◇
スマートフォンの画面に映っているのは、東京の高校にいた頃の同級生たちの、相変わらずキラキラした投稿だ。
つい数日前まで、自分もその輪の中にいたはずなのに、と思うと小さくため息が漏れる。
ダンス部の友人が上げている目黒川の桜祭りの写真に、無意識に「いいね」を押す。川沿いに並ぶ屋台と、ライトアップされた桜と、笑っている見慣れた顔ぶれ。
ベッドの上でごろんと寝返りを打ちながら、画面をスクロールする。
通知欄にはいくつかDMが溜まっていた。
『引っ越し先どう?』
『友達できた?』
『次いつ東京来る?』
そんなメッセージばかりだ。
どれも悪意なんてない、ただの気遣い。でも、なんて返せばいいのか分からなくて、既読をつけるのも躊躇っている。
自分の投稿画面を開き、直近の写真を見返す。
フォロワーを維持するには継続的な投稿が大事だ。だからこっちに来てからも、途切れないようにポツポツ更新はしている。
けれど、東京で撮った転校直前のクラスメイトとのやりとりや、ダンス部の仲間に開いてもらった送別会の写真は、もう全部出し切ってしまった。
夜宮神社からの帰りがけに、北村さんに「ほら映えるやろ」と半ば強引に趣味の悪い紫色の照明でライトアップされた鳥居の写真を撮らされた。試しにSNSに上げてみたら、ものの数分でフォロワーが十五人ほど減った。
やっぱり。
俺のフォロワーは、怪異なんて求めてない。
求めているのは、東京の街並みで、目黒川の桜で、放課後のダンス動画で、キラキラしたカフェの写真だ。
でも今、俺が撮れるのは、山と田んぼと、そして紫色に不気味に光る鳥居だけ。
画面を眺めながら、うんざりしたいると、不意にポチッと通知が浮かんだ。
『sumi_k0826 があなたの写真に「いいね!」しました』
またため息が漏れる。
とにかく、このままじゃいけない。
さっきは六千人なんて大したことない、みたいな顔をしたけど、本当は違う。この六千人は、ただの数字じゃない。東京で過ごしてきた時間とか、あの場所での自分とか、そういうものをひっくるめた俺のアイデンティティであって、このまま黙って減らしていくわけにはいかないのだ。
一度その数字で承認欲求が満たされる感覚を覚えてしまうと、厄介だ。六千という形で自分の価値を確認してきたから、減るとそのまま自分自身が削れていくみたいに感じてしまう。なくても生きていけるはずなのに、数字が動くたびに気持ちが揺れる。
でも、その数字を維持するための都心の風景を上げ続けるのは、久瀬にいる間はどうやっても無理だ。
となると、代替案を考えないといけない。
スマホを持ったまま部屋を出て、階段を下りる。居間では、ばあちゃんと母が並んでテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
俺は冷蔵庫から麦茶を取り出しながら、家の中を見渡す。
低い天井に、黒ずんだ太い梁。濃い木目の柱はところどころ艶が抜けていて、壁には色あせた家族写真や昔の祭りのポスターが貼られている。畳は少し毛羽立っていて、歩くとぎし、と鳴る。座卓の上には急須と湯呑み、それから茶色い煎餅。
ばあちゃんのすぐそばでは、茶トラの小麦が丸くなって腹をゆっくり上下させている。
――猫アカにする?
