比翼連理 冷宮皇后は皇帝陛下の最愛

(そして二度目に会ったのは……) 

 輿に揺られつつ紅蓋頭(ヴェール)の端をいじりながら江君嵐(ジャンジュンラン)に二度目に会った時のことを回想する。
 
 すでに(ジョウ)皇后は皇帝から死を賜って、この世にはいなかった。皇太子の座を賭けた争いには終止符がうたれ、高皇后は未だ健在で高氏が我が世の春を謳歌していたころの話だ。
 冷月霏(ランユエフェイ)は十二歳になっていた。
 あの乞巧奠(七夕)の宴以来、皇宮に足を踏み入れたことはなかった。が、またしても皇宮に向う用事が出来てしまったのだ。
 これは自由参加ではなく強制参加であった。
 貴族でかつ未婚。そして十二歳以上の翎娘(リンニャン)はすべて参加すべし。皇帝からのお達しだ。

「皇太子妃選びですか」

 父が持ってきた命令書をまじまじと見つめて、冷月霏は言った。

「まあ、気負わなくていい。落ちるのは目に見えているからな。ただ失礼なことをしなければそれでいい」
「あら、もしかしたら皇太子妃に選ばれるかもしれませんよ? そうしたら困りますね。うちは月霏に婿をとらせる予定ですのに」

 母の言葉に父は、はっきりと否定する。

「ないない。こんな末端貴族を皇太子妃にしてどうするんだ。そもそも高氏の翎娘が皇太子妃になるのは内定しているようなものだ」
「じゃあ、わざわざ選抜なんてやる意味あります?」

 娘の疑問に父は苦笑した。

「きちんと公平に『心が清らかで賢い』娘を選んだという建前が必要なんだろう」
「その建前につき合わされる方は迷惑ですね。皇太子妃選抜に来ていく衣装にいくらかかるか……」

 母がため息をつく。皇宮へはツギハギだったり、着古した服を着ていくわけにはいくまい。そして『ただの服』でも駄目なのだ。それなりの品質が求められる。

「少し大きめのを買いましょう。大人になっても着れるように」

 母はそう提案した。裕福な貴族であれば、衣装の使い捨てすらするというが冷家にそんな余裕はない。父は嘆息する。

「この父が不甲斐ないばかりにすまないな」
「いえ」

 冷月霏は首を横に振ったのだった。


 そして、皇太子妃選抜の日がやってきた。
 少し大きめの群青色の絹の襦裙を纏い、母と一緒に皇宮の前までやって来た。今回、皇宮に入れるのは皇太子妃候補だけだ。
 皇宮への門にたどり着けば、すでに多くの貴族令嬢がいた。案内係らしい宦官が娘たちを次々と皇宮内へ誘導している。皆、身体のどこかに霊鳥の紋章を持つ娘たちだ。あるものは、手のひらに、またあるものは顔に霊鳥の紋章があるのが見えた。 
 着いてきてくれた母に別れを告げる。

「夕方には終わるのよね。夕方になったら迎えに来るわ。そんなに緊張しなくても大丈夫よ。また後でね」
「はい、お母様。行ってきます」

 そういって、皇宮の入り口へ向う。

(わあ、また来れるなんて!)

 とてもわくわくしていた。どうせ皇太子妃は決まっているのだ。選抜は形だけに過ぎない。皇宮を楽しもうと決めていた。もしかしたら、これが皇宮に入れる最後になるかもしれないのだから。
 門をくぐりぬけ、朱塗りの壁が続く道を他の候補者たちと歩いて行く。やがて一つの大きな殿舎へと到着した。大広間に入れば、紙と筆が置かれていた。
 自分の名前が書かれた席に座るように言われて、探す。皇太子妃候補はたくさんいるので、名前が見つかるか心配だったが、意外とあっさりと見つかった。
 周りを見渡すが、ほとんど席が埋まっている。
 その数は二百人ほどか。
 やがて、一人の女官が大広間に入ってきた。
 一礼すると、女官が口を開いた。

「これから皇太子妃選抜を行います。最初の試験ですが、紙に皇太子妃として重要だと思うことを書いてください」

 女官の指示に従い、令嬢たちは筆を持つ。

(変なこと書かなければ何でもいいわよね。賢さと優しさでいっか……)

