君ってちょっと怪異より不穏



夜宮神社は、想像していたよりも敷地が広い。
鳥居をくぐると石の参道がまっすぐ続き、その先に拝殿が見える。木の柱は年月を重ねた色をしていて、屋根の縁には苔がうっすら残っていた。境内はきちんと掃き清められていて、足元の砂利が光を返している。

社務所の奥、拝殿に続く畳敷きの間に通され、俺は澄と並んで座っていた。
正面には白い紙垂の下がった御簾、その奥に神前がある。線香の匂いはないけれど、空気はぴんと澄んでいて、声を出すのもためらわれるような静けさがあった。

軽く頭を下げた俺たちの前を、白い足袋の足元が行き来する。畳に袴が擦れる音と、大幣(おおぬさ)が振られる音が、規則的に響いていた。
非日常の厳かな雰囲気に、俺は少しだけ緊張している。
けれど……

「ふぇ、ふぉぉ、かけまくも〜かしこき〜……えー、夜宮の大神さまに〜……えーと……なんじゃったか……ああ、そうそう」

澄のじいちゃんは、狩衣(かりぎぬ)に烏帽子(えぼし)といった装いこそ神主らしいものの、小柄でヨボヨボで、しかもほんのり酒臭く、足元もどこかおぼつかない。こんなんで本当にお祓いなんてできているのか。

「祓え給え、清め給え〜……えぇっと……ふがふが、なんとかかんとか〜……」

いま絶対ごまかしたよな。

不安になって、顔を伏せたまま隣の澄をちらりと見る。澄は動揺する様子もなく、落ち着いた顔で目を閉じていた。
なんか、神社の息子って感じだ。
俺は一瞬、神主姿の澄を想像してみる。
……わりと似合いそうだ。

「えー、陽翔くんの、えー……なんか憑いとるやつを、さっぱり、ぱっぱと……きぇぇぇ――!」

突然じいちゃんが奇声を上げたので、俺は思わず顔を上げる。
じいちゃんは大幣をわざとらしくしゃらしゃら鳴らしながら、俺たちに向かって頭を下げているところだった。

隣の澄が頭を下げるのを見て、俺も慌ててそれに倣う。どうやらお祓いは終わったらしい。

される前も、された後も、身体的な変化は特になかった。

「まあ、あれや。形式的なやつやから」

表情を変えないまま、澄が言う横で、じいちゃんがなんかふがふが言っている。

夜宮神社での用事は済んだ。
告られた気まずさもあるし、もう帰りたい。
俺はじいちゃんと澄に軽く礼をして、そそくさと畳から立ち上がった。

「あ、陽翔、お祓い終わったん?」

不意に聞き覚えのある声がして振り返る。

拝殿と社務所をつなぐ渡り廊下の向こうから顔を覗かせていたのは、自宅にいるはずの母親だった。長い髪を結い上げ、エプロンをつけている。

「え? 何してんの?」

歩み寄って尋ねると、母はけらけら笑った。

「私もお祓いしてもらったんよ。団子丸めにきたついでにね」

母はこの町の出身だ。東京ではほとんど出なかった訛りが、この町に戻ってきた途端、また言葉に混ざるようになっている。

父と離婚してからしばらくは東京で俺と二人で暮らしていたけれど、久瀬町で一人暮らしをしている祖母が怪我をしたのをきっかけに、移住を決めた。

東京に残ってもいいと言われたけど、父はすでに新しい家庭があるし、俺ひとりで部屋を借りるのも金がかかる。どうせ大学は東京に戻るつもりだ。少しの間だけだと納得して、俺は母についてきたのだ。

それにしても、お祓いのことを知っていたなら先に言ってほしかった。

少しむっとしていると、母は声をひそめて笑う。

「霧島のおじいちゃんのお祓い、相変わらずやねぇ。ふがふが言うて、笑っちゃう」

どうやら母も、あれを大層なものだとは思っていないらしい。

「陽翔のお母さんですか?」

気づけば、隣に澄が歩み寄ってきていた。挙動がいまいち読めないやつなので、変なことを言うなよ、と一瞬ヒヤリとする。

「あれ? あれれ? もしかして、澄くん?」

「はい」

澄が頷いた瞬間、母の表情がぱっと変わった。目を大きく見開いて、「あらぁ」と懐かしそうに笑う。

「大きなったんねぇ。おばちゃん、会うたことあるんよ。澄くん、まだこぉんな小さかった頃やけど」

――え?! そうなの?!

