そう、あれは父の知り合いの伝手を頼って都に越してきたばかりのころだった。
都で仕事が貰えるということで引っ越したのだ。
ずらりと食べ物屋が並ぶ大通り。華やかな人々。夜でも灯りが灯り輝く街。船が行き来する水路。わくわくしたものだ。両親といろんな都の場所を巡った。
そして、父は役人に就任出来てそれなりに金が入ったからと可愛らしい絹の襦裙を買ってくれた。どうやら、就任祝いとして貰った金も襦裙代金に充ててくれたらしい。
もったいなくて、ある時まで着れなかった。
貴族というのは地方にも中央にもいるが、中央に住まう貴族はたとえ権勢を誇らない小さな貴族であっても貴族であるというだけで皇宮の宴への招待状が届く。
とはいえ、強制ではない。貴族といえど貧乏貴族もそれなりにいるのだ。皇宮に行くには金がそれなりにかかる。お粗末な出で立ちで、皇宮に足を踏み入れるわけにはいかないのだ。
そういった事情を皇族も、わかっている。断ったところで罰則もない。
丁度、都に越してきた時は夏で乞巧奠の宴の時期が近かった。
冷家にも皇宮から招待状が届いた。
「わぁ! 皇宮からの招待状だわ! 皇宮はどんなところなのかしら? 行ってみたい!」
輝く瞳で冷月霏は無邪気に言った。母が困ったように眉を下げる。
「でもねえ……お金が……ゆくゆくは皇太子妃選抜もあるでしょうし。その時にまたお金がかかるわ」
だが、父は微笑む。
「そうだなぁ……。確かに金はかかる。でも月霏が行ってみたいというなら記念に行ってみるか。たまにはこういうこともいいじゃないか」
父はあっさりと承諾してくれたのだ。
そうして、父が都で買ってくれた襦裙に初めて袖を通して、皇宮へと足を踏み入れた。
立派な朱塗りの門、数え切れないほどの殿舎。
宮女、女官、宦官たちが忙しなく働いている。
(すごいわ……これが皇宮!)
キョロキョロと辺りを見渡しつつ、父母に着いて、乞巧奠の宴が行われるという庭園に向かう。
月が空に輝く。月明かりに照らされた庭園には五彩の楼が建てられていた。
宴席には、すでに多くの華やかに着飾った貴族たちがいる。ちょこんと、冷月霏は指定の席に両親と座った。
初めての経験に心は、ひどく踊っていた。
やがて、皇族たちもやって来た。今上帝には多くの皇子がいるという。その中で紋章を持つ皇子は九人。その皇子らの衣装も、これまた上等なものであった。
しかし、そのうち二人の皇子がとくに華やかで上等な絹を用いた袍をまとっていることに冷月霏は気づいた。
第二皇子と第五皇子。
第二皇子は高貴妃の産んだ皇子。第五皇子、江君嵐は周皇后の産んだ皇子。
周皇后も高貴妃も、ともに霊鳥の紋章を身に宿す翎娘である。
この二人の産んだ皇子たちも紋章を持っており、どちらかが、皇太子になるだろうと囁かれている。
(皇族の方って麗しい方が多いのね)
皇子たちを見て、冷月霏はそんなことを思った。
しばらくすると、皇帝も宴の席にやって来た。
一斉に、皆が頭を垂れる。
やがて楽器が奏でられ、ひらひらした帔帛を宮妓は宙に舞わせて踊る。
どこか夢心地で冷月霏は、宴を過ごしていた。
皇子たちは見目麗しく、楽器の音色は心地良い。冷月霏は自分が、仙境にでも紛れ込んでしまったのではないかとすら思えてくる。
舞踊が終わると周皇后が色づく唇を開いた。
「乞巧奠では女子が月に針をかざして糸を通す伝統がございましょう。今宵は私が代表して、させていただきます」
周皇后が息子の江君嵐を伴って、中央へと歩み出る。そして月に針をかざして、ささっと糸を通した。
