最強魔法師の壁内生活

 三月二十四日――この日は春季休暇前最後の登校日だ。
 ジルヴェスターはたまたま早く目が覚めたので、いつもより早い時間に登校していた。朝のホームルームまで一時間ほどの猶予がある。

 ホームルームは重要な事柄の話がある日や、大したことのない内容の日もある。
 ホームルームの主な目的は担任が生徒の顔を確認することだ。寮生活をしている生徒が多い環境なので親代わりではないが、教育者として親元を離れて暮らしている生徒の様子を直接確認することにあった。

 広大な敷地を有するランチェスター学園には各所にベンチが設置されている。
 時間に余裕のあるジルヴェスターはベンチに腰掛けて、読書でもしてのんびり時間を潰そうかと考えていた。

 人気(ひとけ)のない場所を求めて散策しており、現在はランチェスター学園の敷地の中でも外れの方にある場所にいた。
 その場所は広場になっており、所々にベンチが置かれている。生徒が息抜きするのにはもってこいの場所だ。
 寮暮ししている生徒にはちょっとした公園の様な役割を果たしており、昼休憩の時間にはこの広場で昼食を摂る者もいる。もちろん、休日にも利用可能だ。

 ジルヴェスターは広場から逸れるように歩を進め、木々に囲まれている緑豊かで人気(ひとけ)のない場所へと向かっていた。
 この場所は普段からあまり人が訪れないスポットであり、のんびりと過ごすのにはうってつけの場所である。

 しかし、この時のジルヴェスターは完全に油断していた。
 普段の彼なら人の気配は敏感に察知できる。如何(いか)に優れた魔法師で実戦経験豊富だとはいえ、彼もただの人だ。気を休ませる時や気が抜けている時もある。
 故に、突如聞こえてきた言葉に足を止めてしまった。

「――好きです! 俺と付き合ってください!!」

 ジルヴェスターの視線には、一人の男子生徒が対面する女生徒に告白している場面が移っていた。

「ありがとう。君の気持ちは素直に嬉しい」
「じゃ、じゃあ――」

 ジルヴェスターからは男子生徒の背中しか見えないので顔は窺えない。
 だが、女生徒とは対面する位置取りであった為、しっかりと顔を確認できた。

 顔は確認できないが、男子生徒が緊張しているのは雰囲気から犇々(ひしひし)と伝わってくる。
 女生徒の返答に喜色をあらわにしているのだろうということは察することができた。

「でもごめんなさい」
「え」

 女生徒は精一杯の誠意を籠めて断りを入れる。
 脈ありだと思っていた男子生徒は呆然として言葉にならない声を漏らす。緊張した表情から喜色に変わり、更に呆然とした表情に忙しく変わっていく一幕であった。

「な、なんでか理由を訊いてもいいかな? もしかして好きな人がいるからとか?」
「それは――」

 振られた男子生徒が気力を振り絞って断られた理由を尋ねる。
 女生徒の顔を見ることすらできないのか、目線が下がっている。

(タイミングが悪かったか……退散しよう)

 偶然とはいえ、プライベートな場面に出くわしてしまったジルヴェスターは邪魔にならないように静かに退散しようとした。
 ――しかしその時、女生徒と目が合ったしまった。
 何を思ったのか、女生徒は男子生徒に気づかれないようにジルヴェスターにウインクを飛ばす。
 ウインクを飛ばされたジルヴェスターは自分の直感が警鐘を鳴らしていた。厄介なことになると嫌な予感が押し寄せてくる。

「あ、ちょうどいいところに」

 女生徒はごく自然にそう呟くと、ジルヴェスターのもとへ駆け寄っていく。
 対面する女生徒の突然の行動に、男子生徒は呆気に取られながらも視線で追い掛ける。

(……これは逃げられんな)

 諦めの境地に達したジルヴェスターは、この後の展開を想像して内心で盛大に溜息を吐く。

(この際だ。厄介ごとに付き合ってやろう)

 逃げられないのならば、いっそのこと人助けだと思って割り切ることにした。

 駆け寄ってきた女生徒はジルヴェスターの左腕に手を伸ばすと、自身の両腕を絡めて豊満な胸で挟むように押し付けてしがみつく。胸の形が変形するほど押し付けられている左腕には、はっきりと感触が伝わっていた。

