「この学校、時々踊り場の鏡の前で倒れる人がいるって聞いたんですけど、なにかご存知ですか?」
「鏡。あぁ!」

秦野さんは顎に手を添え、懐かしそうに声を上げた。
「うん。俺がいたのはもう六年も前だけど、それよりずっと前から聞いたことあるよ。噂じゃもう何十年も前から」
「何十年?」
「うん」
鏡の怪談って、そんな古くからあるんだ。
スマホが登場したのはせいぜい二十年以内のこと。理がスマホを持っていたなら、そこまで昔の怪談に関わってるだろうか?
どうも、理とその怪談は別件に思えた。
「それと俺は、鏡の周りで霊を見たことは一度もないよ」
「そ……そうですか」
その意見を信じると、振り出しに戻ることになる。
霊感を持ってる人も感知できないほど、理が気配を隠すのが上手かった。って可能性もあるけど。
「秦野さん達がいた時に、鏡の前で倒れた人はいましたか?」
「ああ、いたよ。原因は分からないけど、すぐに救急車で運ばれて……でもそれから何日かして、また鏡の前で倒れた生徒がいたんだ。だよね、春川」
「うん。最初に倒れた子は回復したんだけど、次の子は卒業まで戻ってこなかった。家で療養してたんじゃないかな?」
充分ホラーじゃないスか、と代山が青ざめる。
確かに、冷静に考えると怖い。なにかやばい力が働いてるとしか思えない。

ネットでは何も情報が見つからなかったけど、やっぱり事件自体は存在していた。それが分かっただけでも進歩だ。
そして、霊感を持つ秦野さんは何も感じなかったということが……。

「わかりました。色々ありがとうございます」

二人に深く頭を下げる。代山と一緒にジュースだけ買って戻ろうとしたが、不意に秦野さんに呼び止められた。
「凪原君」
「はい?」
「君が何を気になってるのか、俺にはわかんないけど。危ないことはしちゃ駄目だよ」
秦野さんは自身の腰に手を当てて、薄く笑った。
「近付く素振りをすると期待する奴が現れるんだ。この人なら何とかしてくれる、ってね。その優しさに付け込まれないように、ちゃんと距離を保つんだよ」
「……」
無防備だった心に、極細の針が貫通した。
彼らにもう一度お辞儀し、ジュースを飲む。昼間なのに、やはり校内は薄暗かった。
「凪原。お前も霊感あるわけじゃないよな?」
代山が心配そうに覗き込んでくる。不安にさせてることが申し訳なくて、彼の額を指でつついた。

「あったら、こんな風に聞いて回ったりしないよ。……それより紹介してくれてありがとな、代山」
「うん……でも何か、最後変な空気だったからさ。俺余計なことしたかなって気になっちゃって」

彼は眉を下げ、足を止める。
彼も本当に優しい。
「全然! 卒業生の話とかマジで貴重だし、聞けて本当によかったよ! 俺、昔から鏡の怪談だけすごい興味あるからさ」
「はえ〜、何かニッチだな。……でもまあ、お前がいいならいいや!」
そこで彼はようやく笑った。こちらもホッとし、再び教室へ戻る。

いつも通り授業を受け、文化祭のことを少し考えて。
学校という不思議な場所についてノートに記した。
音楽室の怪談。保健室、科学室の怪談。トイレや体育館の怪談。
調べたらキリがない。もはや学校は霊の家だ。霊同士が出会し、縄張り争いが起きてもおかしくないほど。
でも何も起きないあたり、霊にも配慮や秩序があるんだろうか。だとしたらちょっと面白い。

「凪原君。バイトの許可証、親御さんに渡した?」
「あ、はい。ありがとうございます」

放課後、担任の佐々波先生が耳打ちしてきた。親にも話し、明日は高校近くのホームセンターのバイト面接をする予定だ。
「転校したばかりだってのに、大変じゃないか?」
「あはは。でも大学の為に学費を貯めたいので」
もっと言えば、一人暮らしの為の資金を。笑って返すと、先生も困ったように笑った。
「あまり無理しないようにね。なにかあったら遠慮しないで相談しにきな」
「ありがとうございます」
本当に……何だかんだ言っても、優しい人達に囲まれている。
文句なんてつけようがない。窓の外に浮かぶ大きな夕陽を眺め、鞄を掛け直した。
「あ。ねぇ、凪原君って甘いものとか好き?」
教室を出て踊り場に向かうと、同じクラスの女子二人が声を掛けてきた。
「うん。チョコとかは好き」
「ほんと? それじゃこれ美味しいよ、食べてみて」
新発売らしきチョコレートをもらい、口にいれる。オレンジ風味で、確かにすごく美味しかった。
「めっちゃ美味い」
「でしょでしょ?」
「うん。ありがとう」
微笑むと、彼女達はキャッキャと盛り上がった。
「凪原君、また明日ねー!」
「うん。また明日」
軽く手を振り、廊下の角を曲がって踊り場に出る。鏡を覗くと、何やらスンとした表情の理がいた。

『相変わらずモテモテだね、凪原君は』
「何だよ。聞いてたのか?」