元・同室後輩イケメンは、別室でも俺を独占したいらしい

「広いね、なんかテレビに出てきそう」
 
 玄関を入ってすぐのリビングは、きれいに片付いていて、洋風の家具で統一されていた。
 清瀬がすぐにエアコンのスイッチを入れた。
 
「そういえば深見亭のソファ、大きくて座りやすかったな。適当に座って」
「あ、うん。ありがとう」
 
 深見亭——両親が営んでいる旅館の名前がさらりと出ると少しこそばゆい。清瀬は小学生のころ、来たことがあると言っていた。
 
 どこに座ろうか少し迷って、L字ソファの短い方に腰を下ろした。この位置だと対面キッチンでグラスとかお皿を用意してくれている清瀬と話しやすい。
 
「そういえば、うちに来たのは1回きり?」

 清瀬がうちの旅館に来たことがあると知ってから、ずっと気になっていた。
 
「えーと、3回かな。小学生のころ、夏休みに戻って来ると行ってたから」
「3回も!? そんなに来てくれたんだ。ありがとう、てか言えよな」
「いや、引かない?」
「なんでだよ、嬉しいに決まってんじゃん。うちが気に入って来てくれてたんだろ? 本当はずっと聞きたかったけど、聞けなかったんだかんな」
「すごい、やっぱり跡取りなんだね」
「まあね……」

 感心した表情を浮かべる清瀬に返事をしながら、どこか引っかかった。
 何か大切なことをスルーした気がする。
 今のやり取りを最初から思い出しているうちに、洋風の家具に「あっ」と思った。

「もしかして、清瀬って海外にいた?」
「ふっ……やっと思い出した?」
 
 楽しそうに肩を揺らしながら清瀬がグラスを持って来た。広いソファなのに、わざわざ狭い俺の隣に座った。クツクツと笑う姿になんだか無性に腹が立ってきた。
 
「なんでそれこそ言わねえんだよっ!!」

 
 あの夏——。
 ちょうど庭で蛍を探していた時、迷い込んできた男の子がいた。
 と言っても、蛍の見られる季節には毎年のように迷い込む宿泊客がいるから不思議ではなかった。
 けれど、泣きそうになっている姿に、ぎゅっと胸が痛んだ。
「だいじょうぶ?」
「…………」
 話しかけても何もしゃべらなかった。
 迷子になり、怖すぎて話せないのかと思った。
 とりあえず、「危ないから」と手をつなぎ、近くにいた祖母に知らせた。
 3人で本館へ歩きながら、「蛍、見た?」とか話しかけたと思う。
 その途中、その子を探していた両親と再会した。
「この子、まだ日本にあまり慣れてなくて」
 心配した様子の母親がその子を抱きしめた——。

 
「小さい頃は海外にいることが多くて。内向的な俺を心配した親は、日本が夏休みに入る少し前に帰国して、こっちの小学校に2週間ぐらい通わせるんです。なじめなくて嫌だったなあ」
「それは大変だったな。でも前にこの話になった時、海外にいたことを言ってくれてたら、思い出せたと思うんだけど」
「まあそれは気づいてほしかったっていうか……あんまり海外にいたことも言いたくなかったし」
 
 なんかわかる気がする。
 周囲から妬まれることが多い清瀬にとっては、そうなのかもしれない。
 
「あの頃、深見亭に行くのがごほうびだったんですよ」
「ごほうび……?」
「休まないで学校に行けたごほうび。だからがんばれた」

 ふわっと笑みを浮かべてこっちを向いた。
 
「でも今日は航平のがんばったごほうび。だから、なんでもする」

 整った顔が息も感じそうなほどに近づいてきた。
 
「いや、ちょっと待て!」
「え、なんで」
「ペースが速い! まだ家に着いて10分も経ってないだろ」
「……チッ」
「おいおい、良くないよそれ!」
 
 久しぶりに聞いた清瀬の舌打ち。眉間に皺を寄せてみせても、まったく気にしていない清瀬の手が俺の頬に触れた。

「怒った顔もかわいいですね」
「さっきから敬語……やめろって……」
「そんな急にやめられるわけないだろ」
 
 射抜くような目に変わり、唇を塞がれた。
 直に伝わってくる清瀬の体温に体が一気に熱くなる。
 
「清瀬……っ、ちょっと待って」
「待たない、ずっと待った」
 
 2カ月ぶりのキスだった。
 角度を変えて何度も口づけられ、体から力が抜けていく。ソファの背もたれに深く身を預けて応える。
 
「んっ……」

 すっと口内に滑り込んできた舌に、びくりと肩が揺れた。その柔らかなものに恐る恐る触れてみる。初めての感触にうまく息ができない。水音が響き、広がっていくミントの香りに、はっとした。
 さっきバスの中で清瀬が「食べる?」と差し出してきたタブレット。
 パッケージにあった「強めのミント」という文字を見て、「いい」と断っていた。
 
 ——もしかして、このために勧めてくれていたんじゃ……。
 
 そう気づいてしまったら、猛烈な後悔と焦りが押し寄せてきた。
 こんなことなら、俺もさっき舐めておけばよかった……!

