高臣の実家へ行ってから数日後のある朝、いつものように朝食を食べていた時に高臣は突然薫に「花火大会へ行こう」と誘って来た。
「花火大会……ですか?」
「前にポスターを見ていただろう? 花火大会は週末なんだ」
実家へ行く時に見かけたポスターを見ながら話をしたことを、高臣は覚えていた。薫が花火大会を見たがっていると思い、高臣は薫を誘ったのだ。
「嬉しいですけど、いいんですか?」
「何がだ?」
高臣は薫が戸惑っている顔を見て、不安そうに首を傾げる。
「高臣様、あまり花火大会に興味がなさそうでしたので……」
「ああ……いや、気にしなくていい。花火そのものが嫌なわけじゃないんだ」
「そうでしたか。それなら、ぜひ行ってみたいです」
ホッとした薫はようやく微笑む。その表情につられたように、高臣の顔にも笑みが浮かんだ。緩んだ顔を引き締めるように、高臣はわざとらしく口元を固く結んだ。
「で、ではその予定で。よろしく頼む」
「はい! 楽しみですね」
弾む声で答えた薫は、嬉しそうな表情を見せながら食事を続けた。
♢♢♢
花火大会が開かれる当日。薫は浴衣に着替え、まとめ髪に高臣から贈られたかんざしを挿した。藍色の生地にあじさいが描かれた爽やかな浴衣は、三坂屋から急遽取り寄せたものである。
高臣も今日は浴衣姿だった。薫と同じ藍色の浴衣は高臣によく似合っていて、玄関で待っていた高臣を見た薫は思わず彼の姿に目を奪われる。
それは高臣も同じだった。精一杯のお洒落をした薫の美しさに目を奪われた高臣は、無言のまま薫をじっと見ていた。
「あの、お待たせいたしました」
「……ああ、それでは行こうか」
ハッと我に返り、高臣は薫から視線を逸らした。
現地までは運転手牧野に送ってもらうことになり、薫と高臣は後部座席に並んで座った。例年花火大会は非常に混雑するということで、少し早めに家を出る。花火大会は河川敷で行われ、現地に近づくにつれて道を歩く人の混雑が増えているのが見える。
薫はてっきり、どこかで車を降りて歩いて会場の近くまで行くのかと思っていた。だが車は人込みから外れ、会場から離れた場所へ向かっているようだ。一体どこへ向かうのかと思っていると、車はある橋のたもとで停まった。
「ありがとう、牧野。花火が終わる頃にまたここへ来てくれ」
「かしこまりました」
わけがわからないまま、薫は車を降りた。
「ここで花火を見るんですか?」
「そうだ。僕達が花火を見る場所はあれだよ」
高臣は川岸を指さした。きょとんとしたまま高臣が指した先に目をやると、そこには一艘の屋形船が川に浮かんでいた。
「あれですか……?」
「そうだ。混雑している中で花火を見るのは大変だろう? 船を一艘借りたんだ。行こう」
「えっ、借りた!?」
状況がよく呑み込めない薫は、歩き出した高臣に慌ててついていく。その屋形船は近くで見ると大きく、障子窓で囲われ屋根がついた立派なものだった。
「お待ちしておりました、妙前様」
屋形船の前で待っていた屋形船の仲居が、うやうやしく高臣と薫を出迎える。船に乗り込んだ薫は、中が広い座敷になっていることに驚きながらキョロキョロしていた。床は全て畳張りで、箱膳が二つ、向かい合う形で置かれていた。箱膳の上には既に料理が並んでいる。
「薫さん、この船は僕達だけの貸し切りだ。ゆっくりくつろぎながら花火を見よう」
「は、はあ……」
花火を見ようと誘われた時は、てっきりその辺で立ち見でもするのだろうと思っていた薫にとって、屋形船は予想外すぎて現実感がまるでない。屋形船の存在は知っていたが、薫には縁がないものだった。屋形船はお金に余裕のある人々が、酒と食事をお供に船からの景色を楽しむ遊びだ。お金のない庶民には乗る機会がないものだ。
二人は向かい合って座った。目の前には目にも美しい料理が並んでいることに薫はまた驚く。ここは船の上なのに、まるで料亭のようだと薫は思う。
仲居は閉められた障子窓を開け放っていく。川べりの景色が目に入ると同時に、夕方の涼しい風が通り抜け、とても心地がいい。まだ完全に日は落ちていないが、もうじき夜になる時間だ。仲居は座敷の行灯に火を灯し、続いて窓にぶら下がる提灯にも火をつけた。
「花火大会まではまだ時間がある。それまでは食事を楽しもう」
「はい……あの、屋形船ってこんなに豪華な食事が出るんですね、初めて知りました」
「今日は、特別だよ」
高臣が呟いた言葉に、薫は胸がざわざわし始めた。
(特別って?)
