比翼連理 冷宮皇后は皇帝陛下の最愛

 それからしばらくして。皇帝の私室にて。
 冷月霏(ランユエフェイ)江君嵐(ジャンジュンラン)、そして李風(リーフォン)の三人は卓を囲んで、椅子に座っていた。
 他には誰もいない。

「それでですけど、君嵐様。何で私に会いに来なかったのです? もう用済みだから? 皇位を手に入れるため……他の皇子たちを油断させるためだけに下級貴族との結婚が必要だったから私に求婚したんですか? だから、皇帝になった後はもういらない?」
「……そんな理由で求婚したのならわざわざ翎娘(リンニャン)を選ぶ理由がないよ」

 確かに、皇后は翎娘と決まっているのだ。正妻を翎娘にすれば、それだけで皇位に興味があると思われかねないかもしれない。
 しかし、江君嵐はそう言った後に、しまったと言わんばかりの顔をして黙り込んだ。冷月霏は、いらっとしながらも言葉を江君嵐に投げかける。

「風が『上からの指示で牢を燃やす』と言っていたのです。その上って、あなたですよね? 牢を燃やす命令を出せるのなんて皇帝陛下くらいでしょう? なぜ? 風は私を連れ出してから牢を燃やした。そして、私は死んだことになっていた。まるで、私の死を偽造するために牢を燃やしたみたい」
「……風、私を嵌めただろう? あの場にわざわざ月霏さんを連れてきて……。本当なら風と月霏さんはとっくに……」
「そのほうが陛下のためにもなるかと判断しました」

 しれっと涼やかな顔で李風は言ってのけた。
 
「君嵐様、私の質問に答えてくれます?」
「陛下……諦めましょう?」

 李風が言う。諦めるとは一体。冷月霏は首をかしげた。

「だが……」
「この方は何があっても陛下のお側にいる。そういう方ですよ?」

 李風の言葉に冷月霏は加勢した。

「ええ、私、君嵐様と離れる気はありません! あなたが嫌がっても怨霊のようにつきまといます」
「怨霊って……」

 江君嵐がつぶやく。

「なぜ、そこまで私の側にいたいの?」

 江君嵐の問いかけに、冷月霏はひどくあきれた。

「そりゃ、君嵐様が大好きだからに決まってます!」
「え……大好き? 聞き間違いかな?」
「聞き間違いじゃありませんってば! 大好き、大好き、大好き、大好き、大好き……これだけ言えばわかります?」
「あなたは……」

 江君嵐の瞳は、動揺していた。

「あなたは……変わっているな」
「は?」
「だって……あなたを放置して、冷たく当たった男だよ、私は。周囲に軽んじられる辛さは身をもって知っていたのにあなたを同じ目に合わせた。……嫌いになって当然だ」
「それでも、好きなんだから仕方ありません。自分でもどうかと思いますが、今回の件で自分のことがよくわかりました」
「てっきり……私のことを嫌いになったと思っていた」

 李風が口を開く。

「ええ、俺もそう思って陛下にご報告したのですが、俺の目が曇っていましたね」
「李風……」

 咎めるように江君嵐が言うが、李風は笑う。

「ここまで来て、娘娘を遠ざけられるとお思いで? 陛下は面倒な男ですねえ。もう最初から全部、話せばよかったのに」
「え? 何の話?」

 冷月霏は戸惑う。

「君嵐様、教えてください。どういうことなんです?」
 
 江君嵐は視線をうつむかせた。それにまたしても、いらっとして無理やり両手で江君嵐の頬をはさんで視線を合わさせた。

「話してください! これまで放置してきた私に悪いと思うのなら……! どんな内容だろうと聞きますから!」

 しばしの沈黙の後に江君嵐は言った。

「わかったよ。すべて話そう」

 そして、江君嵐は話し始めた。


 江君嵐いわく即位式が終わり、皇帝の禁書庫へ初めて足を踏み入れた時の話だ。
 パラパラと色々な書物を眺めていると、一冊に目が止まった。開けば、三百年前の皇帝が残したものではないか。どうやら、皇帝の『異能』について調べ上げた成果がまとめられた書物であるらしい。
 かいつまんで、要約するとこのようなことが書かれていた。

