文化祭の翌朝。
そっとドアが開く気配にふっと意識が引き戻された。
「清瀬、おはよ」
俺から先に声をかけると、少し驚いたみたいで一拍空いた。
「おはよう、航平。来ると思ってた?」
「ん、入れよ」
隣に促すようにタオルケットを持ち上げた。ちなみにまだ俺の目はうっすらとしか開いていない。なんならこんなふうにベッドに誘うのも初めてだ。なぜならいつも目が覚める前に勝手に清瀬が入っているから。
昨日はいろいろあり過ぎて、よく眠れなかった。
生徒会室で首筋に落とされたキスの痕。
教室に戻ると井上に、「蚊に刺されたんじゃない?」と言われたとき、意味がわからなかった。
「ほら、そこ。首筋」
井上が自分のTシャツの襟元をつかんで「この辺」と言い、はっとして慌ててトイレに駆け込んだ。
襟元をずらして見えた赤い痕に絶句したことをコイツは知らない。
清瀬もベッドに入ると仰向けでふたり並んだ。狭くて互いの腕が密着する。
「浴衣、きのう一日着てたらぐちゃぐちゃになって。もう一度着るのは無理だった、ごめん」
「ううん、俺の方こそ約束破ってごめん」
「ん?」
「昨日でここに来るの最後にするって言ったのに」
「あー、いや、いいよ。俺も最初から浴衣のこと言えばよかったな、ごめん。っていうか、俺にいいとか言う権限ないか。そもそもふたりとも寮則破ってるし」
「ですね……」
そろそろ本当にやめた方がいい。
文化祭も終わり寮の三年フロアは一気に受験モードに切り替わる。ルール違反は今日で最後。
「ちなみにこれってバレたらどうなるのかな? やっぱり反省文だと思う?」
「あー、それは困りますね。反省文なら風呂掃除二週間の方がいいな」
「え、俺は断然反省文の方がいい」
「じゃあ、なんて理由書くんですか?」
うわ、たしかに。
馬鹿正直に「好きだから」なんて書けない。
「……ちなみに清瀬はなんて書く?」
「ずるいな、質問に質問で返さないでください。まあ、でも俺は、……ストレートに話したかったからって書きますかね」
「なんか間があったんだけど」
「好きだからって書いたらどうなるかな、と一瞬よぎったんで。で、航平はなんて書く?」
「あ、まあ……。起こしてもらってた、とか? ほら、俺が朝弱いのは寮監も知ってるし」
「ふーん。らしいですね」
「不服?」
「かなり」
「なんで? 清瀬が書くことと大差ないと思うけど」
「ぜんぜんちがう」
はぁっと清瀬がため息をついて、体を俺の方に向けてきた。弾みでぎしっとベッドが軋む。
「話したい、のしたいには意思があります。航平の理由には意思がないでしょ」
「それは、反省文だし」
「なんか感じちゃうなぁー」
「なにを?」
「温度差」
「……」
言わんとしていることがわかった。書かないまでも、そこは話したかったからとか、会いたかったとか、そんなことを求めているのだろう。
不満げな目の清瀬が、俺をじっと見る。
「わかったよ……稜」
「……」
「え、ダメ?」
「名前呼んだくらいじゃダメです。ちゃんと意思を見せてください」
熱っぽい目でまっすぐ見つめられた。清瀬の指先が俺の首筋をなぞる。
「今日で最後にするから。朝、ここに来るのは本当に最後に……っ」
清瀬の言葉に、頭の中でプツンと何かが切れた。至近距離の薄い唇に自分からキスをした。
「簡単に何度も最後とか言うなよ」
こっちの気も知らないで。
今までそう言われるたびに胸を突かれたみたいに痛かったんだからな。
「マジでずるい。そういうとこ、嬉しいけどマジで心配になる」
「意思を見せろって、稜が煽ってきたんだろ?」
「昨日だって、生徒会室で俺は首筋で我慢したのに、航平が激しくキスしてきて。なんだかんだ言って、いつも航平は……」
清瀬が言葉を途中で切って、目を伏せた。いや、俺は「激しくなんてしてないし!」と抗議したかったのに、そのタイミングを完全に逃してしまった。
「わかったよ。じゃあ一番早い方法で受験終わらせるから、少しだけ待ってて。そしたら……」
「……そしたら?」
「心配にならないようにする」
清瀬が目を見開いた。
「つまり、それって……」
見つめ合うこと数秒……。
清瀬は真剣な顔で何かを思案している。
「さすがにここではマズイですよね」
「あ、まあ、三年フロアだし。……って、どこに行く気?」
「俺の家です」
「えっ!」
なんか盛大に勘違いされていないか?