 すらすらと筆をすべらす。他の令嬢も似たようなものだろうと冷月霏は思う。何せ、皇太子妃は高氏令嬢に決まっているのだ。
 ここで頑張って考えても何にもならない。
 試験は次々と行われた。教養を測る筆記、楽器の演奏、刺繍、絵画……。皇太子妃に必要なものだろうか、と思うものすらあった。

「お、終わった……」

 試験が終わったのは夕刻。太陽は橙色に変わっていた。女官が微笑んで言う。

「皆さま、おつかれさまでした。この第一次試験を突破した方には第二次試験。そして第二次試験を突破した方には第三次試験がございます。第三次試験になりますと皇帝陛下、皇后娘娘、皇太子殿下とお会い出来ます。……では、これまでです。本日はありがとうございました」

 女官が出ていくと令嬢たちのヒソヒソした話し声が聞こえた。冷月霏の後ろの席の令嬢が隣の令嬢と話しているらしい。

「皇后娘娘とお会い出来るってあの女官は言ってたけど最近はちょっとお具合がよくないらしいわ」
「そうなの? 知らなかったわ」

 基本的に皇宮に縁がない冷月霏は、もちろん高皇后の体調が良くないことは初耳だった。
 やがて、ヒソヒソ話をしていた令嬢たちも含めて、皇太子妃候補たちは全員が殿舎から退室していく。

(どうせ高氏令嬢が選ばれるのに三次試験までやるのね……)
 
 冷月霏も、そんなことを考えつつ外へと出た。
 朱塗りの壁や宮殿を目に焼き付けるように眺める。途中で、風光明媚な庭園があって思わず目を奪われた。池には蓮の花が咲いていた。足を止めて、景色を堪能する。

(さすが、皇宮。豪華で雅で綺麗な場所ばかり……!)

 ゆっくりと、皇宮を見ていたせいか他の令嬢たちは、遥か遠くに行ってしまっていた。いつの間にか冷月霏が最後尾になっている。
 豆粒のようになってしまった令嬢たちの後を追おうとしたが、背後から声が投げかけれた。

「月霏さん?」

 ハッとして振り返ると、年の頃は冷月霏と変わらないであろう少年がいた。あいも変わらず麗しい(かんばせ)。目元は涼やか。鼻はすっと、通っている。
 しかし、着ているものは以前、会った時より質がずいぶん落ちているように思えた。
 そして、身体の大きさにいまいち合っていない。冷月霏の着物が、大きすぎるなら彼の着物は小さすぎる。

「第五皇子殿下?」

 冷月霏は少年を呼んだ。ふわりと江君嵐は微笑む。

「あ、覚えていてくれたんだ」
「当然です」
 
 あの夢のような宴で出会った江君嵐のことを忘れるはずがない。ただ、もう会うことはないだろうと思っていたが。

「殿下こそ、私のことを覚えていていらっしゃるなんて驚きです」
「あなたのことは印象に残っていたから」

(それは……いい意味でかしら?)

 いい意味だといいのだけれども、と願いながらも江君嵐を見ていると違和感は増してくる。

(側仕えがいないし……服もなんか変だし……)

 冷月霏のいぶかしげな視線に気づいたのだろう。江君嵐は自嘲するような笑みを浮かべた。

「まあ、色々あってね」

 冷月霏は考える。

(周皇后娘娘が亡くなられてから……もしかして、ずっとこんな感じなの……?)

 側仕えがいないのは、服が皇子のものと思えないのも嫌がらせでされているのか。
 そう思えば、怒りが湧いてきた。

「なんてひどい!」
「私のせいでもあるよ」
「え?」

 意外な言葉に冷月霏は目を瞬く。

「……嫌われている私も悪いんだよ」

 後宮を管理する高皇后が、第五皇子がこんな目に合っていることを知らないはずがない。
 つまり、自ら命じているか。そうでないとしても、わざと放置しているのだろう。
 皇帝も皇帝だ。息子が、こんな目に合っているのを知らないはずない。
 そこまで考えて、冷月霏は、江君嵐を真っ直ぐに見て断言した。

