◇
「はぁ……疲れた」
ホテルに戻り、整えられたベッドの上に身を投げる。
暑い中を歩き回ったんだから、当然の感想だ。
傍のテーブルには、今日買った服が入った買い物袋がいくつか並んでいる。
久しぶりに友達に会えたのもよかったし、楽しかった。
でも、なにも問題なく過ごした一日のはずなのに、どうしてだか、違和感が残っている。
手を伸ばして、バッグの中からスマートフォンを取り出した。
六本木。映画館。ポップコーンとコーラ。渋谷。スクランブル交差点。夕飯の焼肉。耀と真那斗と三人で撮った写真。今日買った服。
それらをいつものように加工して、コメントをつけて投稿する。
『久々の地元!』
言い聞かせるみたいにそう打ち込んだけど、なんとなく空々しさを感じてしまうのは、きっと俺だけだ。
誰も気づいていない。
見かけて、通りすがりに、大きな感動もなく。なんとなくキラキラしているものに「いいね」を押して、また通り過ぎていく。
ぽつぽつと増えていく数字を眺め、満たされない気持ちの正体がわからないまま、俺は小さくため息をついた。
過去の投稿を、なんの気なしに遡っていく。
境内の夏祭り。夜宮神社の開かずの間。小麦。サナコの井戸。
相変わらず、澄のじいちゃんの祈祷動画がいちばん跳ねていて、ちょっと笑えた。
なにしてんのかなぁ、と、ふと頭に浮かぶ。
じいちゃんじゃない。澄だ。
あの一件のあとも、表向きは俺と澄は友達のままだ。怪異録は夏休みの間は更新していないけど、代わりに夏祭りやお盆にまつわる風習なんかを、北村さんの要望もあって動画にして投稿していた。
多分、みんなの目には、俺と澄は何も変わっていないように見えている。
くっついてこなくなったのも、単に暑いからだと説明したら、誰もそれ以上は何も言わなかった。
だから、この明らかに変わってしまった距離に気づいているのは、当事者だけなんだろう。
『sumi_k0826 があなたの写真に「いいね!」しました』
不意に通知が滑り込んできて、心臓がわずかに跳ねた。
さっき投稿した写真への反応だった。
別に、普通のことだ。
澄は俺を避けているわけでもなんでもない。ただ、一線を引いただけだ。
考えてみれば、それでよかったはずだ。
応えられないまま、変に踏み込まれても、きっと俺はうまく振る舞えなかった。
これが、適切な距離感なんだと思う。
――でも。
そう思うのに、なんでこんなに落ち着かないんだろう。
澄からの反応を見て、もしかして、またその一線の向こう側に、自分を受け入れてくれる糸口があるんじゃないか、なんて期待してしまう。
そして、「期待」だなんて言葉が浮かんだ自分に、今度は戸惑う。
どうなりたいんだ、俺は。澄と。
澄に、俺のことをどう思っていてほしいんだろう。
俺を外側に弾き出してしまって、もしかして今、澄は一人なんじゃないか、なんて考える。
……でも。
そう思ったあとで、ふっと気づく。
俺も、別に、一人じゃん。
小さく息を吐いて、DMの画面を開く。
少しだけためらってから、親指が通話ボタンを押した。
耳に当てると、数コールもしないうちに、すぐ通話がつながる気配がする。
『どしたん?』
電話口から、なんの緊張も含まない声が返ってくる。
何を話そうか、決めてからかければよかったとすぐに後悔をした。「何してるのかなって思って」、なんて乙女な言葉は口が裂けても言うまい。
「いや、数IIの課題どうしたかなって。終わった?」
『え、まあ、終わっとるよ。なんや、写したいんか?』
「いや、別に……俺も終わったし」
『なんなん』
語尾が少し笑ったことに、胸のどこかでほっとする。
なんだかこの語尾がまろやかな方言は、電話越しに聞くとなおさら心地よく感じるのは気のせいだろうか。
『東京……おるんやな、今』
俺が言葉を探しているあいだ、その空白を埋めるみたいに澄が尋ねてきた。
「うん、そう」
『写真みた。凄いなぁ、なんかドラマとかで見たことある感じのとこに、ほんまにおるんやな』
「凄くは……ないよ、べつに。澄だって、バス乗って電車乗って、んーあと新幹線もか、もしくは飛行機、そんで……ちょっと歩けば来れる」
そうだ。別に、この場所にいること自体、何も凄いことじゃない。
『いやいや、遠いやん。めっちゃダルいわ』
