バスに三十分揺られて、新しい家に帰る。ダイニングは明るかった。
まだ少し慣れない。母が、自分以外の誰かと喋っている光景が。

「魁、おかえり。学校はどうだった?」
「えーと。……普通?」
「普通ってなによ。困ったことはなかったのね?」
「まぁまぁ、夏子(なつこ)さん。初日だから疲れてるんだよ。魁君も、今日はゆっくり休んでね」

新しい父親、宗昭(むねあき)さんは温厚なひとだ。しっかり者の母といると一層のんびりに見えるが、相談も快く聞いてくれるし、優しい。
彼らは正反対のタイプだけど、一緒にいて幸せそうだ。
自分も、母が幸せならそれで良い。引っ越しは嫌だったけど、今はこの学校に来て良かったと思ってるし。
「魁。まだ寝ないならこれ部屋に持っていきなさい」
「ありがと」
夜食を受け取り、二階の自室へ上がる。たまごサンドイッチを頬張りながらパソコンの電源を入れた。
「桜城高校……噂……」
なにか都市伝説や伝承がないかと掲示板なども調べたが、興味深そうなものは見つからなかった。
踊り場の鏡に取り憑く霊。よく鏡の怖い話は聞くけど、理は自分が置かれた状況も理解してなかった。気付いたときにはここにいたと言い、基本閉じ籠もっている。
普段は鏡の範囲……内側から離れている。外の様子を見ようと身を乗り出したときは外にいる俺達にも視認でき、鏡に映る。
縛られてるのは確かだけど、精神が自立してる分ちょっと自由な印象も受ける。こういうケースもあるんだろうか。

理の意識は明瞭過ぎる。
霊ってあんな感情豊かなのか……?
ばりばり思考して、こちらの問いかけに即答する。理は自分の過去を忘れてるだけで、知識はそれなりにある。計算もできそうだし、ゲームでも何でもやらせればできそうだ。

考えれば考えるほどわからず、思考とパソコンをシャットダウンした。
ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。
「ふう……」
この家も、両親も、優しいんだ。
なのに疎外感を覚えてる。……自分はきっと、甘えている。

物心ついたときから人の“悪意”に敏感だった。自分含め、誰もが持ってるもの。当たり前のもの。なのに、どうしようもなく苦手だ。
普段は隠しているけど、ふとした時に垣間見える凶気がある。
子どもは特に顕著だ。陰口や嘲笑のオンパレード。誰かを貶めて笑うのが楽しくて仕方ないらしい。
まだ小学生の頃、クラスメイトに掃除用具入れのロッカーに閉じ込められたことがあった。
怖くて、必死に外に助けを求めて。その後の記憶はない。
黒歴史だし、多分無意識に脳が消した。自分の心を守る為に働いたんだろう。

理も「忘れたくない」と言ってたけど、本当は忘れたいぐらい辛い想いをしたんじゃないだろうか。

でもあくまで想像だから、何の解決にもならない。瞼を伏せ、ベッドに沈む。

現実から手を離す寸前も、考えるのは彼のこと。
今この瞬間もひとりで過ごしている。何をしてるだろう。何を考えてるだろう。

本当に寂しくないのか?

あの場から去ろうとしたときの声を思い出す。
茶化されて訊けなかったけど、彼の震えた声がいつまでも頭の中で反響していた。







「なぁ、凪原の前の学校は修学旅行どこだったの?」
「沖縄」
「おー、じゃここと一緒だ。いいよなー、あの綺麗な海! ソーキそばにサーターアンダギー!」
翌日。魁が教室へ向かうと、代山は懐かしそうに頭の後ろで手を組んだ。
「これから文化祭はあるけど、準備怠いし。修学旅行が二回あったら良いのに」
「それはそれで大変だって」
可笑しくて笑うと、周りにまたクラスメイトが集まってきた。
「ねぇ、凪原君って部活入ってなかったの?」
「あぁ。帰宅部だよ」
心の中で、頭に「誇り高き」と付け加えた。中学のときはテニス部に入っていたが、高校ではスーパーのバイトに精を出した。こっちでもしたいところだが、三年になったらあまりシフトに入れないだろうし、悩みどころだ。
ひそかに考えていると、女子達は楽しそうに笑った。
「あはは。凪原君って思ったより明るいね」
「ほんと。クールっていうか、もっと怖いのかと思った」
「え。そう?」
こっちは普通にしてたつもりだけど、どうやら近寄り難い空気を放っていたようだ。申し訳ないと思い、改めて雰囲気の大切さを痛感した。
やっぱ笑顔って大事だな。下手したら一番のコミュニケーションツールかも。

理も常に溢れんばかりの笑顔を放ってるし。だから俺も、すぐに彼に心を開いたのかもしれない。

……そうだ。
ふと思い出して、周りに問いかける。

「ごめん、話変わるけど。この学校って、怖い噂とかないの?」
「怖い噂? 心霊みたいな?」
「それそれ」
「えー。俺は聞いたことない」
「私もー。そういうのって小学校や中学校だけじゃない? トイレの花子さんとか、音楽室の肖像画とか。高校生になると馬鹿馬鹿しいし皆怖がらなくなるから、話さないじゃん」

確かに、一理ある。子どもは恐怖心から噂を広め、共有して気持ちを落ち着けようとする。
じゃあ怪談や七不思議というのは、全て子どもがつくった……否、恐怖が生み出した妄想の産物ということになる。

脱力して椅子にもたれる。すると傍にいた津内(つない)さんという女子が頬杖をついた。

「あ。心霊とは違うかもしれないけど。この学校って、階段にある鏡の前で倒れる人が多いって聞いたことあるよ」

────鏡。
思わず息を飲むと、代山は盛大に吹き出した。
「ははっ。どうせ鏡見ないで走ってた奴らが衝突しただけだろ」
「そうだけど。そういうんじゃなくて、何かこう……救急車で運ばれて、戻って来た後もなにかに怯えてることが多いんだって!」
笑われたことで彼女は頬を膨らました。真相はわからないけど、怯えて、というのは気になる。
「それに生徒ならわかるけど、先生がいなくなったこともあるんだって!」
「そっか……」
それは気になるところだ。まだ笑い転げてる代山の鳩尾に水平チョップする。

「教えてくれてありがと、津内さん」
「ううん」

代山の言うこともわかるけど、教師が倒れるのは相当だ。理の存在に気付いて怯えた可能性もあるけど、それなら鏡に霊がいると噂になるはず。
理が誰かに話しかけたことはないと言ってたし……やはり、理の存在は認識されてなさそうだ。
でも着実に進んでる。

少しずつでいい。今もひとりで過ごしてる理の為に、紐解いていきたい。