君ってちょっと怪異より不穏

相変わらず表情は薄いままなのに、黒い瞳だけがまっすぐこちらを見ていた。
でも、なんだかまたわかる気がした。今の澄は、少し不安そうだ。

「怖い?」

「……へ?」

「俺、きもいやろ」

咄嗟に、ひゅっと息を吸い込む。
怖かったわけじゃない。ただ、次に出る言葉に、勝手に力が入った。

「そんなことねぇよ!」

俺は無意識に身を乗り出して、無防備だった澄の手を両手でつかんだ。 

「怖がりのくせに?」

普段は無表情なくせに、澄は珍しく皮肉めいた笑みを浮かべる。
 
「仕方ないんかなぁって思ってた。俺のこういうの、やっぱ不気味とかキモいとか思われるんやろうなって。前も言ったけど、事故の後から、なんかうまく人間できんくなって」
 
ほんの少しだけ、指先に力がこもる。
 
「でも、やっぱ嫌われるのは堪えるから。嫌われるくらいなら、ちょっと距離とっとく方が楽で……もう、それでええかなって思ってた。人との関わりとかさ」

そう言って、澄は俺から視線を外した。

俺は、その手を掴んだままだ。離したら、澄はそのままどこかへ引っ込んでしまいそうな気がしていた。

「でも、あれやな。俺、勝手に期待してたんやな」

前に澄は、事故前の自分を知らない俺の前では、今ここにいる自分が、そのまま「自分」でいられるのだと言っていた。
比べられることもないし、変わったと思われることもない。そういう意味で、俺のそばは、澄にとって少し特別な場所だったのだろう。

