君ってちょっと怪異より不穏



一ヶ月以上ぶりの、夏休み明けの教室は、どこか久しぶりの再会にはしゃいだ空気に包まれていた。
部活がどうだったとか、どこそこへ旅行に行ったとか、そんな話があちこちで飛び交っている。
中には、誰だか一瞬わからなくなるほど真っ黒に日焼けしているやつもいた。

「陽翔、投稿見たで」

ホームルーム前。まだ雑談が続いている中で、クラスメイトの男子のひとりが気さくに声をかけてくる。
隣の机に腰を下ろして、何気ない調子で話しかけてきた。

投稿と言われて、一瞬ひやりとした。
けれど彼が続けたのは、「東京行ったんやなぁ、オーキャン?」という、俺の気まずさの原因とはまったく別の話だった。
 
「渋谷の他はどこ行ったん?」
「原宿とか?」
「東京おった時、いつもそこらで遊んでたん?」
「俺も大学、東京行きたいなぁ」
 
人数のあまり多くないクラスだ。
そんな話題をきっかけに、周りにもなんとなく会話が広がっていく。

俺も椅子を横向きにして相手の方へ向き直り、質問に答えながら、違和感のない程度にその輪に混ざった。

その間も、後ろの席の澄は夏休み前と変わらなかった。
そばにはいるけど、なんとなく輪の中には入ってこない。
話を聞いているようで、ぼんやりとどこともつかないところに目を向けているだけだ。

これがいつもの様子だから、特に誰も気にしていない。

「そういえば、小麦ちゃん残念やったね」

ふと、女子のひとりがそんなことを言った。
一晩で消した投稿に、確か彼女はリアクションをくれていたかもしれない。

「なに? どしたん?」

事情を知らないらしいやつらが、すぐに食いつく。

「あ……うん……」

一瞬、言葉がつかえた。

「実は、小麦、死んじゃってさ」

できるだけ普段と同じ調子で言ったつもりだった。

けれど、その言葉が口から出た瞬間、胸の奥に小さな違和感が落ちる。

自分の口から小麦のことを説明すること。
それを悲しい出来事として話すこと。
そして、それを聞いた誰かに同情されること。

どれも間違ってはいないはずなのに、どこか少しずつ、噛み合っていない気がした。

もちろん、俺がそんなふうに感じていることなんて、誰にもわかりようがない。

「そっか……残念やな」

「寂しいね……」

クラスメイトたちは、ごく自然にそんな言葉を返してくれる。

優しい言葉だと思う。

でも、そのどの言葉も、やっぱり俺が受け取るものじゃないような気がした。

うまく説明できないけれど、この話は、もうここで終わりにしたい。

そう思ったところで、ちょうど教室の扉が開いた。

先生が入ってくる。

その瞬間、俺は思っていた以上にほっとしていた。





 

「陽翔」

澄に声をかけられたのは、学校からの帰り道だった。

始業式だけで終わるこの日は、昼前には下校になる。
けれど、なんとなくそのままみんなと一緒に帰る気になれなくて、俺はしばらく教室に残って時間を潰していた。

誰とも話したくなかった、というのが一番近い。

そのうち、猛暑のせいでグラウンドを避けているのか、野球部が廊下を走り始めた。
掛け声と足音が響く中で机に座っているのもさすがに気まずくて、ようやく重い腰を上げたのだ。

そんなタイミングで帰ったはずだった。

でも声をかけられて振り返ると、澄が少し後ろに立っていた。
 
「なにしてんの」
 
他のやつらと顔を合わせないように時間をずらしたつもりだったのに、いったいどこにいたんだ。
そんな気持ちがそのまま口に出た言葉で、別に澄を遠ざけるつもりはなかった。

けれど、言ってから、少しだけ不安になる。

今の言い方、どう聞こえただろう。

澄は特に気にした様子もなく、いつものぼんやりした顔でこちらを見ている。

俺はその間を埋めるみたいに、言葉を続けた。

「……一緒に帰る?」

そう言うと、澄は黙ったまま小さく顎を引いて、俺の隣に並んだ。

舗装の荒いコンクリートの坂道を、ゆるやかに下っていく。
照り返しの熱気が足元から立ちのぼって、歩くだけでじわりと汗が滲んだ。

「暑いなぁ」

とりあえず場をつなぐみたいに言うと、澄も

「そうやなぁ」

と、のんびりした声で返す。

夜宮神社は学校からそう遠くない。
数分も歩けば、カーブの向こうに木立が見えてきて、その隙間から石段が覗く。

結局、特に会話らしい会話もないまま歩いてしまった。

このままだと、そのまま神社に着いてしまうな。

そんなことをぼんやり考える。
東京で何か土産でも買ってくればよかった。そうすれば、もう少し一緒にいる理由くらいにはなったかもしれない。

「お祓い、せんでいい?」

不意に、澄がそんなことを言った。

あまりにも唐突で、俺は思わず「え?」と顔を上げる。
隣にいる澄は、相変わらず前を見たままだ。

首筋に汗が伝っていて、真夏の光がその肌をじりじりと照らしている。

「神無トンネル、通ったやろ? 戻ってくる時」

「ああ」

言われて思い出す。
澄と最初に会って、夜宮に来たのも、確かそんな理由だった。

けれど、あの噂の種明かしは、久瀬怪異録を作るときにすぐに聞かされた。
もともと子どもたちの間にあった迷信を、北村さんが観光客を夜宮に誘導するために、少し大げさに膨らませただけのものだった。

