最強の鬼に見初められました ~桜の夜に捕まって逃げられません~

 春眠暁を覚えずとはよく言ったものだ。
 窓の向こう側に葉桜が舞う春の教室で、私は激しい睡魔と戦っていた。決して寝不足なわけでも、授業がつまらないわけでもない。私のレアスキル、あやかしホイホイによる弊害だ。面倒なあやかしの一人が、コンの不在をいいことに、私に干渉しているのだ。

「いい天気だし。辛いことばっかだし。寝ちまえよー。寝たらきっと楽になるよー」

 私の背中にべったりと張り付き囁きかけているのは、怠惰のあやかし、通称「タイダー」だ。
 ミルクのように白くこんにゃくみたく、ぐにゃついた身体を持つ彼は、主に私がストレスをためている時にやってきては過食やら責任放棄やら睡眠やら、つまり怠惰な方向に人間を誘おうとする困りもの。取り憑かれた私は、机に突っ伏したくなるのを必死に耐えている。瞼はもう、半分以上閉じかけているにもかかわらず、だ。当然勉強どころじゃない。タイダーによる悪魔の囁きに抵抗するのに精一杯。

「寝ちまえよー。寝ちまえよー」

 何度も繰り返し言われていると、そうしちゃおうかな、なんて思えてくる。 
 だって……。

(こないだから色々ありすぎでしょ!!)

 現実逃避したくなる理由が私にはある。
 元凶である鬼の、憎らしくも麗しい顔を私は脳裏に浮かべ拳を握った。

(あの男、私を夜空から突き落とした。死ぬかと思ったんだから!!)

 昨日の夜。
 ヘロヘロになった私は、鬼にまたブラブラされながら家に運ばれるという屈辱を受けた。高所は怖かったけれど、もう叫ぶ気力さえ残っておらず、私は猛禽類に運ばれる小動物さながらの従順さで空を飛んだ。
 コンはすでに家に戻っていて、割烹着姿でしれっとまた「おかえり」と言う。

「聞いて。コン。紫苑がひどいの!」

 私はコンに訴えた。私のおかんを自称し始めた彼なら、きっと慰めてくれると思ったのだ。
 ところが、コンは私の受けた受難なんて眼中になかった。一部始終を聞いたあと、

「なるほど。荒療治か。流石兄貴や。俺にはたとえ思いついてもやれん技や。もう、ひよりの教育は兄貴に任した」

 妙にキラキラした目で紫苑を賞賛し始めたのだ。

「コンは私の味方じゃなかったの!?」
「俺はひよりのおかんや。おかんは身の回りを整えることに専念するわ。ガタガタしてもひよりは言うこときかんしな。鍛えるのは兄貴に任すわ」

 自分の役割を決めてしまったコンにゆるぎはない。
 褒められた紫苑はなんとなく得意げな顔になっているし。
 誰が鍛えてなんて言ったのよ。

(強いからって、ひどすぎる。絶対に許さない)
 
 と言いながらも今の私には、鬼を待ち伏せして脅かすくらいしか復讐の手立てがないのが残念だ。

 そんなこんなで、ストレスゲージが振り切れそうな私はまんまと下級あやかしに目をつけられているというわけである。

「寝ちまえよー」

 ああ、つけこまれてる……。
 でも、確かに眠いし辛いし、本当は新学期デビューできなかったことも地味に引きずってるし……。
 現実逃避に寝ちゃおうかな……。
 新学期早々、不真面目レッテル貼られてしまうかもだけど……。

 と、ふいに肩が軽くなった。石責めされてたさなかに、石がいきなり取り除かれた感じ。

「えっ?」
「うぎゃっ」

 見ると、白くてぐにゃついたタイダーの身体が、私の目前でブランブランしていた。

「……お前、バカか。精気吸われてるのに根性でなんとかしようとするんじゃねえよ」
「紫苑!」

 私は叫んだ。
 鬼に首根っこを掴まれたタイダーは、不服そうに紫苑を睨んでいる。

「なんだ、お前。いいとこだったのに」

 私は真っ青に多分なっていたと思う。

「だ、だめ、タイダー……この人は……!」
「……お前、死ね」

 眉根を寄せた紫苑は、思いっきりタイダーを振り回し、窓から外へと放り出す。

(あああああああっ。デジャヴ……!)

 成層圏へと消えたコンを思い出しながら、私は口をポカンと開けた。何度見ても、鬼のパワーは凄まじい。
 私は窓辺へと駆け寄った。遠い空にキラリと光ったのが、タイダーの残像なのだろう。

「もうっ。あなたには話し合うって手段はないのっ」
「ない。つーか、お前、いいのか? 浮いてるんだが」

 言われて私はハッとして、周りを見回した。
 先生を含めた全員が、奇異の目で私を見つめている。

(あああああああっ。そうだった。あやかしは私にしか見えないんだった)

 それなのに私ったら、叫ぶわ、立ち上がるわ、見えない誰かに話しかけるわ。

「呪われた女、うざ」

 小声だがわかる。
 櫻井さんの声だ。ああ、学年一のマドンナに、そんな悪態を吐かせるようになってしまったとは……。

 後悔しても遅い。失敗は即リカバリすべし!

「先生。私、気分が悪くて。保健室に行ってもいいでしょうか!」

 奇行は体調のせい、ということにした。自信を持って言い切るとなんとかなると、私は肌で知っている。
 その主張は受け入れられ、私は諸々を追及されることも咎められることもなく教室脱出に成功する。

「……なんでついてくるのよ」

 廊下を歩きながら、背の高い紫苑を見上げながら言う。

「暇つぶしだ」
「は?」
「お前を見ていると面白い」
「はああああ??」

 一瞬イラッとしかけた私は、気がついた。

「ってことは、世界を滅ぼすのはいったん本気でやめたってことよね」
「ああ」
「……もしかして、私って、案外すごい?」

 コツン、と額をつつかれた。

「いたっ」
「……世界の前に自分の心配をしろ。さっきの雑魚に、命を吸われてただろ」
「そんな大げさな……っていうか、まさか」

 私の死に様を見るのが楽しみだ、とか。

 そんなわけないよね、という願いをこめながら、私は彼の整った顔を見上げる。

「なんだ?」

 対話を好まない拳で語る鬼が、私に問いかけてくる。
 それなのに……。

「……ううん、なんでもない」

 私は俯き言葉を濁した。

「よく気づいたな。その通りだ」

 なんて言われたら……。
 3日は寝込む気がしたから。