君ってちょっと怪異より不穏



連れてこられた澄の家は、石階段を下りた先にひっそりと建っていた。
鳥居の奥にどーんと構える社務所、みたいなものを勝手に想像していた俺は、目の前のごく普通の一軒家に拍子抜けする。

玄関を上がって通された部屋も、思っていたよりずっと生活感があった。ベッドと勉強机と、真ん中にローテーブル。壁際には本棚があって、参考書らしきものが無造作に立てかけられている。特別な護符とか、いかにも神社の人の部屋みたいなものは見当たらなくて、俺の部屋と、たいして変わらない。

なんだ、もっとこう……線香の匂いとか、やたら厳かな空気とか、そういうのがあるもんだと思ってたのに。

落ち着かないまま、視線をあちこちに泳がせる。窓際、机の上、壁に掛けられたカレンダー。どこを見ていいのか分からなくて、とりあえず見えるものを順番に目でなぞるしかない。

「神社の人ってさ、境内に住むわけじゃないんだな」

自分でも間の抜けた質問だと思いながら口にすると、キッチンのほうから戻ってきた澄がローテーブルに麦茶の入ったグラスを置き、「そうやで」と頷いた。そのまま自然な仕草で俺の隣に腰を下ろす。

「もう治った?」

尋ねられて、なんのことかと首を傾げる。するりと腰を撫でられて、そこでようやく思い出した。お祓いに気を取られすぎていたけれど、そもそもそのせいで俺はここで休ませてもらうことになったのだ。
やはり澄は、俺が足を挫いたわけではないことに気づいていたらしい。
触れられた気まずさに思わず身を引いたが、不思議と変な痛みや違和感はもう残っていない。

「治った……ぽい」

じっと見つめられる。少し間を置いて一度だけ瞬きをすると、澄は正面に向き直り、自分のグラスに口をつけた。

「大したやつじゃなかったから、よかった」
 
「大したやつ?」
 
「……大したことなくて良かった」

澄はなぜか言い直して、こくりと麦茶を飲み込む。
なんだろう。澄の間の取り方や、ふと視線を止める方向がどうにも掴めない。出会ってまだ数十分なのに、妙な違和感だけが残る。
 
――あー、俺、この人ちょっと苦手かもな。

張り詰めたように感じる空気を吸い込みながら、内心でぼんやり思う。こういう、正体の分からない空気に当てられると、俺はだいたい調子を崩すのだ。

それは何故か。

実はあまり知られたくない秘密なのだが、俺はちょっとばかしビビリだ。
……いや、嘘をついた。
かなりのビビリだ。

テレビのドッキリ番組でみんなが大笑いしている横で、俺だけはまったく笑えない。あれ、普通に可哀想だろって本気で思っている。
いきなり大きな音が鳴るのも苦手だし、ジェットコースターも高いところも無理だ。
何よりダメなのがホラー系。
映画やドラマでも、分かっていてもつい声が出る。文化祭のお化け屋敷レベルですら逃げ出したくなるから、東京にいた頃も友達にばれないよう必死だった。

だって、カッコ悪すぎるだろ。

さっきだって、ひゃーだなんて声を上げてしまった。今日のあの場面が、みんなの記憶から一刻も早く薄れてくれることを、心の底から願っている。

だから、そのビビリの俺にとっては、澄は何というか、不気味だ。
できるだけ明確な言葉で思い浮かべないようにしてたけど、やっぱり気になる。
視線の置き方とか、あの意味ありげな空気とか……
おまえ、もしかして、それ……何か見えて――

「じいちゃんは、ちょっと待っといて。タイミング大事やから」

「ヒュッ――」

情けない音が喉から漏れて、自分でも驚く。
不意にかかった声に思考を断ち切られ、変な空気を一緒に吸い込んでしまったようだ。次の瞬間には、ゴホッゴホッと、込み上げた咳が止まらなくなった。

「どしたん? だいじょぶ?」

「う、うん……大丈夫。自分の唾で咽せた」

「なんなんそれ、うちの親父みたいやな」

澄がふっと息を吐いた。笑ったのかもしれないけど、表情はほとんど動かないからよく分からない。

喉の奥のひりつきをやり過ごしてから、俺は改めて聞き直す。

「ところで、タイミングってなに?」

「ああ、うん」

澄はそう言って、また少し視線を横にずらした。部屋のどこを見るでもなく、何かを思い出すみたいな目つきだ。

「ほら、団子こねとる言うたやろ。あれ、境内の社務所でやっとるから、今行ったら見つかる」

「ああ」

なるほど、理屈は分かる。
でも正直、今ここで澄と二人きりの時間を続けるくらいなら、婦人会のお母様方でも誰でもいいから、他に人がいてくれたほうがよっぽど気が紛れる気がする。