「こういうことだから。ごめんね」
「――っ! お幸せに~!!」

 想い人が別の男にしがみついているところを見せつけられた男子生徒は全てを悟り、逃げるように駆け出した。逃げ出してしまったが、想い人の幸せを願うだけ立派なのかもしれない。

 男子生徒の姿が見えなくなると、女生徒が口を開く。

「いや~、ごめんね。巻き込んで」
「事故だと思うことにするから気にするな」
「ふふ。ありがとう」

 女生徒はジルヴェスターのことを自分の恋人だと偽ることで男子生徒を振ったので、利用したことを素直に詫びる。

「――それにしてもいいのか? さすがに酷なやり方だったと思うが……」

 確かに女生徒のやり方は褒められたものではない。男子生徒の気持ちを踏み躙るようなやり口だと言われても仕方がなかった。

「彼には以前から視線を向けられてはいたけど、わたしの胸とお尻しか見てないんだよ? 下心丸出しで完全に身体目当てじゃん」
「……俺は彼のことは知らんからなんとも言えんが、お前がそんな格好しているのも悪いと思うぞ」

 男子生徒は女生徒の胸と尻ばかり見ていたそうだが、思春期の男子なのである程度は仕方がないのかもしれない。とはいえ、女生徒からしたらいい気はしないだろうし、御免被りたいことだろう。

「それは耳が痛い……。でもこれはわたしのポリシーだから!!」
「何がポリシーなんだ……」

 自分にも非があると認めながらも改める気はないようだ。むしろ開き直っている。
 そんな彼女の様子に、ジルヴェスターは肩を竦めて溜息を吐くしかなかった。

「それに彼は別のクラスだから気まずくもならないし大丈夫!」
「……そうか」

 女生徒が呆気らかんと言い放つので、ジルヴェスターはそう呟くことしかできなかった。

「噂になっても知らんぞ」
「あ~、それはまあ、余計な虫が寄って来なくなると思えば好都合かな。ジルくんは迷惑かもしれないけど」
「このくらいなら別に構わんが」
「なら良かった」
「役得だと思っておく」
「ふふ」

 振った男子生徒が余計なことを言い触らす可能性がある。その場合は学園中にジルヴェスターと女生徒が交際していると事実無根な噂が広がってしまうだろう。全ては男子生徒のモラル次第だが、可能性がある以上は気に掛けておく必要があった。

 女生徒としてはむしろ都合が良かったので問題はなかったが、ジルヴェスターを巻き込んでしまったことには少なからず申し訳なさがあった。

 ところが、当のジルヴェスターは全く気にしていなかった。
 彼のことなので些事とでも思っているに違いない。噂など言いたい奴には言わせておけ、くらいにしか思っていないのだろう。

「それよりもいい加減腕を放し――」
「レベッカ~、もう終わった~?」

 いつまでも腕を絡ませ続けている女生徒に放すように促そうとした時、近くから別の女性の声が聞こえてきた。

 先程告白され、現在ジルヴェスターの左腕を独占しているのはレベッカであった。
 ジルヴェスターが指摘した通り、彼女なら格好に苦言を呈されても仕方がないだろう。

 レベッカは下着が見えるのでないかと思うほど胸元を開いて見せつけている。同じくスカートも下着が見えるのではないかと思うほど短い。(いや)らしい視線を向けられても自業自得である。

「――あ、ビアンカ」

 レベッカは聞き慣れた幼馴染の声を瞬時に把握した。

「あれ~? あれれ~?」

 姿を現したビアンカは目にした光景に一瞬目を瞬かせたが、すぐに面白いものを見たとでもいうような表情を浮かべる。

「モブ男くんに呼び出されて出向いたかと思えば……いつの間に二人はそんな関係に?」
「モブ男くんって……」

 ビアンカの言い様にさすがのレベッカも同情する。

「ジルくんとタイミング良く遭遇したから利用させてもらっちゃった」
「なるほど~」

 レベッカの言葉足らずな説明をビアンカは正確に読み取り状況を把握した。

「ジルくん、レベッカが迷惑掛けたようで悪かったねぇ~」
「いえ、先輩が謝罪することではないのでお気になさらず」
「ふふ。ありがとう~」

 ジルヴェスターがそう答えると、ビアンカは微笑んだ。

「なんならこのままレベッカのこと貰ってくれてもいいんだよぉ~?」
「確かにジルくんは将来有望で見た目がいいし、性格も悪くない。ありよりのありじゃん! どうする? 貰っちゃう?」

