◇
この頃の夏の東京は、馬鹿みたいな最高気温を叩き出す。今朝はホテルで見た天気予報の、紫色の数字にうんざりしていたところだ。
商業施設の前の広場に出ると、頭上のフレームに取り付けられたノズルから細かいミストが噴き出していた。霧が風に流れてきて、肌に触れると一瞬だけ熱が引く。
八月も終わりに近づき、俺は大学のオープンキャンパスのために、一昨日から一人で東京に来ていた。ホテルに三泊して、三つほど大学を回る。あとは東京の中学・高校時代の友人と会ったり、買い物をしたりして過ごす予定だ。
久しぶりに、あの閉鎖的な田舎町から離れて、自分の地元に戻ってきた。
そんなふうに、伸び伸びした気分になるはずだったのに。
「空……狭いなぁ……」
立ち並ぶ高層ビルのあいだに、ぽっかり空いた隙間に落とされたみたいな心地がする。
ほんの少し前までは、ここに戻りたくて仕方がなかったはずなのに。
いや、今だって大学はこっちに来るつもりでいるけど、前ほど、この都心の空気を渇望しているわけでもない。
「よっす! 陽翔、久しぶり!」
顔を上げると、少し懐かしさを感じる顔ぶれが二人。
黒いバケットハットを被った黒髪の方が耀(よう)。
鼻筋の通った整った顔立ちで、茶髪にピアスをしているのが真那斗(まなと)だ。
どちらも東京の高校の同級生で、同じダンス部だった。
もともと垢抜けたやつらだったけど、久瀬からこちらに出てきたせいか、前よりもさらに磨きがかかったように見える。
「久しぶり!」
明るく声を返しながらも、都心を離れて時間の経った今の自分が、彼らの目にどう映るのか、ほんの少しだけ不安になった。
「変わんねぇなぁ」
「つっても、まだ半年ぐらいしか経ってないけどな」
二人の軽口を聞いて、内心で胸をほっと撫で下ろす。
「映画何時からだっけ?」
「あと四十分くらいあるけど、どーする?」
「ここあっついし、とりあえず行こうぜ。俺ポップコーン食う」
「おっけー、そうしよ」
ゆるゆると会話が交わされ、そのまま近くの映画館へ移動する。照り返すコンクリートの反射熱に当てられて、俺は大量の汗を拭いながら二人のあとを追った。
「映画の後どうする? 服買う?」
「この辺高くね?」
映画館へ続くエスカレーターに並びながら、会話に耳を傾ける。東京にいたころは日常的に交わされていた、なんでもない会話だ。
だけど今は、標準語ってだけで、なんだか少し慣れないような心地になる。
俺の居場所はここなんだって、ずっと思ってたはずなのに。たった半年離れただけで、こんなにも、なんとなくうまくはまらなくなるものなのか。
「陽翔は? それでいい?」
「へ?」
エスカレーターの上から耀が振り返って尋ねてくる。二人の会話の結末を聞いていなかった俺は、思わず眉を上げた。
「映画のあと、渋谷に移動でいいかって話」
「渋谷……あ、うん。おっけ。俺も服買いたい」
軽く親指を立てて応じる。
「そういやSNS見たけど、引っ越し先やばい田舎だよな? 服とかどうしてんの?」
パタパタとハンカチで顔のあたりを仰ぎながら、真那斗が尋ねてくる。
「隣町に車で行けるとこにイオンあるんだけど、そこで買うしかないかな」
「でた! イオン! 田舎あるあるだな」
「いやいや、まじであれ俺らの生命線だから」
冗談めかしてそう言うと、耀も真那斗も「やばぁ」「ウケる」とか言いながらケラケラ笑った。
俺もつられて笑いながら、さっき自分で「俺らの生命線」なんて言ったことを、少しだけ引っかかって考える。
いつの間にか、そっち側の人間になってしまったみたいな、妙な感覚だった。
「あれなにやってんの? 怖い話みたいなの投稿してるよな?」
「あ、あぁ、あれな! 実は役場の人に頼まれて、町おこしに協力してんの」
「町おこしぃ?!」
券売機で発券して、売店の列に並んだところで、耀が目をむいて振り返る。よほど耳慣れないフレーズだったのか、口元が少し笑っている。
別に馬鹿にされたわけじゃないし、そういうつもりが相手にないことも分かっている。