俺は内心でひとり叫んだ。

どうやら、澄の母親とうちの母はもともと仲がいいらしい。というか、この町の人たちはだいたい母のことを知っているようだ。
けれど、俺は自我を持ってからこの町に来た記憶がない。それは母は結婚してからは仕事と子育てでほとんど里帰りをしていなかったからだ。

なんだか、唯一の味方であるはずの母に裏切られたみたいな気分になる。俺だけがよそ者みたいで、場違いな場所にぽつんと立っている心地がした。

「それにしても、もう二人仲良うなったんね?」

母はやけに嬉しそうだが、俺としては別に仲良くなった覚えはない。

「みっちゃん、みっちゃん――! 陽翔と澄くん、もう仲良うなったって!」

社務所のほうへ向かって母が声を張る。

「ほんまぁ?」

ひょこっと顔を出したのは、みっちゃんと呼ばれた女性だった。彼女もエプロン姿だ。黒髪のボブヘアに、少し眠たげな目元。見た瞬間にわかる。澄にそっくりだ。たぶん、いや間違いなく、澄の母親だろう。

「でかしたやん、澄。お友達できてよかったねぇ」

雰囲気は澄よりずっと柔らかい。というか、ちゃんとしている感じがして、少しだけ安心する。

「うん、良い名前やねって褒めてもろたよ。仲良くなった」

――なってねぇよ。

澄の言葉に思わず心の中で即ツッコミを入れる。けれど、どこか嬉しそうにしている母たちの前で、それをわざわざ口に出して否定する勇気はなかった。
 
「そや。陽翔くんもチカちゃんも、うちで晩ごはん食べていき。明日の例祭もあるし、筑前煮たくさん作ってあるんよ。山菜もたくさん採れたから、天ぷらにしよか」

「わぁ、ええね! 手伝うわぁ!」
 
チカちゃんこと、うちの母は、東京ではあまり見たことのないような表情で、澄の母親ときゃいきゃい盛り上がっている。声の調子も柔らいでいて、まるで時間が巻き戻ったみたいだった。
母が楽しそうなのは喜ばしい。けれど、早く帰りたい俺の気持ちはどこにも挟まる余地がないまま、話はするすると進んでいく。
 
通されたのは母屋の座敷だ。畳敷きの部屋に低い座卓が置かれ、座布団が並んでいる。
俺は澄の隣にごく自然に座らされた。

卓の上には、山菜の天ぷらと筑前煮が大皿で並び、白和えや味噌汁も添えられている。素朴だけど、どれもきちんと手がかかっているのがわかる。

隅のほうには、明日の例祭用らしい白い団子が重箱に整然と並べられていて、その横には焼いて甘辛いタレを絡めた団子が皿にのっていた。今食べる分はこっち、ということらしい。

「遠慮せんと、たくさん食べてな」

そう言って瓶からグラスにビールを注いでいるのは、澄の父親だ。澄は顔立ちは母親似だけど、漂っている雰囲気は完全に父親譲りだと思う。

ほかにも、さっきふがふが言っていたじいちゃんに、澄の小学生の弟。それから誰だかわからないおじさんと、どこの家の子かもわからない子供、その母親らしき人までいる。いつの間にか人が増えていて、とにかく大所帯だ。

気味が悪いのは、さっきからみんながやたらと俺に「これうまいで」とか「もっと飲み」とか、料理やらジュースやらを次々と勧めてくるところだ。歓迎してくれているというなら母も同じはずなのに、どう考えても俺だけが妙に手厚く扱われている。接待でもされているみたいで、落ち着かない。

食事が進み、大人たちにも酒が回ってきたらしい。じいちゃんだけは日本酒の入ったグラスを握ったまま、うとうとしているけれど、ほかはいい具合に出来上がっていた。

「ほいで、澄。陽翔くんはちゃんと落とせたんか」

――ゴフッ!

