「マジで今も思ってます。でも安心してください」
手についた埃をはたき落とす。怯えた顔でこちらを見上げる佐々波に、はっきりと告げた。
「殺しませんよ。……魁に会えなくなるから」
守りたい。どんな目に遭っても、……彼だけは。
理は壁際に移動し、セキュリティ会社への通報ボタンを押した。警察と救急車もダイヤルだけかけて、スマホをポケットに入れる。
「俺には何をしてもいい。でも魁を傷つけることだけは絶対に許さない。……それだけは忘れないでください」
床に伏せている佐々波に告げ、彼のポケットから落ちたライターを窓の外に投げ捨てる。
職員室を出て、理は痛みを堪えながら踊り場へ戻った。
「魁。お待たせ」
『……理! 良かった!』
鏡の中で理を待っていた魁は、踊り場に来た傷だらけの自分を見て胸を撫で下ろした。理はただいまと言い、鏡に片手をつく。
『急にどっか行くから色々不安だったぞ。佐々波は?』
「ちょっと脅かしたら逃げてったよ。案外ビビりだよね。あはは」
『おまっ……危ないことすんなよ』
時々こちらがひるむような行動をするんだから、本当心臓に悪い。魁は項垂れ、自身の胸に手を当てた。
鏡の中で精神だけ入ってるときは、痛みも何もない。だから快適ではあるが、理は辛そうに笑っている。
「大丈夫だって。それより俺のせいで痛い思いさせてごめんな」
『……お前も、今は痛いだろ?』
「まあね」
彼は可笑しそうに吹き出し、踵を引きずる。
「すぐに警察が来る。その前に代わって」
『手当てしてもらってから東京に行けばいいじゃん。しばらくは俺が代わるよ』
またここへ来て入れ替わるのも大変だ。それに佐々波が何をやらかすかわからないから、理を鏡から解放させた方がいい。
そう思って拒否したものの、彼はため息まじりに震える右手をつけた。
「痛くてしょうがないんだ。これ以上我慢すんのは無理。治ってから頼むよ。そしたら東京に行って、自分の体捜しに行くから!」
『ううん……』
痛みもわかるけど、ここに彼を残す方が心配なのだが。
佐々波を警察に突き出し、ここへ来させないようにすれば大丈夫だろうか。
『……わかった。じゃあ代わるぞ』
「おう」
両手を合わせ、外の世界に戻る。
「痛……っ!!」
覚悟はしてたが、凄まじい痛みに呻く。床に手をついたものの、立ち上がることができなかった。
「あぁ……くそ、いてぇ……っ」
『魁、大丈夫?』
「大丈夫じゃない……」
こいつ、こんなんでスタスタ歩いてたのか。やっぱ本当は俺よりタフかもしれない。
密かに感心してると、外からサイレンが聞こえた。
良かった。思ったよりずっと早くに到着したみたいだ。
鏡を見上げ、理に笑いかける。
「警察が来たっぽい」
『お、良かった。じゃ、しんどいだろうけど早く外に行きな』
「ばか、ここにいるよ」
ひとりにするわけないだろ、と返すと、彼はまた困ったように微笑んだ。
何でそんな顔をするんだろう。
この時は、痛みのせいで気付けなかった。
『魁。聞き飽きたと思うけど、何度でも言う』
下が騒がしい。複数の大人の声が聞こえ、階段を駆け登る音が近付いてくる。
『お前に会えて本当に良かった』
「理?」
誰がいるぞ、という声が下から聞こえた。
その声を聞きながら、真後ろから近付いてくる足音に振り返る。
何かが横を通り過ぎた。何なのか確かめようとした時には、“それ”はもう鏡に振り落とされて。
「ああああぁあぁぁっ!!」
白い光が突き刺さる。
断末魔のような絶叫を発した佐々波が金槌を振るい、鏡を叩き割った。
何度も何度も。明らかに精神に異常をきたしてると思える様子で、鏡の原形を跡形もなく崩していく。
俺は動けなかった。目の前の光景が信じられず……呆然と、駆けつけた警官が彼を止めるまで動くことができなかった。
銀の破片がきらきらと光を放ち、足元に散らばる。
「理」
彼がいた場所。……世界がバラバラになり、俺を囲んでいた。笑ってる佐々波が押さえられ、俺は救急隊に運ばれて。“彼”を知らない人達の手によって、その夜は静かに収束した。