 ビアンカの提案にレベッカもノリノリだ。
 より一層ジルヴェスターに胸を押し付けて屈託のない笑みを向ける。冗談なのか本気なのか判断が難しいところだ。

 ジルヴェスターの顔面偏差値は高い。尚且つ背が高くてスタイルもいい。魔法師としても優れており、勉学も優秀だ。間違いなく将来有望である。――将来有望どころか現在進行形で特級魔法師第一席なのだが。

「それは魅力的な話だが遠慮しておく」
「ありゃ、それは残念」

 ジルヴェスターは考える間もなく断りを入れる。
 断られたレベッカも全然残念そうではない。やはりその場のノリの意味合いが強かったのだろう。

「お前は間違いなくいい女だし、一緒にいるとさぞ幸福なことだろう」

 ジルヴェスターは真面目な顔でそう言うと、自分の金色に輝く瞳でレベッカの目を見つめながら続きの言葉を口にする。

「だから幾人もの男が放っておかないさ。それこそ俺よりもいい男がな」
「あ、ありがとう?」

 告げられた言葉にレベッカは照れを誤魔化すように顔を伏せ、(ども)りながら言葉を返す。

(凄く綺麗な瞳……)

 至近距離で見つめ合う形になったレベッカの脳内に、ジルヴェスターの瞳の輝きが刻み込まれた。

(――あ、落ちた)

 後輩二人のやり取りを見ていたビアンカは、レベッカの表情を見て察した。
 長い付き合いだ。幼馴染のことは手に取るようにわかる。

(後輩くんやるなぁ~。狙ってやっているようには見えないし、天然ジゴロかな?)

 妹のように可愛がっている幼馴染のことが微笑ましくなり、成り行きを黙って見守る。
 ジルヴェスターのことはある意味感心していた。

 事実、ジルヴェスターは無自覚でやっているので、天然ジゴロと言われても仕方がないのかもしれない。

「先輩を待たせているし、俺はこれで失礼する」
「あ、うん」

 いつまでもビアンカを待たせるわけにはいかないと思ったジルヴェスターは、この場を退散することにし、自分の左腕に絡めているレベッカの両腕を優しく解く。
 当のレベッカは無意識に少し残念そうにしていたが、幸か不幸かジルヴェスターには気づかれていなかった。――もっとも、ビアンカには筒抜けだったが。

「わたしのことは気にしなくてもいいんだよ~」

 ビアンカはレベッカの後押しをするのを兼ねて自分のことは気にしないように促す。
 朝のホームルームまでまだ時間がある。少しでも一緒にいさせてあげようという姉心だ。

 それにビアンカはレベッカのことを抜きにしても本当に気にしていないので、ジルヴェスターがこのままいてくれても一向に構わなかった。

「いえ、折角の申し出ですが今日のところは遠慮しておきます」
「そっか~。それは残念」
「ではまた」

 そう告げると、ジルヴェスターは颯爽と去っていった。

 ジルヴェスターの姿が見えなくなると、ビアンカがレベッカに語り掛けるように告げる。

「きっと彼は競争率高いよ~?」
「――そ、そんなんじゃないって!」

 姉貴分の揶揄(から)いと真剣さが内在した言葉に、レベッカは赤面しながら慌てて否定する。全く説得力がないのが微笑ましい。

(クラウディアがいるしこの子には厳しいかな~)

 ビアンカはレベッカの最大のライバルになる同級生のことを思い浮かべる。

(この子もかわいくていい子だけど、さすがにクラウディアには勝てないよね~)

