最強魔法師の壁内生活

 翌日の四月三日――フィローネはレイチェルに連れられてヴァストフェレッヒェンに赴いていた。

「ここに来たことはありますか?」

 レイチェルが隣を歩くフィローネに尋ねる。

「駅まではありますが、街に出たことはありません」
「そうでしたか」

 フィローネは初めて訪れた町の街並みに圧倒され、忙しなく頭を動かして周囲を観察している。田舎から都会に出てきた者のような様相だ。

「これからはこの町で暮らすことになるので、すぐに見慣れますよ」

 レイチェルがフィローネの様子に苦笑しながら告げる。

 初めて訪れた町はどこでも新鮮で目新しく映るものだ。
 そして時間が経てばじきに見慣れてしまう。

 ヴァストフェレッヒェンは様々な文化が入り乱れている町だ。
 それは建築物にも表れており、多種多様な建築様式の建築物が街並みを(いろど)っている。
 多様な建築様式が入り乱れているにも(かか)わらず、上手く融合して幻想的な街並みを演出させているのは見事と言う他ない。

 駅のある中心地から徒歩で移動し、高級住宅街へと向かっていく。

「場違い感が凄いです……」
「慣れますよ」
「慣れたら駄目な気がします……」

 フィローネが居心地悪そうに縮こまる。
 高級住宅街の雰囲気に圧倒され、自分には不釣り合いに感じてしまい居た堪れなくなっていた。

 高級住宅街は道幅が広く、各邸宅も大きくて敷地も広い。
 道幅が広いのは馬車がすれ違っても通れる幅を確保する為に、予め区画整理されているからだ。環境が整っているので自前の馬車を所有している家庭も多い。

 この高級住宅街の環境に慣れてしまうのは人として駄目になる気がしたフィローネは、初心を忘れないようにしよう、と心に誓った。
 自分の力で手にした環境ならともかく、あくまでも棚から牡丹餅にすぎないということを脳裏に刻みつける。

 高級住宅街に建ち並ぶ立派な邸宅を視界に収めながら目的地へ歩いていくと、一際広大な敷地を囲う塀が見えてきた。そのまま塀に沿って歩いていくと門扉が見えてくる。
 そして門扉の眼前まで到着すると、レイチェルが立ち止まった。

「ここです」

 門扉に向かい合うレイチェルの姿に、フィローネは口を開けて愕然としている。
 それも仕方がないだろう。
 彼女がいま目にしているのは、ヴァストフェレッヒェンで最も広大な敷地を有する邸宅だ。敷地だけではなく、建物自体も大きい。

 レイチェルはフィローネの様子に触れずにインターホンを押す。
 そして呼び出し音が鳴る。

『――はい』

 その場で待機していると、インターホンの受信親機から呼び出しに対する返事があった。

「お待たせ致しました。レイチェルです」
『待っていたよ。今、開けるね』

 受信機から聞こえてくる女性の言葉通りに門扉が開かれていく。
 完全に門扉が開かれると同時に、レイチェルが歩き出した。

「行きますよ」
「は、はい」

 呆気に取られていたフィローネは慌ててレイチェルの背を追い掛ける。
 レイチェルにとっては見慣れた前庭だが、フィローネは周囲へ忙しなく視線を彷徨わせてしまうほど縁のない光景だった。

 前庭を(いろど)る植栽が別の世界へ(いざな)われている錯覚を引き起こす。
 視線を上げた先には、現代的な豪邸が存在感を放っていた。

 邸宅の前に辿り着くと、レイチェルは再びインターホンを鳴す。

「――いらっしゃい」

 すぐに邸宅の扉が開かれて、家人の女性の出迎えを受ける。

「さあ、入って」
「失礼致します」

 家人に促されて敷居を跨ぐフィローネ。
 レイチェルはその後を追って恐縮しながら玄関を潜った。

 レイチェルは自分の斜め後ろにいるフィローネを促すように背中を優しく押す。
 背中を押されたフィローネはレイチェルより少しだけ前に出ると、緊張して重くなっている口を開いた。

