君ってちょっと怪異より不穏



久瀬高には食堂や売店なんてものはない。
だから昼休みは、みんな自宅から持ってきた弁当やら何やらを食べている。パン争奪戦もないから、妙にのんびりとした雰囲気だ。
 
そんな中、窓際の自席で弁当の唐揚げを咥えながら、俺はスマホの画面を睨んで唸っていた。

「解せん……」
 
久瀬怪異録を始めて、だいたい一か月。
いつのまにか季節は一段進んで、窓の外の山はすっかり初夏の色に変わっていた。春の頼りない若緑は影を潜めて、今は目に痛いくらい濃い。晴れた日は空との境目がやけにくっきりして、どこを見ても緑しかなかった。都会ならビルに遮られて気づかない変化も、この町では嫌でも目に入る。

「どしたん?」

肩の上から声が降ってきた。
澄が、わざわざ俺の椅子に腰を引っかけるみたいにして座り、無遠慮に画面を覗き込んでいる。

俺は唐揚げを飲み込みながら、眉間に力を込めた。

「これだよ、これ。見ろって」

スマホをぐいっと澄の目の前に突きつけると、澄は目をしぱしぱさせながら、少しだけ顔を引いた。

画面に表示されているのは、俺のSNSのアカウントだ。
久瀬怪異録を始めて一か月。旧診療所のサナコの件と、神無トンネルにまつわる風習の話を投稿して、数字はじわじわ伸びてきている。フォロワーも増えたし、コメントもつくようになった。

順調、と言えば順調だ。

なのに、俺は納得していない。

「なんで、澄のじいちゃんの祈祷動画が、サナコよりリアクション多いんだよ!」

診療所では本気で怖い思いをした。夜に井戸を覗いて、心臓を無駄に酷使して、編集だってそれなりに時間をかけた。怪異アカウントとして出すなら、あっちのほうが『本命』のはずだ。

それより伸びているのが、夜宮神社で撮った澄のじいちゃん(ヨボヨボの神主)が、祝詞なのか独り言なのかわからない調子でふがふが言っているだけの動画、というのがどうにも納得いかない。

外国人のリアクションが多いのはまだ理解できる。神社の画はわかりやすいし、日本らしさは強い。
でも日本人のコメント欄まで「じいちゃん可愛い」「なんか癒やされる」とかで埋まっているのを見ると、方向が違うだろ、と言いたくなる。

「それは、あれやろ。サナコの動画、ブツブツ変なとこで切りすぎなんちゃう?」

澄はそう言いながら、俺の弁当に手を伸ばし、卵焼きを当然みたいな顔で咥えた。

その指摘には心当たりがある。俺は口を結んだまま、画面を見つめるしかない。

旧診療所の件は、結局怪異でもなんでもなかった。でも、ラストは含みを持たせて切れば動画としてはまとまるというその読み自体は間違っていないと思っている。ただ、問題はそこまでの素材だ。

叫び声。無駄にビビる俺。澄に抱きつく瞬間。挙げ句の果てには、男子高校生二人が手を繋いで移動している。

それらを削って繋ぎ直すと、どうしても映像が飛ぶ。変なところで音を落として、ナレーションに切り替えて、なんとか形にした。見られるレベルにはなっている。少なくとも俺はそう思っている。

それでも、じいちゃんの動画に負けているという事実が、じわじわと腹立たしい。
  
「なぁんかさぁ、ふたり、すっごい仲良うなったねぇ?」

柔らかい声に顔を上げると、クラスメイトの女子、和泉さんが立っていた。どうやら弁当はもう食べ終えたらしい。大袋のお菓子を抱えていて、中から小分けのソフトクッキーを取り出し、俺と澄の机の端に一つずつ置いていく。