 ビアンカはクラウディアほど完璧な女性はいないと思っている。
 容姿、成績、実力、家柄、人格、器量など、どれを取ってもクラウディアは完璧な才媛だ。
 間違いなくレベッカにとって最大のライバルになる存在であろう。

(そもそも既に後輩くんにパートナーがいたら意味のない話なんだけど)

 ビアンカとレベッカは、ジルヴェスターのプライベートのことを知らない。
 既に彼にパートナーがいた場合は全くもって無意味な問答であった。

(まずはそこから探らないとね~)

 姉貴分として可能な限りかわいい妹分に協力するつもりだが、結局のところは本人次第だ。

「ふふ。まあ、そういうことにしておくよ~」
「いや、だから――」

 心底楽しそうなビアンカと、必死に取り繕うレベッカの二人の間には全く壁がない。完全に心を許しているのが良くわかる。

 その後も姉妹のように仲のいい二人の賑やかな声が辺りにこだまするのであった。

 ◇ ◇ ◇

 本日の学園は午前までに全てのカリキュラムが終了する。遠方に帰省する生徒の事情を考慮しての配慮だ。

 いつもより早い時間に放課後になり、生徒は各々行動していた。
 帰省する者、帰省の支度をしている者、自習している者、友達と談笑している者など様々だ。

 そんな中、ジルヴェスターは急用があるとレティに呼び出され、学園長室へ赴いていた。
 学園長室まで辿り着くと、扉をノックして返答を待つ。
 室内から入室を促す声が返ってきたので扉を開けて入室する。

 室内を見渡すと、応接用のソファに対面で腰掛けている二人の人物がいた。
 一人は当然レティであり、もう一人は金髪の男性だ。
 レティの顔ははっきりと確認できる。対して金髪の男性はソファの位置的に背後を向く形になっており、ジルヴェスターの方へ振り向いている。

「――やあ、ジル。久しぶり」

 金髪の男性は、右手を顔の位置まで上げて親しい関係だとわかる簡素な挨拶をする。

「久しぶりだな。ミハエル」

 ジルヴェスターは目線を合わせるだけの簡素すぎる態度で、金髪の男性――ミハエルに挨拶を返す。

「まあ、まずはジル君も座って」

 二人のやり取りを見守っていたレティが、自分の座っているソファの空いている右側のスペースに腰掛けるように促す。
 促されたジルヴェスターは遠慮することなくレティの隣に腰掛ける。

「少し待ってて」

 そう言ってレティは席を立つ。

「いい茶葉が手に入ったの。今日は紅茶でもいいかしら?」
「ああ。任せる」

 レティは簡易的なキッチンでジルヴェスターの分の紅茶を用意する。

「ジル、背伸びたかい?」

 ミハエルがジルヴェスターの頭頂部から足先まで視線を流すと、以前会った時との違和感に気がついた。

「さあな。自分ではわからん」
「それもそうか。以前会った時は私と目線が変わらなかったけど、今はもう抜かれていそうだ」

 二人は以前会った時はほとんど身長に差がなかった。
 だが、今はジルヴェスター方が高くなっていた。
 その事実にミハエルは肩を竦める。

「お前は少し老けたか?」
「――え」

 ジルヴェスターの言葉に男性は言葉が詰まる。

「ほ、本当かい? 最近忙しかったから少し疲れているだけだよ……」
「安心しろ。冗談だ」
「冗談か……」

 冗談だとわかり、ミハエルは小さく安堵する。

「そもそも私よりレティ先輩の方が先に老けると思――」
「何か言ったかしら?」

 ミハエルは浅慮にも余計なことを口走ってしまい、ジルヴェスターの分の紅茶を手に持って戻ってきたレティの怒気を孕んだ声を浴びせられた。

 レティが無表情でジルヴェスターの隣に腰掛けるのを、ミハエルは冷や汗を流しながら見ていることしかできなかった。
 彼にとっては物凄く長い時間に感じ、小さく目線が彷徨っている。言い訳でも考えているのかもしれない。

「それで私がなんて?」
「――い、いや、先輩は今日もお美しいなと……失言でした! 申し訳ございません!!」

 最初は機嫌を窺うように美辞麗句(びじれいく)を並べ立てようとしたが、途中でレティの無感情の視線に耐えられなくなり、ソファの上で正座するという器用なことをして深々と謝罪する。ちゃんと靴を脱いでいるのは几帳面だ。

