黒の巫女と隠し小道

 本来、「選別の儀」には重要な意味がある。しかし、いつからか形骸化し、その詳細についても長い年月とともに失伝した。今では九戒神社に連なる娘達が、10歳の誕生日を祝う儀式に成り果てている。
 儀式の内容は至ってシンプルだ。禁足地との境界線である川から汲んできた水を九戒神社の御神体の前に置き、特殊な祝詞を3日間続けて奏上する。すると、その水は神水と呼ばれる儀式に必要不可欠な物へと変化する。後は、この神水に血を垂らすだけである。

 いつもであれば、神主と娘の親が出席するだけの地味な儀式である。しかし、今回は様子が違っていた。一族の各家から代表者が顔を見せていたのだ。これは、数百年ぶりに現れた件による予言の影響だ大きい。「黒の巫女が誕生する」という予言。黒の巫女の概要は分かっているが、その役割や誕生意味は不明瞭だ。口伝により継承されてきたはずであるが途中で部分的に曖昧になり、今代の神主や一族には詳細が伝わっていない。
 ただ、件の予言は凶兆である。つまり、黒の巫女の誕生は、過去の疫病や飢饉と同等の災害である可能性が高い。だからこそ、それを確認するために、選別の儀に20に届こうかという人達が集っているのである。


「では、選別の儀を始めます」
 本殿に神主の声が響き、御神体の前に直径30センチ、深さ10センチほどの器が運ばれてきた。銀製のその器は代々九戒神社に伝わってきた宝物であり、この中に神水を満たして使用する。
 大抵の場合、当事者は1人であるが、今年は双子とあって2人が選別の儀を受けることになっている。千夜よ真尋は既に大人達が両側に並ぶ真ん中に並んで座り、開始の合図を耳にして顔を上げた。

「私からで構いませんか?」
 先に申し出たのは、妹の真尋だった。
 千夜と真尋は双子ということもあり、顔立ちはよく似ていた。同じ服を着て静かに座っていれば、両親意外の者には見分けが付かないほどだ。しかし、実際に2人を前にすると、簡単に見分けることができた。千夜は病弱ということもあり、大人しく人見知りが激しかった。そんな千夜とは違い、真尋は明るく社交的で同年代に人気があり、大人達にも特別に可愛がられる存在だった。

 真尋の申し出に対し、異議を唱える者も反対する者もいなかった。父親である神主も承諾したため、真尋の選択の儀が始まった。
 千夜の隣に座っていた真尋は立ち上がり、ほんの一瞬千夜を見下ろして前に進んだ。その先で待っているのは神主と銀色の器である。既に器は神水で満たされていたため、その前に正座をした真尋が器の上に左手を差し出した。その親指の先に、細い針だ差し込まれる。一瞬歪む表情。しかし、真尋が声を出すことはなく、静寂に包まれた空気の中、親指から滴った血が音も無く器の中に落ちた。

 器を満たしている神水は、真尋の鮮血によって赤く染まる。それ以上の変化はなく、赤い血は赤いままだった。それを確認した神主が、どこか安堵の表情を浮かべて真尋を見下ろした。
「高井真尋は赤の巫女に選ばれた。よって、今日からは赤の巫女として勤めるように」
「はい、確かに承りました」
 真尋はその場で頭を下げると、恭しく選別の結果を受け入れた。

 「赤の巫女」とは、一族の女性が就く一般的な役職である。
 18歳の誕生日を迎えるまで、巫女としての役割を果たさなければならない。そのために、赤の巫女となった者は鍛錬により、特殊能力を身に付ける必要がある。それは、九戒神社に伝わる巫女舞の修得である。神楽鈴を鳴らしながら神楽を舞うことにより、妖の力を弱め、追い払うことができるようになる。未だに、ここ川上町には妖関連の事件も多く、巫女はこの地の守り神として崇められる存在と言える。


 真尋が赤の巫女に選別されたことにより、この場所に集る全ての者達の視線が千夜に集中した。真尋が違うのであれば、黒の巫女は千夜ということになる。
 元の場所に戻ってきた真尋が、千夜の隣に座って小さな声で告げる。
「早く行きなさいよ、黒の巫女様」
 千夜はビクリと身体を震わせた後、その場でゆっくりと立ち上がった。その一挙手一投足に、容赦ない視線が突き刺さる。

 実際のところ、ここに集っている者達の黒の巫女に対する知識は曖昧だ。
 最後の巫女であるということ以外、その役割も特殊能力も不明だ。明治維新から第二次世界大戦にかけての混乱により、それらを知る者達が伝える前にいなくなってしまったことも大きい。それに、記録を書物に書き残すことを禁じてきたことも影響している。しかし、秘密の漏洩を考えれば致し方ないことではある。

 千夜が覚束ない足取りで進み出ると、銀の器を前にして正座をした。器は複数存在しているため、千夜の目の前の器には神水が満たされている。
「千夜、早く手を出しなさい」
 父親である神主が、冷めた口調で命令した。千夜は震えるながら、自分の左手を器の上に伸ばす。それと同時に父親であるはずの神主に手首を掴まれ、手にしていた針を細い親指に突き立てられた。

 激痛によって滲む世界の中で、千夜は自らの血が器に落ちる瞬間を目にした。