俺としては、映画に行って、その後ファミレスとかに行って、普通にデートっぽいことでもしたら、もう少し安心してもらえるかな……と思ったんだけど。
「航平は抱かれるのと抱くの、どっちのイメージですか?」
「はっ? ちょっと待って、清瀬」
「名前で呼んで」
「り、稜。まだそれは早いんじゃないかな?」
実際、そこまで詳しく調べたこともない。いや、正直に言うと調べた。けれど、いまいち実感として得られるものはなく、実質知識ゼロのいまの俺には何もできない。
「早くないです。前に言ったじゃないですか。会いに来るの我慢するから航平が合格したら、ごほうびくれるって」
「え……っ」
確かに別室になったとき、そんな話になった。受験間近に無自覚にウイルスを運んできて、先輩にうつしちゃったら嫌だと。
でもあのときは結局ごほうびの内容までは話さなかった気がする。
清瀬はため息をついて、俺の方へ体を寄せてきた。整った顔が間近に迫る。
「顔に出すぎ。映画とかファミレスとか、きっと可愛いデートのプラン考えてくれたんだと思いますけど、その延長線上の話を考えてもいいんじゃないですか」
——全部お見通しだったのかよ……。
思わず頭を抱えたくなる。
「わかってるなら、からかうなよ」
「からかってないです。本気です、俺は」
まっすぐな視線に射抜かれた。
コイツは本気だ。
「……じゃあ、稜は俺とどうしたいの?」
言ってから、「しまった!」っと体が熱くなった。昨日の清瀬の言葉が脳内に響く。
——航平をメチャクチャにしたいと思ってるのは、世界中で俺だけなんだから……。
「そんなの、決まってるじゃないですか。俺は——」
「ちょっと待て! ごめん、いまのナシ!」
もうキャパオーバーだ。
情けないけど、まだ俺には刺激が強すぎる。慌てて両手で顔を覆うと、清瀬の声が耳元で響いた。
「とりあえず、受験が終わるまで邪魔しないようにします。もう時間だから行くね」
「え……」
すぐそばにあった熱がふっと離れた。清瀬は起き上がり、ベッドから下りた。
——なんでだよ!
いつもなら、「どうして」って食い下がって来るのに、なんでそんなにあっさりしてるんだよ!
「待って」
気づいたら清瀬の腕をつかんでいた。その勢いに弾みで清瀬がベッドに腰をついた。
すっと唇を寄せると、応えるように清瀬も触れた。
「マジで最短で合格するから」
俺の言葉に清瀬が微笑んで、そっと部屋を出て行った。
そっとドアが開く気配にふっと意識が引き戻された。
「清瀬、おはよ」
俺から先に声をかけると、少し驚いたみたいで一拍空いた。
「おはよう、航平。来ると思ってた?」
「ん、入れよ」
隣に促すようにタオルケットを持ち上げた。ちなみにまだ俺の目はうっすらとしか開いていない。なんならこんなふうにベッドに誘うのも初めてだ。なぜならいつも目が覚める前に勝手に清瀬が入っているから。
昨日はいろいろあり過ぎて、よく眠れなかった。
生徒会室で首筋に落とされたキスの痕。
教室に戻ると井上に、「蚊に刺されたんじゃない?」と言われたとき、意味がわからなかった。
「ほら、そこ。首筋」
井上が自分のTシャツの襟元をつかんで「この辺」と言い、はっとして慌ててトイレに駆け込んだ。
襟元をずらして見えた赤い痕に絶句したことをコイツは知らない。
清瀬もベッドに入ると仰向けでふたり並んだ。狭くて互いの腕が密着する。
「浴衣、きのう一日着てたらぐちゃぐちゃになって。もう一度着るのは無理だった、ごめん」
「ううん、俺の方こそ約束破ってごめん」
「ん?」
「昨日でここに来るの最後にするって言ったのに」
「あー、いや、いいよ。俺も最初から浴衣のこと言えばよかったな、ごめん。っていうか、俺にいいとか言う権限ないか。そもそもふたりとも寮則破ってるし」
「ですね……」
そろそろ本当にやめた方がいい。
文化祭も終わり寮の三年フロアは一気に受験モードに切り替わる。ルール違反は今日で最後。
「ちなみにこれってバレたらどうなるのかな? やっぱり反省文だと思う?」
「あー、それは困りますね。反省文なら風呂掃除二週間の方がいいな」
「え、俺は断然反省文の方がいい」
「じゃあ、なんて理由書くんですか?」
うわ、たしかに。
馬鹿正直に「好きだから」なんて書けない。
「……ちなみに清瀬はなんて書く?」
「ずるいな、質問に質問で返さないでください。まあ、でも俺は、……ストレートに話したかったからって書きますかね」
「なんか間があったんだけど」
「好きだからって書いたらどうなるかな、と一瞬よぎったんで。で、航平はなんて書く?」
