消え入りそうな声で零すと、理は眉を下げて微笑んだ。
『鏡だから反射してんじゃないの』
「そういう冗談を言ってんじゃない」
『はは。ごめんごめん。魁は優しいから。……わかってる』
本当にわかってるだろうか。彼は最後にはおどけるから、真意が読み取れない。
でも絶対、その奥底にあるのは悪意じゃないんだ。
『やっぱすごいなぁ、魁は』
理は頬を掻き、観念したように手を上げた。
『いつもは冷めてるくせに時々熱血になるからさ。つい真面目に聞いちゃって、本当にそうなのかも、って納得しちゃう』
「……」
『魁。俺、“そっち”にいたよね』
腕を下ろし、後ろに回す。幼い子どもに話しかけるように、理はわずかに屈んだ。
「……当たり前だろ」
『えへへ』
踊り場は声が響く。
反響して自分に跳ね返ってくる。
今していること。未知の存在と対峙してること。
願いが叶わない虚しさを翳してくる。
でも、想いは通じ合ってるんだ。理と無言で頷き合い、額を突き合せた。
ああ。
冷たい。
ずっと触れていれば自分の温もりが宿るだろうけど、それまでが辛い。
温め続ければ、理も俺と同じ熱を感じるだろうか。
「……そのうち勢い余って頭打ちつけて、鏡割っちまうかも」
『やめて』
「はは」
壁に手をつき、耳を欹てる。理の呼吸は感じ取れないけど、動けば影が揺れるのでわかる。
どんどん惹きつけられる。吸い寄せられる。
俺も、彼と同じところに行きたい。……そんなことを考えた。
「理。今度色んなところに行こうな」
『え?』
影が大きく揺れる。俺もゆっくり離れ、顔を上げた。
目の前には、不思議そうにこちらを見つめる理がいる。
「映画館とか遊園地とか。お前お菓子好きそうだし、女子に混じってスイーツバイキングも良いかもな。動物園も良いし、夏はマリンスポーツとかも面白いかも」
思いつく限りの遊びを想像し、提案する。理と出掛ける光景を思い浮かべたら、ものすごく胸が弾んだ。彼は最初戸惑っていたが、やがて目をきらきらさせた。
「お前が好きなアイドルのライブチケットも、俺がとってやるよ」
『マジ!? 魁さいこー! 大好き!』
すっかりハイテンションになり、笑い合った。
「学校にいるより絶対楽しいよ」
だろ? と問い掛けると、理は胸の前で手を握った。
『うん。行きたい』
「あぁ。絶対行こう」
約束だ。
鏡に向かって小指を差し出す。理もこちらに傾き、嬉しそうに小指を差し出した。
『そういえば、富士山登ってみたい』
「良いじゃん。じゃあリストに書いとくか」
夢が広がる。
理といるとやりたいことが増えて仕方ない。
────どうしようもないほど、焦がれてしまう。
『そうだ。どうせなら魁と旅行行きたいな』
「お、それも良いな。行きたい場所ある?」
『うーん。……あ、北海道! 海鮮も食べたいけど、雪が見たい! 銀世界ってやつ!』
「うんうん」
スマホのメモに入力しながら、北海道行きのプランを考えた。航空券の値段や移動手段、グルメも見て。絶対楽しい旅行になるな、と思った。
「あー。チケットはセールのとき狙って予約しよ」
『ははっ! だな。ちょっとでも安いときに買お!』
楽しいと、時間が経つのはあっという間だ。
空は洞穴のように黒く、廊下の照明が際立った。
『楽しいな』
理の声は震えていた。
俺は鏡に背を預け、あえて顔を見ないようにした。
『魁といると、何でこんな楽しいんだろ』
「……前世からの友人だったんじゃない?」
『なるほど。それじゃ、絶対来世も会えるな』
そう。
絶対、また巡り会える。
こんなに楽しくて仕方ないんだから。現世は、神様がなにか間違えてしまったんだ。
────そういうこともある。
大丈夫。
鏡に触れ、その場にずるずると座り込んだ。
「……夜は」
遠くの窓を見上げ、静かに呟いた。
「長いよな」
『……うん』
理は、昼も夜もここにいる。
だけど俺は、昼しかここに来てやれない。彼を残して、家族が待つ温かい家に帰る。
苦しい。恵まれてることが、こんなに苦しいなんて思わなかった。
『魁。そろそろ帰んな』
壁に手をつき、ゆっくり立ち上がる。
理も屈んでいたが、立ち上がって俺と視線を合わせた。
『ご飯食べて、お風呂入って、いっぱい寝て。そんでまた、ここに来てよ』
「……おう」
たった、鏡一枚分の距離を壊せたら。
これ以上は何も望まないのに。
明滅する照明に目を細め、またあの深い闇へ降りていく。
◇
週末。学校もバイトもない昼下がり。魁は駅構内で時間を確認していた。
そろそろ来るはずだ。落ち着かないなか改札口を確認すると、見覚えのある人影が現れ、こちらに手を振った。
「あ、いたいた! 魁!」
「蓮。久しぶり……!」
互いに駆け足で近寄る。今日駅まで出てきたのは、この少年に会う為。
「おひさ。元気そうじゃん」
「まあな。そっちも変わらなそう」
「ま、二ヶ月ちょっとじゃ変わんないよ。腹減ったからどっかで飯食おう」
そう言って腹を押さえる彼は、只野蓮。
東京の高校で同じクラスだった親友だ。正直二ヶ月ぶり
と思えないほど懐かしくて、笑ってしまった。
「ほんとに来てくれると思わなかった」
「会いに行くに決まってんだろ? 前からTX乗ってみたかったし! ちょうど良かったよ」
彼はけらけら笑ってるが、わざわざ来てくれたことが本当に嬉しい。
蓮は俺が転校すると知ると一番悲しがっていた。あのときは俺も寂しかったけど、すっかり元気そうな彼を見て安心した。
場所を変え、がっつり食べられそうな中華料理屋に入った。まずは再会の乾杯をし、互いに近況報告をする。
「クラスの奴らはなーんも変わってないよ。あ、でも岡ピが来年結婚するって」
「マジか。結婚は人生の墓場だって言ってたのに」
岡ピは、俺がいたクラスの担任だ。まだ若い女性で世話になったけど、明るい反面結婚制度を憎んでいたのに。どういう風の吹き回しだろう。
「とうとう本当の相手を見つけたんだって、目ぇガン開きで言ってた。みんな心配してて、今度の休みに後をつけようかって話し合ってんだ」
「それはやめとけ……」