だからこそ、俺になら、もう少し近づいても大丈夫なんじゃないかと。
そう思って、澄は俺をその内側に入れてくれていたのに。

「ごめん」

「なんで陽翔が謝るん。言うてるやん、俺が勝手に期待しただけやて」

「そうじゃなくて!」

自分でも驚くくらい、声が大きくなった。
握っていた澄の手がぴくりと動く。けれど、視線はまだこっちに向いてくれない。

「そうじゃ……なくて……」

咄嗟に思う。
間違えちゃいけない。今度は、絶対に。

俺は何を伝えたいんだ。
どうしたいんだ。

澄の手を握ったまま、自分の中で言葉を探す。
考えれば考えるほど、心拍だけがどんどん速くなっていく。

この暑さのせいで、触れ合った皮膚に互いの汗が滲んでいる。
それでも、離しちゃいけない気がした。

この手は、引き留めるためじゃない。
ちゃんと伝えるために、握っている。

がっかりさせてごめん、とか。
何かを間違えたのは俺の方だった、とか。
できることなら、もう一度、あの内側に戻してほしい、とか。

次々浮かぶのに、どれも少しずつ違う。

もっと根っこに、別のものがある気がする。

それはたぶん、もう名前のある感情で、喉の奥まで上がってきているのに、まだ声にはならなかった。

「ごめんなぁ……陽翔……それやのに……俺……」

ふいに、握った澄の手に、わずかに力がこもった。
握り返してくるその圧に、俺ははっと小さく息を漏らす。

「やめとこって、思ったんよ。俺、間違えたんやなって思って……」

澄の声が、そこで一度沈む。
喉の奥に引っかかったものを、そのまま飲み込もうとしているみたいだった。
 
「みんなと同じでええやんって。そしたら嫌われんし……俺、陽翔に嫌われるん、いややし」
 
風が抜けて、木の葉がかすかに鳴る。
その音に混ざるみたいに、澄の声が続いた。

「でもな、無理やった」

澄が顔を上げた。その瞳が、また真っ直ぐに俺を見ている。
表情はほとんど動いていないのに、目の奥だけが妙に切実だった。
 
「近くにおりたくなるし、何してるんか気になるし。他の人と仲良さそうにしてるのも、なんかちょっと嫌やし」

言葉の端に、かすかに息が混じる。

「離れとると、会いたいって思うし。東京とここ、五百キロも離れとるんやで? そんなとこ行く気なんかと思うと、なんか腹立つし」

そこで澄は、ほんの少しだけ困ったみたいに眉を寄せた。

「これさぁ、なんなん」

「……へっ……?」

急にこっちへ投げられて、俺は間抜けな声を出してしまう。

「わからんねん。これ、何? この苦しいの、どうやったら治るん……」

澄は、俺の手の中にある自分の手を一度見て、それからまた顔を上げた。

「それは……」

俺は、たぶんその答えを知っている。
澄だって、本当はわかっているんじゃないかと思う。
わかっていて、だけど怖くて、そんな風に言うんじゃないだろうか。
 
澄は俺を怖がりだと言うけれど、澄だってそうだ。
当たり前だ。誰だって、受け入れてもらえなかったらと思えば怖いに決まっている。
SNSの向こうの知らない誰かにじゃない。
自分の好きな相手に、だ。