一瞬、頭をよぎる。
でも小麦は基本ばあちゃんにくっついていて、あまり動かない。動画にしても変化はなさそうだし、背景はこの家だ。木目、畳、茶色い煎餅。
猫は可愛い。それは間違いない。
けど、この画面で六千人を引き止められるのか。
麦茶を一口飲みながら、小麦の背中をスマートフォンで撮ってみる。もう結構なシニア猫らしいけど、どこか哀愁みたいなものがあって、逆に可愛い。少なくとも、あの紫色の鳥居よりはずいぶん需要があるだろう。
俺は苦笑しながら、小麦の写真をアップする。投稿ボタンを押してから、スマホを伏せてお茶の間に腰を下ろした。
◇
久瀬町の高校は、町に一つしかない。
山に囲まれたこの場所で、わざわざもう一校つくる意味もないからだろう。正式名称は久瀬町立久瀬高等学校。
その久瀬高の校舎は三階建てで、正面に古びた校章が掲げられている。グラウンドはやたら広いくせに、生徒は少ない。
一学年一クラス。だいたい二十五人前後。全校生徒を合わせても百人に届かない。
だから、ほぼ全員が顔見知りだ。三年生の名前も普通に言えるし、先生の車の車種までなんとなく把握しているらしい。隠し事が難しい環境、とも言えるだろう。まさに田舎って感じだ。
神無トンネルを抜けた向こうの町にも高校はある。バスで三十分ほど。そっちの方が少し規模が大きくて、部活も充実しているらしい。だから成績のいいやつや、町から出たいと思っているやつはそっちを選ぶ。
それでも久瀬に残るやつもいる。家が近いとか、部活がゆるいからとか、理由はさまざまだ。
ただ、この町のこの学校で三年間過ごすというのは、逃げ場のない人間関係の中で生きる、ということでもある。
「……んだよ、電子マネー使えないのか……」
昼休みも終わりに近づいた頃、俺は昇降口横にぽつんと置かれた校内唯一の自動販売機の前に立っていた。
一時代前から更新されていないようなレトロな自販機には、冴えないラインナップが並んでいる。どれも無難で、見覚えのあるラベルばかりだ。
少し迷った末にお茶を選び、プラスチックのボタンを押す。
ピピッと音が鳴った。
なのに、何も落ちてこない。
「あれ?」
取り出し口を覗き込みながら、何度もカチカチとボタンを押しても、音だけが虚しく響く。
そのとき、不意に背後から誰かが取り出し口に手を伸ばして、しゃがみ込んだ。俺は驚いて思わず息を詰める。
「ここ、すぐひっかかんねん」
――ガコンッ。
引っかかっていたらしいお茶を引きずり出してくれたのは澄だった。
「ほい」
差し出されたペットボトルを受け取りながら、俺は「あ、ありがとう」と礼を言う。
気まずい。
実は先週末のことがあってから、俺は今日一日ずっと澄を避けていた。それはもう、クラスメイトが気づくくらいあからさまで、「澄なにしたん」「また変なこと言うて怖がらせたん?」と冗談めかして指摘されるほどだった。
たったひとクラス、二十五人しかいない教室で、一人を避け続けるのは無理だと頭ではわかっている。それでも、顔を合わせれば久瀬怪異録の話を振られるに違いないと思うと、どうしても距離を取りたくなる。
もしクラスメイトの前でその話題を出されたら、やっぱりよそから来た人は町おこしに協力せえへんのか――そんな空気になるに決まっている。
映えないから嫌だとか、そもそも怖いから嫌だとか、そんな本音は絶対に知られたくない。だからこそ、その場の流れに押されて断りきれなくなるんじゃないか、と考えてしまうのだ。
「小麦、可愛かったな」
不意にそんな声が横から落ちてきて、俺は反射的に顔を上げた。
「え?」
「SNSに写真、あげとったやろ」
さりげなくその場を離れるつもりだったのに、自販機に小銭を入れながら澄が話しかけてくる。飲み物を取ってもらったばかりだという負い目もあって、無視するわけにもいかず、「お、おう……」と曖昧にうなずいた。
澄は取り出し口からコーラのペットボトルを抜き取り、振り返る。相変わらず起伏のない顔だ。
「それから、鳥居とか境内の写真もええ感じやったって、親父喜んどったで」