「は、初めまして、フィローネ・イングルスと申します。本日よりお世話になります。よろしくお願い致します」
「うん。よろしくね」

 深々と頭を下げるフィローネに答えるように家人の女性も名乗る。

「私はアーデルトラウト・ヴェステンヴィルキスって言うんだけど、長いからアーデルでいいよ」
「アーデルトラウト……?」

 聞き覚えのある名前を耳にしたフィローネは首を傾げながら呟く。

「『麗人』様と同じ……?」
「それは私のことだね」

 フィローネの呟きをしっかりと聞いていたアーデルが首肯する。

「……」

 肯定したアーデルの言葉の意味をフィローネは理解できずに黙りこくる。
 暫しの間、思考が追い付かず沈黙が場を支配したが、やがて理解が追い付いたフィローネは驚愕してしまう。

「えぇええええええええええ!!」

 驚きで目を見開くフィローネの姿に、アーデルは苦笑してレイチェルに視線を向ける。

「伝えていなかったのかい?」
「はい。余計に緊張させてしまうのではないかと思いまして」
「それは確かにそうだね……」

 レイチェルの返答に納得して肩を竦めるアーデル。

「……あれ? でも『麗人』様のお名前はアーデルトラウト・ギルクリスト様だったような……?」

 自分が記憶している名前との相違点に気がついたフィローネは再び首を傾げる。

「ああ、それは私の旧姓なんだ」
「あ、なるほど」
「魔法師としては旧姓のまま登録しているんだよ」

 アーデルトラウト・ギルクリストと、アーデルトラウト・ヴェステンヴィルキスの違いは姓だ。
 ギルクリストはアーデルの旧姓なので、現在の姓はヴェステンヴィルキスになっている。

「市民には旧姓が浸透しているからね。途中で別の姓に変えると混乱させてしまう恐れがあるから、魔法師としは旧姓のままにしているんだ」
「アーデル様の場合は世の女性が発狂して暴動を起こしかねませんから」
「それはさすがに大袈裟だよ……」
「いえ、間違いないと思いますよ」
「……」

 レイチェルが揶揄(からか)い交じりに補足すると、アーデルは頭を掻くような仕草をして力なく否定する。
 しかし、レイチェルの力強い念押しに反論できず黙り込んでしまった。

 アーデルは褐色の肌をしており、銀色の髪をショートからミディアムの中間くらいの長さのスタイルにしている。特に長めの襟足と、吸い寄せられるような碧眼が特徴だ。

 女性としては高めの身長で、凹凸のはっきりとした身体つきをしている。
 胸元を開いている白のワイシャツに、黒のジャケットとスラックスを合わせていてとても凛々しい外見をしている。

 『麗人』という異名からもわかる通り、中世的な外見と、貴公子然とした紳士的な立ち居振る舞いから女性から絶大な人気を集めている。
 中世的だが、人妻特有の色気やお淑やかさもあり、更にファンの女性の心を掴んでいた。

「確かに想像できます……。『麗人』様は女性から絶大な人気がありますから」
「君までそれを言うかい……」

 フィローネもレイチェルの弁に同調するので、アーデルは溜息を吐いて肩を竦めるしかなかった。

 姓が変わるのは、結婚か養子に限られる。
 アーデルの年齢的に養子よりも結婚したと思われる確率の方が高いだろう。なので、女性から絶大な人気を誇るアーデルの場合は、ファンの女性たちが暴動を起こしかねなかった。

「も、申し訳ありません」

 自分の発言がアーデルの機嫌を損ねてしまったかと思ったフィローネは慌てて謝罪する。

「いや、気にしないで。これからは一緒に暮らすことになるんだから、もっと肩の力を抜かないと疲れちゃうよ」

 アーデルはフィローネの頭を上げさせて、緊張を解させる為に言葉を尽くす。

「それに、これくらいの冗談を言い合えるくらいの距離感の方が私は嬉しいからね」

 これから生活を共にするのなら、冗談を言い合える仲の方が気を遣わずに済んで暮しやすい。
 それがアーデルの本音であり、フィローネには自分の家だと思って生活してほしかった。

「ありがとうございます」
「これからよろしくね」
「こちらこそよろしくお願い致します」

 フィローネは再び深く頭を下げたが、今度は頭を上げさせるような無粋なことはしなかった。
 親しき仲にも礼儀あり、という言葉があるように今は礼を尽くす場面だからだ。――もっとも、彼女の場合は大袈裟に頭を下げすぎなので、相手によっては服従したと捉えられてしまいかねないが。

「――そういえば、アーデル様が『麗人』様ということは、私のお師匠様になられる『守護神(ガーディアン)』様は別の御方になりますよね……?」

 ふと思い出したように疑問が浮かんだフィローネは、アーデルとレイチェルへ交互に視線を向けた。

 フィローネは最初、自分たちを出迎えてくれたアーデルのことを『守護神(ガーディアン)』だと思った。
 しかし、アーデルが『麗人』である以上、『守護神(ガーディアン)』は別人ということになる。
 彼女はその事実に気がついたのだ。

