千里眼は闇を視る

 薫は茉莉恵と別れた後、茉莉恵の運転手に自宅まで送ってもらった。茉莉恵はホテルに残り、今夜のパーティーの為に色々と支度があるのだという。茉莉恵との楽しい時間を過ごし、充実した気分で自宅に帰った薫は、運転手に礼を言って車を降りた。

 その時、薫は見慣れた自宅を見上げ、眉をひそめた。

(……何? なんだか嫌な感じが……)

 薫は突然寒気を感じ、全身に鳥肌が立った。これまで妙前家で一度も感じたことのない『嫌な気配』だ。薫は反射的に駆け出していた。この家に、何かが入り込んでいる。



「ああ、お帰りでしたか! 薫様。今……」

 春江が慌てて出迎えに出てきた。挨拶も早々に薫は急いで家に上がる。玄関には見知らぬ下駄と草履があった。この来客が『嫌な気配』を持ち込んだのは間違いない。

 急に扉が開いたことに驚き、中にいた四人が一斉に薫を見た。

 薫は思わず悲鳴を上げそうになった。何故なら、振り返った二人の来客の顔には『真っ黒な蛇』がいたからだ。両目と口から蛇がうねうねと出て、顔を覆っている。

「薫! 元気だったか」
「会いたかったわあ! 薫」

 薫は二人の声を聞き、まさかと思った。その声は間違いなく両親のものだ。だが二人の顔は既に怪異に乗っ取られ、殆どが見えなくなっていた。薫はすうっと体中が冷たくなり、気持ちが悪くなってきて立っていられない。

「薫さん!」

 高臣の焦ったような声を聞きながら、薫はそのまま意識を失った。


♢♢♢


 薫が意識を取り戻すと、目の前に高臣の心配そうな顔があった。

「良かった、薫さん! 大丈夫か?」
「高臣様、私……」

 薫は慌てて起き上がる。ここは薫の寝室で、ベッドに寝かされた状態だった。ベッドの端に高臣は腰かけ、薫を見守ってくれていたようだ。

「勝手にあなたの部屋に入ってすまなかった。突然応接室で倒れたものだから、ここまで運ばせてもらったよ」
「いえ、ご迷惑をおかけしてすみません……あの、両親は……?」

 普段なら自分の部屋に高臣が入ってきたら緊張するところだが、いまはそれどころではない。薫は真っ先に両親のことを尋ねた。

「直弥が相手をしてくれている。二人には薫さんが倒れたので、少し休ませると言ってある」
「そうですか……」

 浮かない表情で答える薫の顔色は良くなかった。高臣は薫の顔をじっと覗き込むように見つめた。

「薫さん、さっき急に倒れたのは何かわけがあるのか?」

 薫は唇を震わせ、何かを話そうとしている。高臣は薫の肩を掴み、更に顔を近づけた。

「薫さん、話してくれ。あの両親に『何を』見たんだ?」


「……顔が……二人とも……黒い蛇が……」


 ようやく絞り出すように言った薫の言葉を聞き、高臣は瞳を大きく開いた。

「まさか、両親が二人とも、怪異に……!?」

 薫は震えながら頷いた。高臣は思わず、震える薫を強く抱きしめる。

「薫さん、大丈夫だ。怪異が見えるのは顔だけなんだな?」
「は……はい」
「まだ全身までは取り憑かれていない。今すぐに退治をしよう。今なら二人を救える」

 薫は体を震わせたまま、何も答えない。高臣は薫の髪を撫で、更に強く抱きしめた。

「後は僕と直弥に任せて。あなたは何も心配しなくていい」

 体を離した高臣は、薫に微笑んだ。そして立ち上がり、部屋を出ようとした高臣に薫は声をかけた。

「私も、一緒に行きます。高臣様のお手伝いをするのが、私の役目です」

 振り返った高臣は、無言で頷いた。



 高臣と薫は一緒に応接室に戻った。部屋の中では直弥が銀次と敏江の相手をしていた。直弥は初対面の人とも話を弾ませるのが上手い。銀次と敏江は上機嫌で自分達の自慢話をしていて、直弥はにこやかにそれを聞いていた。

