黒の巫女と隠し小道

 神水に千夜の血が混じった瞬間、銀の器が漆黒に染まった。
 神主が息を飲んだ。
 集っていた一族の者達が、身を乗り出した状態で固まった。
 千夜に挑発的な態度を繰り返していた真尋さえも動きを止めた。
 もしかすると、黒の巫女という存在を信じていなかったのかも知れない。
 何となく伝わってきただけで、本当そんな者は存在しないと思っていたのかも知れない。
 当たり前に考えて、赤い血が混じった透明な水が、黒に染まるはずがないのだ。
 普通であれば赤になる。赤になって、これまでの者達と同様に、赤の巫女として神楽鈴で妖を退治し、神社の行事に巫女神楽を舞う。そして、18歳の誕生日に能力を失い、神社との縁が切れて一般人に戻る。これだけでも、近代化が進む現在では絵空事だと笑われてしまう内容だろう。それなのに、黒の巫女?神主を始めとし、一族郎党が信じていなくても不思議ではない。

 しかし、件の予言に続き、目の前で黒に染まった神水を見せられては信じざるを得ない。

「・・・高井千夜、黒の巫女となりなさい」
 神主はそれ以上の言葉を持たない。それは、ここに集った者達と同じだ。黒の巫女の役割を知らないのだ。知っていることは、最後の巫女であることと、もう1つだけ。神主は気を取り直し、続けて口を開く。
「黒の巫女となった千夜。オマエはこれから18歳の誕生日を迎えるまで、髪を切ってはならない。髪にはその者の霊力が宿る。髪を伸ばし、霊力を溜めるのだ。それが将来役に立つはずだ」
 千夜は震える声で承諾する。それ以外に選択肢は存在しないのだ。
「はい、承りました。今後、一生懸命勤めさせて頂きます」
 一礼すると、元いた場所に戻って腰を下ろした。
「これにて、選択の儀を終了致します」
 神主が頭を下げ、何の余韻も無く儀式は終了した。

 儀式に参加していた一族の者達はそのまま本殿に残り、一箇所に集って話し合いを始めている。本当に黒の巫女が誕生してしまったため、今後の対応について意見交換をしているのだろう。
 隣に座っていた真尋が立ち上がり、千夜を見下ろしながら嘲笑(ワラ)う。
「黒とか地味な色は千夜にはピッタリだと思う」
 その時、話し合いに参加しようとして歩いて来た神主が、2人の目の前で所で立ち止まった。
「真尋は美和や絵里と一緒に巫女舞の稽古を始めるから、そのつもりでいるように。千夜は巫女舞の練習をする必要はない。これまで通りと変わらない生活をしていれば良い」
 神主はそう告げると、足早に親戚達の輪に加わった。
 それを確認した真尋は、未だに座っている小夜を一瞥してその場から去った。

 千夜は本殿から出て行く真尋を視線で追い掛けた後、ようやく立ち上がった。
 当然のように何も理解していなかったものの、いくら考えたところで答えが無いことに気付き、考えることを止めた。とりあえず、これまでと同じ生活をすれば良いのであれば、黒も赤も同じことだと解釈することにした。

 それからすぐに、千夜も真尋と同じように本殿を後にした。



「―――――ん?」

 九戒神社より北、境界線になっている川を越えた深山の奥で1匹の妖が南の空を見上げた。真っ白な着物を纏った妖は、一見しただけでは人と見紛う体躯であるが、顔には表情を消した能面を被っている。
 妖の側にいた別の妖が、その微妙な変化に気付いて声を掛けた。
(ヌシ)様、どうかなさいましたか?」
 主と呼ばれた妖は、山吹色の着物を着崩している美女に答えた。
「山姫、黒の巫女が選別の儀によって誕生したようだ」

 黒の巫女は生まれた時から能力を発揮するのではなく、選別の儀によって選択されて初めて能力が解放される。人は人の理によって黒の巫女の役割と能力を失念している。しかし、妖は違う。約定が交わされた時(・・・・・・・・・)から生き続けている者もいるのだ。当然、妖は黒の巫女が何なのかを知っている。

 山姫と呼ばれた妖は大きな目を更に広げ、着物の裾を強く握り締めた。
「それは、一大事ではございませんか」
 しかし、山姫が焦る様子を眺めながら、主は泰然とした姿勢で笑う。
「まだ、最低でも5年は必要だろう。それに、アレ(・・)がこちら側に在る以上、あちら側はどうすることもできまいよ。そもそも、奴等は何が必要で何をどうしなければならないのかを、全く覚えている気配がないからね」

 そこに、空から背中から大きな翼を生やした人型の妖が舞い降りてくる。
「主様、たった今、九戒神社で行われた選別の儀式で黒の巫女が誕生しました」
 目の前で片膝をつく烏天狗に向かい、主は労いながら首肯する。
「お疲れさん。こちらでも誕生を観測したから間違いないだろう。まだ時間はあるし、こちらには切り札もあるから。まあ、しばらくは様子見ってところかな」
 淡々と主が答えると、烏天狗がその場で頭を垂れた。
「御意」
「御意って、本当に硬いなあ」

 主はそう言って、朗らかに笑った。