だからまあ、やらなくてもいいってことだ。

そんなこと、澄だってわかっているはずなのに。

わざわざ言い出したということは、もしかして。
澄もまた、俺を引き止める理由を探しているのかもしれない。

そんなことを思ってしまう。

言ったあと、澄は黙り込んだ。
自分でも、少し妙なことを言ったと気づいたのかもしれない。

「アイス、食べ行く?」

そう声をかけると、澄の目がこちらを向いた。
「うん」と、いつも通りの、どこか無機質で、それでいて澄らしい返事が返ってくる。

夜宮の石段を少し通り過ぎた先には、昔ながらの小さな商店がある。
久瀬高の生徒の小遣いで成り立っている、なんて噂もある店だ。

店先に置かれたクーラーボックスを開けて、それぞれアイスを選ぶ。
会計を済ませて外に出ると、再び夏の熱気に包まれた。

「早よ食べな、一瞬で溶けるわ」

そんなことを言いながら、どちらからともなく夜宮の石段の方へ足を向けた。

俺が選んだ濃厚ミルクのアイスも、澄が選んだ、ガリガリと音の鳴るソーダアイスも、本当にすぐ溶け始める。棒や指先に水気が伝ってきて、のんびり食べている余裕なんてなかった。

二人してゆっくり食べようとしていたのに、そうもいかず、石段を登りきるころにはどちらもきれいになくなっていた。

夜宮の境内は、夏祭りのときには地元の人間と、少しの観光客でそれなりに賑わっていた。そのあとも夏休みの間は、ぽつぽつと参拝客の姿があったらしい。けれど、九月の頭のこの日は、拍子抜けするくらい静かだ。

足元の砂利を踏みしめながら、木の屋根の下の手水舎(ちょうずや)に歩み寄る。浅い石の手水鉢(ちょうずばち)には水が張られていて、柄杓が何本か伏せられたまま並んでいた。

柄杓で水を掬って手にかける。絶えず注がれている水は、夏の終わりでもひんやりと冷たくて心地よかった。

「陽翔、かけて」

そう言って、澄は手水鉢のそばに身を屈め、水の落ちる石の縁の方へ頭を突き出した。
俺は手にした柄杓にもう一度水を汲み、伏せた澄の頭へゆっくりと流してやる。

黒い髪がすぐにしっとりと濡れて、首筋を伝った水がぽたりと落ちた。

「つめた」

小さくそう漏らしたあと、澄が顔を上げる。次の瞬間、ぶるっと犬みたいに頭を振ったものだから、細かい水滴がぱっと飛び散った。

「うぉ、かかった」

思わず顔をしかめると、澄は濡れた前髪を片手でかき上げて、ほんの少しだけ口元を緩めた。

「陽翔もする?」

「おん、やってやって」

柄杓を澄に渡して、俺もさっきの澄みたいに前屈みになって頭を下げる。

「前髪と顔、あんま濡らしたくないから、首のあたりにして」

「ん」

「襟濡らすなよ」

「むずいわ」

澄が小さく息を漏らすみたいに笑って、首筋にちょろちょろと水を落としてくる。冷たさに一瞬肩がぴくっとしたけど、すぐにそれが心地よさに変わった。案の定、襟のあたりは少し濡れたけど、別に文句を言うほどでもない。

「これ、飲める?」

屋根の下の、少し小上がりになったところに腰を下ろした澄の背中に向かって声をかける。澄は振り返らないまま、

「湧き水やから、いけるよ」

とだけ返した。

俺は手を差し出して、水の流れ落ちる口から落ちてくる水を受ける。手のひらを器みたいにして掬った水を、そのまま口に運んだ。ひんやりとした冷たさが喉の奥を通っていく。

「髪の毛、もうぬるいわ」

澄が湿った後頭部をぱっぱっと手で払う。

「なあ、陽翔」

澄の声に、「んー?」と気のない相槌を返しながら、俺もその隣に腰を下ろした。

「なんかあった?」

「え?」

「元気ないやろ」

顔を上げて隣を見ると、澄はこちらを見ないまま、少し先の地面に視線を落としている。
元気ない。と、そう言われて、初めて、自分がなんだかいつもの調子でないことを自覚した。

「小麦?」

そう尋ねられて、俺は澄に向けていた視線を、同じように少し前の足元へ落とした。

昼間から、聞きたくもない慰めの言葉をいくつか受け取ってきた。
だから、また何か言われるんだろうなと、少しだけ身構えてから、「うん」と短く答えてみる。