胡蝶別曲 (나비별곡) : 乱れ蝶の詩 (みだれちょうのうた)

Scene 25.

霧が立ち込め始めた粹廷(スジョン)の本家へ、続々と車両が集まっていた。最も早くから待っていたのは珠希(ジュヒ)と藝珠(イェジュ)だった。鋭い目つきを落ち着かせられないまま、あちこちを見回していた二人の視界に、広い空き地に入ってくる美延(ミヨン)の車両が映っていた。エンジンとヘッドライトを切ったあと、車を降りた美延が、小柄な背筋をまっすぐ伸ばし、見かけより長い腕で伸びをした。素っ気ない表情で土の地面に足を運んだ美延が、先に来ていた珠希と藝珠に近づいた。

美延 : 早いね?

意外だとばかりに伝えられた美延の問いに、珠希が腕を組んだまま、返事の代わりに頷いた。スニーカーを履いた珠希が土の地面をあちこち掃くように擦りながら、何やらかなり真剣に考え込んでいた。

美延 : 珠希オンニは、何をそんなに考えてるの?

美延の問いに答えたのは、深い考え込みを続けていた珠希ではなく、その隣にいた藝珠だった。

藝珠 : ほんとにね。まあ、悩みがあるんでしょ。聞いてないから分かんないけど。

珠希 : 策士のアマが、急にどういう風の吹き回しであたしら全員に会おうって言い出したのか、知ってる?

美延 : だいたいは?

珠希 : だいたい首を刎ね飛ばすため?

珠希の刺すように吐き捨てた問いに、美延と藝珠は何も言わなかった。

珠希 : 聞くだけは聞くけど、クソみたいな提案だったりしたら片っ端から逮捕するから。

美延 : あー、こういうときに足抜けしやすくていいね。監査院長(カンサインチョウ)だから。

珠希 : 皮肉るなよ、知ってることだけ言えば。

美延 : 言ったでしょ。あたしもだいたいしか知らないって。どっちにつくかは全部聞いてから決めても遅くないだろうし。

美延の言葉が終わるや否や、遅れて合流する永敏(ヨンミン)と正賢(ジョンヒョン)の車両が空き地に入ってきていた。永敏が助手席から身を降ろしてから、正賢も運転席のドアを開けて足を下ろした。二人を見ながら鋭い目つきを収められない珠希。正賢が珠希を見て嘲笑をたっぷりと含んだ。

正賢 : なんだよ。疲れてんの? 寝てないの? 誰がそんな目つきで人を睨めって言った?

珠希 : おい。柳美延。

美延 : ん??

珠希 : 頭数が多くない? 奪い合う口がこんなにいるなんて聞いてなかったんだけど?

正賢 : 身の程超えた場所に居座ってるとみんなああなるのかね?

珠希 : は??

正賢に向かった珠希のいきり立ちにも、永敏は止めもせず、むしろ皮肉げにせせら笑った。永敏は正賢の車に寄りかかるように陣取り、素っ気ない声を二人に伝えた。二人をむしろ焚きつけた。二人の乱雑ないさかいを意に介さなかった。

永敏 : 分け前が減って結構なこったな。やれよ。口を減らしてくれ。

正賢 : そうだな。うちの口が急にちょっと増えたもんな。俺が減らしてやろうか?

永敏と正賢の相槌に、珠希が正賢に向けていた殺意をひとまず収めた。

珠希 : あー、その様は見てられないわ。片っ端から引っ捕らえるには話くらい聞かないとね。口は次に減らしてあげる。あー、あたしだけ残るかな?

珠希の抱負を聞いた正賢が、白けた笑いを浮かべた。

正賢 : シバル、身の程知らずが。

正賢の嘲笑に珠希も引き下がるつもりはなかった。

珠希 : 便所のチリ紙だから口だけは達者なんだろうね。

遅れて智胤(ジユン)の車両が中に入ってきていた。見慣れない車を初めて確認した一行が、怪訝な表情とともにまず溜息を漏らした。車の持ち主と正体を既に知っている永敏が、遅れて合流してくる見慣れない車を見ながら、せせら笑うように一人で笑った。正賢も車の持ち主が誰かは知っている様子で、独り言を呟いた。

正賢 : は。ほんとシバル。使えないやつばっか来やがる。

車から降りた智胤、さほど好意的でない人間たちを確認するだけで、わざわざ挨拶を伝えはしなかった。開いたドアから降りた智胤が周囲を見回しながら、にっこりと笑った。

智胤 : あらー、ここにボロ切れどもが全員集まってたの。

藝珠 : あんたはなんでここに来たの? 逃亡者のくせに。なに、監査院に自主納税しに来たの? 首刎ねてくれって? それとも、

藝珠の皮肉を歯牙にもかけず、言い返しすらせずに歩き出した。薄い上着のポケットに手を突っ込んだ智胤が、自分の車のボンネットに寄りかかるように身を立てたあと、ポケットに入っていたイヤホンで耳を塞いでいった。

智胤 : あー、どこかで鶏の雛が鳴いてるわ。ぺちゃくちゃうっさいったらありゃしない。

藝珠 : へえ。あのイカレ女を見なさいよ?