フォロワーは減ったけどな、という言葉を喉の奥で飲み込む。代わりに、俺はお茶のペットボトルのキャップをひねった。
「なんやろな? 撮り方なんかなぁ? 俺が撮ってもあんなふうに撮れへんのよな」
澄はそう言いながらスマホを取り出し、指先で写真フォルダーをスクロールしている。似たような構図の鳥居や夜の境内が、次々と画面を流れていった。
まあ、最近のスマホは性能がいい。適当に撮っても、それなりには写る。けれど、SNSで見せるならそれだけじゃ足りない。写真の質は思っている以上に差が出るのだ。そのへんは、俺だってちゃんと意識している。
「夜は、明るさをそのまま上げるんじゃなくて、影を少し締めんだよ。光の色味も少し冷たい方に寄せて、周囲を少し落としてやると……それっぽく見える」
俺は澄のスマホを覗き込み、説明しながら指を動かす。澄の写真のはアングルは悪くなかったから、ちょっと加工するだけで、すぐにかなり質が上がった。
「ほんまや。すごいな、さすがや」
あまり抑揚のない声だけど、それが澄のデフォだということは、この前のことだけで十分に理解している。だから、本気で感心されているのだとわかると、俺は少しだけ気分がよくなった。
「まあ、これくらい普通じゃん?」
そう言いながら、口元がゆるむのを止めきれない。
「こういうの、動画もできるん?」
「え? まあ……できるけど」
もともとSNSにはダンス動画を上げていたから、そのあたりの知識はある。
「動画は長すぎると最後まで見てもらえないから、十五秒とか三十秒くらいでまとめた方がいい。最初の数秒で目を引かないとスクロールされるし。夜なら……そうだな、最初に一瞬だけ明るいカットを入れてから暗い場面に切り替えるとか……?」
「へぇ? そうなん? そんな短い時間で、怪異の概要とか説明むずいなぁ」
「あー、じゃあ最初にアイキャッチとして、一番盛り上がるシーンを――」
――ハッ。
俺はそこで言葉を止めて息を呑んだ。
危ない。つい褒められていい気になって、危うく澄のペースに乗せられるところだった。
澄は俺が言葉を止めたせいか、スマホから顔を上げてきょとんとした表情で瞬いている。
こいつ、狙ってやってんのか、無自覚なのかが読めない。
「ま、まあ、そんな詳しいことは、ちょっと俺にもわかんないけど……」
「そうなん」
心なしか、ちょっと落ち込んでいるように見えるけれど、これ以上協力すると、なんだかんだで取り込まれてしまいそうだ。
まあ、同情はする。
澄にとってはこの町は生まれ育った場所なわけだし、町のシンボルとまで言われた夜宮神社の息子なら、ひときわ思い入れや責任感のようなものがあるのかもしれない。この前、澄の親父さんが神社を合祀するだなんだと話していた時も、すこし切ない気持ちにはなった。
でもやっぱり俺にとっては他人事だ。数年ここで耐えて、東京の大学に行く。だから、ここは俺にとっては仮住まいに過ぎないのだ。
「んぉ、霧島じゃんっ」
不意に声がかかり、俺は例によってびくっと肩を震わせた。霧島って誰だっけ、と一瞬思ってから、澄のことだと気づく。
振り返るより先に、誰かが澄の肩にガシッと腕を回して寄りかかった。指定のジャージ姿の男子生徒で、胸元の刺繍には「二宮」とある。横にも二人ほどいて、体格の感じと態度からして三年生かもしれない。
澄は肩に腕を回してきた二宮に、「うっす」と小さく顎を引いた。
「ええなぁ、おまえ。相変わらず、ぼーっとして気楽そうで」
二宮はペシペシと澄の肩を叩く。仲がいいのかなと思ったけど、空気が違う。澄が相変わらず表情を動かさないせいで余計にわかりにくいが、二宮たちのにやついた笑い方が、どうにも嫌味ったらしい。
「俺はさぁ、大変やわ。誰かさんのせいでブランクできたから、今度の予選までに取り戻さなあかんくてさぁ」
なんの話だかわからないし、どう考えても俺は関係ない。さっさと立ち去ってもよかったのに、なぜか足が止まって、俺はそのまま澄の様子を見ていた。
「そっすか」
澄が短く返すと、二宮が「チッ」と舌打ちをする。次の瞬間、澄の手元からするりとコーラを奪い取って、横にいた別の男子に放った。