気持ちを落ち着かせようと窓から見える景色を見ていると、船が静かに陸を離れ、動き出した。これから花火大会の会場近くまで行くのだという。船が出た後、仲居が「失礼いたします」とやってきて、二人の前に徳利とお猪口を置いた。
「後は自分でやる。下がっていいよ」
「かしこまりました」
仲居は一礼して下がって行った。よく見ると座敷の奥に扉があり、向こう側に仲居や料理人がいる空間があるようだ。仲居が扉を閉めると、座敷は完全に二人きりになった。
「薫さんは無理に飲まなくていい」
「すみません」
高臣は自分で徳利を持ち、酒を注いだ。薫はそれを見てハッとなる。
「あ、お酒は私が……!」
「今日はあなたの為にこの場を用意したんだ。気にしなくていい」
すまなそうにしている薫の顔を、高臣は微笑みながら見ていた。
「前に、付き合いで屋形船に乗ったことがある。その時、もう船は出ていたのに酔っぱらった隊士の一人がもっと酒が欲しいと言い出して、暴れ出して大変だったよ」
「それは……大変でしたね」
「酒癖の悪い奴でね、いつも手を焼いてるよ」
高臣は文句を言いながらも、その口元には笑みが浮かんでいる。高臣は楽しそうに他の仲間達のことを薫に話した。その顔は楽しそうで、聞いている薫もなんだか嬉しくなってくる。
「せっかくですので……私も少し、飲んでみてもいいですか?」
「大丈夫か? 無理はするなよ」
高臣に酒を注いでもらい、薫は恐る恐るお猪口を持つ。お猪口の中に揺らめく透明な液体を見た後、薫はほんの少し口に運んだ。口の中が焼ける様な味がして、正直言って美味しいとは言い難い。なぜみんなこんなものを喜んで飲むのだろうと思いながら、顔を上げて高臣に無理矢理微笑む。
「美味しいです」
「どう見ても美味しくないって顔だ。もう満足しただろう?」
「はい……すみません」
苦笑いしながらお猪口を置いた薫を見ながら、高臣はぐいっと酒を飲み干した。
二人は世間話をしながら食事を楽しんでいた。途中で仲居が刺身を持ってきたことにまた薫は驚いた。この刺身は船の中で捌いたものだといい、新鮮でとても美味しい。高臣は食事と共に酒を楽しんでいて、それが羨ましくなった薫は、また少しだけ酒を舐めてみたりした。これが飲めるようになるまで、あとどれくらいかかるんだろう……と思っているうちに、気づけば薫のお猪口は空になっていた。
「高臣様、空になってしまいました」
「全部飲んでしまったのか!?」
薫はニコニコしながら「はい」と答える。しまった、という顔をしながら高臣は手を伸ばし、薫からお猪口を取り上げた。
「これくらいにしておいた方がいい」
「私、まだ飲めますよ?」
薫の目はとろんとしていて、既に酒が回っているようだ。高臣は「駄目だ」と首を振った。
「大丈夫ですよ、私、なんだかとっても楽しいんです」
薫は体をゆらゆらさせながらずっと笑顔だ。その顔に一瞬高臣の表情も緩んだが、きゅっと口を結んで「駄目だ」と繰り返した。
その時、ドーン、ドーンとお腹に響くような轟音がして薫は驚いた。
「花火大会が始まったようだな。窓辺に行って見てみよう」
気づけばもう船は花火が見える場所まで来ていたようだ。日はもう落ちて薄暗くなり、行灯と提灯の灯りが幻想的である。周辺にはいくつもの船が出ていて、薫達と同じように船の上から花火見物をしている者がいるようだ。
「凄いですねえ、こんなに沢山の船が」
「危ない!」
他の船を見ようと身を乗り出した薫を、慌てて高臣は抱きとめるように抑えた。
「す、すみません」
「あまり身を乗り出すと危険だ」
薫が顔を見上げると、そこには高臣の顔があった。間近で見ることのない彼の顔に薫は動揺し、反射的にさっと離れてしまう。高臣も咄嗟に薫の体に触れてしまったことに、なんだか気まずそうだ。
再びドーンという音がして、わあっという歓声が聞こえた。急いで空を見上げると、そこには大輪の花が咲き、今まさに散っていくところだ。
「わあ……!」