 まずは自身の身体が年々、弱っていくことに気づいた旨が序文としてあった。
 そして歴代皇帝についての記録を詳しく調べたところ、異能が人間の身には過ぎる力のために著しく身体を消耗させることがわかった。
 そして皇位から退いても異能が消えることはない。
 それを多少でも抑えるためには、翎娘を正妻として娶るのが効果的であることも判明した。
 おそらくは、太祖が翎娘を皇后にするよう決めたのはこのことを知っていたから。だが、千年の長い時の中で、そんな理由は忘れられてしまったのだろう。
 翎娘の力も、長くは続かない。翎娘もまた、六、七年ほどで消耗して弱りきり死んでしまう。そして、翎娘が死ぬ前に新たな翎娘を皇后にするのが皇帝が出来るだけ長く生き長らえる方法である。
 しかし、太祖が決めた決まりがある。それに霊鳥は比翼の鳥。その霊鳥を祀る国の皇帝に離縁は認められない。
 それが長らく続く伝統。
 だから、皇后に死を与える。そうして皇后を入れ替える。
 とはいえ、そのような方法を取っても劇的に寿命が伸びるわけでもない。
 だが歴代皇帝と皇后の中には人とは思えぬほどの長寿がいた。しかもその皇帝らは異能の力も強かった。
 理由はわからない。
 たまたま彼らは異能と相性がいい特異体質だったのではないか。
 そして、最後に恨み言と注釈が書いてあった。どうやらこの皇帝の最後の皇后は、この事実に気づき逃げ出すことに成功したようだ。
 注釈は別の皇帝が書き足したものだ。
 筆跡が違っていた。
 この逃げ出した元皇后が八十過ぎまで元気に生きていたという事実が書いてあった。
 つまり、物理的に皇帝から離れれば元皇后であっても皇帝の犠牲になることはないらしい。
  
 そのようなことが書物にはつづられていた。

(これは……本当のことだろうか?) 

 嘘かもしれない。だが、嘘でない可能性もある。
 江君嵐の母后は、皇帝から死を賜る前から弱っていた。
 死罪になったのは皇后になってから五年ほど経った時であった。
 先帝には皇后が四人いた。最後の皇后を除き、皆、五年ほどで死んでいるではないか。しかも、一人目、二人目の皇后は皇帝から死を賜っている。三人目の高皇后は病死とされたが真実とは限らない。
 最後の四人目の先帝の皇后は存命である。皇宮から去りたいと申し出たので江君嵐は彼女の願いを受け入れた。今現在、彼女は穏やかに暮らしている。
 彼女が皇后であった期間は五年を超えていない。先帝が崩御したからだ。
 先帝の身体はもうすでに翎娘を用いても限界が来ていたのだろう。
 
 先帝は、もしかしたら自身の寿命を伸ばすために母を殺したのだろうかという疑念が湧き上がった。きっと高貴妃が母を陥れたのは真実だろう。しかし、先帝もまたそれに乗っかったのだ。
 皮肉なことに高皇后も先帝の寿命を伸ばすために命を浪費したということか。そして、死んだ。おそらくは本当は病死ではない。
 弱った皇后を新しい皇后に入れ替えるために先帝に毒殺でもされたのか。
 皇室の記録を漁った。そして、この三百年の間、多くの皇后が五年前後で儚くなっていることに気づいた。そして、それより前の皇后たちも、例外はあれどその座についてから六、七年で死亡していることが多かった。

「月霏さん……」

 彼女とは離れるべきだ。そう思った。

(しかし……月霏さんのあの性格では……正直に話したところで、『構わないわ。あなたが死ぬ方が嫌よ!』とでも言うだろう)

 それに皇后との離縁は皇帝には認められていない。つまり、死んだことにして後宮から出すしかない。

(まずは……彼女に嫌われよう)

 江君嵐への好意があるままの状態で冷月霏を後宮から無理やり出しても、どんな手を使ってでも後宮に戻ろうとするだろう。彼女はそういう人だ。
 そして江君嵐が崩御した時にどうなるかわかったものではない。最悪は自死するだろう。

(だからとことん嫌われなくては……。……だが身の危険がないように護衛はつけよう)
 
 そして李風という信頼出来る武官に宦官のふりをさせて翡翠宮に潜り込ませた。
 また李風に命じて、食事も届けさせた。身体を壊しては元も子もない。
 
 逃げ出した元皇后は二年間、皇后をやっていたようだが身体の不調はなかったようだ。母や高皇后のことを考えても皇后になってから二年は皆、不調はなかったように思われた。時間制限は二年ほどということだ。
 
