君ってちょっと怪異より不穏

失敗した。自然な感じでいいとは言ったけど、澄はわりと無口だ。俺と違って背中がまっすぐ伸びているのは頼もしいものの、この静けさの中では逆にそれが際立つ。なんかもっとこう、世間話みたいなもので気持ちを散らしたいのに、肝心の話題が浮かばない。

必死に頭を回していると、ふいに澄が肩越しに振り返った。わざとなのか、顎の下からライトを当てるから、俺は思わずひぐっ、と喉を鳴らした。

「陽翔って、やっぱ怖がりやんな?」

澄はそのまま、口角だけを少し上げる。余計に不気味だ。
俺はぐっと息を吸い込んで、「んなことないって言ってんだろ」と精一杯虚勢を張る。

「めっちゃ声上擦っとるで」
「うっせ」

ベシッと澄の背中を叩く。澄は小さく息を漏らすみたいに笑った。その余裕が、正直ありがたい。

「そんな怖がりやのに、怪異録、協力してくれてありがとなぁ……」

そう言って、澄はそのまま前を向き直った。けれど、その声がどこかしみじみとしていて、なんとなく俺はバツが悪くなる。
協力したと言っても、澄みたいに久瀬町のため、とかじゃない。フォロワーを維持したいから、という、わりとどうしようもない理由だ。
 
「ま、まぁ……それは、田舎ってやることなくて暇だしな」

そう言って、誤魔化す。

「んでも、ありがたいよ」

そんな風に礼を言ってくる素直な澄に返す言葉がなくなってしまった。

「怖がりなのに、先輩にも言い返してくれたし」
「あー……ははっ……」

それも、別に言い返したとかではなく、思ってたことが口に出てしまっただけなんだよな。
 
ただ、どうにもなんだか、澄の中で俺の好感度が上がっている気配を感じ取る。
そのせいで、承認欲求に負けただけとか、フォロワーを減らしたくなかっただけとか、そんな軽い動機だなんて、今さら言いづらい。
まっすぐな善意をそのまま向けられると、自己評価とのズレがじわじわ浮き上がる。自分が実物より良く見積もられているせいで、落ち着かなくて、足の裏あたりがむず痒くなる。
早く、この空気を変えたい。俺は適当な話題を探した。

「そういやさ、あの二宮とかいう人、なんで澄に絡んでくんの?」

ピクっと澄の背中が揺れた気がしたけど、俺は次の言葉をすでに喉奥に用意していたのでそのまま続けた。

「なんか、誰かさんのせいでブランクがぁとか言ってたけど」

俺の質問に、澄は一拍の間を置いてから「うん……」とだけ返した。
あれ、これ聞いちゃまずかったやつか? と思って、少し背後から澄の顔を覗き込む。するとまた、ふいのタイミングで振り返られて、妙に近い距離で目が合った。

ただでさえ暗闇で神経が尖っているのに、無駄に心臓が跳ねる。

「あの人、陸上部なんやけど」

そう切り出されて、俺は一瞬、自分が何を聞いたのか忘れていた。あの人って二宮先輩のことか、と遅れて思い至り、眉を上げて続きを促す。

「怪我したんや。年明けてすぐくらいやったかな。それで、練習もろくにできんくて、大会も出られへんかった」

そこで澄は言葉を止めた。
え、終わり? と内心で首を傾げながら、俺は素直に「え?」と声を漏らす。よくわからない。

「それの、何が誰かさんのせいなの?」

あの言い方からして、『誰かさん』って澄のことだろう。

「俺、言うたんよ、先輩に……」

変に言葉を濁す。
その歯切れの悪さに、胸の奥が小さくざわついた。

「な、なにを……?」

「んー……」

澄は少し視線を逸らし、言葉を探すみたいに間を置く。

「危ない気ぃするから、気ぃつけたほうがええんちゃうか、って。まぁ、そんな感じのことを」

そう言いながら、足元で伸びきった雑草を蹴るようにかき分けた。澄が動くたび、懐中電灯の光が暗闇の中でちらちらと揺れる。

「……え? は? それで、なんで澄のせいなの?」

俺がそう詰めると、澄はまた「んー、なんでやろなぁ」と、どこか他人事みたいな調子で返してきた。
わかってるくせに、説明する気がない感じがする。不躾かもしれないとは思いつつも、曖昧に濁されると余計に気になる。というか、変な想像が勝手に膨らんでしまって怖いから、はっきりさせておきたい。

