こんな気持ちになったのは初めてだ。自分のことより彼のことばかり考えている。彼の未来を思うと胸が締めつけられる。
助けたい。救ってやりたい。
叶うなら、この世界から“切り離さない”形で。
俯いていると目の前に手が差し出された。なにかと思って見上げると、額を指で弾かれる。
「痛っ。何すんだよ」
「辛気臭いから活入れたんだ。あんまウジウジ考えんなよ。身体乗っ取られるぞ」
蓮は悪びれない様子で烏龍茶を飲んだ。
以前、秦野さんにも似たようなことを言われた。そのときの暗い感情が重なり、俯きがちに手を組む。
すると彼は勢いよく手を叩いた。
「しっかりしろって。お前のことだから、ちゃんと色々調べてんだろ?」
「あ、あぁ……」
「じゃあそのまま頑張れよ。そいつのこと見てて悲しくなるなら、笑わせればいいだろ。で、これからどうすんのか相談に乗れば充分じゃん。それ以上のことをお前が背負う必要はない。友達なのかわかんないけど、普通はそう!」
幽霊に普通が通用するか知らんけど。と言って、彼は笑った。
「……笑わせるだけでいい?」
「うん。てかそこ一番大事じゃね。元気にしたいんだろ?」
頷き、額を押さえる。彼が笑うから、つられて笑った。
友達って面白い。意味なんてなくても、鏡のように同じ反応をとってしまう。
蓮はどこかホッとしたように、俺の額を指でつついた。
「俺はとりあえず、お前が怖くないならいいよ。後はほどほどに、その子のこと見守ってやんな」
「うん。聞いてくれてありがと、蓮」
「はいはい。……お前も、そうやって笑ってりゃいいんだよ」
彼は腕を伸ばし、残りの杏仁豆腐を平らげた。
「ところで、その子の名前はわかってるんだよな?」
「ああ」
両手を合わせ、ご馳走さまと呟く。
……蓮は普段東京にいて、桜城高校とは接点がない。理は気乗りしてなかったけど、信頼してる彼になら名前を教えてもいいかもしれない。
「誰にも言わないって約束してくれるか」
「言わないよ」
「さんきゅ。水野理」
「水……」
蓮は反芻し、固まった。
どうしたんだ?
心配になって首を傾げる。
「蓮、どした?」
「あ、いや……何か聞いたことある名前だな、って思って」
「え!?」
驚き、店内に響き渡るほどの声を上げてしまう。他のお客さんから視線を向けられ、慌てて頭を下げた。
声を潜め、再び蓮に向き直る。
「おい、それマジ? 頼む、教えてくれ!」
「落ち着け。聞いたことあるような気がしただけだ。すまん」
「そ、そうか。……俺こそごめん」
期待と希望が入り交じり、急かしてしまった。蓮にも謝り、気持ちを無理やり落ち着かせる。
もうSNSの匿名で、彼を知ってる人がいないか発信したいレベルなんだけど。それは理が絶対嫌がるからできない。
ため息をもらすと、蓮も申し訳なさそうに頭を搔いた。
「俺も何か力になってやりたいけど……ごめんな」
「いやいや、こっちに来てくれただけで充分過ぎるから! おかげでまた頑張ろうって思えたし。ありがとな」
店を出て、また駅へ戻る。お土産を一緒に選んで、彼と彼の家族用にお菓子を渡した。
「なぁ蓮。鏡って」
駅のロータリーを抜け、長いエスカレーターに二人で乗る。横の大きなガラス窓に映る闇を見ながら、無意識に零した。
「本当に自分だけしか映んないのかな」
「どういうこと?」
またまた意味不明なことを言ってしまい、彼は怪訝な表情になった。
「いや、何つうんだろ。いつも自分だけが映るって思ってるから、他の誰かがいるとか思わないだろ」
蓮は「もちろん」と答えた。
俺は最近、鏡に話しかけてること自体に疑問を持ち始めていた。三階や四階の鏡には理はいないから、限定的なことにホッとしてはいるけれど。
自分以外のひとが理を認識できないとしたら。……見えてないなら、どうして俺だけが理と話せるんだろう。
俺は本当は、自分と話してるのでは? ……そんな馬鹿げた妄想、不安が止まらない。
「鏡の中に人影みたいなのが見えるときがあってさ。はは、多分気のせいなんだけど。何も考えずずっと見てると怖くなるときがあるんだ。蓮はない?」
「ん〜……」
エスカレーターを降り、歩き出す。改札口の手前まで向かい、蓮は足を止めた。
「鏡って色々逸話があるからなぁ。大昔はお宝で、妖魔退治に使われたりとか。でも、段々怖い話ばっか増えてきた感じするよ」
荷物を背負い直し、俺も彼も通行の邪魔にならないよう壁際に移動した。
「鏡に映る自分は自分じゃないとか、な」
「う……」
まさに今思ってたことだ。急にぶるっとして、腕を押さえた。
「後はそうだな……鏡は別世界だって聞いたことがある。だからあんまりベタベタ触んない方が良いんだってさ」
「へ……へぇ……」
やばい。理と会ってから、そりゃもう尋常じゃなく鏡に触れてる。
嫌な汗が流れるのを必死で堪えていると、彼は指を鳴らした。
「鏡の中は魔物が住んでるって話もあった。俺昔怖い話にハマってたことあって、結構知ってんだ」
「すげえな。俺は無理」
「信じてないのに何で無理なんだよ。あ、今は信じてんのか」
彼の言うとおり、今は笑い飛ばせない。青い顔でポケットに手を入れた。
「にしても、魔物か。……悪霊じゃなくて」
「おお。悪霊が魔物になったのかもしれないけど、鏡の中に引きずり込もうとする存在がいるのは知ってる。怖いよな」
しかも対処法がないと言うので、背筋が凍った。
「とにかく、あんま鏡ガン見すんなよ」
「あ、あぁ……」
彼のアドバイスも虚しく、俺は週明けにまた踊り場の鏡をガン見する予定だ。申し訳ないと思いながら、改札口に戻る彼の後を追った。
「じゃ! そろそろ電車来るから、行くわ」
「あぁ。今日は本当にありがとう」
目を見て告げると、彼は嬉しそうに笑った。
「お互いさまだろ」
「……そうだな。今度は俺がそっちに行くよ」
右手を上げる。彼も右手を上げ、軽くタッチした。
「魁。さっきはああ言ったけど、何でもひとりで解決しようとすんなよ。優しいひとが周りにいんなら、助けてもらうことも大事だからさ」
転校前……親が再婚し、見知らぬ土地に移らないといけないとき。
塞ぎ込んでいた自分を、蓮は励ましてくれた。
そのときのことを思い出しながら、静かに頷く。
「あぁ。ありがと」
「ん。またな」
蓮の背中が見えなくなるまで、その場に留まった。
すぐに会える距離じゃないから、寂しいのは変わらない。でも心は前より凪いでいる。
自分はひとりじゃない。たくさんの優しいひとに囲まれ、支えられている。
だから今度は自分が彼らを支える番だ。
まずはあの少年から……。
窓の外に浮かぶ白い月を見上げ、再びエスカレーターを降りた。


