アネモネ記念日

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 十月まで長引いた異例の残暑がやっと終わり、先輩の鍛えられた腕が見られる半袖を着ている姿を見られなくなった。
 二学期の中間、期末テストではなかなかいい点数を取れた。これなら先輩にも見せられるだろう。見せる機会などないけれど。
 十一月。中学校生活二回目の合唱祭では惜しいところで負け、先輩のクラスは最優秀賞を獲った。来年はこの曲の争奪戦になるだろう。
 三月。第十一回目の生活委員会が終了した。
 彼の名前は知らないままで押し通した。
 委員会のクラスルームや名簿などで、調べようと思えば知ることは出来たのだ。彼の名前を見ることが出来たのだ。
 話しかけようと思えばできるチャンスなどいくらでもあったはずだ。
 だが、自分からそれを拒否した。
 ファンの聖域を守ろうとする姿勢を保つためだ。
 踏み込んではいけない場所というものが存在する。
 そして迎えた三月。二週間後には先輩が卒業してしまう。
 卒業式のリハーサルには私たちも参加し、その後は『三年生に感謝を伝える会』で歌う。
 二十年活動を続け、今年中には解散してしまう某国民的アイドルの曲を、合唱用に編曲したある曲を歌うのだ。
 そして、最後にじっくり先輩を見られるのは、この『三年生に感謝を伝える会』だろう。
 明日が本番。失敗することは許されない。
 唾をごくりと飲み込み、心臓の鼓動が早くなるのが分かる。
 今日は早く寝よう。目の下に隈がある状態で先輩に見られるわけにはいかない。
 化粧水もお母さんからちょっと奪って良いのを使おう。パックもしっかりしなければ。
 楽しみなようで、別れを突きつけられて悲しいようで。
 絵が完成する日は、あと少しだ。
 校庭に植えてある桜の蕾から、一瞬ピンクが見えた気がした。