「俺も……」

言葉を選びながら、ゆっくり息を吐く。

「俺もさ……なんか、この頃ずっと、変な感じで……」

伝えたいことはぜんぜん整理できていない。
だから言葉はたどたどしくなる。
それでも澄は、俺の手を握り返したまま、ゆっくりと小さく頷いた。

「なんか、ずっと……東京行ってる時も……他の人と遊んでる時も……ずっと、澄のこと考えちゃって」

蝉の声なんてどうでもよくなるくらい、心臓が激しく脈打っていた。

「なんか知らないけど……ずっと会いたくて……くっついてこなくなったのも、寂しくて……俺、間違えたかなって思って……だから……」

乾いた唇を引き結び、ごくりと唾を飲み下す。
間近で捉えた澄の瞳に、少しずつ光が差していくように見えたのは、錯覚だろうか。

「これは……」

顔が熱い。頭がくらくらする。

「この感じは……なんだと……思う……?」

どうしても恥ずかしくて、一瞬だけ目を逸らしてしまう。
でも、それじゃ駄目だと思って、すぐに澄に向き直った。

かなり、もう、かなり覚悟して口にした言葉だった。

なのに、澄はきょとんとしたまま止まっている。

しばらく待っても、何も言わない。
さすがに不安になった。

「なんか言えよ」

そう促すと、澄はやっと、思い出したみたいに瞬きをした。

「いや……それは……」

また、妙な間が落ちる。

互いに見つめ合ったまま、ただ瞬きだけを繰り返す。
その沈黙を、蝉の声と、手水鉢にちろちろ落ちる湧き水の音が、どこか間の抜けた調子で埋めていった。

「それ……恋……ちゃう?」

澄はほとんど抑揚のないまま、そう口にした。

一拍遅れて、その言葉が胸の奥に落ちてくる。
なのに、どうしてだかそこでふっと気が抜けてしまって、俺はつい笑いをこぼしてしまった。

くつくつと込み上げてきて、止まらない。
ついには目元を押さえる俺に、澄が「なんなん」と、握った手を軽く揺らした。

「いや、ごめん、違う。俺、すごい緊張してさ……気が抜けて……」

まだ収まらない笑いに肩を揺らしていると、「そうなん?」と澄が顔を覗き込んでくる。

「あと、なんか、たぶん少しだけ可笑しかった。こんなに大ごとみたいに悩んでさ、苦しんで、遠回りしてきたのに、答えめっちゃシンプルで……」

そう言って眉を寄せる。笑いすぎて涙が滲んで、たぶん今の俺はひどい泣き笑いの顔をしていた。

そこでようやく、澄が、はっ、と小さく息を漏らした。
眉を下げたまま、困ったように苦笑する。

「俺の……答えもシンプルなんかな?」

「そうだと思う」

恥ずかしさを誤魔化すみたいに、俺は少しだけ得意げに口角を上げた。

「なに、陽翔、わかるん?」

澄が体ごとこちらに向き直って、空いていた方の俺の手まで握る。
向かい合って、右と左、それぞれの手を握り合う形になった。

「わかるよ?」

そう返すと、澄はわずかに首を傾げながら、「なに?」と聞いてくる。

答えは、たぶん澄だってわかっている。
それでも俺に言わせたいんだろう。少し甘えるみたいな視線を向けられて、そう思った。

さっきまであった固さは、もうどこかへ消えていた。
離れてしまったぶんを取り戻すみたいに、またゆっくり距離が近づいていくのがわかる。

「まあ……たぶん……」

握り合った手を引き寄せながら、そっと顔を寄せる。
俺が何をしようとしているのか、澄はすぐに察したみたいだった。緩やかに目を細めて、そのままじっと待っている。

恥ずかしいから、一瞬だけだ。

触れるだけみたいに唇を合わせて、俺はすぐに身を引いた。

「たぶん、それも、恋だな……」

そう告げると、澄はふっと笑った。
珍しく恥ずかしそうに顔を伏せて、「そうかぁ」なんて呟いている。

安心はした。
でも、このあとどうすればいいのかなんて、全然わからない。

繋いだ手を離せないまま、俺たちは変な顔で笑い合った。

また目が合う。
もしかして、もう一回するのかな、なんて思っていたら、澄の顔がゆっくり近づいてきた。

今度は俺が、観念したみたいに目を閉じる。
その瞬間だ。

――ワックショイッ!

背後でいきなり響いた盛大なくしゃみに、「ヒィッ!」と情けない悲鳴が漏れた。反射で身を引いた拍子に、そのまま澄の肩を押しのけてしまう。

「うわっ」っと、よろけた澄が、珍しく目を見開いた。
俺は心臓をばくばくさせたまま、ほとんど跳ねるように音のした方を振り返る。

手水舎の裏手、木の影のあたりに、見慣れた作務衣姿が立っていた。

「じいちゃん……いつからおったん」

慌てふためく俺に対して澄は、まるで何事もなかったみたいに立ち上がって、制服の尻についた砂埃をぱんぱんと払った。

じいちゃんは相変わらずのふがふがした顔で、片手にあずきバーを握っている。

「おまえこそ、いつからそこにおったんや。母さんが昼の素麺なんぼ茹でたらええか困っとったぞ」

「えー、三束」

「自分で言うてこい」

「はーい」

あまりにもいつも通りのやり取りに、逆に力が抜ける。
じいちゃんは要件が済んだのか、そのまま石段の向こう、自宅のある方へと、のそのそ歩いていった。

あの感じだと、たぶん変なところまでは見られていない。
ちょうど手水鉢が間に入って、こっちの様子は死角になっていたのかもしれない。

「陽翔も昼、食ってく?」

澄が当たり前みたいに言う。

「え、いいの?」

「うん。素麺やけど」

「素麺好き」

「ほな、行こ」

ほんの少しだけ口元を緩めて、澄がじいちゃんの後を小走りで追う。

「またあずきバー食うとんの? 歯折れるで」
 
「入れ歯じゃ、ぼけ」

そんな他愛のないやりとりが聞こえた。
俺も遅れて立ち上がり、制服の尻を軽く払ってから、その後を追う。

石段を下りかけたところで、「あ、そや」と澄がふいに立ち止まった。

ちょうど一段分、俺より低い位置にいる。
今さら気づいたけど、俺たちの身長差って、だいたいそのくらいらしい。

振り返った澄と、自然に目が合う。

次の瞬間、「ちゅっ」と小さく口元で音が鳴った。

「陽翔は素麺なんぼ?」

何事もなかったみたいな顔で、澄が聞く。
眠たげな目元だけが、ほんの少し細くなっていた。

「お、俺も……三束……」

しどろもどろでそう返すと、澄は満足そうに親指を立てて、そのまままた石段を下っていった。

残された俺は、その背中を見送りながら、こみ上げてきた妙なむず痒さに、思わず両手で顔を覆う。

石段の下では、澄がもうじいちゃんに追いついて、また何か話している。
その声はここまで届かないのに、笑ってるんだろうな、ということだけはなんとなくわかった。

俺はようやく顔から手を外して、小さく息を吐く。

それから、この暑さから逃げるみたいに、小走りで石段を下りていった。