「あ」
澄が小さく、抑揚のない声を漏らす。
男子たちはケラケラ笑いながら、コーラを投げ合ったり、わざと振ってみせたりしてふざけている。
うわぁ。これ、あれじゃん。
鼻の奥がむずむずして、なんだか気持ち悪くなるような感覚に、俺はきゅっと口をすぼめた。この気持ちの名前は知ってる。共感性羞恥、というやつだ。
それでいて、無難な対処もわかっている。「適当にやり過ごす」――これがベスト。
それにしても当事者の澄は、何も言わずにただ自分のコーラがポンポン行き交う様子を眺めている。
俺は別に関係ない。
だから適当にやり過ごせばいい。
……いいんだけど、澄だって「やめろ」とか、ちょっとくらい苛立つ素振りを見せたっていいんじゃないのか、とも思ってしまう。
スマートフォンの画面に映っているのは、東京の高校にいた頃の同級生たちの、相変わらずキラキラした投稿だ。
つい数日前まで、自分もその輪の中にいたはずなのに、と思うと小さくため息が漏れる。
ダンス部の友人が上げている目黒川の桜祭りの写真に、無意識に「いいね」を押す。川沿いに並ぶ屋台と、ライトアップされた桜と、笑っている見慣れた顔ぶれ。
ベッドの上でごろんと寝返りを打ちながら、画面をスクロールする。
通知欄にはいくつかDMが溜まっていた。
『引っ越し先どう?』
『友達できた?』
『次いつ東京来る?』
そんなメッセージばかりだ。
どれも悪意なんてない、ただの気遣い。でも、なんて返せばいいのか分からなくて、既読をつけるのも躊躇っている。
自分の投稿画面を開き、直近の写真を見返す。
フォロワーを維持するには継続的な投稿が大事だ。だからこっちに来てからも、途切れないようにポツポツ更新はしている。
けれど、東京で撮った転校直前のクラスメイトとのやりとりや、ダンス部の仲間に開いてもらった送別会の写真は、もう全部出し切ってしまった。
夜宮神社からの帰りがけに、北村さんに「ほら映えるやろ」と半ば強引に趣味の悪い紫色の照明でライトアップされた鳥居の写真を撮らされた。試しにSNSに上げてみたら、ものの数分でフォロワーが十五人ほど減った。
やっぱり。
俺のフォロワーは、怪異なんて求めてない。
求めているのは、東京の街並みで、目黒川の桜で、放課後のダンス動画で、キラキラしたカフェの写真だ。
でも今、俺が撮れるのは、山と田んぼと、そして紫色に不気味に光る鳥居だけ。
画面を眺めながら、うんざりしたいると、不意にポチッと通知が浮かんだ。
『sumi_k0826 があなたの写真に「いいね!」しました』
またため息が漏れる。
とにかく、このままじゃいけない。
さっきは六千人なんて大したことない、みたいな顔をしたけど、本当は違う。この六千人は、ただの数字じゃない。東京で過ごしてきた時間とか、あの場所での自分とか、そういうものをひっくるめた俺のアイデンティティであって、このまま黙って減らしていくわけにはいかないのだ。
一度その数字で承認欲求が満たされる感覚を覚えてしまうと、厄介だ。六千という形で自分の価値を確認してきたから、減るとそのまま自分自身が削れていくみたいに感じてしまう。なくても生きていけるはずなのに、数字が動くたびに気持ちが揺れる。
でも、その数字を維持するための都心の風景を上げ続けるのは、久瀬にいる間はどうやっても無理だ。
となると、代替案を考えないといけない。
スマホを持ったまま部屋を出て、階段を下りる。居間では、ばあちゃんと母が並んでテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
俺は冷蔵庫から麦茶を取り出しながら、家の中を見渡す。
低い天井に、黒ずんだ太い梁。濃い木目の柱はところどころ艶が抜けていて、壁には色あせた家族写真や昔の祭りのポスターが貼られている。畳は少し毛羽立っていて、歩くとぎし、と鳴る。座卓の上には急須と湯呑み、それから茶色い煎餅。
ばあちゃんのすぐそばでは、茶トラの小麦が丸くなって腹をゆっくり上下させている。
――猫アカにする?