どんどん物騒になっていく空気を鎮めたのは、門を開けて中から身を現した粹廷(スジョン)だった。

粹廷 : 何してるの? 全員来たなら入ってきなさいよ。

なかなかに冷え込む気候の中、珠希が周衣(トゥルマギ)のポケットに手を入れた。粹廷が車を停めてから席を立った。集まった人間たちに目もくれないまま、外への歩みを全て踏み出してすらいなかった粹廷が、門の敷居に立てていた身体を先に中へ入れた。残りの人間たちも粹廷に続いて粹廷の門をくぐり、屋敷の中へ歩を運んでいった。小さな庭と寄り添うように並んだ部屋の戸が見えた。小さな韓屋だったが、あるべきものは全て揃った造りだった。粹廷の門の手前の空き地にいた一行の全員が庭に入ると、粹廷が再び手を振って門に鏡を下ろした。中からは外が見えたが、外からは閉まっているように見える鏡。粹廷がさほど広くない韓屋に集まった全員をしばし見回してから、手を再び大きく振った。上に振り上げられた手つきに、家屋全体を塞ぐように鏡が据わった。風の一筋も入らぬほど塞がれた内部は、穏やかな静寂が漂っていた。

粹廷 : 気が進まないなら出ていっていいよ。わざわざ出ていくって言う人間まで引き留めて話したくはないから。

永敏 : さっさと話せよ。疲れてんだ。西北のほうまで運転してきたんだから。

粹廷 : あんたたち同士で監視し合えるようにするわ。一つの志にまとめてね。よく聞いて。下手に出遅れてジラルするんじゃないわよ。

粹廷が自分の居室へ向かう堦石(デッドル)に足を上げ、縁側に腰掛けた。

粹廷 : 團長は、あたしが殺す。

淡々と明かした粹廷の意に、全員がいかにも驚いた表情だった。

粹廷 : 鍵を捕らえた者に。鍵を殺した者に。團長代行の座にいるあたしが、次の團長の座をあげる。あたしに欲はない。策士の務めが有事の際の團長代行だってことは、みんな知ってるでしょ?

正賢 : なんで?

粹廷 : あたしは近いうちに死ぬから。

粹廷の淡々とした声に、皆が嘲笑を含んだまま、鼻で笑い始めた。

永敏 : もう少しましなことを言え。お前がもうすぐ死ぬのに、團長はどうやって殺すんだよ? なに、屍にでもな——

永敏が話している途中でふと浮かんだ考えに口を止めた。事実を知っている永敏と正賢が、顔を向けてくすくす笑っている智胤を見つめた。

智胤 : ちょっとすごいわね。まあね。もうくたばったもの相手に、あんたら全員手の打ちようがないもんね。團長だろうが何だろうが。死んだものを生きてるものがどうやって消すのよ。

粹廷 : 死んだものが團長の座にいるわけにはいかない。別にその気もないし。현사(玄絲:ヒョンサ)も受け入れないでしょう。だから、次の團長の座はこの中で先に鍵を殺した者にあげるわ。

智胤 : もしもよ、あたしが殺したら? そしたらあたしもオンニみたいに屍のまま留まるんだけど、團長にしてくれるの?

智胤の状態を知らないまま智胤のせせら笑いを聞いた場の人間たちが、しばし怪訝さと驚きを隠せなかった。

粹廷 : あんたはその前に砕けるから、心配しないで。

智胤 : 誰が砕けてやるっての?

粹廷が口の端をひくつかせながら智胤に答えた。

粹廷 : 屍は不滅じゃないのよ。気をつけなさい。たかが雑鬼ごときが取り憑いてるだけの分際で。そんなものはいつだって送り返せる。送り返したところで、삼도천(三途川:サムドチョン)が受け入れるわけがないし。あんたはただ砕けるだけ。存在したことすらなかったように。

粹廷の言葉に智胤がせせら笑っていた嘲笑をひとまず止めた。

粹廷 : とにかく。だから鍵を殺せばいいの。それが全てよ。ボーナスとして、候補者を連れてきなさい。生きたまま。そしたらそれも加点? みたいに考慮してあげる。ひょっとしたら分からないでしょ? もう鍵が傳令(デンレイ)を宿してるなら、一人じゃできないかもしれないじゃない。そしたら協力するでしょ。二つか三つのグループが同率なら、二人とも團長の座に上げられるわけないでしょ? これまでの基準どおりに團長の座をあげることもできないだろうし。候補だなんて書かれたあいつらを殺さないで連れてきなさい。加点をあげるから。

正賢が周囲を見回してから、素っ気なく言った。

正賢 : 三人のアマが見当たらないな。

美延 : あいつらが混ざるわけないでしょ。あたしらみたいなのとは口もきたくないだろうし。

藝珠 : あー。集賢館長、精武館長、敎務所長。

粹廷 : これは、あたしが独断で進めてることだから、あたしたちだけで収めてほしい。知られたところでいいこともないでしょ。あたしが團長を殺すことすら知らなかったくせに。

永敏 : どうやってお前を信じろってんだ?

