機械じかけの心臓

第一章:フルオーガニック


金色のジャンパーから腕を伸ばし、俺は滴り落ちる雨をその掌に受けた。
──灰色の空から振ってくるってのに、雨は透明なんだな。


「その腕、生身かい?」


しゃがれた声が傍らからかけられる。薄汚れた毛布が積んであると思っていたそれは、腰の曲がった老婆だった。


「ここらじゃ珍しいねぇ……どうだい片腕2万で。仲介料はいらないよ、工場(こうば)はすぐその裏だ」
「……申し訳ないが、俺はこの両腕を気に入ってる。売るつもりはない」
「おや、声帯も生かえ。もしや全身……? フルオーガニックかえ?」
「そうだと言ったら?」
「一儲けできるってのにさ。勿体ないよ……」

俺は物欲しそうな目をした老婆から離れて、向かいの店の軒先に移った。
ここには三種類の人間がいる。俺のような生身の人間、身体のどこかを機械にした人間、からだ全てが機械にした……人間じゃなくロボットか。このスラムじゃどうでもいいことだけどな。
雨の向こうにチカリと遠くの白い光が見えて、俺はそちらを見上げる。
スラムを見下ろすように立っている、A等級人間の城。
その裾野にはスラムが広がっている。ここには法律も規則も何もない、ただ飯を喰って眠るだけの野獣にも似た人間しかいない。
それでも中には城に入ってみようとあがく奴もいる。城に入れさえすれば等級が上がったとみなされ、城での生活を許されるとかなんとかという噂。


「城に入るの挑戦した奴いたっけ」


俺は泥水よりはマシ程度の薄いレモネードを飲みながら、隣に座った見知らぬ男に声を掛ける。


「三年ほど前に登ったって奴が居たそうだが、帰ってきた噂も気かねぇから殺されでもしたんだろ」
「……まあ、そうだろうな」
「なに、城目指してんの?」
「そういう訳でもねぇけど、泥水すするのも飽きたしな」


話していた男がふらりと去っていく。


「ここがD階層なんだから、AとBとCの階層があるってことだ。食べかすのような生ゴミも、城のダストシュートから出てくる。上層階にはかなりの数の人間がいる」


そんなことを考えても意味がないことも分かっている。
ただ産まれてから手首に彫られた、バーコードと八文字の英数字。これで何かを管理しているはずだった。
スラム育ちはどこからか生まれ、誰かが育て、ゴミのようにいつか死んでいく。名前、常識、親や兄弟という概念もない。
俺は城に登りたいとは思わないが、ただスラムの人間の何を管理しているのだろうということだけは興味があった。文字やバーコードに規則性はない。赤ん坊と、朽ち掛けた老人が似た番号だったりする。なんのために。なんのための管理か。
スラムでは人が死のうが、生まれようが誰も気にしない。けれど、子供が生まれると黒服のスーツの男が現れ、子供にバーコードと英数字の印を与えて去っていく。
物心ついた頃からそれは日常的に行われていたことだから、誰も不思議にも思わない。「ああ、どっかでガキが捨てられたんだな」ぐらいだ。
片腕2万円。ろくな物もないこのスラムで、片腕失ってまで金なんかいらない。生身の人間だってことに、プライドなんてないけど、それなりに愛着はあるからさ。


エミリアに会ったのは俺が十二の時だ。奴と家は隣同士だったが、俺はそれまで奴の存在を知らなかった。
ある日奴が鰻の寝床のボロアパートから顔を出した。そしてやることもなくて玄関前に座り込んでいた俺の前を通りすぎた。それが数十回、視線を交わすこと十数回、初めて喋ったのは出会ってから3ヶ月も経った頃だった。


「あぁえ、あ?」


最初、奴が何を言っているのか俺にはわからなかった。その頃奴は奴で、口蓋を全摘、サイボーグ化したばっかりでうまく喋れなかったのだとは後で知ったことだ。
そう、エミリアはかわいい名前をしてるけど、全身サイボーグの男。
顔の大きさや基本骨格は少年期から青年期までさほど変わらないという言葉を信じた両親によって、その頃の奴は顔全体をサイボーグ手術されている真っ最中だった。