一瞬、頭をよぎる。
でも小麦は基本ばあちゃんにくっついていて、あまり動かない。動画にしても変化はなさそうだし、背景はこの家だ。木目、畳、茶色い煎餅。
猫は可愛い。それは間違いない。
けど、この画面で六千人を引き止められるのか。
麦茶を一口飲みながら、小麦の背中をスマートフォンで撮ってみる。もう結構なシニア猫らしいけど、どこか哀愁みたいなものがあって、逆に可愛い。少なくとも、あの紫色の鳥居よりはずいぶん需要があるだろう。
俺は苦笑しながら、小麦の写真をアップする。投稿ボタンを押してから、スマホを伏せてお茶の間に腰を下ろした。
◇
久瀬町の高校は、町に一つしかない。
山に囲まれたこの場所で、わざわざもう一校つくる意味もないからだろう。正式名称は久瀬町立久瀬高等学校。
その久瀬高の校舎は三階建てで、正面に古びた校章が掲げられている。グラウンドはやたら広いくせに、生徒は少ない。
一学年一クラス。だいたい二十五人前後。全校生徒を合わせても百人に届かない。
だから、ほぼ全員が顔見知りだ。三年生の名前も普通に言えるし、先生の車の車種までなんとなく把握しているらしい。隠し事が難しい環境、とも言えるだろう。まさに田舎って感じだ。
神無トンネルを抜けた向こうの町にも高校はある。バスで三十分ほど。そっちの方が少し規模が大きくて、部活も充実しているらしい。だから成績のいいやつや、町から出たいと思っているやつはそっちを選ぶ。
それでも久瀬に残るやつもいる。家が近いとか、部活がゆるいからとか、理由はさまざまだ。
ただ、この町のこの学校で三年間過ごすというのは、逃げ場のない人間関係の中で生きる、ということでもある。
「……んだよ、電子マネー使えないのか……」
昼休みも終わりに近づいた頃、俺は昇降口横にぽつんと置かれた校内唯一の自動販売機の前に立っていた。
一時代前から更新されていないようなレトロな自販機には、冴えないラインナップが並んでいる。どれも無難で、見覚えのあるラベルばかりだ。
少し迷った末にお茶を選び、プラスチックのボタンを押す。
ピピッと音が鳴った。
なのに、何も落ちてこない。
「あれ?」
取り出し口を覗き込みながら、何度もカチカチとボタンを押しても、音だけが虚しく響く。
そのとき、不意に背後から誰かが取り出し口に手を伸ばして、しゃがみ込んだ。俺は驚いて思わず息を詰める。
「ここ、すぐひっかかんねん」
――ガコンッ。
引っかかっていたらしいお茶を引きずり出してくれたのは澄だった。
「ほい」
差し出されたペットボトルを受け取りながら、俺は「あ、ありがとう」と礼を言う。
気まずい。
実は先週末のことがあってから、俺は今日一日ずっと澄を避けていた。それはもう、クラスメイトが気づくくらいあからさまで、「澄なにしたん」「また変なこと言うて怖がらせたん?」と冗談めかして指摘されるほどだった。
たったひとクラス、二十五人しかいない教室で、一人を避け続けるのは無理だと頭ではわかっている。それでも、顔を合わせれば久瀬怪異録の話を振られるに違いないと思うと、どうしても距離を取りたくなる。
もしクラスメイトの前でその話題を出されたら、やっぱりよそから来た人は町おこしに協力せえへんのか――そんな空気になるに決まっている。
映えないから嫌だとか、そもそも怖いから嫌だとか、そんな本音は絶対に知られたくない。だからこそ、その場の流れに押されて断りきれなくなるんじゃないか、と考えてしまうのだ。
「小麦、可愛かったな」
不意にそんな声が横から落ちてきて、俺は反射的に顔を上げた。
「え?」
「SNSに写真、あげとったやろ」
さりげなくその場を離れるつもりだったのに、自販機に小銭を入れながら澄が話しかけてくる。飲み物を取ってもらったばかりだという負い目もあって、無視するわけにもいかず、「お、おう……」と曖昧にうなずいた。
澄は取り出し口からコーラのペットボトルを抜き取り、振り返る。相変わらず起伏のない顔だ。
「それから、鳥居とか境内の写真もええ感じやったって、親父喜んどったで」
フォロワーは減ったけどな、という言葉を喉の奥で飲み込む。代わりに、俺はお茶のペットボトルのキャップをひねった。
「なんやろな? 撮り方なんかなぁ? 俺が撮ってもあんなふうに撮れへんのよな」
澄はそう言いながらスマホを取り出し、指先で写真フォルダーをスクロールしている。似たような構図の鳥居や夜の境内が、次々と画面を流れていった。