「あ、まあ……。起こしてもらってた、とか? ほら、俺が朝弱いのは寮監も知ってるし」
「ふーん。らしいですね」
「不服?」
「かなり」
「なんで? 清瀬が書くことと大差ないと思うけど」
「ぜんぜんちがう」
はぁっと清瀬がため息をついて、体を俺の方に向けてきた。弾みでぎしっとベッドが軋む。
「話したい、のしたいには意思があります。航平の理由には意思がないでしょ」
「それは、反省文だし」
「なんか感じちゃうなぁー」
「なにを?」
「温度差」
「……」
言わんとしていることがわかった。書かないまでも、そこは話したかったからとか、会いたかったとか、そんなことを求めているのだろう。
不満げな目の清瀬が、俺をじっと見る。
「わかったよ……稜」
「……」
「え、ダメ?」
「名前呼んだくらいじゃダメです。ちゃんと意思を見せてください」
熱っぽい目でまっすぐ見つめられた。清瀬の指先が俺の首筋をなぞる。
「今日で最後にするから。朝、ここに来るのは本当に最後に……っ」
清瀬の言葉に、頭の中でプツンと何かが切れた。至近距離の薄い唇に自分からキスをした。
「簡単に何度も最後とか言うなよ」
こっちの気も知らないで。
今までそう言われるたびに胸を突かれたみたいに痛かったんだからな。
「マジでずるい。そういうとこ、嬉しいけどマジで心配になる」
「意思を見せろって、稜が煽ってきたんだろ?」
「昨日だって、生徒会室で俺は首筋で我慢したのに、航平が激しくキスしてきて。なんだかんだ言って、いつも航平は……」
清瀬が言葉を途中で切って、目を伏せた。いや、俺は「激しくなんてしてないし!」と抗議したかったのに、そのタイミングを完全に逃してしまった。
「わかったよ。じゃあ一番早い方法で受験終わらせるから、少しだけ待ってて。そしたら……」
「……そしたら?」
「心配にならないようにする」
清瀬が目を見開いた。
「つまり、それって……」
見つめ合うこと数秒……。
清瀬は真剣な顔で何かを思案している。
「さすがにここではマズイですよね」
「あ、まあ、三年フロアだし。……って、どこに行く気?」
「俺の家です」
「えっ!」
なんか盛大に勘違いされていないか?
俺としては、映画に行って、その後ファミレスとかに行って、普通にデートっぽいことでもしたら、もう少し安心してもらえるかな……と思ったんだけど。
「航平は抱かれるのと抱くの、どっちのイメージですか?」
「はっ? ちょっと待って、清瀬」
「名前で呼んで」
「り、稜。まだそれは早いんじゃないかな?」
実際、そこまで詳しく調べたこともない。いや、正直に言うと調べた。けれど、いまいち実感として得られるものはなく、実質知識ゼロのいまの俺には何もできない。
「早くないです。前に言ったじゃないですか。会いに来るの我慢するから航平が合格したら、ごほうびくれるって」
「え……っ」
確かに別室になったとき、そんな話になった。受験間近に無自覚にウイルスを運んできて、先輩にうつしちゃったら嫌だと。
でもあのときは結局ごほうびの内容までは話さなかった気がする。
清瀬はため息をついて、俺の方へ体を寄せてきた。整った顔が間近に迫る。
「顔に出すぎ。映画とかファミレスとか、きっと可愛いデートのプラン考えてくれたんだと思いますけど、その延長線上の話を考えてもいいんじゃないですか」
——全部お見通しだったのかよ……。
思わず頭を抱えたくなる。
「わかってるなら、からかうなよ」
「からかってないです。本気です、俺は」
まっすぐな視線に射抜かれた。
コイツは本気だ。
「……じゃあ、稜は俺とどうしたいの?」
言ってから、「しまった!」っと体が熱くなった。昨日の清瀬の言葉が脳内に響く。
——航平をメチャクチャにしたいと思ってるのは、世界中で俺だけなんだから……。
「そんなの、決まってるじゃないですか。俺は——」
「ちょっと待て! ごめん、いまのナシ!」
もうキャパオーバーだ。
情けないけど、まだ俺には刺激が強すぎる。慌てて両手で顔を覆うと、清瀬の声が耳元で響いた。
「とりあえず、受験が終わるまで邪魔しないようにします。もう時間だから行くね」
「え……」
すぐそばにあった熱がふっと離れた。清瀬は起き上がり、ベッドから下りた。
——なんでだよ!
いつもなら、「どうして」って食い下がって来るのに、なんでそんなにあっさりしてるんだよ!
「待って」
気づいたら清瀬の腕をつかんでいた。その勢いに弾みで清瀬がベッドに腰をついた。
すっと唇を寄せると、応えるように清瀬も触れた。
「マジで最短で合格するから」
俺の言葉に清瀬が微笑んで、そっと部屋を出て行った。



