アネモネ記念日

◇◇
 それからというものの、ずっと彼のことだけを考えていた。
 彼は生活委員長で、私は放送委員。学年も一つ違えば、部活なんて私は女子バレーボール部なんだから論外。
 そして、頼みの綱である教室移動でのすれ違いも叶わなかった。一週間観察していたのだから、もうこれは確定だろう。
 絶望の泥沼にはまっていたところ、百華と彼女の腕にベッタリと張り付いた南村美彩(みなみむらみさ)がこちらに来た。
 彼女はいつも誰かと一緒にいる。おそらくそうでもしないと行動できないタイプの人間なのだろう。
 閑話休題。
 いつもと違う様子の私を見かねたのか、二人は明るい口調で口を開いた。
「どしたん?毎日元気な碧がそんな沈んでるの、久しぶりに見たかも」
「私も思った。なにかあったの?悩みがあるなら相談にのるよ」
 違う、違うんだ。
 君たちにとってはどうでもいいことだろうし、気にしなくていいよ。そう言おうと思ったのに。
「違う。どうせどうでもいいことだし、見なかったことにしてよ」
 あぁ!誤解を生みかねない言い方をしてしまった。
 闇バイトに応募し実行したはいいものの、その後良心の呵責に苛まれる人みたいだ。
 二人は深刻そうな表情で視線を交わす。きれいな顔は眉間の皺によって台無しになっている。それを生み出したのは、私の発言なのだが。
 どんどん悪化していく状況にどう突っ込めば良いのか、そして二人に多大な心配をかけてしまっている罪悪感で頭を文字通り抱えると、二人は傍で焦りだしてしまった。
 そして私の行動の原因となっているものを二人なりに編み出したのか、担任の方に行ってしまった。
 なんとなく彼女らの意図を察し、脳内でこの状況を零点何秒単位で弾き出す。
 結論──担任に言われてしまえば、大事になるぞ。
 少しずつ教師との距離が近くなっていく同級生二人を必死の思いで引き留めた。
「ちょ、ちょっと待って!先生に言うほどじゃないから!」
「えっ?でも言ったほうが良いよ」
「そうだよ。碧ちゃん一人に抱え込ませるわけにはいかないよ」
 二人の妄想力が捗った結果、私の想像を遥かに上回った仮説を導き出してしまったようだ。
 ここからどう誤解を解こうか。
 やはり正直に申したほうが良いのでは?
 だが散々深刻ぶった挙げ句、真実を打ち明ける勇気はない。興ざめするだろうしな。
 では少し違うことを言えば良いのでは?
 いや。それも違う。
 迷いながら言うと、まだなにか隠していると思われ、更に問い詰められるだろう。
 結果クラスの中で目立ってしまう。いや、もうすでに目立っているか。
 ならばこのまま、二人が予想していることに身を委ねてしまおうか。
 ・・・・・・これは最終手段ということにしておこう。
 正直に言うのが一番手っ取り早く、被害も少ないだろう。
 よし。覚悟は決まった。
「百華、美彩。別に大したことじゃないんだけどね、その。たださ、会いたい人がいるけどなかなか会えない、みたいなだけで。ね、どうでもいいことでしょ?」
 やった!言えたぞ。
 よくやった私。今日はケーキでも買おうかな。いや、物価高騰で買えないから安いどら焼きにしておこう。
 心の中で喜びの舞を舞っていると、二人は鬼のような形相でこちらに迫ってきた。
「え、何?」
 つい本音がこぼれてしまったが、彼女らのは耳に入っていないのか、肩に手を置き、指が食い込むほど強く握ってきた。
「ねぇ。その話、詳しく聞かせて?」
「放課後空いてるよね?」
 二人の背後から漂う強烈な圧力により、私は首を縦に振らざるを得なかった。◇◇
 四時間授業の日を一度たりとも恨んだことはなかったのに。
 放課後はゲームをして、その後はアニメを観て、ちょっとだけ勉強をして。
 怠惰を極める、最高の日となるはずだったのに。
「なるほどねぇ。じゃあ、もうちょっと一目惚れしたところ、詳しく聞かせてもらおうか」
「はい・・・・・・」
 尋問になるとは聞いていない。
 言葉は物騒だが、実際はそこまで酷くない。
 場所は学校の近くにある商業施設のフードコートで、放課後らしく制服を着た人たちもちらほら見かける。
 周りの人たちは食べ物片手に話に花を咲かせたり、少し遠くにはカップルがいて、頬をりんごのように真っ赤にしながらいちゃついている。
 あの人ともそうなれたらな、なんて浮ついた考えは捨てなきゃいけない。首を横に振って忘れようと心がける。
 一目惚れの話を話を聞いてニヤニヤしていた百華が、急に重大な証拠を見つけた探偵のような真剣な眼差しで話を切り出す。
「てか、聞いてて思ったんだけどさ。碧のその先輩に対する感情がさ、恋愛的な好きとは思えないんだよね」
「恋愛的な好きとは違う?どういうことなの」
 美彩も賛同するように私の横で頷く。
 そうすると、百華は呆れたようにため息を付き、説明をしてくれた。
 曰く、好きにもいろいろな種類があり、恋愛感情はもちろんだが、親愛や友愛、尊敬などがあるらしく、私はその中のある一つの感情に当てはまっているのではないか、と考察したようだ。
「そう。君に当てはまるのは『推し』という感情だよっ!」
 推し。
 辞書で調べると、『人やモノを薦めるとき、評価や応援したい対象を挙げること』などの意味がある。
 更に深堀りすると、『近年ではアイドルや俳優、アニメのキャラクターの中から自分のお気に入りの人物を指すことにも使われる』とも書いてある。
 今回当てはまるのは後者のほうだろう。
 しかし、自分で恋愛感情なのか、推しの感情なのかは判断しづらい。
 どうすればいいのだろうか、と悩んだが、答えは案外すぐに出た。
 恋愛的な好きではなく、『推し』としての好きという感情を持っていると思い込めば良い。
 これはどうせ叶わない恋なのだ。
 諦めたら試合終了だ、とか言うけど、別にこれは試合でもなんでもない。
 無理だと分かっているのに望み続けるのは、精神的にストレスが溜まる。私はそんな非効率なことをしたくはない。
 それだったら、推しを応援しているファン、という立ち位置にいれば苦しむことはないだろう。
 ファンは推しに自ら接触を求めようとしてはいけない。
 そのように考えたらすぐに胸が軽くなった気がする。
 一方は委員長として活躍する先輩。
 もう一方はそれを勝手に見て、勝手に応援している後輩。
 これでいいのだ。自発的に安定した繋がりを切ろうとは思わない。
「一番この策がお互いにとって負担がかからないし・・・・・・」
 勝手に自己完結をしてしまった私を見て、二人がどう思ったかどうかは知らない。
 しかし、私の気持ちを反映したかように、太陽が沈むと同時に雨が降ってきた。
 騒がしいこの空間に雨音が聞こえてくるはずはないのに。
 キャンバスに塗られた先輩の赤が黒で上塗りされているのだった。