それでも、今この話をしたことで、「俺っぽくない」と思われたんじゃないかという気がしてしまう。
都心から離れて変わってしまったと思われたくなくて、慌てて取り繕う言葉を探す。
「いや、あっちって遊ぶことないからマジで暇でさ。それでやってんだよ。ほら、投稿するネタもないし」
「あーなるほどなぁ。まぁ、こういうのやってましたって経歴残しとけば、就活のときとかもしかしたら有利なのかもな」
「あ……あ、そうそう。そういうことだよ」
そんなこと考えたこともなかったけど、とりあえず頷いておく。
そんな感じで、二人はもうこの話題に興味がないのか、ぬるっと会話は別の話に移っていった。
「そういやさ、水野先輩のやつ聞いた?」
「なにそれ」
「ほら、俺らの学年の女子がさ、女子限定チームで発表会やったの気に入らなかったらしくてさ。なんかうるさいこと言われたって、森山が言ってた」
「あぁ、あの人取り扱い注意だろ。全部自分が把握してないと嫌なタイプだからな。森山も根回ししときゃよかったのに、ミスったな」
自動ドアをくぐって館内に入ると、一気に涼しい空気に包まれる。汗が冷やされて、ようやく息がつける心地だった。
俺が会話に入っていないことに気づいたのか、真那斗がさりげなく振り返る。
「水野先輩覚えてるだろ? 今あの人が部長なんだよ」
そんなふうに補足してくれた。
「ああ、そっか」
「まじか」
「あの人、確かにやばい」
多分、俺のリアクションや相槌は適切だったし、自然だったはずだ。退屈そうにしていたら二人にも申し訳ない。だから、もう自分には縁遠くなってしまって、正直そこまで興味もなくなってしまった話題にも、どうにか応じる。
なんだろう、この違和感。
多分、二人は何も変わっていない。
うまくできなくなってしまったのは、俺の方なんだと思う。
前は、どんな話が面白くて、どんな出来事が自分の胸をときめかせていたのか。
それすら、わからなくなってしまった。
この頃の夏の東京は、馬鹿みたいな最高気温を叩き出す。今朝はホテルで見た天気予報の、紫色の数字にうんざりしていたところだ。
商業施設の前の広場に出ると、頭上のフレームに取り付けられたノズルから細かいミストが噴き出していた。霧が風に流れてきて、肌に触れると一瞬だけ熱が引く。
八月も終わりに近づき、俺は大学のオープンキャンパスのために、一昨日から一人で東京に来ていた。ホテルに三泊して、三つほど大学を回る。あとは東京の中学・高校時代の友人と会ったり、買い物をしたりして過ごす予定だ。
久しぶりに、あの閉鎖的な田舎町から離れて、自分の地元に戻ってきた。
そんなふうに、伸び伸びした気分になるはずだったのに。
「空……狭いなぁ……」
立ち並ぶ高層ビルのあいだに、ぽっかり空いた隙間に落とされたみたいな心地がする。
ほんの少し前までは、ここに戻りたくて仕方がなかったはずなのに。
いや、今だって大学はこっちに来るつもりでいるけど、前ほど、この都心の空気を渇望しているわけでもない。
「よっす! 陽翔、久しぶり!」
顔を上げると、少し懐かしさを感じる顔ぶれが二人。
黒いバケットハットを被った黒髪の方が耀(よう)。
鼻筋の通った整った顔立ちで、茶髪にピアスをしているのが真那斗(まなと)だ。
どちらも東京の高校の同級生で、同じダンス部だった。
もともと垢抜けたやつらだったけど、久瀬からこちらに出てきたせいか、前よりもさらに磨きがかかったように見える。
「久しぶり!」
明るく声を返しながらも、都心を離れて時間の経った今の自分が、彼らの目にどう映るのか、ほんの少しだけ不安になった。
「変わんねぇなぁ」
「つっても、まだ半年ぐらいしか経ってないけどな」
二人の軽口を聞いて、内心で胸をほっと撫で下ろす。
「映画何時からだっけ?」
「あと四十分くらいあるけど、どーする?」
「ここあっついし、とりあえず行こうぜ。俺ポップコーン食う」
「おっけー、そうしよ」