薫は目を輝かせた。続けてもう一発花火が上がる。今度は最初から花が開くところを見ることができた。夜空にこんなものを打ち上げることができるなんて、なんて素晴らしいんだろうと薫は感動していた。
「綺麗ですね……!」
「ああ、近くで見ると素晴らしいな」
花火が上がるたびにあちこちから歓声が上がり、高臣も気づけば夢中で花火を見ている。
「なんだか、夢を見ているみたいです……少し前までは、こんな未来があるなんて考えもしなかったのに」
夜空に咲く花火を見つめながら、薫はポツリと呟いた。
「これは夢なんかじゃない。これからもっと、あなたと色んな景色を見よう」
思わず薫は高臣の顔を見つめる。高臣は少し緊張した顔で、じっと薫を見つめている。
「……あなたに僕の気持ちを、全て知ってもらいたい。僕は気持ちを伝えるのがあまり得意じゃないから、上手く伝えられるか自信がない。もしもあなたの千里眼が人の心すら覗けるのなら、あなたに全てを見られても構わない。僕の心がそれで伝わるのなら」
高臣の強い視線が、薫の心を貫いた。
「……私の千里眼は、人の心の中までは覗けません。でも……今なら、高臣様の心が見える気がします」
「薫さん……あなたに、触れてもいいか?」
高臣は囁くように言い、薫をじっと見つめた。薫は無言で、静かに頷くと顔を上げた。
薫の瞳に、大輪の花が咲いた。高臣はぎこちなく顔を寄せ、そっと薫の唇に自分の唇を合わせた。
一度目は軽く触れた。薫はその瞬間、ビクッと体を震わせる。
二度目はしっかりと触れた。高臣の手が薫の肩を掴み、やがてその手は薫の背中に回る。
――ああ、これが『分かり合う』ということなんだわ――
言葉にはしなくとも、高臣の薫に対する愛情が伝わる。薫を傷つけないように、たった一本の花を大事に抱える子供のように、高臣は薫を抱きしめた。
「あなたは――とても綺麗だ」
高臣はようやく体を離すと、薫を愛おしそうに見つめた。
「花火大会……ですか?」
「前にポスターを見ていただろう? 花火大会は週末なんだ」
実家へ行く時に見かけたポスターを見ながら話をしたことを、高臣は覚えていた。薫が花火大会を見たがっていると思い、高臣は薫を誘ったのだ。
「嬉しいですけど、いいんですか?」
「何がだ?」
高臣は薫が戸惑っている顔を見て、不安そうに首を傾げる。
「高臣様、あまり花火大会に興味がなさそうでしたので……」
「ああ……いや、気にしなくていい。花火そのものが嫌なわけじゃないんだ」
「そうでしたか。それなら、ぜひ行ってみたいです」
ホッとした薫はようやく微笑む。その表情につられたように、高臣の顔にも笑みが浮かんだ。緩んだ顔を引き締めるように、高臣はわざとらしく口元を固く結んだ。
「で、ではその予定で。よろしく頼む」
「はい! 楽しみですね」
弾む声で答えた薫は、嬉しそうな表情を見せながら食事を続けた。
♢♢♢
花火大会が開かれる当日。薫は浴衣に着替え、まとめ髪に高臣から贈られたかんざしを挿した。藍色の生地にあじさいが描かれた爽やかな浴衣は、三坂屋から急遽取り寄せたものである。
高臣も今日は浴衣姿だった。薫と同じ藍色の浴衣は高臣によく似合っていて、玄関で待っていた高臣を見た薫は思わず彼の姿に目を奪われる。
それは高臣も同じだった。精一杯のお洒落をした薫の美しさに目を奪われた高臣は、無言のまま薫をじっと見ていた。
「あの、お待たせいたしました」
「……ああ、それでは行こうか」
ハッと我に返り、高臣は薫から視線を逸らした。
現地までは運転手牧野に送ってもらうことになり、薫と高臣は後部座席に並んで座った。例年花火大会は非常に混雑するということで、少し早めに家を出る。花火大会は河川敷で行われ、現地に近づくにつれて道を歩く人の混雑が増えているのが見える。
薫はてっきり、どこかで車を降りて歩いて会場の近くまで行くのかと思っていた。だが車は人込みから外れ、会場から離れた場所へ向かっているようだ。一体どこへ向かうのかと思っていると、車はある橋のたもとで停まった。
「ありがとう、牧野。花火が終わる頃にまたここへ来てくれ」