和泉さんの家は町の小さな商店で、たまにこうして賞味期限が近い菓子を持ってきては、気まぐれに配ってくれるのだ。

「ほんまやな。めっちゃベタベタしとるやん」

近くの席からも声が飛ぶ。昼休みの雑談の延長みたいな軽いノリだ。

「いや、別に、ベタベタとか……」

言いながら、ふと自分の状況を客観視する。

澄は当然みたいな顔で俺の椅子に腰掛け、腰に腕を回している。さっきからおかずを欲しがるので、俺は無意識に箸で口元まで運んでやっていた。

確かに近い。

「なんでくっついとるん? 澄、寒いんか?」

からかうというより、本気で不思議そうなクラスメイトの口調に、澄が平然と答える。

「ちゃうよ。陽翔が、離れんでって言うん」

「……は? 言ってないし」

肩越しに睨むと、澄はまったく動じない。

「言うたやん。サナコの時」

「……あ、あれは! てか今はいいだろ、くっつかなくて!」

「そうなん?」

そう言いながらも、澄は腕を外す気配がない。

「サナコって、宮城くんがSNSにあげとったやつ?」

和泉さんはすっかり昼休みの雑談に腰を据える気らしく、近くの椅子を引き寄せて座った。

「久瀬怪異録やろ? 俺も見たで」
 
「私もぉ。夜宮のじいちゃん、可愛い言われとんの、なんかおもろいよね」

気づけば周りの席からも何人か寄ってきている。
特に宣伝した覚えはないのに、どこで聞きつけたのか、みんな俺のアカウントを知っているみたいだ。

「あれって役所に頼まれとるん?」
 
「これからも続けるん?」
 
「ほんまにあの診療所入ったん?」

質問が次々飛んでくる。

「怪談作るなら、私ネタ考えてみたい!」
 
「撮影なら付き合うわ」
 
「肝試しみたいで楽しそうやんな」

どうやら文化祭の延長線くらいの感覚らしい。
正直、ありがたい。サナコの時みたいに二人きりでビビり散らかすのは、もう勘弁だ。

「ちょうど次どうしよ思ってたとこだし、考えてくれるの助かるよ!」

中間テストも終わって、みんな気分が軽いのか話はどんどん膨らむ。

「ほな今日、誰かの家でミーティングせえへん?」
 
「ええやん!」
 
「夜宮の社務所、借りられへんの?」

誰かがそう言うと、自然とみんなの視線が澄に向いた。夜宮神社は学校からも近いし、昔からみんなの集まり場所みたいに使われていたんだろう。

「あぁ……せやなぁ」

みんなの勢いに比べると、澄の返事はどこか歯切れが悪かった。
けれど、それに引っかかったのは隣にいる俺だけで、周囲はそのまま盛り上がり続けている。

「てかさ、宮城くんのこと、うちらも陽翔って呼んでええ?」
 
「せやな。みんな下の名前呼びやし、俺らのこともな」

俺が軽く頷きかけた、その時だった。

「……あかんよ」

澄の声は大きくない。それでも、不思議と場が止まる。

「あかんよ。俺だけやねん」

何人かが目を瞬かせる。俺も同じように首を傾げた。

「いや、別にいいだろ。好きに呼べば」

そう返すと、澄は「なんでや」と不満そうに眉を寄せる。
 
「逆に、なんでだよ!」

思わず突っ込むと、周りがどっと笑った。
空気はそのまま流れて、話題も自然に別の方向へ移っていく。
 
澄はもともとよくわからないやつだけど、最近は輪をかけて読めない。
なんというか、めちゃくちゃ懐かれてしまった気がしている。
つい受け入れてしまっているが、確かに常に距離が近い。
それに今もそうだけど、俺が他のクラスメイトと仲良くしすぎるのが、なんとなく嫌らしい。

第一印象は、ぼーっとしていて他人に無頓着そうだったから、なおさら意外だ。

「俺、いややなぁ。陽翔と二人でやるんがええと思う」

ついにはそんなことまで言い出す。
半分冗談だと思っているのか、周りは笑っているが、腰に回った澄の腕の力はわりと本気を感じさせる。

ちょっとくっつかれるくらいなら、もう慣れた。
けれど、こんなふうに不意に腰に回った手にぎゅっと力を込められると、内心では普通にあたふたしている。さらに、そのあたふたが、澄や周りの誰かに気づかれてはいないかと思うと、余計に落ち着かない。
 
その原因はわかっていた。
 
これは誰にも言わない。墓場まで持っていくつもりだけど……実はサナコの一件以来、俺の脳が誤作動を起こしたままなのだ。
恐怖の中、暗闇で手を繋いでくれた澄に『トゥンク』してしまった、あの例のやつだ。

「いや、普通に人数多いほうがやれること増えるだろ?」

俺が動揺を誤魔化しつつ、そう言うと、澄は無表情のまま、ほんの少しだけ口を尖らせた。

「ええの、陽翔。みんなおるとこで悲鳴あげたら、かっこつかんで」

ぼそっと耳元で言われて、思わず背筋がぞわっとする。

「ひ、悲鳴って、そんな……てか、人数多いほうが気が紛れるだろ」

「うーん……」

澄は低く唸る。
この感じは、たぶん俺を言いくるめる理由を探している。

「みんなの前やと、手ぇ繋げへんやん」

「いや、みんなの前じゃなくても繋がないから」

「なんでや」

「て、てか別に、怖いとか、ないから俺」

苦し紛れにそう言い返すと、澄はまた小さく唸る。

俺はため息をついた。
たしかに、まだ試験的にやっている段階だし、頼まれたわけでもない。クラスメイトを巻き込んで話を大きくするのもどうなんだ、という気持ちは正直ある。

「なんでやぁ」 

そう言いながら、澄はさらにぎゅっとしがみつき、俺の肩に顔を伏せてくる。声音が淡々としているからギリギリ高校生だが、それがなければまるで駄々を捏ねる幼児だ。
 
「あー、もう少しフォロワー増えて、なんか大きな企画やるってなったらみんなのこと頼らせて……とりあえずは、俺らでやってみるよ」

俺はクラスメイトにそう苦笑を返した。

「そっかぁ、なんか必要やったらいつでも協力するから言ってな?」
 
「澄、ごめんなぁ、もう陽翔取らんから、安心しぃや」

幼児澄に比べて、クラスメイトたちは大人の対応だ。
澄の妙な独占欲も、「こういうノリ」という感じで受け止めてくれている様子だった。
そういえば、最初の頃からなんとなく、みんな澄に対して甘いというか……「よかったなぁ」とか、「えらいやん」とかちょっと子供にするみたいな態度なんだよな。見た目と第一印象からは想像できなかったけど、どうやら澄はみんなの中でそういう扱いを受けるキャラらしい。

腰に回った澄の腕がまた少し力を強める。
やれやれと宥めるみたいにその腕を軽くポンポンと叩きながら、俺は、まあ、わからなくもないなとクラスメイトたちの反応に納得した。