ゆるゆると会話が交わされ、そのまま近くの映画館へ移動する。照り返すコンクリートの反射熱に当てられて、俺は大量の汗を拭いながら二人のあとを追った。
「映画の後どうする? 服買う?」
「この辺高くね?」
映画館へ続くエスカレーターに並びながら、会話に耳を傾ける。東京にいたころは日常的に交わされていた、なんでもない会話だ。
だけど今は、標準語ってだけで、なんだか少し慣れないような心地になる。
俺の居場所はここなんだって、ずっと思ってたはずなのに。たった半年離れただけで、こんなにも、なんとなくうまくはまらなくなるものなのか。
「陽翔は? それでいい?」
「へ?」
エスカレーターの上から耀が振り返って尋ねてくる。二人の会話の結末を聞いていなかった俺は、思わず眉を上げた。
「映画のあと、渋谷に移動でいいかって話」
「渋谷……あ、うん。おっけ。俺も服買いたい」
軽く親指を立てて応じる。
「そういやSNS見たけど、引っ越し先やばい田舎だよな? 服とかどうしてんの?」
パタパタとハンカチで顔のあたりを仰ぎながら、真那斗が尋ねてくる。
「隣町に車で行けるとこにイオンあるんだけど、そこで買うしかないかな」
「でた! イオン! 田舎あるあるだな」
「いやいや、まじであれ俺らの生命線だから」
冗談めかしてそう言うと、耀も真那斗も「やばぁ」「ウケる」とか言いながらケラケラ笑った。
俺もつられて笑いながら、さっき自分で「俺らの生命線」なんて言ったことを、少しだけ引っかかって考える。
いつの間にか、そっち側の人間になってしまったみたいな、妙な感覚だった。
「あれなにやってんの? 怖い話みたいなの投稿してるよな?」
「あ、あぁ、あれな! 実は役場の人に頼まれて、町おこしに協力してんの」
「町おこしぃ?!」
券売機で発券して、売店の列に並んだところで、耀が目をむいて振り返る。よほど耳慣れないフレーズだったのか、口元が少し笑っている。
別に馬鹿にされたわけじゃないし、そういうつもりが相手にないことも分かっている。
それでも、今この話をしたことで、「俺っぽくない」と思われたんじゃないかという気がしてしまう。
都心から離れて変わってしまったと思われたくなくて、慌てて取り繕う言葉を探す。
「いや、あっちって遊ぶことないからマジで暇でさ。それでやってんだよ。ほら、投稿するネタもないし」
「あーなるほどなぁ。まぁ、こういうのやってましたって経歴残しとけば、就活のときとかもしかしたら有利なのかもな」
「あ……あ、そうそう。そういうことだよ」
そんなこと考えたこともなかったけど、とりあえず頷いておく。
そんな感じで、二人はもうこの話題に興味がないのか、ぬるっと会話は別の話に移っていった。
「そういやさ、水野先輩のやつ聞いた?」
「なにそれ」
「ほら、俺らの学年の女子がさ、女子限定チームで発表会やったの気に入らなかったらしくてさ。なんかうるさいこと言われたって、森山が言ってた」
「あぁ、あの人取り扱い注意だろ。全部自分が把握してないと嫌なタイプだからな。森山も根回ししときゃよかったのに、ミスったな」
自動ドアをくぐって館内に入ると、一気に涼しい空気に包まれる。汗が冷やされて、ようやく息がつける心地だった。
俺が会話に入っていないことに気づいたのか、真那斗がさりげなく振り返る。
「水野先輩覚えてるだろ? 今あの人が部長なんだよ」
そんなふうに補足してくれた。
「ああ、そっか」
「まじか」
「あの人、確かにやばい」
多分、俺のリアクションや相槌は適切だったし、自然だったはずだ。退屈そうにしていたら二人にも申し訳ない。だから、もう自分には縁遠くなってしまって、正直そこまで興味もなくなってしまった話題にも、どうにか応じる。
なんだろう、この違和感。
多分、二人は何も変わっていない。
うまくできなくなってしまったのは、俺の方なんだと思う。
前は、どんな話が面白くて、どんな出来事が自分の胸をときめかせていたのか。
それすら、わからなくなってしまった。