「て、てか、澄はなんで危ないって……思ったの?」

例えば、練習しすぎて怪我するんじゃないか、とか。そういう筋の通った理由が欲しい。
澄は振り返らないまま、相変わらず足で雑草を蹴りながら裏手への通路を進んでいく。

答えたくないんだろうな、と察しはつく。でも、今この状況で含みを持たれるのは普通に怖い。
ズンズン先へ行く澄のシャツの裾を、俺は思わず掴んだ。

その瞬間、澄が今までで一番俊敏な動きで振り返った。
反射的に呼吸が止まる。

さらに、手にした懐中電灯で俺の後ろあたりを照らし、そのまま視線をぴたりと固定した。

「な……なに、なに、えっ、えぇ?」

怖すぎて振り返れない。何を見てるの。何かいるの? なんで俺の後ろ、そんなに凝視してんの。
体が強張りすぎて、首筋がじわっと痛む。

澄はまだ俺の背後を見たまま、「いや……」とだけ言って言葉を止めた。
やめろ。マジでやめろ。余計怖い。

このまま何も見ずに走り出したい。でも人のいる方へ戻るには、来た道を引き返すしかない。
最悪だ。

俺はぐっと息を吸い込んで、覚悟を決める。ゆっくり、おそるおそる振り返った。

背後にあるのは旧診療所。横一列に並ぶ窓。その一つに、澄のライトが当たっていて――

そこに、こっちをまっすぐ見つめる、人の顔が。

「ひ、ひぃやぁぁぁぁぁぁぁ……!」

咄嗟のときって、本当に体が言うことをきかない。逃げる方向もわからないまま、俺はその場に立っていた澄にしがみついた。情けない悲鳴が勝手に喉から漏れる。

とにかく危険なものから距離を取りたい。澄を盾にするみたいに体をひねる。
「おわっ」と、澄がいつも通り起伏のない声を上げながら、俺を受け止めるように背中へ手を回した。

「むりぃっ! な、な、にっ、ひぃやぁぁぁ!」

これは叫ぶことで恐怖を散らそうとする、ビビり特有の自己防衛反応だ。理屈じゃない。勝手に声が出る。

「陽翔、落ち着きぃや」
「おち、おちつ、おちつぅぅ!」
「ちゃうよ、なんでもないから、ちゃんと見てみ」
「むりぃぃぃぃっ!」
「平気やってば、ほら」

ぐっと抱き寄せられたまま、澄が体を捻る。そのせいで澄の肩越しの俺の視界に件の窓が飛び込んできた。

「ひぃっ――!」

とまた紛らわすように叫びかけたところで、俺は呼吸を止める。

「あっ……」

と小さく声が漏れた。
窓の向こうでこちらをまっすぐ見つめている人の顔――は、ガラスに反射した俺だった。

「ほら、な?」

確かめるみたいに顔を覗き込まれて、口元が引き攣る。
今の醜態をどうにか誤魔化せないかと全力で頭を回したけど、何も浮かばない。

「な、なんだよ、ビビらせんなよ……」

結局、虚勢を張るのが精一杯だ。

「サナコの井戸はもうちょい先や」

澄はそう言って、再び雑草だらけの裏庭をライトで照らす。
正直、もういい、帰ろう、って今にも言いそうになるのを、奥歯で噛み潰すみたいに飲み込んで、俺は小さく頷いた。

「やっぱり、手ぇ繋ぐ?」

また振り返って聞かれて、今度は即答できなかった。
だって、今でもほとんど澄の背中に張り付いているみたいな状態だ。本音を言えば、まじで離れないでくれ、だ。

けど、そんなのカッコ悪すぎる。

「繋がないってば」

そう言いながらも、声に力はない。

澄は少し立ち止まって、あの読めない無表情のまま俺の顔を観察する。
「な、なんだよ……」と睨み返すと、「いや……」と一瞬だけ言葉を濁した。

「俺が怖いから、手ぇ繋いでくれん?」

そう言って、右手のひらを上向けて俺の前に差し出してくる。
ううん、なるほど、そうか。

「ったく……し、仕方ねぇなぁ……」

俺は懐中電灯をポケットにしまい、スマホを構えていない左手で澄の手をとった。
澄の手はあったかくて、生身の人間の体温に、少しだけ恐怖が和らぐ。
体裁は守ってくれたけど、これは多分気を遣われているであろうことは俺にもわかる。けど、正直ありがたい。
澄は少しも怖くないんだろうか。恐怖の正体を辿ると、それはやっぱり、得体がしれないから、という理由が強いと思う。けど、澄の場合は、もしかしてそれが何かわかってるから怖くない、とか?

「あのさ……」

繋いだ手の指の位置に迷いながら、俺はやや前方を歩く澄に声をかけた。

「ん?」

振り返らないまま、澄が応答する。

「澄ってさぁ、そのぉ、なんか、見えてたりすんの?」

「………………いや?」

なんだよ、その間は。

「見えてへんよ? なんの話」
 
「いや、だからその、ほら、霊的なあれとか」
 
「アレ……」
 
「二宮先輩のやつもさ、もしかしてそう言うの見えたから危ない気がするって……言った、とか?」

ピタッとまた澄が動きを止める。毎回唐突なので、その度にびくついてしまう。
握った手の指が変に絡まって、それにも戸惑った。ちょっとこれって恋人繋ぎじゃないのか、つなぎ方あってんのか?

「見えへんてば」

無表情のまま澄が振り返る。

「え……」

ぐっと握る手に力が籠ったので、俺は思わず小さく息を漏らした。

「見えへんから……」

なんでか少し引き寄せられる。
理由がわからないから、ただ澄の顔を見上げた。
 
「だから、陽翔は俺のこと怖がらんで?」

その無表情の中に何かすこし切実なものを感じ取った。それに少し驚いたのだ。俺は割とよくわからないことに対して想像力を働かせてしまう。
何かあったのかな、怖がられて嫌な思いしたとか。

「別に……怖くないって」

そう答えると、澄はほんの少しだけ表情を和らげて、また前を向いた。