「かしこまりました」
わけがわからないまま、薫は車を降りた。
「ここで花火を見るんですか?」
「そうだ。僕達が花火を見る場所はあれだよ」
高臣は川岸を指さした。きょとんとしたまま高臣が指した先に目をやると、そこには一艘の屋形船が川に浮かんでいた。
「あれですか……?」
「そうだ。混雑している中で花火を見るのは大変だろう? 船を一艘借りたんだ。行こう」
「えっ、借りた!?」
状況がよく呑み込めない薫は、歩き出した高臣に慌ててついていく。その屋形船は近くで見ると大きく、障子窓で囲われ屋根がついた立派なものだった。
「お待ちしておりました、妙前様」
屋形船の前で待っていた屋形船の仲居が、うやうやしく高臣と薫を出迎える。船に乗り込んだ薫は、中が広い座敷になっていることに驚きながらキョロキョロしていた。床は全て畳張りで、箱膳が二つ、向かい合う形で置かれていた。箱膳の上には既に料理が並んでいる。
「薫さん、この船は僕達だけの貸し切りだ。ゆっくりくつろぎながら花火を見よう」
「は、はあ……」
花火を見ようと誘われた時は、てっきりその辺で立ち見でもするのだろうと思っていた薫にとって、屋形船は予想外すぎて現実感がまるでない。屋形船の存在は知っていたが、薫には縁がないものだった。屋形船はお金に余裕のある人々が、酒と食事をお供に船からの景色を楽しむ遊びだ。お金のない庶民には乗る機会がないものだ。
二人は向かい合って座った。目の前には目にも美しい料理が並んでいることに薫はまた驚く。ここは船の上なのに、まるで料亭のようだと薫は思う。
仲居は閉められた障子窓を開け放っていく。川べりの景色が目に入ると同時に、夕方の涼しい風が通り抜け、とても心地がいい。まだ完全に日は落ちていないが、もうじき夜になる時間だ。仲居は座敷の行灯に火を灯し、続いて窓にぶら下がる提灯にも火をつけた。
「花火大会まではまだ時間がある。それまでは食事を楽しもう」
「はい……あの、屋形船ってこんなに豪華な食事が出るんですね、初めて知りました」
「今日は、特別だよ」
高臣が呟いた言葉に、薫は胸がざわざわし始めた。
(特別って?)
気持ちを落ち着かせようと窓から見える景色を見ていると、船が静かに陸を離れ、動き出した。これから花火大会の会場近くまで行くのだという。船が出た後、仲居が「失礼いたします」とやってきて、二人の前に徳利とお猪口を置いた。
「後は自分でやる。下がっていいよ」
「かしこまりました」
仲居は一礼して下がって行った。よく見ると座敷の奥に扉があり、向こう側に仲居や料理人がいる空間があるようだ。仲居が扉を閉めると、座敷は完全に二人きりになった。
「薫さんは無理に飲まなくていい」
「すみません」
高臣は自分で徳利を持ち、酒を注いだ。薫はそれを見てハッとなる。
「あ、お酒は私が……!」
「今日はあなたの為にこの場を用意したんだ。気にしなくていい」
すまなそうにしている薫の顔を、高臣は微笑みながら見ていた。
「前に、付き合いで屋形船に乗ったことがある。その時、もう船は出ていたのに酔っぱらった隊士の一人がもっと酒が欲しいと言い出して、暴れ出して大変だったよ」
「それは……大変でしたね」
「酒癖の悪い奴でね、いつも手を焼いてるよ」
高臣は文句を言いながらも、その口元には笑みが浮かんでいる。高臣は楽しそうに他の仲間達のことを薫に話した。その顔は楽しそうで、聞いている薫もなんだか嬉しくなってくる。
「せっかくですので……私も少し、飲んでみてもいいですか?」
「大丈夫か? 無理はするなよ」
高臣に酒を注いでもらい、薫は恐る恐るお猪口を持つ。お猪口の中に揺らめく透明な液体を見た後、薫はほんの少し口に運んだ。口の中が焼ける様な味がして、正直言って美味しいとは言い難い。なぜみんなこんなものを喜んで飲むのだろうと思いながら、顔を上げて高臣に無理矢理微笑む。
「美味しいです」
「どう見ても美味しくないって顔だ。もう満足しただろう?」
「はい……すみません」