「どうやらお仕置きが必要なようね?」
「どうかご慈悲を!」

 レティの言葉にミハエルはただただ戦々恐々とするしかなかった。
 必死に慈悲を請う彼の姿を国民が目撃したら驚愕のあまり卒倒することだろう。

 そんな様相を呈する中、ジルヴェスターは紅茶を堪能し我関せずを貫いていた。

「そうね……。今度、我が校で講演でもしてもらいましょうか。もちろん無償でね」
「それくらいならお安い御用です! お任せください!!」
「そう。なら先程のことは水に流しましょう」
「ありがとうございます!!」

 レティの提案にミハエルは逡巡することなく即答する。
 どんなお仕置きが待っていても彼には受け入れる道しか残されていなかった。

「どのみち卒業生として後輩を教え導くのに否はないですから」
「そうね。我が校の卒業生には生徒の育成に積極的に尽力してもらえると助かるわ」

 ミハエルはランチェスター学園の卒業生だ。
 卒業生として後輩を指導することに否はなかった。むしろどんどん優秀な魔法師が育ってくれると彼個人としても国としても大助かりであり、教育機関としても面目躍如(めんもくやくじょ)であった。

「ミハエルが協力的なら他の卒業生も断ることはできないだろうな」
「そうね」

 黙って我関せずを貫いていたジルヴェスターの言葉にレティが頷く。
 ミハエル本人の人望と肩書による影響力は絶大だ。ミハエルが無償で協力しているのに自分が断るわけにはいかないと思う卒業生は数多くいると思われる。

「始めからそれが狙いですか……」

 レティの策略に嵌められたことにミハエルは溜息を吐く。

「まあ、学園の為なら構いませんが」

 嵌められたことだとしても、ミハエルには断る理由がなかった。――そもそも断れない状況に持ち込まれてしまったので文句など到底口にはできないのだが。

「相変わらずお前はレティに頭が上がらないな」
「そりゃ先輩がいなければ今の私は存在しないからね」

 今のミハエルがあるのはレティのお陰と言っても過言ではない。
 二人の間には切っても切れない関係性がある。

「先輩に散々(しご)かれたのも今となってはいい思い出だよ。卒業してからも(しご)かれたけどね」
「私の後釜として情けない姿を晒されたら困るもの」

 ミハエルは学生時代にレティに散々扱かれた過去がある。
 彼は元々優秀な生徒だった。優秀故にレティに期待されていたのだ。
 現在ではレティの期待に応えるように彼女の後釜として素晴らしい活躍をしている。

「そんなに情けなかったかな……」
「そんなことはなかったと思うぞ」

 自分の過去を振り返って自嘲するミハエルをジルヴェスターがフォローする。

 二人の付き合いもわりと長い。
 今よりも若かったミハエルのことはジルヴェスターも知っている。

「二人が本気で戦ったらどちらに軍配が上がるかわからんだろ?」
「それはどうだろうね。私としては散々(しご)かれた記憶が鮮明に残っているから戦いづらさがあるし」

 ミハエルはレティに(しご)かれた過去の記憶の影響で、レティに対して苦手意識がある。
 もちろん日常生活では苦手意識を抱くことはないが、(しご)かれていた頃は一方的に打ちのめされていたので、魔法師として相対した場合は苦手意識を抱いてしまう。

「今の私には荷が重いわ。私は一線を退いているのよ」

 レティは一線を退き特級魔法師第六席の地位を返上してから既に数年経つ。
 現在は準特級魔法師の地位にいるが、そもそも準特級魔法師は特級魔法師と同列に扱われている。なので、彼女の現在の実力は特級魔法師相当だ。
 だが、一線を退いているのでブランクがある。腕が鈍っていてもおかしくはない。現役バリバリのミハエルと相対するのは確かに荷が重いかもしれない。