「あん?」


そんなことなど勿論知らない俺は、目の前の細っこい同い年くらいの少年が目の前にたったのをただ眺めていた。隣家の住人だからといって、気安く話をするほど平和な街じゃない。ましてや、明らかにサイボーグと分かる相手だ。差別はしないが区別はする。


「あぁえ、おいぇて」
「だから、なんだってんだよ」


少し苛ついて俺が返すと、奴は不器用に顔を歪めて(本人は笑顔のつもりだったらしいが)俺のすぐそばに同じようにしゃがんだ。体つきも年齢も俺と同じぐらいだろう。だが不器用に発せられる声に俺は少し嫌悪を含ませた表情でエミリアを見ていたかもしれない。


「あ、あ、え」


奴は指先を地面に当てると、ミミズがのたくったような字で湿った砂地に「エミリア」と綴った。そして己を指し「あぁえ」と繰り返すと、今度は俺を指差してきた。俺は漸く分かった。


「あ、あぁ……「なまえ」か?」
「ぅん。あぁえ、おいえて」

俺は「カイト」とエミリアの字の横に綴った。この辺では読み書きができる人間は少ないが、それでも皆自分の名前くらいは書けた。
それで毎日、エミリアは俺の横に並んで街をただ見つめるようになった。
エミリアの家はいつも赤ちゃんが泣いていて、兄弟が殴り合いの喧嘩をしていて、常に父親が罵声を、母親が金切り声をあげていた。
俺の家と対照的だった。
俺は十二の年にはもう一人だった。両親の顔は知らない。四つ上の兄がいた筈だが、俺が十を過ぎていくらも経たないうちに彼は消えた。俺を置き去りにしたのだ。
ぽつりぽつりと俺らは自分達の境遇を交互に話した。
エミリアは時々、長期にいなくなることがあった。一週間から長いと一ヶ月ほど。そしてその度に、奴は手足を、内蔵を、どんどんサイボーグ化していった。
──いや、されていった。
この街では人間の肉体がサイボーグのパーツよりも高額で売れる。エミリアの両親は子供を次々と産んでは、年頃になるとその体を売りさばいて生計を立てている様子だった。
そのおかげで、エミリアは成人を迎える十六の頃には脳みその一部と脳幹を残して全身サイボーグと化していた。
そして今。十八を前にして俺たちは今日も玄関前で話をしていた。


「エミリア、ちょっと昼飯買ってくる」
「そんな時間か」
「朝からなにも食ってない」
「やれやれ……面倒な身体だ」
「うるせぇ」
「正直に言ったまでだ」
「おまえだって身体のメンテナンスぐらいするだろう」
「毎日する必要はないが」


俺は別にサイボーグを毛嫌いはしてないし、エミリアも人間を嫌ってはいない。
でも人間、半人間、サイボーグの間には少し壁があるような雰囲気があった。単純に言えば『飢えるもの』『飢えないもの』。簡単過ぎる話だけど、生き死にに関することだ。底辺の最下層にいる人間にはそういう思想にもなる。飢えて死んでも構わないっていう全てに絶望した人間も少なくないが。
エミリアは出会った頃は可愛げもあったが、今では嫌み混じりの冗談も言うようになった。幼い頃は身体を両親に売られていることを知らず、それを理解した時には絶望すら感じたはずだ。仲良くしていた俺と半年ほど顔を合わせない時期があった。その時のことは話題にしなかった。エミリアがその事実を受け止めた時間なのだろうから。


昼飯を食い、エミリアとまた話をした。娯楽も何もないスラムだと、話をするぐらいしかない。
雨はそろそろ止みそうだった。メンテナンスをする金がないせいで、腕の関節が痛むのだとエミリアが忌々しげに呟いた。


「全身サイボーグでも痛みを感じるんだ?」
「さあ、感じてないないのかもしれない」
「どういうことだよ」
「足を失っても、足が痒い感覚に襲われるって話があるじゃないか。そういうことだ」
「便利だか、不便なんだか」
「概ね便利だ、全身生身よりは」