そして、二人の女官が周皇后の側近くまで寄った。一人は籠を持ち、もう一人は金銀の箱を持っていた。女官は籠を周皇后に手渡した。
周皇后が周囲をぐるりと見渡し、籠を掲げながら言った。
「さあ、この籠には蜘蛛の子がおりますわ。誰が箱に移したいという娘はいないかしら?」
乞巧奠には蜘蛛を箱に入れておき翌日、開けてみて巣が出来ていたら『巧を得る』という言い伝えがある。
娘たちが、ざわつくが申し出るものはいない。
貴族令嬢で、わざわざ蜘蛛の子などを自分で箱に入れたい娘などそうそういないのだろう。
「はい、やります!」
しかし冷月霏は手を上げて、申し出た。一気に視線が冷月霏に集まる。
「あらまぁ、月霏ったら」
「いいんじゃないか? 記念になるし」
両親は、どこかのんびりとした様子で口々にそう言った。
「そこのお嬢さん、こちらへいらっしゃい」
周皇后が微笑むと、冷月霏は中央へと歩み出た。そして、揖礼をする。
「冷月霏と申します、皇后娘娘、第五皇子殿下」
「月霏というのね、よろしく頼むわ。……あなたも私と同じ翎娘なのね」
冷月霏の額を見ながら周皇后が微笑む。その微笑んだ顔は、化粧で隠されているが少し顔色が悪いように見えた。顔色の悪い彼女の頬には霊鳥の紋章がある。
(今日は、とっても暑かったし……皇后娘娘もお疲れなのね)
「はい、皇后娘娘。こちらこそよろしくお願いします」
周皇后の隣にいる江君嵐と視線がぶつかった。彼の首筋にも霊鳥の紋章があった。
(わあ、やっぱり綺麗な顔立ちだわ)
そんなことを思いつつ彼に微笑みかける。江君嵐も笑みを返してくれた。
「よろしく頼むね、月霏さん」
江君嵐が言う。
「はい、殿下!」
冷月霏は、江君嵐に好感を持った。きっと、この宴が終わったらもう二度と会うことはないだろうけれども。
「籠の蓋を開けてもいいですか?」
周皇后に訊けば、彼女はうなずく。金銀の箱を持つ女官も箱の蓋を開けた。冷月霏が籠の蓋を開ければ、蜘蛛の子がいた。それをなんなく掴むと、金銀の箱に移した。女官は素早く蓋を閉めた。
「すごいよ」
そう小さな声でささやいたのは江君嵐であった。ハッとして彼を見る。
「いえ、別にすごくはないかと」
「毎年やる儀式だけど、なかなかすんなりやる子が決まらないんだよ。蜘蛛が嫌な子が多くてね」
(うーん? もしかしたら普通の令嬢は虫を捕まえて遊んだりしないものなのかしら? よくわからないけれど……)
冷月霏は疑問に思う。
「いつも虫取りとかしてますから」
「いいなぁ」
ぽそりとつぶやいた江君嵐に皇宮の暮らしは、窮屈そうだなと冷月霏は思った。
次に、女官がいつの間にか持ってきていた乞巧奠にちなんだ細工物を冷月霏は渡された。それを五彩の乞巧楼に供えるように指示される。
江君嵐と、伴に乞巧楼に向かう。乞巧楼とは要するに背の低い櫓だ。江君嵐が先に乞巧楼へ軽々と上がった。彼は手を貸してくれようとしてくれたが、それより先にさっさっと冷月霏は登ってしまった。
(ああ、もったいないことしたかしら? 手を貸してもらえばよかったわね)
乞巧楼に二人が上がれば、すでに供えものがあった。ちょっとした料理や針、果物、硯、筆などが置かれていた。
江君嵐は、すらすらと乞巧奠にちなんだ詩を唱えた。男子は乞巧奠に詩を作り捧げる風習があるのだ。冷月霏は、そっと細工物を置く。
そして、二人は礼拝した。それが終わると先に江君嵐が乞巧楼から降りた。今度こそ、江君嵐の手を貸してもらって冷月霏は降りたのだった。
(とってもいい思い出になったわ……!)