「先輩なら今でも特級魔法師に交ざっても遜色ないどころか、上位陣とも渡り合えると思いますよ」
「それは間違いないな」
「だよね?」

 ミハエルの見立てでは、現在のレティでも特級魔法師に相応しい実力を有していると踏んでいる。むしろ特級魔法師の中でも上位の序列に君臨する者たちとも渡り合えると思っていた。
 それに関しては特級魔法師第一席の座に君臨するジルヴェスターもお墨付きを与えるほどだ。

「ふふ。まあ、私もそんな簡単にやられる気はないわよ」

 持ち上げられたレティは微笑みを浮かべる。
 なんだかんだ言いつつも彼女は自分の実力に確固たる自信を持っていた。

「そもそも荷が重いのは私の方ですよ」
「あら? 第六席ともあろう者が情けないことを言うわね」

 ミハエルが溜息を吐いて愚痴ると、レティが揶揄うような口調で言葉を掛けた。

「特級魔法師第六席として暴れ回っていた先輩の後釜に据えられたんですよ? 私には荷が重いです」
「お前は真面目だもんな」

 特級魔法師第六席として好き放題暴れ回っていたレティに対し、ミハエルは真面目で責任感が強い。必要以上に重圧を感じてしまうこともあるだろう。
 ジルヴェスターの指摘は的を射ている。

「私が真面目ではないみたいな言い方ね」
「ミハエルと比較したら真面目ではないだろう?」
「ミハエルが生真面目すぎるだけで私も真面目よ」

 自分は真面目ではないと言われているような気がしたレティが苦言を呈するが、確かにミハエルと比較すると真面目ではないと言われても仕方がないのかもしれない。
 決してレティが不真面目だったわけではなく、ミハエルが生真面目すぎるのだ。

「私が席次を返上した後に第六席にあったのだから立派に務め上げてほしいわ」
「……善処します」

 レティが第六席だった頃、ミハエルも既に特級魔法師だった。
 レティが席次を返上したことでミハエルが第六席の座に繰り上げられ、引き継ぐ形で第六席の座に就いた。それが後釜と言われている所以(ゆえん)だ。

 ――『貴公子(プリンス)』の異名で親しまれているミハエル・シュバインシュタイガーは、特級魔法師第六席の地位を与えられた国内でもトップクラスの魔法師で、第六席の地位を汚すことのないように懸命に務め上げている好青年だ。

 白い肌をしており、ショートとミディアムの中間くらいの長さの金髪を清潔感のあるヘアスタイルに整え、前髪から覗く碧眼がより彼の整った顔を魅力的に演出している。

 貴公子然とした立ち振る舞いと雰囲気、そして真面目な性格から男女問わず尊敬されている。

 特に女性からの人気は絶大だ。特級魔法師の中で最も女性人気が高い。特級魔法師に限らず、全ての魔法師を含めて女性人気ナンバーワンの魔法師であり、常に黄色い眼差しを向けられている人気者だ。
 女性の影が全くないことで更に女性人気に拍車を掛けているのだが、そのことに本人は全く気づいていない。

 ミハエルがランチェスター学園の一年生だった頃、レティは大学一年生だった。
 当時から教師を志していたレティは魔法師として活動しながら大学に通っていた。教師になる為には大学で勉強して教員免許を取得しなければならないからだ。

 勉学でも優秀だったレティは早々に単位を取得し、在学中に見事教員免許を取得した。
 魔法師としても活動していたので多忙だった彼女は、当時のランチェスター学園の学園長の計らいで、大学に在学しながら非常勤講師として勤務していた。

 当時の学園長がレティのことを放っておかなかったのだ。それも当然だろう。特級魔法師になれるほどの実力を持つ人間を教師に招くチャンスをみすみす逃すわけがない。高校時代から飛び抜けて優秀だった教え子なので尚更だ。

 当時のレティは魔法師、大学生、非常勤講師と三足の草鞋(わらじ)を履いている状態だった。
 そのようにとても多忙な日々を送っていた頃にレティとミハエルは出会った。

 ミハエルの才能に目を付けたレティは彼をしこたま(しご)いた。――日々のストレスを解消する為に多少過激になっていたのはレティだけの秘密である。
 故にミハエルにとってレティは逆らえない先輩であり恩師でもあった。