サイボーグだと食事を摂らなくていいし(オイル交換はあるが)、空腹感もない。怪我や故障? にも強く、眠らなくても構わない。人間らしさを保つために、朝に起き、夜に眠るという生活はエミリアもやっていると言っていた。空腹でなくても、人間の食事を摂ったりもする。栄養というものとは無関係で食べても排出するだけだが、これもまた人間であるための行為だ。
人間らしさってなんだと聞いたら、「自我の有無」だとエミリアは言った。
エミリアは最後に残った自分自身を忘れないために、夜に眠り、たまに俺と食事をした。

「……貸してやろうか、メンテの金」


何の気なしに俺は申し出た。今まで物の貸し借りはあってもお互い金を工面しあったことはない。エミリアは眉を微かに寄せて、怪訝な表情で俺を見た。


「どういうつもりだ。……そんなに稼ぎが良いのか最近は」
「まぁ、金持ちに数人当たってね。チップを多めに貰ったんだ、余裕がある」
「ふむ」


俺の仕事は……仕事と言えるかわからないが、私娼、街娼だ。夜の街には西地区に女たちが、東地区には男たちが集まるスポットがあった。俺は東地区でそこそこ売れてる売り専を──兄がいなくなった10の年から今日まで続けていた。幼い俺にはそれ以外に仕事などなかった。
エミリアはしばらく考え込んでいるようだった。
が、不意に顔をあげると緩く頭を振った。


「いや、やっぱりよしておこう。お前のそれは取っておけよ」
「……けど、腕が痛むんだろ?」
「自分で何とかするさ。雨が多くなってきたし、屋根を修理する客も最近増えた」


エミリアは所謂「何でも屋」で、主に街の修理屋を営んでいる。瓦礫を組んで作られた掘っ立て小屋の修繕に、古いビルのやれ水漏れだ、窓が外れただ、をその腕ひとつで器用に直してしまう。だがサイボーグの日当は少ない。いつでもどこでも、何時間でも働けるせいでその存在の価値などほとんどないに等しかった。


「メンテナンスぐらいしか金は必要ない。じきにその金も貯まる」


ああ、嘘だなと俺は思う。エミリアは決して表情豊かではないが、声音や視線でそれが分かる。無駄に長い時間を一緒に過ごしていた訳じゃない。そしてきっと俺の表情も見抜かれているのだろう。


「また東地区に行くのか」
「おまえと違って腹が減るから、面倒くさい身体だと思うよ。抱かれれば嫌悪感もする、性病も気になる、生身だからと弄ばれる」
「そんなふうに言うな」
「言いたくもなる。何年も続けてきた、なのに──」


エミリアの目蓋を伏せた表情を見て、俺は言葉を飲み込んだ。エミリアに八つ当たりしてもどうすることも出来ないからだ。生身は珍しがられはするが、その視線の先には性的な欲望しかなかった。少し金を持った男が俺を買う。
生身、半サイボーグは、挿入と排出。サイボーグは勃起する機能もないのに、俺を手で殴り機械の性器を挿入して、自分が生身の人間以上だと満足しているようだった。
挿入される指や性器には嫌悪しかない。
でも、身体を売るしか生きていく術はなかった。雨の日は特にそう感じる。雨の中で抱かれたくもない男を待っている生き方にはヘドが出る。


「俺もサイボーグになりてぇな」


男娼をやっていても、金持ちになれない。他の奴よりも少し収入があるだけだ。年をとれば身体を買う男もいなくなるだろう。


「駄目だ」


短く、けれどしっかりとした声音でエミリアは俺の言葉を遮った。エミリアがこんなふうに言うのは珍しい。俺は続ける言葉が見つからず、しばらくエミリアの顔を見つめていた。


「カイトは駄目だ。俺が駄目だと思う。初めて会った時から……いや、もう記憶が曖昧だが、全身生身だと聞いて、羨ましかった。だから駄目なんだ」


記憶が薄れている、と自分の言葉をエミリアはもう一度繰り返し、天井へと視線を向けて苦々しい表情を浮かべた。


「仕事行ってくるわ」


腐りそうな夕暮れの空から大粒の雨が堕ちてくる。俺はひらりと手を振ってエミリオに別れを告げた。