「まさか! 殿下が悪いなんてあるはずありません! 嫌がらせされる方が悪いとでも? ありえません! 私、皇帝陛下と皇后娘娘に直訴します!」
「……は?」

 江君嵐が、ぽかんと目を見開く。

「さて、皇帝陛下と皇后娘娘はどちらにいらっしゃるのかしら?」

 冷月霏の言葉に江君嵐は、慌てたように言った。

「駄目だよ……!」
「いえ、言います……!」

 歩き出そうとした冷月霏の腕を江君嵐は掴む。

「無礼だと、処罰される可能性がある……何もなかったとしても高皇后娘娘に目をつけられたら……どんなことになるか……」

 江君嵐は言葉を重ねる。

「ですが」
「あなただけじゃない。あなたの両親にも影響がある」

(それは……)

 両親に何かあるのは嫌だと冷月霏は思う。

「わかりました、殿下。直接、お二人にお会いするのは辞めます」
「それでいい」
「なので、お手紙を書きます。皇帝陛下宛てに。そうしたら、皇后娘娘には読まれません。それなら、皇后娘娘には目をつけられないでしょう」

 江君嵐は、再び驚いたような顔をした。冷月霏は心外だった。そんな変なことを言った覚えはない。

「それも……辞めておきなさい」
「なぜですか?」
「皇帝陛下に届くかそもそもわからないし届かない可能性の方が高い。届いたところで、手紙は捨てられて終わりだろう。……陛下は私の状況をご存知だ。知った上で放置しているんだ。手紙の一通くらいで考えは変わらないだろう」
「やるだけやってみます」
「いや……駄目だ。高氏派の誰かが手紙を見る可能性があるからね」

 確かに江君嵐の言うことは当たっているかもしれないと冷月霏は思った。黙り込んだ冷月霏に江君嵐は、

「わかったね?」

 と訊いた。冷月霏は難しい顔をしながら言う。

「……方法は思いつきません……ですが、家に帰ってからも考えてみます」

 そう言えば、江君嵐は、あははと朗らかに笑う。笑うような言葉だっただろうか。

「ありがとう。そんなに私のことを考えてくれる人がいるなんて……いつぶりだろう。……でもね、何もしなくていい。本当に。今は何も波風立てずに過ごすべきなんだよ。私のことは私でどうにかするよ」

 冷月霏が何かすると彼にも悪い影響があるかもしれないということか。つまり、冷月霏が何もしないのが最善策というこなのか。
 内心、冷月霏は嘆く。
 実に無力だ。

 そんなことを考えていると、江君嵐の視線が冷月霏の背後に向けられた。
 何事か、と思って振り返ると一人の宦官が遠くから駆けてくる。「冷お嬢様!」と宦官が言うのが離れていても微かに聞こえた。

「もうあなたは帰らないといけないようだね」
「そのようです……」
「あなたが気にすることじゃないよ」
「……殿下、嫌がらせされる方が悪いなんてありませんからね?」
「それは……そうかもしれないね」
「そうかもしれないんじゃなくて、そうなんですよ」
 
 そう力強く言えば、江君嵐は笑う。
 
「……確かにあなたの言う通りだ」

 そして、こちらに走ってくる宦官を見ながら言った。
 
「では……さようなら」

 江君嵐はそう言ってから、冷月霏の帰り道とは逆方向に歩いて行く。冷月霏は何だが胸が締め付けられるような気分になって、叫んだ。

「殿下! さようなら! ……私はあなたのこと、好きですよ!」

 それは嫌われている、と言った彼の言葉を否定しようとして出て来た言葉だった。彼はくるりと振り返った。びっくりしたような表情を少しの間していたが、やがて穏やかな表情へと変わった。

「……ありがとう」

 江君嵐は笑って言った。江君嵐の去る背中を冷月霏は、ひたすら見つめた。
 やがて、息を切らした宦官が側にやって来た。
  
「冷お嬢様、もう皆さまは皇宮を出ていらっしゃいますよ!」
「すみません」

 冷月霏は宦官に従って皇宮を後にしたのだった。そして、きっと今度こそ、もう江君嵐と会うことはないだろうと思っていた。