現時点で、理についてわかってること。
①この高校の生徒(制服を着てるから間違いない)。
②鏡から離れられず、気が向いたときだけ外の様子を見る。
③自分の名前と、昔東京に住んでいたことは覚えている。
④声を掛け、存在を認識させたのは俺だけ。

大体こんなところ。
もうひとつ付け足すなら、あまり人を信じてない、ってことだ。
生徒はもちろん、特に大人を嫌い、警戒してるように見える。その理由は本人も分かってなさそうだけど。

地縛霊ならやはりこの学校の踊り場に強い執着を抱いてそうだけど、理は何も覚えてない。
昔階段から落ちて亡くなった生徒か? それか、(ないだろうけど)鏡に頭を叩きつけて亡くなったとか。思い立ってネットで遡って調べてみたが、該当する記録はなかった。
まだまだ先は長そうだ。

「凪原。桜城高校を卒業した、って英語に翻訳したらI went to Sakuragi High Schoolになったんだけど。卒業ってGraduationじゃないの?」
「うん。でもGoの過去形でもいいんだよ。文脈とか話の流れで意味は伝わるから」

英語はとてもシンプルで、汎用性が高い言語。ひとつの動詞で大体のことが言えてしまうし、聞き手次第で会話が成り立ってしまう。
その便利な仕組みに気付けば、あとは中学で習う簡単な動詞をバンバン使い回すだけだ。魁は幼少期短期間だがアメリカにいたおかげで、友人の英語の勉強を手伝うことができた。
「リスニングも一字一句聞き取ろうとしたり、全てを理解しようとしなくていいよ。知ってる単語だけ拾って、あとは推測」
「はあ。和訳するならそれでもいいけど、英文に変えるときに困るんだよ」
「それも、無理に難しい単語を使わなくていい。ちっちゃい子とか、知ってる言葉限られてるのに延々と大人と話してるだろ」
身近な例を上げてみたものの代山は固まり、さらに遠い目になった。
これ以上あれこれ言わない方が良さそうだ……。
問題集を閉じ、鞄からお菓子を取り出した。

「今日は終わりにしよ。ほら」
「わ! サンキュー!」

お菓子を食べると、代山はすっかり元気を取り戻した。
相変わらず素直だ。彼といるとこちらも肩の力が抜けるし、純粋に楽しい。
「凪原ってやばいよなー。イケメンで頭良くて優しいとか! 普通に反則じゃん。チートだよ」
「別に優しくないし、イケメンじゃないから」
瞼を伏せ、呆れ半分でチョコを食べる。
あ。でも、理にも同じことを言われたっけ。
頭の片隅で思い出しながら思料する。
前の学校でもマイペースに過ごしていたけど、ここに来てから自分の評価が爆上がりでちょっと怖い。

この街は平和で、生徒達もなにかに追われてる感じがない。
以前より時の流れが緩やかだ。それが居心地良くて、密かに笑った。
「代山は大学行くの?」
「おう。親が応援してくれるって言ってるから頑張るつもり!」
「そうか。良いじゃん」
皆考えてる。不透明な未来を、不安定な現実に紐づけて。
俺も、ちゃんと将来の為に動き出さないと。

( ……って思うのに )

転校して一週間以上経つが、結局毎日“ここ”に来てる。
魁は階段前の踊り場に立ち、息をついた。
「理。いる?」
『いるよ! おっはー!』
鏡に声をかけると、理がひょこっと顔を出して笑った。どうやら変わりないみたいだ。
「おはよ。やっぱお前って眠くならないの?」
『ならない! でもボーッとしてる時は思考停止してるから、ほとんど寝てんのかも!』
彼はけらけら笑ってる。暇という概念もないらしい……。
でも、辛くないならいいか。
「何とか俺が卒業する前に成仏させてやりたいんだけど……お前のこと、未だに全然わかんないからな」
『はは、しょうがないよ。真面目な話、そうやって考えてくれるだけで嬉しいっつうか』
理は下に屈み、頬杖をついた。

『俺のことを知ってる人がいる。それだけで充分ホッとすんだ』
「……」

胸の中が熱くなる。何だか息苦しくて、左胸を軽く叩いた。
多分、理の切実な想いが伝染した。
「お前ってマジで健気だな」
『そう? 魁が俺でも同じこと言うと思うよ』
「どうかな。俺だったら早く成仏したいって騒いだよ。お金は払えないけど、霊能者呼んでくれって頼んだかも」
というか、そういうのに頼るのもアリか。改めて考えてると、理は眉を下げた。
『……俺はやだ。インチキでも本物でも。何されるかわかんないもん』
「そっ、か。わかった」
安らかに供養してくれるかもしれないけど……彼からすれば怖いのだろう。
その気持ちも何となくわかるから、鏡の隣に背を預け、踵を鳴らした。
廊下や踊り場は音が響く。人が来たらすぐに気付ける。あとは声を潜めていれば、話すのはそれほど大変じゃなかった。

理に、クラスで聞いた話も伝えた。鏡の前で倒れる人が以前からいたらしいと話すと、彼は『俺は何もしてないよ』と慌てた。
『ひとに何かしたりしない! 命懸ける!』
「わかってる。俺もお前が危害を加えるとは思ってないよ。だからあるとすれば、この場所そのものに呪いとか、悪い気があるとか」
体調を崩して倒れたのだとしたら、やっぱり悪いものが充満してる気がする。スマホで色々調べて首をひねった。

後日、お守りを持参して理に見せてみたが、特に効果なし。念仏の音声も聞かせてみたが、終始スンとしていた。

「聖水まいたり、盛り塩でも置いてみるか」
『待てよ。それ供養じゃなくてお祓いだろ』

素人ができる浄霊として、試せることは散々試した。匂いがやばいと思ったが、こっそり線香も上げた。
しかし何をしても暖簾に腕押し。段々げんなりしてきた。
「あ。最近はスマホアプリで浄霊ができるみたいだぞ。一応インストールしてみるか」
『あーっ!! もういい! もうウンザリ!!』
放課後、とうとう理が爆発した。頭を抱えて苦しげに伏せている。
とは言え、俺もふざけたつもりはない。ウンザリはこっちの台詞だと思ったけど、彼がぶちまけてる感情は怒りではなかった。

『魁、最近スマホいじってばっかじゃん! もういいよぉそういうの……俺はもっと外のこととか学校のこととか、色んな話が聴きたい。成仏できなくってもいいから……魁ともっともっと話したい……っ!』