「うん。そうだね」

 アーデルは頷くと――

「『守護神(ガーディアン)』は私の夫だよ」

 再び爆弾を投下した。

「――え」

 案の定、フィローネが瞠目してしまう。

「『守護神(ガーディアン)』様と『麗人』様がご夫婦でいらしたなんて……!!」

 フィローネは口に手を当てて驚いているが、はしたなくならないように気をつけられる程度の余裕はあった。

「まあ、一部の人しか知らないことだからね」

 アーデルの言うように、二人の関係は(おおやけ)にされていない。知っているのは限られた者だけだ。

「凄い組み合わせですよね」
「ですね。本当に」
「特級魔法師第一席と第三席の二人なので最強夫婦ですよ」

 レイチェルの言葉にフィローネは何度も頷いて同意する。

 特級魔法師第一席で『守護神(ガーディアン)』の異名を持つジルヴェスター・ヴェステンヴィルキス。

 特級魔法師第三席で『麗人』の異名を持つアーデルトラウト・ヴェステンヴィルキス。旧姓――アーデルトラウト・ギルクリスト。

 特級魔法師第一席のジルヴェスターと、第三席のアーデルは正しく最強の夫婦であった。
 この二人ほど強い夫婦は存在しないであろう。

 さすがにアーデルもその自覚はあったので否定できなかった。

「一先ず、ずっとここで話しているのもなんだし、リビングに移動しようか」

 いつまでも玄関で話しているわけにはいかないと思ったアーデルは、二人をリビングに誘導する。

 アーデルの案内のもと、廊下を進んでいく。
 随所に絵画やオブジェ、植木などが置かれており、空間を(いろど)っている。
 そして、廊下を抜けた先に一際広いスペースが姿を現した。

「好きな場所に座って」

 リビングに辿り着くと、そこには複数のソファと椅子、テーブルか置かれていた。
 植木などの緑色の物もあって目に優しく、快適に過ごせる空間になっている。

「失礼します」

 フィローネは恐る恐るコーナーソファの端に腰を下ろす。

「では、私は飲み物を用意しますね」
「助かるよ」

 レイチェルには勝手知ったる場なので、率先して雑用を買って出る。
 慣れた足取りでキッチンへと向かった。

「私は主人を呼んでくるから少し待っていて」
「わかりました」

 アーデルは研究室に籠っているジルヴェスターを呼びに行く。
 研究室は地下にある調整室の隣にある。研究室と調整室は室内にある扉で繋がっているので、室内からでも廊下からでも行き来が可能だ。

 念話(テレパシー)で呼べば手っ取り早いが、それは虚しいだろう。
 せっかく同じ屋根の下で暮らしている夫婦なのだから、面倒臭がらずに直接言葉を交わす方が素敵な関係だ。

 それに何か大事な研究をしていたら、突然の念話(テレパシー)に驚いて失敗してしまうかもしれない。事故に繋がったら目も当てられないので、安全性を考慮したら念話(テレパシー)は控えた方がいいだろう。

 フィローネはソファに座っているが落ち着けずにいる。
 如何(いか)にも高級そうなソファや調度品、広いリビングに緊張で一杯だった。

 実際は全ての物が高級品というわけではなく、一部の物だけが高級品なのだが、フィローネには判別する余裕も審美眼も持ち合わせていなかった。

 その後は数分緊張したまま大人しく待機していると、ティーセットを載せたトレイを持ったレイチェルが戻ってきた。

「お待たせしました」

 テーブルにトレイを置くと、空のカップを手に取ってフィローネの前に置く。
 そのまま流れるような動作でティーポットを手に取り、カップに紅茶を注ぐ。

 レイチェルの姿は流麗で、同性でも見惚れてしまうほどの手捌きであった。

「ありがとうございます」

 フィローネは自分の前に置かれたカップを手に取って一口啜る。

「美味しい」
「それは良かったです」

 ほっと息を吐くフィローネの姿に、レイチェルは微笑みを浮かべる。

「お待たせ」

 ちょうどいいタイミングでアーデルがジルヴェスターを伴って戻ってきた。
 彼の服装は黒のスラックスに長袖のティーシャツを着ており、ラフでありながらも、客人を迎えるのに失礼にならない身形をしている。

