雪は舞い降るときがもっとも儚く、美しい。
結晶は地に落ちると形を失い、とけてしまう。触れられるのは一瞬だ。
彼のよう。誰よりも傍にいるのに、消えてしまいかねない脆い存在。

「魁!!」
『わ』

一面の白に、鮮やかな色が飛び込んできた。
魁は足元に落としていた視線を上げ、息を飲む。

あぁ。
知ってる。彼だ。
会いに来てくれた────。

『……理?』
「そう。待たせてごめん!! 大丈夫か!?」

彼……というか、俺の姿をした人物は、申し訳なさそうに両手を合わせた。
もう放課後だと言い、周りをきょろきょろと確認している。
「具合は? 頭痛とか、気持ち悪くなったりしてないか!?」
『……大丈夫』
むしろ、今まで何を考えていたか覚えてない。ほとんど眠っていたのかもしれない。
呆然としながら問い掛けに答えていると、彼は困ったように顔を近付けた。
「全然大丈夫じゃないだろ。目が虚ろだぞ」
『……』
こういうときの彼は鋭い。今は俺の方がよっぽどやばい状況にあるんだろう。
なんせ、彼の名前を呼べたことに心から安堵してるのだから。

『さっきまで』
「ん?」
『お前のこと、本気で忘れかけてた』

俯きがちに、ぽつりと本音を零す。理は目を見開き、こちらに向かって片手をついた。
『友達の名前とか、自分のクラスとか……ちゃんと考えれば思い出せるんだけど、パッと出てこなかった。笑っちゃうな』
「笑えないだろ」
『笑うよ。……お前だって、いつも笑ってたじゃん』
“こういうこと”だったのか。
徐に見返すと、彼は言葉を詰まらせた。
記憶が端っこから食われていく。それで尚さらここに囚われる。
不可解で不可思議な空間に飲み込まれ、動けなくなる。記憶に自信がなくなることで、外が恐ろしいとすら思えた。

『迂闊に外に助けを求められない感じ、ちょっとわかった』
「……魁」

助けを求める相手を間違えたら、自分がいるこの空間を壊されそう。……そんな恐怖に縛られている。
自嘲的に瞼を伏せると、外から力強い声が聞こえた。

「代わるぞ。両手つけ」

理はこちらの面に向かって両手をついた。
何のの迷いも感じさせない瞳と声音に、こちらの方がたじろいでしまう。
『でもこのままお前が俺として生きられるなら。それもいいかな、ってマジで思ってきてるんだ。その気が変わらないうちに行った方がいい』
「駄目だ! お前は俺とは違う。俺は今日家に帰れなくても同じだけど……! お前が今日家に帰らなかったら、お父さんとお母さんが悲しむだろ!」
大声で一喝され、思わず顔を上げた。怒ってるかと思ったが、理は優しい笑顔を浮かべ、こちらを見つめていた。

「元の状態に戻るだけだし、俺は大丈夫。それにわかってるから。お前がまたここに来てくれるって」

白く冷たい世界。
それでも確かに、温もりを感じた。
絶対的に越えられない壁を挟んでるのに……優しく触れられてるみたいだ。
「今夜の飯とか想像してみ。腹減ってくるだろ?」
『うん』
「そういうこと。俺はもう、その感覚忘れちゃったからさ」
大丈夫。
彼は微笑み、静かに零した。

「でも、希望はある。お前が教えてくれたんだよ……魁」
『……っ』

彼の言う通りだ。
何度も迷い、躊躇ったけど。両手を上げ、震える手のひらを彼に重ねた。

希望はある。今はつらく、悲しいけど……確かに見つけた。
彼を絶対救ってみせる。瞼を強く閉じたとき、また体が後ろに傾いた。

「いてっ!」

豪快に尻もちをつき、魁は痛みに呻いた。腰をさすりながら、ゆっくり視線を上げる。
前には、いつもの薄汚れた壁。それと大型の鏡。
見慣れた踊り場にいた。

『良かった』

そして、あの少年も。

『具合はどう?』
「……いいよ」

顔半分を手で覆い、後ろに仰け反る。
失いかけていた記憶が戻ってくる。確かな手応えを感じながら、魁は鏡の中の理に向き直った。

「理」
『ん?』
「絶対助ける」

窓が空いていて、涼しい風が吹き荒ぶ。乱れた襟を整え、拳を握り締めた。
数メートル先も見えなかった昨日とは違う。今はもう、未来しか見えない。
眼前の少年を見つめ、荒れ狂う決意を言葉にする。

「お前はきっと、どこかで生きてる。だから大丈夫だ。俺が必ず、お前の体を見つける」