また語尾が笑う。
『友達もなんや、オシャレな感じの人やったね』
「ああ」
耀と真那斗だ。
さっき写真を載せたばかりで、澄はそれに「いいね」を押していた。
『仲良いん?』
その一言で、なぜか胸の奥が小さく疼いた。
どんな感情なのか、自分でもよくわからない。
罪悪感に近いのかもしれないし、少し違う気もする。
「……そうでもないよ」
気づいたら、そんな言葉が口をついていた。
言ってから、なんだか変な答えだなと思う。二人にも失礼だ。
案の定、澄からは『え? 嫌いなん?』と、ちょっと間の抜けた声が返ってくる。
「いや、うそうそ。ダンス部一緒で、こっちにいる時も仲良かったし。二人ともいい奴」
そう言い直すと、『そうかぁ』と、特に感情の含みのない声が返ってきた。
『陽翔は、やっぱり東京の大学いくん?』
言葉の途中で、少し息むような間が挟まる。
たぶんどこかに座り直したか、ベッドに寝転がったか、そんな感じなんだろうな、と相手の姿をぼんやり想像する。
俺も寝返りを打った。
カーテンを開けたままの窓の向こうには、街のネオンが光っている。
「うん。こっちの方が、何かと便利だし……将来的に就職とか考えても、さ」
『そうやなぁ』
のんびりとした相槌が返ってくる。
「澄は? どうすんの? 神社継ぐとか?」
霧島家は男三人兄弟だけど、兄貴は東京の大学に行っていると言っていた。
もしかしたら澄も、そういう道を選ぶ可能性があるのだろうか。
『継ぐとかは、まだあんま考えてへんけど。大学は県内のどっか行こうかなとは思っとる』
「あぁ、そっか」
気のないふりで返事をしながら、内心では、ほんの少しだけ寂しく感じている自分がいた。
『町おこしのやつ、結構おもろいやん?』
「……うん」
『やからさ、俺、北村さんみたいに役所勤めたりして、観光とか誘致関係の仕事やりたいなって思って』
久瀬町はいま、久瀬怪異録だけじゃなく、いろんな地域活性化の取り組みを進めている。
前に北村さんが話していた、地元食材を使ったフードフェスやマルシェ。
古民家の改修や民泊の整備。
新しい観光スポットとして、アスレチックやVR施設を作る計画。
それから夜宮神社を中心にした、ちょっとオリエンタルなイベント企画なんかもあるらしい。
正直、まだ計画段階のものも多くて、手当たり次第に試している感じではある。
それでも、この夏は実際に観光客が増えていて、少しずつ効果も見え始めているのだった。
「いいじゃん、それ。やりたいこと決まってんの、いいな」
『そ? でも陽翔も決まっとるやん。東京の大学行きたいっていうのも、やりたいことやろ?』
「まあ、そっか。そうだな……」
相槌を返してから、言葉の間が落ちる。
――このあと、何を話せばいいんだろう。
話したいことがあるわけじゃないのに、電話は切りたくない。
こういう時って、どうすればいいんだ。
『五百キロやて』
脈絡もなく、澄が言ったので、俺は思わず「え?」と眉を上げた。
『今ちょうどパソコン開いとったから、久瀬と渋谷の距離調べたん。めっちゃ遠いな』
「ああ、うん。めっちゃ遠いね」
『いつ、帰ってくるん?』
その言葉に、ほんの一瞬、息が止まった。
勝手に言葉の意味を裏読みして、勝手に心臓が跳ねる。
熱くなった頬を押さえながら、俺はベッドの上に体を起こして座り直した。
「明日、帰るよ」
まだ夏休みは数日残っている。
明日帰ると聞いて、澄は何て言うんだろう。
『そうかぁ』
語尾がゆるく伸びる。
『気ぃつけて帰ってきてな』
その言葉に、ふっと笑いが漏れた。
澄の言い方が、親戚のおじさんみたいだったから――というわけでもない。
期待していた言葉じゃなかったことに、少しだけがっかりしている自分が、なんだか可笑しくなったのだ。
もし。
もし今、「会いたいな」って言ってくれたら。
俺も、って答えられる気がする。
でも、澄は言わなかった。
そのまま、のらりくらりと身のない会話をいくつか交わして、「じゃあ、また学校でな」と、どちらからともなく電話を切った。
「はぁ……」
小さく、ため息がこぼれる。
散々見慣れているはずの窓の外の街並みが、今夜はやけに無機質に見えて、俺はゆっくり立ち上がると、分厚いカーテンを閉めた。