 ジルヴェスターはフィローネの対面にある一人掛けのソファに腰掛ける。
 そしてアーデルはコーナーソファの端に座った。フィローネとは反対側の端で、ジルヴェスターとは斜めで隣り合う形だ。

 二人が来たので、レイチェルはトレイに載せてあるカップにそれぞれ紅茶を注いでいく。もちろん自分の分も含めてだ。

 ジルヴェスターの登場にフィローネは一層緊張して表情が強張り、肩にも力が入った。

 レイチェルは紅茶の用意を全て終えると、フィローネとアーデルの間の空いているスペースに腰掛ける。大きいソファなのでまだまだスペースには余裕があり、全く窮屈ではない。
 そしてレイチェルが音頭を取って話を進める。

「こちらが特級魔法師第一席――『守護神(ガーディアン)』のジルヴェスター・ヴェステンヴィルキスです」
「初めまして。フィローネ・イングルスと申します」

 ジルヴェスターはフィローネに目を向ける。

 輝くように鮮やかで綺麗な金髪をワンレンロングにし、赤い瞳が神秘的な印象を与えている。
 凹凸のはっきりとした身体つきで、膝丈のワンピースが清楚さと色気を上手く融合させて彼女の魅力を引き立てていた。

「レアルから話を伺いました。色々と災難でしたね」

 災難という言葉だけで簡単に片付けて良い境遇ではないが、気休めくらいにはなるであろう。

「一先ずは安心してください。あなたのことは俺が守りますので」

 特級魔法師第一席に守ると言われることほど安心感を与えるものはない。

「御母堂とレアルのことも最善を尽くします」
「ありがとうございます」

 二年間という短いようで長い期間に、父が亡くなり、母が望まぬ相手の妾になり、その相手の家に家族揃って暮らさなくてはならなくなり、自分の貞操を捧げる覚悟をし、身を守る為に家族と離れて暮らすことになり、弟が都合のいい駒にされた。

 怒涛な日々を過ごし、気が休まる時がなかった。
 その二年間の記憶が走馬灯のように脳内で再生されていき、今まで気を張って堪えていた涙腺が安心したことにより緩んでしまう。

 心に余裕が生まれたからか、ずっと気掛かりだったことが自然と口から漏れる。

「あの……本当に私なんかを部下にして頂いても構わないのでしょうか?」
「私なんか、と自分を卑下することはありませんよ」

 自分では『守護神(ガーディアン)』の部下に相応しくないのではないかとずっと不安に思っていた。
 しかし、ジルヴェスターの言うように自分を卑下する必要など全くない。

「レイに人員を増やしてくれと頼まれていたのもありますし、レアルの姉君だからという理由があるのも事実ですが、大丈夫です。心配することはありません」

 レイチェルに人員を増員するように頼まれていたことと、レアルを助ける為、二つの事情がタイミング良く重なったというのは偽らざる事実だが、フィローネ自身に見込みがないわけではない。

「レアルの姉であるあなたには確かな才能があります」
「そうでしょうか?」
「ええ」

 ジルヴェスターの見立てでは、レアルは特級魔法師になれる才能があると踏んでいる。
 保有魔力量は申し分ない。だが、技量の拙さや経験の浅さ、術式の理解度などまだまだ未熟な部分が多々ある。

 そして彼の最大の弱点は甘さだろう。彼はとにかく優しい性格だ。優しいのは美徳だが、時には割り切らないといけない場面がある。
 メンタル面の成長が彼にとっては最大の課題であった。

 魔法師の才能は遺伝的な要素が大きい。
 両親が優れた魔法師だと、相応の才能を受け継いだ子が生まれやすい傾向にある。
 無論絶対ではないが、可能性は上がるのだ。

 つまり、レアルが才能豊かということは、彼の両親もそれだけ優れた魔法師である可能性が高いというわけだ。

 レアルの話では、彼の父は上級魔法師だったらしい。そして母は中級一等魔法師だそうだ。
 母は結婚してからほとんど魔法師としての活動はしていないそうなので、階級を上げる機会がなかっただけで、実際はもっと上位の階級になれる素質があったのかもしれない。
 要するに、フィローネは両親の才能を受け継いでいる可能性が高いのだ。

 実際にジルヴェスターが魔眼で()()ところ、フィローネには上級魔法師になれるだけの魔力量があった。
 なので、後は技術を磨き、術式の理解を深め、経験を積み、メンタルを鍛えれば魔法師としても特級魔法師の部下としての実力も伴ってくるだろう。