「――それで本題はなんだ? わざわざミハエルが来たのには何か理由があるんだろう?」

 ミハエルがなんの理由もなしにランチェスター学園を訪れるわけがないと思ったジルヴェスターが尋ねる。まさか談笑する為だけにやってきたわけではあるまい。

「もちろんだよ」

 ミハエルは先程までの(なご)やかな雰囲気を払拭するかのように居住まいを正して表情を引き締める。

「実はジルに頼みがあって来たんだ」
「俺に頼みか?」
「ジルはここ最近、謎の不審死が続いていることは知っているかい?」
「ああ」
「それは話が早くて助かるよ」

 手間が省けて少しだけ表情が緩んだミハエルに、ジルヴェスターは続きを促すように視線で合図を送る。

「その不審死した人の中に私の友人がいてね。昨日、自宅を訪ねて現場を調査してきたんだ」

 調査してわかった現場の状況を、ミハエルは推測を交えながらジルヴェスターに説明していく。

「――なるほど。争った形跡はないが、生前の被害者の様子を見るに、なんの理由もなく突如亡くなるのは不自然だということだな」

 ミハエルの説明を聞いたジルヴェスターは脳内で情報を整理する。

「他の被害者が亡くなった現場もいくつか見て回ったけど、拭い切れない違和感があった」
「そうか」

 最近頻発している不審死した者が亡くなった現場を事前に調べに行っていた。その結果、やはり確たる証拠は得られなかったが、不自然な点があるのは共通していた。

「情けないことに私では力及ばないようでね。そこでジルに頼みに来たんだ」
「俺の()で視て来いということだな?」
「単刀直入に言うとそういうことだね。頼まれてくれるとありがたいかな……」
「いいぞ」
「本当かい!?」
「ああ」

 ジルヴェスターは話の流れからミハエルが自分に何を求めているのかを察した。

「ちょうど(じじい)にも頼まれていたからな」
「そうだったんだ」

 ジルヴェスターは一昨日にフェルディナンドから頼みごとをされたばかりだ。
 今回ミハエルから頼まれたことと同じことだったので、彼からの頼みを断る理由はなかった。

「助かるよ」
「大したことではないから気にするな」

 ミハエルが誠意を込めて感謝を告げる。

「――それにしても、わざわざ学園にまで足を運ばなくても良かったんじゃないのか?」
「直接家の方に行こうかと思ったんだけど不在かもしれないし、ここに来てしまえば確実に会えると思ってね」
「確かに擦れ違いになっていたかもしれないな」

 ランチェスター学園が登校日である以上、ジルヴェスターは当然登校するだろう。
 なので、ミハエルは確実に会えると踏んでいた。そしてその通りになったというわけだ。

念話(テレパシー)で訪ねることを伝えておけば良かったと思うけれど」

 レティが当然の疑問を口にする。
 事前に念話(テレパシー)で予定を尋ねて約束を交わしてしていれば問題なかったはすだ。
 だが、ミハエルは念話(テレパシー)を使わなかった。

「いや~、それだとジルが何かしら理由をつけて逃げるかもしれないと思ってね……」

 ミハエルはジルヴェスターのことなので、忙しいのなんのと色々理由をつけて逃げるかもしれないと思った。故に、逃げる選択肢を潰す為に事前情報なしで直接会いに来たのだ。

「それは確かにあり得るわね」
「おい」

 納得して深く頷くレティにジルヴェスターはもの言いたげな目を向けるが、自分でも可能性があると思ったので何も言い返せなかった。

 MACと新魔法の開発、術式や歴史の研究などやりたいことが多々あり、厄介事は御免被りたいのが本音だ。とはいえ、友人や世話になっている人の頼みを無下に断るほど薄情ではない。

「――それじゃ私はこれで失礼するよ」

 話が纏まったところでミハエルが席を立つ。

「講演の件は忘れずにね」
「……もちろんです」

 レティに釘を刺されたミハエルは重々しく頷く。
 彼の胸中は絶対に忘れてはいけないと深刻な心境だった。

「俺も失礼する」

 ジルヴェスターもミハエルの後に続くように立ち上がる。
 そして二人は共にレティに見送られながら学園長室を後にした。