「はぁ……疲れた」
ホテルに戻り、整えられたベッドの上に身を投げる。
暑い中を歩き回ったんだから、当然の感想だ。
傍のテーブルには、今日買った服が入った買い物袋がいくつか並んでいる。
久しぶりに友達に会えたのもよかったし、楽しかった。
でも、なにも問題なく過ごした一日のはずなのに、どうしてだか、違和感が残っている。
手を伸ばして、バッグの中からスマートフォンを取り出した。
六本木。映画館。ポップコーンとコーラ。渋谷。スクランブル交差点。夕飯の焼肉。耀と真那斗と三人で撮った写真。今日買った服。
それらをいつものように加工して、コメントをつけて投稿する。
『久々の地元!』
言い聞かせるみたいにそう打ち込んだけど、なんとなく空々しさを感じてしまうのは、きっと俺だけだ。
誰も気づいていない。
見かけて、通りすがりに、大きな感動もなく。なんとなくキラキラしているものに「いいね」を押して、また通り過ぎていく。
ぽつぽつと増えていく数字を眺め、満たされない気持ちの正体がわからないまま、俺は小さくため息をついた。
過去の投稿を、なんの気なしに遡っていく。
境内の夏祭り。夜宮神社の開かずの間。小麦。サナコの井戸。
相変わらず、澄のじいちゃんの祈祷動画がいちばん跳ねていて、ちょっと笑えた。
なにしてんのかなぁ、と、ふと頭に浮かぶ。
じいちゃんじゃない。澄だ。
あの一件のあとも、表向きは俺と澄は友達のままだ。怪異録は夏休みの間は更新していないけど、代わりに夏祭りやお盆にまつわる風習なんかを、北村さんの要望もあって動画にして投稿していた。
多分、みんなの目には、俺と澄は何も変わっていないように見えている。
くっついてこなくなったのも、単に暑いからだと説明したら、誰もそれ以上は何も言わなかった。
だから、この明らかに変わってしまった距離に気づいているのは、当事者だけなんだろう。
『sumi_k0826 があなたの写真に「いいね!」しました』
不意に通知が滑り込んできて、心臓がわずかに跳ねた。
さっき投稿した写真への反応だった。
別に、普通のことだ。
澄は俺を避けているわけでもなんでもない。ただ、一線を引いただけだ。
考えてみれば、それでよかったはずだ。
応えられないまま、変に踏み込まれても、きっと俺はうまく振る舞えなかった。
これが、適切な距離感なんだと思う。
――でも。
そう思うのに、なんでこんなに落ち着かないんだろう。
澄からの反応を見て、もしかして、またその一線の向こう側に、自分を受け入れてくれる糸口があるんじゃないか、なんて期待してしまう。
そして、「期待」だなんて言葉が浮かんだ自分に、今度は戸惑う。
どうなりたいんだ、俺は。澄と。
澄に、俺のことをどう思っていてほしいんだろう。
俺を外側に弾き出してしまって、もしかして今、澄は一人なんじゃないか、なんて考える。
……でも。
そう思ったあとで、ふっと気づく。
俺も、別に、一人じゃん。
小さく息を吐いて、DMの画面を開く。
少しだけためらってから、親指が通話ボタンを押した。
耳に当てると、数コールもしないうちに、すぐ通話がつながる気配がする。
『どしたん?』
電話口から、なんの緊張も含まない声が返ってくる。
何を話そうか、決めてからかければよかったとすぐに後悔をした。「何してるのかなって思って」、なんて乙女な言葉は口が裂けても言うまい。
「いや、数IIの課題どうしたかなって。終わった?」
『え、まあ、終わっとるよ。なんや、写したいんか?』
「いや、別に……俺も終わったし」
『なんなん』
語尾が少し笑ったことに、胸のどこかでほっとする。
なんだかこの語尾がまろやかな方言は、電話越しに聞くとなおさら心地よく感じるのは気のせいだろうか。
『東京……おるんやな、今』
俺が言葉を探しているあいだ、その空白を埋めるみたいに澄が尋ねてきた。
「うん、そう」
『写真みた。凄いなぁ、なんかドラマとかで見たことある感じのとこに、ほんまにおるんやな』
「凄くは……ないよ、べつに。澄だって、バス乗って電車乗って、んーあと新幹線もか、もしくは飛行機、そんで……ちょっと歩けば来れる」
そうだ。別に、この場所にいること自体、何も凄いことじゃない。
『いやいや、遠いやん。めっちゃダルいわ』