苦笑いしながらお猪口を置いた薫を見ながら、高臣はぐいっと酒を飲み干した。
二人は世間話をしながら食事を楽しんでいた。途中で仲居が刺身を持ってきたことにまた薫は驚いた。この刺身は船の中で捌いたものだといい、新鮮でとても美味しい。高臣は食事と共に酒を楽しんでいて、それが羨ましくなった薫は、また少しだけ酒を舐めてみたりした。これが飲めるようになるまで、あとどれくらいかかるんだろう……と思っているうちに、気づけば薫のお猪口は空になっていた。
「高臣様、空になってしまいました」
「全部飲んでしまったのか!?」
薫はニコニコしながら「はい」と答える。しまった、という顔をしながら高臣は手を伸ばし、薫からお猪口を取り上げた。
「これくらいにしておいた方がいい」
「私、まだ飲めますよ?」
薫の目はとろんとしていて、既に酒が回っているようだ。高臣は「駄目だ」と首を振った。
「大丈夫ですよ、私、なんだかとっても楽しいんです」
薫は体をゆらゆらさせながらずっと笑顔だ。その顔に一瞬高臣の表情も緩んだが、きゅっと口を結んで「駄目だ」と繰り返した。
その時、ドーン、ドーンとお腹に響くような轟音がして薫は驚いた。
「花火大会が始まったようだな。窓辺に行って見てみよう」
気づけばもう船は花火が見える場所まで来ていたようだ。日はもう落ちて薄暗くなり、行灯と提灯の灯りが幻想的である。周辺にはいくつもの船が出ていて、薫達と同じように船の上から花火見物をしている者がいるようだ。
「凄いですねえ、こんなに沢山の船が」
「危ない!」
他の船を見ようと身を乗り出した薫を、慌てて高臣は抱きとめるように抑えた。
「す、すみません」
「あまり身を乗り出すと危険だ」
薫が顔を見上げると、そこには高臣の顔があった。間近で見ることのない彼の顔に薫は動揺し、反射的にさっと離れてしまう。高臣も咄嗟に薫の体に触れてしまったことに、なんだか気まずそうだ。
再びドーンという音がして、わあっという歓声が聞こえた。急いで空を見上げると、そこには大輪の花が咲き、今まさに散っていくところだ。
「わあ……!」
薫は目を輝かせた。続けてもう一発花火が上がる。今度は最初から花が開くところを見ることができた。夜空にこんなものを打ち上げることができるなんて、なんて素晴らしいんだろうと薫は感動していた。
「綺麗ですね……!」
「ああ、近くで見ると素晴らしいな」
花火が上がるたびにあちこちから歓声が上がり、高臣も気づけば夢中で花火を見ている。
「なんだか、夢を見ているみたいです……少し前までは、こんな未来があるなんて考えもしなかったのに」
夜空に咲く花火を見つめながら、薫はポツリと呟いた。
「これは夢なんかじゃない。これからもっと、あなたと色んな景色を見よう」
思わず薫は高臣の顔を見つめる。高臣は少し緊張した顔で、じっと薫を見つめている。
「……あなたに僕の気持ちを、全て知ってもらいたい。僕は気持ちを伝えるのがあまり得意じゃないから、上手く伝えられるか自信がない。もしもあなたの千里眼が人の心すら覗けるのなら、あなたに全てを見られても構わない。僕の心がそれで伝わるのなら」
高臣の強い視線が、薫の心を貫いた。
「……私の千里眼は、人の心の中までは覗けません。でも……今なら、高臣様の心が見える気がします」
「薫さん……あなたに、触れてもいいか?」
高臣は囁くように言い、薫をじっと見つめた。薫は無言で、静かに頷くと顔を上げた。
薫の瞳に、大輪の花が咲いた。高臣はぎこちなく顔を寄せ、そっと薫の唇に自分の唇を合わせた。
一度目は軽く触れた。薫はその瞬間、ビクッと体を震わせる。
二度目はしっかりと触れた。高臣の手が薫の肩を掴み、やがてその手は薫の背中に回る。
――ああ、これが『分かり合う』ということなんだわ――
言葉にはしなくとも、高臣の薫に対する愛情が伝わる。薫を傷つけないように、たった一本の花を大事に抱える子供のように、高臣は薫を抱きしめた。
「あなたは――とても綺麗だ」
高臣はようやく体を離すと、薫を愛おしそうに見つめた。