 二年で冷月霏に嫌われ、皇宮から出す。
 また一生、彼女が暮らしていけるだけの財産を用意した。それを後宮から出した暁には李風を通して冷月霏に渡すつもりだった。
 憎い男のことなど記憶から消して、遠くで幸せに暮らして欲しい。

 そして、間諜を送り込んだ高氏の謀反の兆しも掴み始めていた。先帝の時代に高皇后が産んだ息子が皇太子になったというのに、その皇太子は死に何の関係もない皇子が皇帝になったのにうんざりしていたようだ。
 しかし、今度こそ高氏の翎娘が産んだ子を次期皇帝にしようする派閥も高氏の中にいるようであった。
 謀反派は、高氏の娘を後宮に送るのに成功すれば謀反の計画はいったん、中止してもいいという考えであるようだった。失敗すれば、改めて謀反を起こせばいいと。
 だから、江君嵐は高氏の娘を側室とした。謀反を起こされるのは面倒であるし、いまだ謀反の証拠は揃いきっていない。まだ時が必要だ。
 他にも理由はあった。冷月霏にますます嫌われるためだ。
 高貴妃に手は出してはいない。ただ、睡眠薬を飲ませた。
 娘を貴妃にすることに成功した高氏の気は緩み、今までより簡単に不正や謀反の証拠が見つかった。
 高貴妃は、前々から短気な性格と知っていたので何かしらの問題を起こすだろうと踏んでいた。
 そしてその時に高氏の罪を追及することにした。

 また李風に冷月霏が完全に皇帝が嫌いになったようだという報告を受けていた江君嵐は巫蠱事件を利用して冷月霏を後宮から出すことにした。
 李風が冷月霏を連れて、国外へ飛び出す計画であった。

 以上のことをつらつらと冷月霏に江君嵐は語った。

「ばっかじゃないの!? そんなことして遠ざけようとして……! 殴りたいとすら思っていたのに、君嵐様はそんなことを考えていたなんて!」

 江君嵐の話を聞いた冷月霏が発したひと言目はこれであった。

「好きなだけ殴っていいよ。あなたにはその権利がある。私はあなたをひどい目に合わした男だ」

 そんなことを江君嵐が言うので、軽く彼の頬をつまんでやった。
 
「これでいいです」
「本当に、殴っていいよ? なんなら殺してもいい」
「変なこと言わないでください! 殺しませんよ! それに……ぜったい、離れません! というか臣下の手前、あんな登場したんですから、もう離れられませんよ! 私、死んでも構わないわ! 君嵐様が死ぬよりましです」
「ああ、だから正直に話すつもりはなかったのに……。……私はあなたが死ぬほうが嫌なのだが……」

 それにと江君嵐が言う。

「寿命を延ばすには次々と皇后を犠牲にし続けなければならない……そして、それをしたところで長寿にはならない」
「あっ、確かにそれはそうですね」

 困った、と冷月霏は思う。

「だが歴代皇帝皇后の中には長寿な方もいる。……しかし、条件がわからない」
「条件ですか……」

 冷月霏は考え込み、ふと気づく。

「あの……もしかして、この件がどうにもならなかったら死のうとか思ってませんよね? そしたら私が助かるからって」

 ふいと江君嵐の視線がずらされる。図星だったのだろう。

「そしたら、私も後追いしますからね?」
「あなたって人は……だから嫌われたかったんだ」
「嫌いになりませんよ。というか、二年にわたる冷遇のおかげで私はあなたを嫌いになれないんだなってことが、よくわかりましたよ」
「……冷遇した件は本当にすまなかったよ。殴っていいし、殺してもいいから」

 江君嵐が謝る。

「だから、殺しませんって!」

 冷月霏はあきれた。会ったら、十発くらい殴ろうと思っていたが、すっかりその気がなくなってしまった。
 
 江君嵐が薄い唇を開いた。
  
「……私は、高氏の件が片付いたら霊山へと祈祷をしにいくつもりだった。霊山は我が国始まりの場所。何かわかるかもしれない」
「私も行きます」

 冷月霏は言った。

「……そうだね。霊鳥は比翼……夫婦で行くべきだろう」

 江君嵐はうなずいたのだった。