「焦る必要はありません。一歩一歩着実に鍛錬を積めば、レイと肩を並べられるようになりますよ」

 ジルヴェスターは一度レイチェルに視線を向けてからそう告げる。

「少しでも見込んで頂けているのなら、足を引っ張らないように粉骨砕身精進していきたいと思います」

 多少なりとも自分のことを買ってくれているのだとわかったフィローネは意志を固めた。
 特級魔法師に見込まれているという事実は魔法師にとって確かな自信になる。

「その意気です」

 ジルヴェスターはフィローネの瞳を見つめながら頷く。

 話が一段落したところでフィローネはカップを手に取って一口啜る。

「これからは自分の家だと思って遠慮せずに過ごしていいからね」

 趨勢(すうせい)を見守っていたアーデルがフィローネに優しく語り掛ける。

「はい。お気遣いありがとうございます」

 緊張で表情が強張っていたが、微笑みを浮かべられるくらいには余裕が生まれていた。

「では改めて、これからは上司、そして師匠として接しますので、以後はフィローネとお呼びします」
「はい。よろしくお願い致します」

 ジルヴェスターは先程までフィローネとは年上の相手として接していた。だが、これからは上司、そして師匠として接することになる。なので、今後は敬語を使わない。 

 名前呼びなのはレアルとフィローネの判別をしやすいからだ。
 二人が共にいる時にイングルスと呼んだらどちらのことを指しているのかわからなくなる。

「すみません……失礼ですが、一つ質問してもよろしいでしょうか?」

 フィローネはジルヴェスターの姿を見てからずっと疑問だったことを尋ねようと思った。これも心に余裕が生まれたからこそできたことだ。

 ジルヴェスターは頷いて質問することを了承し、続きを促す。

「お師匠様はお若く見えるのですが、お年はいくつになられるのでしょうか? 確か奥様が二十代後半だったと記憶しているのですが……」

 フィローネは現在二十歳である自分よりもジルヴェスターのことが若く見えていた。

 確かに若く見えただろうが、ジルヴェスターは同年代の者と比べるとだいぶ大人びて見える。
 実際、彼は顔つきも立ち振る舞いも実年齢より上に見られることが多い。

 しかし、フィローネは自分が想定していたよりもジルヴェスターが若かったので驚いていた。
 特級魔法師第一席ともなると、もっと年齢的に上の人物を想像しても仕方がないかもしれない。

 特級魔法師の年齢は秘匿していない限りは(おおやけ)にされている。
 アーデルは秘匿していないので、フィローネが年齢を知っていてもなんら不思議ではない。

「伝えていなかったのか?」
「ええ」

 ジルヴェスターの問いにレイチェルが首肯する。

「俺はレアルの同級生だ」
「え」
「クラスは別だが」

 弟の同級生ということは年も同じだよね? とフィローネは脳内で情報を整理する。

「なるほど。弟とご友人だったので助けて頂けたのですね」
「それもある」

 赤の他人を助ける為に面倒事に首を突っ込むのは避けたがる者が多い。
 フィローネは弟と友人だったからこそ、自分たちは助けてもらえているのだと腑に落ちた。

「はは、恥ずかしながらジルは私より一回りも若いんだ……」

 居た堪れなさそうに苦笑しながら頭を掻くアーデル。

「そ、そんなことありませんよ! 夫婦に年齢は関係ありませんから!!」

 フィローネは咄嗟に立ち上がり慌ててフォローする。

 ジルヴェスターは現在十六歳で、アーデルは二十七歳だ。
 アーデルは今年誕生日を迎えたら二十八歳になるので、二人の年はちょうど一回り離れていることになる。

 女性としては自分より一回り年下の夫を持つのは、恥ずかしい部分があるかもしれない。
 若い男に手を出して、と(そし)られてしまう恐れもある。

 だが、特級魔法師第一席のジルヴェスターと、第三席のアーデルのカップリングは、国としては諸手を挙げて祝福することであった。
 国で最強の男と最強の女の組み合わせだ。二人の間にできる子供は魔法師として優れた素質を持って生まれてくる可能性が高いので将来が明るい。
 国としてはどんどん子供を作ってくれ、というのが偽らざる本音であった。