「いいよ、行こうよ」

そう言って、俺は慌てて腰を浮かせた。

「団子好きだからさ、手伝ったらちょっともらえたりするかもだし――」

その瞬間、――パシッ、と手首を掴まれる。

「ひぃっ!」

不意打ちみたいな感触に肩が跳ねた。
澄の手が、俺を引き止めるみたいに絡んでいる。 

手がやたらと冷たいし、しかも、なんか湿ってる!
なんで! 怖い!

一瞬で嫌な想像が駆け上がってきてから、ハッと思い出した。
 
「……あ、麦茶か」
 
さっきまで、澄は汗をかいたグラスを握っていた。

「まだ、ええやん。もうちょい話したいことあんねん」

落ち着いた声が、やけに近く感じる。

「ええ……」

なに、怖いよぅ。
だけど、変に言い返せないまま、俺は澄の腕に引っ張られる形で、またクッションに座り直した。
  
「宮城くんさ……」
 
「え、う、うん?」
 
「陽翔(はると)って……呼んでええ……?」
 
「…………え?」

唐突な申し出に、思わず間の抜けた声が出てしまう。
 
「だって、俺のこと澄ってよぶんやろ? 俺も陽翔でええよな?」
 
「いや、う、うん……いいけど」

何なんだろう。なんていうか、距離の詰め方が積極的な割に不器用だ。
頷きながら、俺はほんの少しだけ体をずらして、さりげなく間を空けてみる。
――のに、なぜか澄はまだ俺の手首を握ったままだ。

すげぇ怖い。
心拍数が上がっているのが自分でもわかる。ちょうど脈をとるような位置を掴んでいるから、澄も気がついているかもしれない。

「あ、あー、てか澄って下の名前なの? 夜宮澄?」

「ちゃうよ。神社は夜宮やけど、うちは霧島。霧島澄」

「へ、へぇ……い、いい名前だな」

言った瞬間、ぴたりと澄の動きが止まった。

え、なに。なんか変なこと言った?
頭の中で自分の発言を巻き戻してみるけど、特に地雷を踏んだ覚えはない。

澄はふいっと視線を落として、小さく息を吐くみたいに「ありがとう」と呟いた。

どうやら照れているらしい。

その仕草を見ているうちに、なんだか拍子抜けする。不器用なだけで、案外ふつうのやつなのかもしれない。
もしかしたら、友達になれそうかも――

「俺、陽翔のこと、いろいろ知ってる」

前言撤回。
なに、何のこと、どういうこと。怖い。

「し、しし知ってるって……?」

ゴクリ、と自分の唾を飲み込む音が大きく聞こえる。掴まれたままの腕をさりげなく引いてみるけど、思ったより力が強くて外れない。
澄にじっと見つめられて、息が詰まりそうだ。
なんかいろいろ見透かされてる気がするというか……いや待て、もしかしてこいつ、そういう能力持ちだったりするのか?

「ダンス部やったんやろ……東京の学校で」

「は……」

その通りだ。言い当てられた。
まだこっちに来てから誰にも話してないはずだし、久瀬町の学校にはダンス部がなくて、どの部活に入るか迷ってたところなのに。

「それに、スタバの期間限定フレーバーは、シーズンごとに一回はチェックする派やろ?」

言葉が返せない。
俺は掴まれた腕に視線を落とす。

やっぱりだ。こいつ、人に触れるとその人の考えてることがわかるとか、そういう系の能力者だ。挙動が不気味すぎるし、ほぼ初対面なのにやたら触ってくるし、どう考えても怪しい。俺がどんな人間か探ってるんだ。それで、もし気に入らなかったら――

