千里眼は闇を視る

 銀次と敏江はようやく意識を取り戻した。案の定、なぜ自分達が妙前家にいるのかすぐには理解できなかったようだ。二人とも混乱し、目の前にいる薫と高臣の顔を見て青ざめていた。

「申し訳ない! 妙前様とは誓約書を交わしていたのに、約束を破ってこんな所まで押し掛けて……! 一体どうしてここに来ようと思ったのか、どう頭を捻っても思い出せない始末で……!」

 事態を理解した銀次は床に這いつくばるように土下座をした。敏江も大慌てでそれに合わせる。

「どうぞ頭をお上げください。怪異に取り憑かれると、自分の意思とは関係なく無茶な行動を取ることがあるんです」
「は……かいい、とは?」

 銀次と敏江はポカンとしていた。無理もない、怪異の存在はごく一部の人間しか知らない。地方でのんびり暮らしている二人が知るはずのないものだ。
 高臣は二人を椅子に座らせ、怪異について説明をした。最初は狐につままれたような顔をしていた二人だったが、やがて真剣な顔で高臣の話に耳を傾けていた。薫の力が怪異を見抜くものであったと知った二人は、ここでようやく妙前高臣が薫を必要とした本当の理由を知ったのだった。

「……へえ……そうでしたか……そんな恐ろしいもんがそこら中にいるなんて、考えもしませんでしたよ」
「普通に暮らしていれば、怪異と出会うことはありません。ですが銀次さんと敏江さんはどこかで怪異に入り込まれた。しかも怪異の大きさからみて、入られた時期はほぼ同時だと思われます」
「そんな……あたしらには全く心当たりがありませんよ。ねえ? あんた」

 敏江は困ったような顔で銀次を見る。銀次も首を捻りながら「いつ入られたんだろうなあ」と呟く。高臣はぐっと体を乗りだし、二人の顔を交互に見る。

「実は、東北の地というのは宮廷が重視している場所でして、昔から怪異が生まれやすいと言われている場所でもあります。ですから宮廷側としても近衛隊を強化し、警戒に当たっているのですが……根絶させるというのはなかなか難しいものがあります。お二人もたまたま入り込まれたのでしょう。とにかく、もう怪異は退治しましたので、ご安心ください」

「そ……それなら良かった。なあ?」
「そうねえ。高臣様が退治してくださったんだから」

 二人はようやく安心したようで、こわばった表情が和らいだ。この間、薫は一言も口を開かなかった。高臣は「嫌なら部屋に戻っているといい」と言ったが、薫は残ると言った。いつまでも両親から逃げているわけにもいかない。薫はこの時、覚悟を決めていた。

「……お父さん、お母さん」

 とうとう薫が口を開き、銀次と敏江は驚いて娘を見た。

「命が無事で良かった。でも、もう私と高臣様に会いに来ないでください」

 銀次の顔がみるみる赤くなった。

「……な、なんだ薫! 確かに急に押しかけて来たのは悪かったが、これは怪異のせいだったんだぞ? 親と久しぶりに再会したっていうのに、それが娘の態度か?」
「そうよ、薫! もう少し親を労わる気持ちはないの?」

 敏江も銀次と一緒になって薫に詰め寄る。

「怪異に取り憑かれたのは気の毒だったと思う。でも、そもそも私を永田に売って金をもらい、妙前家からも結納金をいただいたのに、それでも足りないと欲をふくらませたのは自分達でしょう!」

 薫は静かに怒りをぶつけた。銀次と敏江は少し怯んだが、娘に負けまいと言い返す。

「華族様に選ばれたからって、随分と偉くなったもんだ。すっかり華族気取りで俺達に説教か? 食堂をやっていくのは大変なんだ。金がかかるんだよ! お前には分からんだろうが」
「私知ってるのよ、お父さん。毎晩のように飲みに出かけてたけど、それだけじゃなかったでしょ? 怪しい博打にのめり込んで、相当借金を増やしたって。他のお客さんが話してたの、私聞いたんだから!」
「な……なんで、お前……」

 銀次は図星だったのか、視線を激しく動かしながらうろたえた。横の敏江は知っているようで、目を逸らしながら小さくため息をつく。

「お母さん、その着物とっても素敵。でもそれを買った時、怪異に取り憑かれてた? それとも取り憑かれる前? どっちでもいいわ、店の稼ぎで買ったものじゃないってことだけは分かるから。お父さんの博打を止めるどころか、一緒になって贅沢をしようとしていたお母さんも同じじゃない」

