代山は気さくな奴で、色々訊いてくるから話も弾み、休憩時間も楽しかった。
先生も優しそうだし、授業内容も前の学校とそこまで変わりない。これなら何とかやってけそうだ。
となると、やはり心配なのは“彼”のこと。
生徒がいなくなるまで待つ時間が長く、やきもきした。鏡に向かって喋ってる姿を見られたら即終了の為、生徒が家や部活でいなくなる十七時まで時間を潰し、二階の踊り場へ向かった。
外は薄暗くなっていたが、校内の電灯が点いた為明るい。
『お。魁、おつかれー!』
魁の姿を認めた理はひょこっと上半身を出し、顔を綻ばせた。
『本当に戻ってきてくれたんだ』
「約束したからな」
『はは。ありがと』
理は照れくさそうに微笑み、鏡の中からこちらの面に向けて手をついた。
『てか転校初日だったんだろ? どうだった?』
「ああ……心配し過ぎだったかなって。先生もクラスのひとも優しいし、問題なさそう」
『そっか。そりゃ何より!』
彼は胸を撫で下ろすと、興味深そうに尋ねてきた。
『魁は前はどこに住んでたん?』
「東京。中野」
『ほーん』
わかってんのかわかってないのか……理の頭上にずっと花が咲いてる光景が見える。
「ちなみにお前、ここがどこだかわかってる?」
『どこ?』
「茨城県」
『あぁ〜。納豆の……』
「……」
大丈夫かな、ほんとに。
「お前、実際どこまで覚えてるんだ? 通ってた中学の名前や、住んでた街の名前も覚えてないのか?」
『うん。でも、東京……俺も東京住んでたことあるよ。確か』
「マジで? 奇遇だな」
そういえば、時々クラスメイトとの会話で訛りを聞いた気がする。でも理の口調は俺が聞き慣れたものだった。
仕方ないからここ、桜城高校の名前も出したけど、彼は「知らない」と答えた。
『兄弟がいたのか、親が何の仕事をしていたのかもわからない。やば過ぎ』
「あんまやばい様子に見えないけど」
理はずっと笑っている。過去を思い出そうともしていないのか。……こちらも呆れて笑うしかなかった。
「やりたいこととかないのか? 未練がわかれば成仏できると思うんだけど」
霊魂は、やはり生前の無念の表れ。理は楽観的だけど、確かな苦しみや悲しみがあったはず。ところが、彼はかぶりを振った。
『何もない。……時々無性に悲しくなったり、怖くなることはあるけど、それは多分ひとりだからだな。ひとりで色々考えるから』
彼は瞼を伏せ、腕を組み直した。
『俺も多分、最初はちゃんと覚えてたんだぜ? でも日が経つごとにどんどん忘れていった。記憶が端っこから削られて、さ。忘れたくない、忘れたくない、って……思い続けたことだけは、覚えてる』
理の口調は淡々としていた。その分、強い叫びだったはずの想いが虚しく霧散した。
大事なことを忘れて。忘れたくない、という願いだけを覚えてるのって、きついな。
スマホでさっと検索すると、霊は長く存在するとそこに留まり続けた意味も忘れる、と書いてる者もいた。無念と怨念だけが膨れ上がり、やがて人を呪う怨霊になると。
想像したら悪寒がした。非現実的なものは信じなかったのに、理の出現で信じざるを得なくなってる。
もし理が明るい性格ではなく、悩み苦しむタイプだったなら。────今頃ひとに危害を加える悪霊になってた可能性もあるのではないか。
( いやいや )
そんな心配より、彼の情報を集める方を優先しよう。
目の前の少年の上履きは、自分と同じ青色。けど年ごとに移り変わるから、彼が何年生かは分からない。
ここに留まり続けた年数がわからないから八方塞がりだ。年下かもしれないし、年上かもしれないし、同い年かもしれない。
何もわからない……けど、このまま独りで過ごさせるなんてあまりに可哀想だ。ため息を飲み込み、彼の額がある位置に人差し指をあてた。
「全部思い出したら、成仏できそう?」
彼を放っておくという選択肢はない。
乗りかかった舟だ。絶対、彼をここから解放してみせる。
顔をぎりぎりまで近付けて微笑むと、彼は何故か頬を赤くした。
『そう……だな。多分』
「多分?」
『多分成仏できる。つうか顔近い! セクハラ!』
「は? 鏡なんだから良いだろ!」
そこに実体があるわけでもないし、セクハラと言われる意味がわからん。
不満を込めて零すと、理は腕を組み、むすっとしながら口を開いた。
『魁は無駄に顔が良いから、近付かれると劣等感半端ないんだわ。彼女いるの?』
「無駄って……彼女はいないよ。俺薄情だからさ。告られたこともあるけど、絶対傷つけるから断ってきた」
彼に背を向けて笑うと、存外真剣な声が返ってきた。
『優しいよ。本当に薄情なら、ここに戻って来たりしない』
振り向くと、理は苦しそうに俯いていた。
初めて見る表情に目を奪われた。足を踏み出し、彼の頭の位置に触れる。
「優しくはない。でも、何か……お前のことは気になる」
可笑しくて笑うと、彼もつられて笑った。
『はは、俺も。……魁がここできょろきょろしてる姿を見たとき、久しぶりにハッとしたんだ。いつも座って、立つ気すら起きなかったのに』
面白いよな、と言って彼は前に屈んだ。
確かに面白い。いや、可笑しい。
俺達が出会ったのは偶然。だけど、引かれ合ったのは必然かもしれない。
俺も彼も孤独だった。それが今、こうして笑い合えている。
お先真っ暗かと思ってたけど、人生捨てたもんじゃないな。こんな明るい友人と出会えたなら。
『魁、誰か来た』
「あぁ……じゃ、今日のところは帰るよ。……ひとりで大丈夫か?」
一応尋ねると、彼はきょとんとし、それから可笑しそうに吹き出した。
『当たり前だろ? 昨日までひとりだったんだから!』
そりゃそうだ。腑に落ち、ポケットに片手をツッコむ。
理と会ってから、俺もおかしくなってる気がする。
「また明日な」
『あぁ。また明日』
でも意外に悪くない。
こうなったらとことんおかしい日々を満喫してやろう。彼に手を振り、闇に繋がる階段を降り始めた。