まあ、最近のスマホは性能がいい。適当に撮っても、それなりには写る。けれど、SNSで見せるならそれだけじゃ足りない。写真の質は思っている以上に差が出るのだ。そのへんは、俺だってちゃんと意識している。
「夜は、明るさをそのまま上げるんじゃなくて、影を少し締めんだよ。光の色味も少し冷たい方に寄せて、周囲を少し落としてやると……それっぽく見える」
俺は澄のスマホを覗き込み、説明しながら指を動かす。澄の写真のはアングルは悪くなかったから、ちょっと加工するだけで、すぐにかなり質が上がった。
「ほんまや。すごいな、さすがや」
あまり抑揚のない声だけど、それが澄のデフォだということは、この前のことだけで十分に理解している。だから、本気で感心されているのだとわかると、俺は少しだけ気分がよくなった。
「まあ、これくらい普通じゃん?」
そう言いながら、口元がゆるむのを止めきれない。
「こういうの、動画もできるん?」
「え? まあ……できるけど」
もともとSNSにはダンス動画を上げていたから、そのあたりの知識はある。
「動画は長すぎると最後まで見てもらえないから、十五秒とか三十秒くらいでまとめた方がいい。最初の数秒で目を引かないとスクロールされるし。夜なら……そうだな、最初に一瞬だけ明るいカットを入れてから暗い場面に切り替えるとか……?」
「へぇ? そうなん? そんな短い時間で、怪異の概要とか説明むずいなぁ」
「あー、じゃあ最初にアイキャッチとして、一番盛り上がるシーンを――」
――ハッ。
俺はそこで言葉を止めて息を呑んだ。
危ない。つい褒められていい気になって、危うく澄のペースに乗せられるところだった。
澄は俺が言葉を止めたせいか、スマホから顔を上げてきょとんとした表情で瞬いている。
こいつ、狙ってやってんのか、無自覚なのかが読めない。
「ま、まあ、そんな詳しいことは、ちょっと俺にもわかんないけど……」
「そうなん」
心なしか、ちょっと落ち込んでいるように見えるけれど、これ以上協力すると、なんだかんだで取り込まれてしまいそうだ。
まあ、同情はする。
澄にとってはこの町は生まれ育った場所なわけだし、町のシンボルとまで言われた夜宮神社の息子なら、ひときわ思い入れや責任感のようなものがあるのかもしれない。この前、澄の親父さんが神社を合祀するだなんだと話していた時も、すこし切ない気持ちにはなった。
でもやっぱり俺にとっては他人事だ。数年ここで耐えて、東京の大学に行く。だから、ここは俺にとっては仮住まいに過ぎないのだ。
「んぉ、霧島じゃんっ」
不意に声がかかり、俺は例によってびくっと肩を震わせた。霧島って誰だっけ、と一瞬思ってから、澄のことだと気づく。
振り返るより先に、誰かが澄の肩にガシッと腕を回して寄りかかった。指定のジャージ姿の男子生徒で、胸元の刺繍には「二宮」とある。横にも二人ほどいて、体格の感じと態度からして三年生かもしれない。
澄は肩に腕を回してきた二宮に、「うっす」と小さく顎を引いた。
「ええなぁ、おまえ。相変わらず、ぼーっとして気楽そうで」
二宮はペシペシと澄の肩を叩く。仲がいいのかなと思ったけど、空気が違う。澄が相変わらず表情を動かさないせいで余計にわかりにくいが、二宮たちのにやついた笑い方が、どうにも嫌味ったらしい。
「俺はさぁ、大変やわ。誰かさんのせいでブランクできたから、今度の予選までに取り戻さなあかんくてさぁ」
なんの話だかわからないし、どう考えても俺は関係ない。さっさと立ち去ってもよかったのに、なぜか足が止まって、俺はそのまま澄の様子を見ていた。
「そっすか」
澄が短く返すと、二宮が「チッ」と舌打ちをする。次の瞬間、澄の手元からするりとコーラを奪い取って、横にいた別の男子に放った。
「あ」
澄が小さく、抑揚のない声を漏らす。
男子たちはケラケラ笑いながら、コーラを投げ合ったり、わざと振ってみせたりしてふざけている。
うわぁ。これ、あれじゃん。
鼻の奥がむずむずして、なんだか気持ち悪くなるような感覚に、俺はきゅっと口をすぼめた。この気持ちの名前は知ってる。共感性羞恥、というやつだ。
それでいて、無難な対処もわかっている。「適当にやり過ごす」――これがベスト。
それにしても当事者の澄は、何も言わずにただ自分のコーラがポンポン行き交う様子を眺めている。
俺は別に関係ない。
だから適当にやり過ごせばいい。
……いいんだけど、澄だって「やめろ」とか、ちょっとくらい苛立つ素振りを見せたっていいんじゃないのか、とも思ってしまう。