また語尾が笑う。
『友達もなんや、オシャレな感じの人やったね』
「ああ」
耀と真那斗だ。
さっき写真を載せたばかりで、澄はそれに「いいね」を押していた。
『仲良いん?』
その一言で、なぜか胸の奥が小さく疼いた。
どんな感情なのか、自分でもよくわからない。
罪悪感に近いのかもしれないし、少し違う気もする。
「……そうでもないよ」
気づいたら、そんな言葉が口をついていた。
言ってから、なんだか変な答えだなと思う。二人にも失礼だ。
案の定、澄からは『え? 嫌いなん?』と、ちょっと間の抜けた声が返ってくる。
「いや、うそうそ。ダンス部一緒で、こっちにいる時も仲良かったし。二人ともいい奴」
そう言い直すと、『そうかぁ』と、特に感情の含みのない声が返ってきた。
『陽翔は、やっぱり東京の大学いくん?』
言葉の途中で、少し息むような間が挟まる。
たぶんどこかに座り直したか、ベッドに寝転がったか、そんな感じなんだろうな、と相手の姿をぼんやり想像する。
俺も寝返りを打った。
カーテンを開けたままの窓の向こうには、街のネオンが光っている。
「うん。こっちの方が、何かと便利だし……将来的に就職とか考えても、さ」
『そうやなぁ』
のんびりとした相槌が返ってくる。
「澄は? どうすんの? 神社継ぐとか?」
霧島家は男三人兄弟だけど、兄貴は東京の大学に行っていると言っていた。
もしかしたら澄も、そういう道を選ぶ可能性があるのだろうか。
『継ぐとかは、まだあんま考えてへんけど。大学は県内のどっか行こうかなとは思っとる』
「あぁ、そっか」
気のないふりで返事をしながら、内心では、ほんの少しだけ寂しく感じている自分がいた。
『町おこしのやつ、結構おもろいやん?』
「……うん」
『やからさ、俺、北村さんみたいに役所勤めたりして、観光とか誘致関係の仕事やりたいなって思って』
久瀬町はいま、久瀬怪異録だけじゃなく、いろんな地域活性化の取り組みを進めている。
前に北村さんが話していた、地元食材を使ったフードフェスやマルシェ。
古民家の改修や民泊の整備。
新しい観光スポットとして、アスレチックやVR施設を作る計画。
それから夜宮神社を中心にした、ちょっとオリエンタルなイベント企画なんかもあるらしい。
正直、まだ計画段階のものも多くて、手当たり次第に試している感じではある。
それでも、この夏は実際に観光客が増えていて、少しずつ効果も見え始めているのだった。
「いいじゃん、それ。やりたいこと決まってんの、いいな」
『そ? でも陽翔も決まっとるやん。東京の大学行きたいっていうのも、やりたいことやろ?』
「まあ、そっか。そうだな……」
相槌を返してから、言葉の間が落ちる。
――このあと、何を話せばいいんだろう。
話したいことがあるわけじゃないのに、電話は切りたくない。
こういう時って、どうすればいいんだ。
『五百キロやて』
脈絡もなく、澄が言ったので、俺は思わず「え?」と眉を上げた。
『今ちょうどパソコン開いとったから、久瀬と渋谷の距離調べたん。めっちゃ遠いな』
「ああ、うん。めっちゃ遠いね」
『いつ、帰ってくるん?』
その言葉に、ほんの一瞬、息が止まった。
勝手に言葉の意味を裏読みして、勝手に心臓が跳ねる。
熱くなった頬を押さえながら、俺はベッドの上に体を起こして座り直した。
「明日、帰るよ」
まだ夏休みは数日残っている。
明日帰ると聞いて、澄は何て言うんだろう。
『そうかぁ』
語尾がゆるく伸びる。
『気ぃつけて帰ってきてな』
その言葉に、ふっと笑いが漏れた。
澄の言い方が、親戚のおじさんみたいだったから――というわけでもない。
期待していた言葉じゃなかったことに、少しだけがっかりしている自分が、なんだか可笑しくなったのだ。
もし。
もし今、「会いたいな」って言ってくれたら。
俺も、って答えられる気がする。
でも、澄は言わなかった。
そのまま、のらりくらりと身のない会話をいくつか交わして、「じゃあ、また学校でな」と、どちらからともなく電話を切った。
「はぁ……」
小さく、ため息がこぼれる。
散々見慣れているはずの窓の外の街並みが、今夜はやけに無機質に見えて、俺はゆっくり立ち上がると、分厚いカーテンを閉めた。