江君嵐に「ありがとうございます!」と笑って頭を下げる。そして、周囲に一礼してから自席へと戻った。
両親は、
「いい経験になったわね!」
「よかったな」
と笑顔で迎えてくれた。
そして夢のような時間は、あっという間に過ぎ去り、冷月霏は皇宮を後にしたのだった。
庭園から去る際に嵐君嵐が手を振ってくれた。冷月霏も、ぶんぶんと手を振り返したのだった。
それが冷月霏と江君嵐が初めて会った時のことだ。
都で仕事が貰えるということで引っ越したのだ。
ずらりと食べ物屋が並ぶ大通り。華やかな人々。夜でも灯りが灯り輝く街。船が行き来する水路。わくわくしたものだ。両親といろんな都の場所を巡った。
そして、父は役人に就任出来てそれなりに金が入ったからと可愛らしい絹の襦裙を買ってくれた。どうやら、就任祝いとして貰った金も襦裙代金に充ててくれたらしい。
もったいなくて、ある時まで着れなかった。
貴族というのは地方にも中央にもいるが、中央に住まう貴族はたとえ権勢を誇らない小さな貴族であっても貴族であるというだけで皇宮の宴への招待状が届く。
とはいえ、強制ではない。貴族といえど貧乏貴族もそれなりにいるのだ。皇宮に行くには金がそれなりにかかる。お粗末な出で立ちで、皇宮に足を踏み入れるわけにはいかないのだ。
そういった事情を皇族も、わかっている。断ったところで罰則もない。
丁度、都に越してきた時は夏で乞巧奠の宴の時期が近かった。
冷家にも皇宮から招待状が届いた。
「わぁ! 皇宮からの招待状だわ! 皇宮はどんなところなのかしら? 行ってみたい!」
輝く瞳で冷月霏は無邪気に言った。母が困ったように眉を下げる。
「でもねえ……お金が……ゆくゆくは皇太子妃選抜もあるでしょうし。その時にまたお金がかかるわ」
だが、父は微笑む。
「そうだなぁ……。確かに金はかかる。でも月霏が行ってみたいというなら記念に行ってみるか。たまにはこういうこともいいじゃないか」
父はあっさりと承諾してくれたのだ。
そうして、父が都で買ってくれた襦裙に初めて袖を通して、皇宮へと足を踏み入れた。
立派な朱塗りの門、数え切れないほどの殿舎。
宮女、女官、宦官たちが忙しなく働いている。
(すごいわ……これが皇宮!)
キョロキョロと辺りを見渡しつつ、父母に着いて、乞巧奠の宴が行われるという庭園に向かう。
月が空に輝く。月明かりに照らされた庭園には五彩の楼が建てられていた。
宴席には、すでに多くの華やかに着飾った貴族たちがいる。ちょこんと、冷月霏は指定の席に両親と座った。
初めての経験に心は、ひどく踊っていた。
やがて、皇族たちもやって来た。今上帝には多くの皇子がいるという。その中で紋章を持つ皇子は九人。その皇子らの衣装も、これまた上等なものであった。
しかし、そのうち二人の皇子がとくに華やかで上等な絹を用いた袍をまとっていることに冷月霏は気づいた。
第二皇子と第五皇子。
第二皇子は高貴妃の産んだ皇子。第五皇子、江君嵐は周皇后の産んだ皇子。
周皇后も高貴妃も、ともに霊鳥の紋章を身に宿す翎娘である。
この二人の産んだ皇子たちも紋章を持っており、どちらかが、皇太子になるだろうと囁かれている。
(皇族の方って麗しい方が多いのね)
皇子たちを見て、冷月霏はそんなことを思った。
しばらくすると、皇帝も宴の席にやって来た。
一斉に、皆が頭を垂れる。
やがて楽器が奏でられ、ひらひらした帔帛を宮妓は宙に舞わせて踊る。
どこか夢心地で冷月霏は、宴を過ごしていた。
皇子たちは見目麗しく、楽器の音色は心地良い。冷月霏は自分が、仙境にでも紛れ込んでしまったのではないかとすら思えてくる。
舞踊が終わると周皇后が色づく唇を開いた。
「乞巧奠では女子が月に針をかざして糸を通す伝統がございましょう。今宵は私が代表して、させていただきます」
周皇后が息子の江君嵐を伴って、中央へと歩み出る。そして月に針をかざして、ささっと糸を通した。