「ん……んっ、待って、ごめんっ!」

 強引に唇を離すと、びっくりしたような顔の清瀬と目が合った。
 
「……嫌だった?」
「ち、違う! 嫌とかじゃなくて……俺、タブレット舐めてないし、 なんか申し訳ないっていうか!」
「なに言ってんの?」
 
 至近距離で不安と疑問が入り混じる表情で見つめられた。
 
「だってこうしようと思って、さっきタブレット舐めてたんじゃないの?」
 
 見つめ返すと、緊張がほどけたみたいにふっと目元が緩んだ。
 
「考えすぎ。だいたい、航平がこのタイミングで俺と初めて会った日のこと思い出すから抑えられなくなったじゃん」
「え、だって」
「もう、せっかく夜まで我慢しようと思ってたのに」

 ——夜までガマン……?

 やっぱり、そういうことを清瀬はするつもりなのか。
 俺だって、それなりに調べた。
 ずいぶん前、「抱かれるのと抱くの、どっちのイメージか」と聞かれた。あの時は答えなかったけど、そんなこと考えるまでもなかった。
 自分のイメージで調べているうちに、恥ずかしさから何度もスマホを伏せた。自分が受けるであろう数々のことを妄想して検索したワードの数々……。
 
 今もし、俺のスマホの検索履歴を晒されたら、あっさり死ねる……。

「……航平?」
 
 俺の意思を問うような目とぶつかって、逡巡して出た言葉はあまりにも残念だった。
 
「てか、もう7時だし夜じゃね?」

 その目が見開いた。
 一拍空いて口角を上げた清瀬に、「しまった!」と一気に焦る俺。

「うわ、そういうこと言うんだ。誘ってる?」
「そっ、そうじゃなくて」
「俺はいいけど、お腹空いてない?」
「……空いて……る」
 
 いや、嘘だ。
 さっきまで感じていた空腹はどこかに消えてしまった。心臓の音がメチャクチャにうるさい。

「じゃあ、とりあえずさっき買ってきたの開けよっか」
「えっ……」

 清瀬はすっと俺から身体を離して、ソファに背を預けていた俺の手を取り起こしてくれた。この一瞬で清瀬の熱っぽさは引き、涼しげな顔に戻っている。
 
 どうしてコイツはそんなにスパッと切り替えられるのか。
 
 なんか俺ばっかり、たった数分で全部溶かされるみたいになって、もういっそこのままどうなってもいいと思った。
 スマホで検索するたびに頭の中を渦巻いた淫らな妄想が、すぐそこまで来ていた。
 そもそも、クールで落ち着いた雰囲気のコイツと俺の妄想は、かみ合ってなかったんだ。
 なんかごめん。
 脳内が妄想で浸食される前に振り払わなければ。
 首を横に振っていると、立ち上がろうとしていた清瀬が振り返った。
 
「どうしたんですか?」
「別になんでもない。ちょっと、トイレ借りる!」

 一刻も早く頭を冷やしたい。
 熱くなった顔を見られたくなくて、勢いよくソファから立ち上がり踏み出した。

「うわっ!」

 重厚なテーブルの角につまづき盛大にバランスを崩した。
 床に倒れ込むと思った瞬間、腕が掴まれた。
 トンと軽い音がして、気づいたら顔のすぐそばに清瀬が手をついていた。体重をかけないように俺の上に覆いかぶさっていた。
 
「あっぶね。わざとですか?」

 見下ろしてくる清瀬の目には、さっき消えたはずの熱が戻っていた。
 
「わざとじゃねえよ。でもなんかもう、お前のせいで調子狂う」
「それはこっちのセリフ。初めてだし、ちゃんとしたいのに我慢できなくなるようなことばっかで、かっこつかねぇ……」

 あぁ、もう……。
 俺だって、どうしていいかわかんなくて準備とか、それらしいことは何にもできてないけど。
 でも、やっぱり俺は……。
 
「来いよ、清瀬」

 体を寄せ、たまらなく好きなヤツに自分からキスをした。
 
「待たせてごめん」
「マジでこういうとこ、ズルい……」
 
 床に押し倒され、のめり込むようなくちづけが首筋に落ちる。きつく吸われたところから、全身に甘いしびれが広がっていく。
 
 まだ、夜は始まったばかりだ——。