「あと、久瀬町……山ばっかで萎え、って思ったんやろ」

「ご……」

喉の奥で言葉が詰まる。
心臓が跳ね上がるのと同時に、今度は本気で手を振り解いた。

「ごめんなさい!」

勢いのまま座った状態で後ずさる。けど、手を振り払った拍子に澄のバランスが崩れたのか、そのまま覆いかぶさるみたいに倒れ込んできた。

不可抗力かもしれないけど、完全に逃げ場がない体勢になる。

「ごめん、ま、まじで、それはほんと、本心ではないというか、慣れてないだけというか、本当はこの、ほら、自然豊かな町で素晴らしいなっていう気持ちの裏返しであって……!」

「これ……」

澄がすっと手を持ち上げる。
殴られるとは思ってない。思ってないけど、反射で「ひっ」と目をつぶってしまう。ビビリのサガだ。仕方ない。

数秒経っても何も起きない。
おそるおそる瞼を開くと、澄の手に握られていたのはスマートフォンだった。その画面には見覚えのある画像が映っている。

「俺の……SNS?」

「そう。俺、フォロワーやねん」

な……なんだよ。

澄はエスパーでもなんでもなくて、ただ俺のSNSを見ていただけだったらしい。

「フォロワーって……な、なんで? まだ、アカウント誰にも教えてないのに、ぐ、偶然?」

差し出された澄の腕を掴んで体を起こしながら問いかける。
 
澄はすぐには答えず、「んー」と小さく唸って、またあのよくわからない方向に視線を向けた。

……意味深なんだよな。

特殊能力じゃないにしても、わざわざ俺のアカウントを探したってことだろ。何か意図があるのかと勘ぐってしまう。

「陽翔すごいんやな。フォロワー六千人もおるやん」

質問を流された気がする。
澄はスマホを見ながら、俺の投稿を淡々とスクロールしている。

「ま、まあ……ダンス部の動画とか、友達と撮った面白動画が一回バズってから、なんか、わりと増えたかも……」

増え始めてからは、多少は狙って投稿してたけど。
とはいえ、こんな田舎じゃ何を上げればいいのかもわからない。せっかく伸びたアカウントも、ここで止まりそうだなと思うと、自然とため息が出る。

「それでな、陽翔に提案があんねんけど」

何が「それでな」なのかは分からないけど、俺は一応、澄の次の言葉を待った。

「俺と、付き合うてくれん?」

澄の指先は相変わらずスマホの上をスイスイと滑っている。俺が“山ばっかりで萎える”と書いた投稿でぴたりと止まり、ポチ、といいねを押した。

「…………はい?」

意味が掴めなくて、思わず首を傾げる。

「付き合うてほしいねん。フォロワー六千人もおるし」

「い、いや……」

何それ。え? そういうこと?
俺、いま告られたのか?

「えっ……と、澄は……俺のこと、好きなの?」

会ってまだ数十分だけど。

「……え? それ関係あるん?」

「いや、あるだろ」

俺が言うと、澄は少し首を傾げて、「まあ、わりと……」とだけ答えた。

なんなんだこいつ。俺のフォロワーが六千人だから付き合いたいってことなのだろうか。
それとも、東京からの転校生への興味とか、そういうやつか。

突然だったからつい「好きなのか?」なんて聞いてしまったけど、仮に一目惚れだと言われたとしても、俺の答えは決まっている。

「ご、ごめん……無理……です」

だいたいにして、なんか怖いし、この人。

「……え?」

「え?」

澄が何故断られたのか理解できないとでも言うように眉を持ち上げたので、俺も思わず同じように返してしまう。

「なんでや、まだちゃんと話してないやろ」

「いや、そうだけど!」

もっと話して知り合ったとしても、多分俺の気持ちは変わらない。澄が男の子ってこともあるけど、この雰囲気がどうにも苦手だ。

「断るんは話聞いてからにしてくれんか」

また腕を掴まれそうになる気配を感じて、俺は慌ててガバリと立ち上がった。

「と、とにかく、俺……そういうの無理で……!」

声が裏返る。澄はぽかんとした様子で俺を見上げている。

ちょっと苦手な相手。しかも男の子に告られた。この状況を変えたくて、俺はしどろもどろに言葉を続けた。

「あ、あぁっ! お祓い! そうだ、お祓い早くしてもらいたいな! 澄のじいちゃんのところ行かない?!」

二人きりは気まずい。それだけだ。

澄は数回瞬きをしてから、スマホに視線を落とした。

「……せやな」

その様子が少し落ち込んでいるようにも見えて、ほんの少しだけ胸がちくりとする。けれど、社務所に向かうことになって、正直俺はほっとしていた。