そして、二人の女官が周皇后の側近くまで寄った。一人は籠を持ち、もう一人は金銀の箱を持っていた。女官は籠を周皇后に手渡した。
周皇后が周囲をぐるりと見渡し、籠を掲げながら言った。
「さあ、この籠には蜘蛛の子がおりますわ。誰が箱に移したいという娘はいないかしら?」
乞巧奠には蜘蛛を箱に入れておき翌日、開けてみて巣が出来ていたら『巧を得る』という言い伝えがある。
娘たちが、ざわつくが申し出るものはいない。
貴族令嬢で、わざわざ蜘蛛の子などを自分で箱に入れたい娘などそうそういないのだろう。
「はい、やります!」
しかし冷月霏は手を上げて、申し出た。一気に視線が冷月霏に集まる。
「あらまぁ、月霏ったら」
「いいんじゃないか? 記念になるし」
両親は、どこかのんびりとした様子で口々にそう言った。
「そこのお嬢さん、こちらへいらっしゃい」
周皇后が微笑むと、冷月霏は中央へと歩み出た。そして、揖礼をする。
「冷月霏と申します、皇后娘娘、第五皇子殿下」
「月霏というのね、よろしく頼むわ。……あなたも私と同じ翎娘なのね」
冷月霏の額を見ながら周皇后が微笑む。その微笑んだ顔は、化粧で隠されているが少し顔色が悪いように見えた。顔色の悪い彼女の頬には霊鳥の紋章がある。
(今日は、とっても暑かったし……皇后娘娘もお疲れなのね)
「はい、皇后娘娘。こちらこそよろしくお願いします」
周皇后の隣にいる江君嵐と視線がぶつかった。彼の首筋にも霊鳥の紋章があった。
(わあ、やっぱり綺麗な顔立ちだわ)
そんなことを思いつつ彼に微笑みかける。江君嵐も笑みを返してくれた。
「よろしく頼むね、月霏さん」
江君嵐が言う。
「はい、殿下!」
冷月霏は、江君嵐に好感を持った。きっと、この宴が終わったらもう二度と会うことはないだろうけれども。
「籠の蓋を開けてもいいですか?」
周皇后に訊けば、彼女はうなずく。金銀の箱を持つ女官も箱の蓋を開けた。冷月霏が籠の蓋を開ければ、蜘蛛の子がいた。それをなんなく掴むと、金銀の箱に移した。女官は素早く蓋を閉めた。
「すごいよ」
そう小さな声でささやいたのは江君嵐であった。ハッとして彼を見る。
「いえ、別にすごくはないかと」
「毎年やる儀式だけど、なかなかすんなりやる子が決まらないんだよ。蜘蛛が嫌な子が多くてね」
(うーん? もしかしたら普通の令嬢は虫を捕まえて遊んだりしないものなのかしら? よくわからないけれど……)
冷月霏は疑問に思う。
「いつも虫取りとかしてますから」
「いいなぁ」
ぽそりとつぶやいた江君嵐に皇宮の暮らしは、窮屈そうだなと冷月霏は思った。
次に、女官がいつの間にか持ってきていた乞巧奠にちなんだ細工物を冷月霏は渡された。それを五彩の乞巧楼に供えるように指示される。
江君嵐と、伴に乞巧楼に向かう。乞巧楼とは要するに背の低い櫓だ。江君嵐が先に乞巧楼へ軽々と上がった。彼は手を貸してくれようとしてくれたが、それより先にさっさっと冷月霏は登ってしまった。
(ああ、もったいないことしたかしら? 手を貸してもらえばよかったわね)
乞巧楼に二人が上がれば、すでに供えものがあった。ちょっとした料理や針、果物、硯、筆などが置かれていた。
江君嵐は、すらすらと乞巧奠にちなんだ詩を唱えた。男子は乞巧奠に詩を作り捧げる風習があるのだ。冷月霏は、そっと細工物を置く。
そして、二人は礼拝した。それが終わると先に江君嵐が乞巧楼から降りた。今度こそ、江君嵐の手を貸してもらって冷月霏は降りたのだった。
(とってもいい思い出になったわ……!)
江君嵐に「ありがとうございます!」と笑って頭を下げる。そして、周囲に一礼してから自席へと戻った。
両親は、
「いい経験になったわね!」
「よかったな」
と笑顔で迎えてくれた。
そして夢のような時間は、あっという間に過ぎ去り、冷月霏は皇宮を後にしたのだった。
庭園から去る際に嵐君嵐が手を振ってくれた。冷月霏も、ぶんぶんと手を振り返したのだった。
それが冷月霏と江君嵐が初めて会った時のことだ。