「戻って来たのか、薫。具合は大丈夫なのか?」
「薫、急に倒れたりするから驚いたのよ?」

 二人は薫に話しかけるが、薫の表情はこわばったままだ。薫の目には、黒い蛇が目と口からぬるりと出て顔に巻き付いている恐ろしい化け物にしか見えない。高臣は薫をかばうように前に立った。

「外が暑かったので気分が優れなかったようです。もう平気ですのでご心配なく」
「それなら安心だけどなあ……本当に大丈夫か? 薫」

 銀次は椅子から立ち上がり、薫に近づこうとしてきた。高臣は咄嗟に、後ろ手に隠していた柄に力を込める。薫は高臣の刀に美しい青い刀身が現れるのを見た。直弥はそれに気づき、それまで笑顔だった表情が真顔に代わった。

「薫さん、二人から離れていてくれ」

 高臣は薫に向かって小声で呟くと、青い刀を前に出した。

「ひいいっ、な、なんだその刀は!?」

 青い炎で形作られた刀身を見た銀次は急に怯えだした。椅子に座っていた敏江も青い刀を見ると目を見開き、慌てて椅子から立ち上がろうとした。二人にはそれが何か分からなくても、二人に取り憑く怪異はそれの正体に気づいている。
 青い炎は帝の力そのものだ。帝は怪異を浄化させる力を持つとされ、その力は代々帝のみに受け継がれる。帝は刀に力を分け与え、その刀を使い高臣達は怪異を倒す。怪異に取り憑かれ、操られた人間は本来持つ力以上に暴れることがある。そうなる前に怪異を断ち切るのが重要だ。

(二人とも頭に憑いている。暴れられる前に終わらせる)

 高臣が直弥に視線を送ると、直弥も自分の刀を取り出し、高臣と同じように青い刀身を出した。高臣と直弥はお互い目で合図をした。

「今上様の命により、妙前高臣が怪異を斬る」

 刀を構えた高臣と直弥の姿に、銀次と敏江は逃げようと背を向けた。高臣の剣先がわずかに銀次の後頭部をかする。

(外した!)

 高臣の顔に焦りが浮かんだその時、横から薫が飛び出してきた。薫は銀次に体当たりをして、銀次と薫はその場に倒れこんだ。

 その隙を狙い、高臣は刀を持ち替え、床に転ぶ銀次の頭を突き刺すように刀を振り下ろした。
 高臣はすぐに刀を抜き、もう一人の怪異、敏江に目をやる。直弥は既に敏江の怪異を斬った後で、直弥の刀から青い炎が徐々に消えて行った。

「お前がいてくれて助かったよ。直弥」
「二人同時というのは、実践では初めてだね。訓練はしておくものだな」

 高臣と直弥は顔を見合わせ、ホッとしたように笑いあう。銀次と敏江は床に倒れたままだが、二人とも息はあるようだ。

「薫さん、足止めをしてくれて助かった」

 両親の様子を見ていた薫に、高臣が声をかけた。

「いいえ……お役に立ててよかったです」

 薫は高臣に微笑んで見せた。だがすぐに薫の表情は暗くなる。高臣と直弥のおかげで、怪異はすっかり姿を消した。先ほどまで漂っていた嫌な気配も消えている。両親の命も無事だった。全て丸く収まったのだが、薫の気分は重かった。

「直弥、後のことはこちらで処理する。お前は近衛隊に戻ってくれ」
「大丈夫か?」

 直弥は心配そうな顔で、床に転がる二人と薫を見た。

「後は『家族の話』だ。今日はもう近衛隊に戻らないから、そう伝えておいてくれ」
「分かった。それじゃあ薫さん、僕は先に戻ります」
「あ! はい。色々ありがとうございます」

 薫は慌てて立ちあがり、直弥に頭を下げた。直弥は「見送りは結構だよ」と言い残し、部屋を出て行った。