「ありがとう」

 アーデルは必死にフォローするフィローネの姿が可笑しくてつい笑ってしまう。
 場が(なご)んだことで冷静になったフィローネははしたないと思い恥ずかしくなり、赤面して縮こまりながらソファに腰を下ろす。赤くなった耳が髪の隙間から見えている。

「一先ずこれからの話をしよう」

 フィローネの気を逸らさせる意味合いを込めてジルヴェスターが口を開いた。

「申し訳ないが、例の件が落ち着くまでは可能な限りこの家から出ないようにしてほしい」

 例の件とはビリー絡みのことだ。
 確実に安全を確保できるまで外出は控えた方がいい。
 万が一、現在行っている工作がビリーに露見した場合は、フィローネの身に危険が及ぶ恐れがある。
 また、仮に上手く行ったとしても、辛抱できずに気が逸ったビリーに迫られる可能性もあるだろう。

 なので、フィローネの身を守る為にはジルヴェスターの邸宅に籠ってもらうのが最も効率がいい。
 ジルヴェスターはイングルス一家を救う為に奔走するので外出する機会が多いが、彼が留守でも家にはアーデルがいる。
 アーデルがフィローネのことを守ってくれる。むしろ同性な分、ジルヴェスターよりも護衛に適しているだろう。

「もし外出する際は、アーデルかレイのどちらかと行動を共にするように」

 護衛が同性だと、お手洗いや下着屋などにも同行できる。
 現在の状況下でわざわざ下着屋に赴くことはないであろうが、食材や日用品など生活に欠かせない物は買い出ししなくてはならない。
 フィローネ一人を家に置いて買い物に行くわけにはいかないので、アーデルに同伴する必要があった。

 レイチェルはジルヴェスターの命で動くことが多いので、あまり同伴はできないかもしれないが、タイミングが合う時は行動を共にするつもりだ。

「しばらくは辛抱してもらうことになるが、(こら)えてくれ」

 外出できないことがストレスになる者もいれば、外出することがストレスになる者もいる。
 まだ付き合いが浅いのでフィローネがどちらのタイプかはわからないが、事前に我慢を強いることになるのは伝えておくべきだ。

「心得ております」

 フィローネは助けてもらっている立場であることを理解しているので、我が儘を言う気は微塵もなかった。

「ことが片付いたら本格的に活動してもらう。心構えはしておいてくれ」
「わかりました」

 ビリーの件が片付いたら部下として、弟子としての活動が本格的に始動する。
 今はその為の準備期間だと思っておけばいい。そもそも部下になるのも弟子になるのも突然のことだったのだ。むしろ時間的猶予ができてちょうどいいだろう。

「俺の命がない時は友人と行動しても構わない。ヘレナさんと言ったか?」

 特級魔法師の部下は常に上司の命令で動いているわけではない。
 命がない時は個人として活動しても問題はなく、基本的に自由だ。但し、招集された際は迅速に参上しなくてはならない。

 フィローネの場合は友人のヘレナとコンビで活動していたので、普段は今まで通り二人で活動しても問題はなかった。

「助かります」

 フィローネはヘレナに恩がある。今まで何度も助けてもらった。
 なので、微々たるものでも彼女の力になりたいと常々思っている。
 今後も二人で活動できるのは願ったり叶ったりであった。

「今日のところは以上だな」

 いま話しておくべきことは全て伝え終えた。

「後は部屋だな。アーデルに案内させるから自由に使ってくれ」

 残りはフィローネが使う部屋を案内するだけだ。
 内弟子になる以上は、当然同居することになる。

「必要な物があればアーデルに言ってくれ、用意させる」
「手厚いご配慮ありがとうございます」

 案内させるのも物を用立てるのも異性であるジルヴェスターより、同性のアーデルの方が何かと都合がいいだろう。異性だと言いにくいこともある。
 その辺りのことは配慮して然るべきだ。

「それじゃ、ついて来て」
「はい」

 立ち上がったアーデルはフィローネに声を掛けてから先導する。
 そしてフィローネはアーデルの後を追い掛けて行った。

 フィローネは異空間収納(アイテム・ボックス)に荷物を収納してあるので、引っ越しは手ぶらで行える。――元々ヘレナの家に居候している身分だったので荷物自体少なかったが。

「賑やかになるわね」

 レイチェルは小さくなる二人の後ろ姿を一瞥(いちべつ)するとそう呟き、カップを手に取って少し温くなった紅茶を啜る。

「退屈しなさそうだ」

 今後師匠としてフィローネを指導することになったジルヴェスターは、忙しくなるな、と肩を竦めた。