粹廷 : じゃあそのまま出ていけばいい。今広げる名簿は見られないけどね。

珠希 : このままあたしがオンニを密室に引っ張っていったら?

粹廷 : 今あたしと一緒にいるのは何、幽霊? あたしが呼ばないとでも? あんたが何、偵察しに来たの? 座が欲しいから来たんでしょ?

粹廷のしとやかな詰問に、全員が言葉を継げなかった。粹廷がしばし場内を見回した。

粹廷 : 行かないの? 行く人は行きなさいって。見たら後には引けなくなるわよ。一堂に集めなきゃ互いに密告できないでしょうから、集めて話したの。

全員が沈黙した。粹廷が唇を軽くひくつかせてから、懐にあった卷子を解いて、床に広げるように置いた。

粹廷 : 名前と場所。時刻。最後の名前を除いて、全部入ってる。この中で、どの誰が本物の鍵なのかはみんなお見通しでしょ? だから、その日が来る前までに、候補者の命をたくさん持ってきなさい。前日までに。

名簿の一部を既に知っていた永敏と正賢が頷いてから、床に置かれた名簿を携帯電話の写真に収めた。続いて他の者たちもそれぞれの方法で記録をそのまま写し取った。

粹廷 : 行きなさい。これ以上留めておきたくないから。


Scene 26.

全員がその場を去ったあと、粹廷(スジョン)がしばし解いていた門の呪術を再び施した。依然として家屋の周囲に帳を張ったまま、粹廷が歩を進めて庭を横切った。堦石(デッドル)の上に黒い雲鞋(ウンヘ)を脱ぎ置いたあと、黒い襪(ポソン)の足を縁側に上げた。はためく長い帖裏(チョルリク)が吹かぬ風にたちまち元の位置を取り戻した。戸を開けて中に入った。小さな韓屋の部屋には各種の調度品が可愛らしく並んでいた。粹廷が入った自分の部屋に、美延(ミヨン)が歩を合わせてついてきていた。粹廷の化粧台にじっと座っていた。部屋に入った美延が戸に閂を掛けたあと、しばらくじっと立っていた。美延の気配が黒く染まっていく心地だった。実際に変わったものは何もなかったが、不穏な空気が感じられ始めた。粹廷が化粧台に座っていた身体を起こし、床に膝をついて座った。美延の声そのままに、落ち着いた口調が流れ出た。

美延(假先知者) : 皆、去ったか。

粹廷 : はい。伝えるべきことも全てお伝えいたしました。

美延が頷いた。

美延(假先知者) : 実のところ、大したことでもないのに、あまりに長く引き延ばしておるようでな。この方がよかろうと思うたのだ。一堂に集めてこそ、互いに牽制もするであろう。あやつらは高潔でもなく、義でもないのだからな。

粹廷 : ですが、今すぐあの者たちを始末なさるおつもりはないと存じます。

美延(假先知者) : 無論だ。半端な技でも、惜しいときには要るものだからな。

粹廷 : あの者たちの命を延ばすことも、さほど望ましくはございますまい。

美延(假先知者) : だからとて、我がお前たちの一族を惜しんでおるという意味ではない。お前も同じぞ。

じっと立っていた美延の身体が震え始めていた。その気配を読んだ粹廷が、慎重に訊いた。

粹廷 : よくぞ、遠路をお出ましくださいました。

美延(假先知者) : 長くはおれぬ。永きに亘り、まともな存在を摂ることが叶わなんだゆえ。それで、

粹廷 : はい。仰せください。

美延(假先知者) : 何でもよい、一つ命を持ってまいれ。あやつらに悟られぬよう。静かに。

粹廷が身を移し、自分の寝台の傍らに腰掛けた。

粹廷 : 承知いたしました。

しばし粹廷を見つめてから、明るい笑みを浮かべて粹廷を見やった。

美延(假先知者) : 貢納の備えが整うたと思うたとき、我のもとへ参れ。お前が上がってくるときは、閂を開けておこうぞ。

美延の口を通じて、長い話を伝えた存在が消え入るように、まっすぐ立っていた美延の身体が力なく崩れ落ち、床に鈍い音を生んだ。粹廷はそんな美延を支えもせず、そのまま放って置いたまま、その場を後にした。