「……母親に向かって! あんたをそんな生意気な子に育てた覚えはないよ!」
「生意気で結構です。私、帝都に来て分かったことがあるの。それは、人ってどこにいてもどうにか生きていけるんだってこと。永田の見世物小屋での生活は、本当に辛かったけど生きていくことはできた。だからこれからも、何があっても私はここで頑張るつもりです」

 薫は高臣に視線を送った。高臣は薫を見つめ、無言で頷いた。

「ですからどうぞ、お帰り下さい。これは娘の私からの、最後のお願いです」

 すっと椅子から立ち上がった薫は、静かに頭を下げた。窓の外からは、ひぐらしがカナカナと鳴く声が聞こえ、夕焼けの空に響いた。



 銀次と敏江は運転手の牧野が駅まで送ることになった。ゆっくりと家を出ていく自動車を、薫と高臣は門の外で見送っていた。

「……私は、勝手な娘です」

 自動車が見えなくなった後、薫はポツリとこぼした。

「あなたは勝手な娘じゃない」

 高臣は真っすぐに、道路の先を見ながら言った。薫が高臣に目をやると、高臣は視線に気づいて薫に向き直る。

「人の縁というのはいつも繋がっているわけじゃない、と僕は思う。切れたと思えばまた繋がったり……一度切れたらそれきりとなることもある。本当に必要な人なら、一度切れた縁でも必ず繋がる。だから、今切れた縁を悔やむことはないよ」

 高臣の穏やかな声が、薫の耳から胸の中へ通り抜けていく。薫の大きな瞳からぽろりと涙がこぼれ落ち、高臣は涙をそっと指で拭った。


♢♢♢


 その夜、お風呂から上がった薫が階段を上がろうと足を掛けた時、高臣が声を掛けて来た。

「薫さん、休む前にちょっと……一緒にレコードでも聴かないか?」

 薫は驚いて足を止め、振り返った。高臣は先に風呂に入っていて、浴衣姿で寛いだ格好だ。高臣がこうして薫を誘ってきたのは初めてだったが、薫はなんだか気恥ずかしさを覚えながら頷いた。
 リビングルームに二人は入り、薫はソファに腰かけた。高臣は棚の中からレコードを取り出して蓄音機にかける。

「音楽がお好きなんですか?」

 薫の隣に座った高臣に、薫は笑顔で尋ねた。高臣が早い時間に帰宅した時は、一人でレコードを聴いていることがよくあった。

「そうだな。でもどちらかというと、音楽が好きなのは僕よりも高明の方だった。このレコードも、殆どは高明が集めたものだよ」
「そうだったんですね……」

 病で亡くなった弟を偲んで、彼はレコードを聴いていたのだろうか。そんなことを想像すると、薫は胸がぎゅっと苦しくなった。

「弟さんとは、本当に仲が良かったんですね」

 薫の言葉に、高臣は笑みを浮かべながら遠くを見つめた。

「高明は体こそ弱かったが、性格が明るくてみんなに好かれていた。僕達は双子だけど、まるで違っていたんだ。素晴らしい千里眼を持つ高明と、全く千里眼を持たない僕。体の弱い高明と、丈夫で風邪一つ引かない僕。でも、僕らは幼い頃からずっと一緒で、とても仲が良かった……」

 高臣は何故か最後の一言の後、何かを言おうとして辞めた。薫はそれが気になり、高臣の横顔をじっと見つめる。高臣は薫の視線に気づくと気まずそうに微笑んだ。

「……あなたには、全てを打ち明けるべきかもしれない」
「全てとは?」

 高臣は真顔に戻ると、薫に体を向けて座り直した。

「聞いてもらえるだろうか? 高明が亡くなった、本当の理由を」

 薫は静かに頷いた。高臣は心を決めたのか、大きく深呼吸をしてから薫に話を始めた。



「高明は病で亡くなったと話していたね? 高明は確かに幼い頃は体が弱く、しょっちゅう寝込んでいた。だが成長すると少しずつ丈夫になって、無理をしなければ普通の生活は送れるようになっていたんだ。だが高明は、突然大きな病にかかり、あっという間に死んだ。世間ではそういうことになっているが、実は違う」
「違う?」

 薫は不思議そうに首を傾げた。確か茉莉恵も「高明はある時突然倒れた」と話していたはずだ。

「このことは僕と春江、それと父上、後は宮廷の一部の人間しか知らないことだ。高明は病で亡くなったのではない――高明は『怪異』に取り憑かれていた。だから僕は高明の怪異を退治した」

 薫の瞳が驚きで大きく広がる。高明の言葉の意味をその通りに受け取るならば――

「高明の命を奪ったのは、この僕だ」

 高明は落ち着いた声で、薫に打ち明けた。