は読書家の私。
 ミステリーやホラー小説を浴びるほど読んでいるため、あっという間にそんな仮説を思いついてしまう。

「あわわわわわわ。どうしよう。コン。腰が抜けちゃった。でも、逃げなきゃ」
「アホか、日和。静かにっ」

 とにかくやっとこさ、2人の意見が一致した。
 命大事に。
 公園を出たら、すぐに警察へ駆け込んで、凶悪犯を捕まえてもらうのだ……。

 その時、春なのに、どこか冷たい風が吹き付けてきて私の髪を巻き上げた。一瞬前が見えなくなり、すだれみたいになった黒髪の隙間から、男の足元にある小さな赤い円が飛び込んできた。
 その中に、制服姿の女性がいた。
 金色に近い巻き髪、だらん、と伸びた足に長い首、そして、白い肌。見知った顔だ。
 あれは、学校一の美人と言われているクラスメイトの――。

「……姫山珠姫さん!?」

 私は思わず叫んでしまう。

「えっ?」

 コンも振り向き、得心したようにうなずいた。

「ああ……詠門高のマドンナか。生贄には最高の素材やな。流石鬼や。そつがないわ」
「えっ?」
「次の餌食はあいつなんやろ。日和。時間がない。今すぐ警察へ……て、何しとんねん!!!!!」

 恐る恐る、戻ろうとしている私にコンが案の定な突っ込みを入れる。

「だって、放ってはおけないわ」
「お前に何が出来ると言うんじゃ!」
「彼女を起こせる!」

 私は胸をはる。

「姫山さんリレーの選手なの。だからきっとダッシュで逃げられれば」
「そしてお前は万年ビリやろ! 予言したる。その時には生贄がマドンナから仏へ変わるだけや」
「大丈夫。私、こう見えて運がいいから」
「ガクブルやないかい!」

 コンにズバリ言い当てられて、私は震えながら天を仰いだ。

「だって、怖いんだもの。しょうがないじゃない!」
「やから、まずは日和が警察に」
「その間に姫山さんが殺されてたら、私、一生自分で自分を許せない」

 ごんごん、と拳で膝を叩きながら、私はギクシャクと前へ進んだ。

「ったく。この頑固者が!」   

 コンの呆れ声を背後に聞きながら、男の横を通り過ぎる。

(こんな綺麗な顔なのに、殺人鬼だなんて)

 恐怖に鳥肌が立った瞬間、男はかっと両目を見開いた。

(えっ)

 至近距離にある黒い瞳に、間抜け顔の私が映っていて……そんな事実を差し置いてさえ、その目はとても美しく、まるで小さな宇宙へ吸い込まれそうな気持ちになる。
 驚く時間すら与えられず、素早い動きで、男は私の手首を掴む。
 冷たい手の感触に、ドキっとした。

「……お前、誰だ」

 男性は、低く唸るような声でそう言って……。
 あたりの空気がビリビリと震える。

(やっぱりこの人はただ者じゃない)

 そう。
 恐ろしい殺人鬼。

 それなのに。

「日々野……日和です……」

 条件反射で答えた私は、「ぶあかっ! 個人情報を知らん人に言うたらあかんとあれほど……!!!」コンの呻きを聞くより先に、己の素直さに身悶えした。