思わず口をつけていたオレンジジュースを吹き出しかける。
隣で澄がさりげなくティッシュを数枚差し出しながら、「断られてもうた」と淡々と答えた。

「ええ、なんでや! 何があかんかったん!」

しつこく食い下がってくるこの知らないおじさんの正体は、さっき判明したばかりだ。北村さんといって、久瀬町役場の地域振興課で、移住促進や観光まわりを担当している人らしい。なんでそんな人が、俺の恋愛事情にここまで食いついてくるんだ。

「なんでって……だって……」

澄は男の子だし。
だいたい、相手が女の子だったとしても、出会って数時間で「付き合いましょう」となるほど、俺は思い切りのいい性格じゃない。

それにしても、澄は北村さんに俺のことを相談していたということなのか。だとしたら時系列がおかしい。というか、なんとなく感じる視線からして、北村さん以外の大人たちも事情を知っていそうなのだ。

「まあまあ、無理強いしたらあかん。本来はわしら大人がどうにかせなあかんことやし」

静かな口調で北村さんの肩をぽんと叩いたのは、澄の父親だった。

「せやけど……若い子の力で少しでも変わるかもしれんやろ」

そう言って、北村さんはグラスのビールをくいっとあおる。
……妙だ。
話がうまくつながっていない気がする。

「あ、あの……」

できるだけ深入りはしたくない。けれど、このままでは意味がわからなすぎて落ち着かない。俺はおずおずと右手を挙げて口を挟んだ。

「俺と……澄が付き合うかどうかで、その、なにか皆さんに影響があるんでしょうか」

母のほうはできるだけ見ないようにした。こういう話題は、思春期男子としてはできれば親の前でやりたくないが、今は仕方がない。

「あるやろ!」

北村さんがカッと目を見開き、身を乗り出す。
思わず肩がびくっと跳ねると、隣にいた澄の母親がそれに気づいたらしく、「怖がらせんといて」と北村さんを軽くたしなめた。

「チカちゃんから聞いたで。陽翔くん、フォロワー六千人もおるんやろ」

北村さんは少し声を抑えつつも、まだ興奮気味に続ける。

「ま、まぁ……」

というか、なぜ母は俺のフォロワー数を把握しているのか、という疑問はいったん脇に置いておく。

「そんな影響力ある子がこの町に来てくれたんや。チャンスやと思わんか?」

影響力って。六千人だぞ。高校生にしては多いほうかもしれないけど、世の中には桁違いのやつも山ほどいる。それよりも、チャンスってなんだ。話がますます見えない。

「まあまあ、キッタンはちょっと大袈裟に言うてるけどな。私らも必死なんよ。出来ることがあるなら、少しでもやってみたいって話や」

朗らかな口調で補足したのは澄の母親だ。キッタンというのはどうやら北村さんのあだ名らしい。

「あ、あの……よくわからないんですけど、出来ることって? その、俺のフォロワー数と、どう関係があるんですか」

思わず眉を寄せて尋ねると、その場の大人たちが一斉にきょとんと瞬いた。

「なんや、澄、話してへんのか」

澄の父にそう言われ、澄は「あー」と気の抜けた声を漏らした。いったん宙を見てから、ゆっくりと視線を食卓に戻す。

「せやね。まだちゃんと話せてへんわ。陽翔、ちょっとせっかちやねん」

「は……」

さりげなく俺のせいにされた気がして、思わず隣の澄に顔を向ける。けれど、この場で噛みつくわけにもいかない。なんとか飲み込んで、「どういうことだよ」と低く問い返すだけにとどめた。