元・同室後輩イケメンは、別室でも俺を独占したいらしい

「……清瀬、ちょっと……それ止めろって」
 
 航平の唇をかすめて、首元にキスを落とした。
 
 ――危なかった……。
 
 ここで唇を塞いでしまえば、その先を抑えられる自信がない。

 そもそも、この数日。
 航平の下手なウソに気づいていないふりをするのは大変だった。航平が俺に隠しごとをしてることに気づいたのは、ずいぶん前だ。
 部屋に入ってすぐの備え付けクローゼット。そこから浴衣の裾がはみ出していた。航平がまだ眠っていることを確認して中を覗くと、見たことのない浴衣が吊るされていた。
 数秒固まった後、そっと航平のベッドに潜り込んだ。
 後ろから抱きしめると、徐々に航平の目が覚めていく。起き抜けに、俺は揺さぶりをかけた。
 
「先輩は文化祭の準備、何の係ですか?」
 
 問いかけると、腕の中の肩がぴくりと揺れた。
 
「俺は、か、買い出しとか、そんな感じ……」
「へえ、てっきり先輩も浴衣を着るのかと思ってました。残念だなあ」
 
 畳みかけるような俺の言葉に、航平はあからさまに動揺しながらも、ウソを重ねてきた。
 
「この間、実家で久しぶりに着てみたらサイズが合わなくて。ごめんな」
 
 ――なるほど。
 いったん撤収。

 文化祭で着ることに確信を持ったのは、生徒会の用事にかこつけて航平の教室に行ったとき。
 相変わらず和香先輩と航平が肩を並べていた。
 
 ――いったい何なんだ!
 
 どうしてあのふたりは、いつもあんなに自然に一緒にいられるのだろう。和香先輩と同じ担当なんて、俺は聞いていない。しかも、どう見ても衣装だろう……。胸の奥がじりじりと焼ける。
 
 ――いや、落ち着け。俺が大人げないだけか。
 
 いつだったか、航平の部屋に忍び込もうとしていたとき、朝練に向かう井上先輩と鉢合わせしたことがあった。

『清瀬、もう少し余裕っていうの持てないわけ?』
 
 呆れ顔で井上先輩に言われたのを思い出す。だが、そんな忠告は知ったことか。余裕を持てる相手なら、こんなに苦労はしていない。
 航平に関しては、俺から強引に行かない限り、一歩も前に進まないんだ。

 現に、今だってそうだ。
 航平は俺が仕事している様子を勝手に誤解して、あろうことか幼なじみの榎田に肩を抱かせていた。
 その無防備な姿を思い出しただけで、胸の奥がまたじりじりと熱を帯びる。
 
「おい、清瀬、俺、もう……」
 
 ズルズルと壁を伝って崩れ落ちようとする身体を、慌てて支える。その拍子に、机に身体が当たり、ガタッと大きな音が狭い生徒会室に響いた。
 我に返り、つい今までキスを落としていた航平の首筋に目を向ける。そこには、俺がつけたばかりのうっすらと赤みを帯びた鬱血の痕が浮かんでいる。
 
「あ、危ねーだろ。清瀬のせいだかんな」

 床にへたり込んだ衝撃ではだけたのか、浴衣の裾から太ももがチラリと覗く。俺の視線に気づいた航平が、慌てて乱れた裾を整えた。

「エロい」
「あのな!」
「航平が悪い」
「悪いのは清瀬だろ。女の子たちに爽やかな笑顔振りまきやがって。イケメンも大概にしろよ」
「それ、褒めてますよね」
「あんなに楽しそうにしているのを見せられて、あの輪の中に入れるかよ!」
「あれは、ただの中学の同級生です。もっと言えば、幼稚園からの腐れ縁が一人混じっていたから、対応せざるを得なかっただけで……」

 すっと航平の顔色が変わった。
 「えっ」と思う間もなく、航平が視線を伏せた。
 
「それってさ。……どうしようもないやつじゃん」
 
 つぶやくような、小さな声だった。
 
「え、っと。……それは、どういう」
 
 表情を覗き込もうとした瞬間、航平が勢いよく顔を上げた。
 
「だから、なんかムカつく!」
「え、なんでそんなに怒ってるんですか」
「俺と榎田に嫉妬したとか言ってるけど、それとは訳が違うだろ。あっちは女の子なんだから!」

 ――その言葉が、俺の何かに火をつけた。

「……あぁ、そう。そういうこと言うんだ」

 自分でも驚くほど冷めた声が出た。その声に航平の視線が床に落ちた。俺は航平の頬を、逃がさないよう両手で挟み込んで真っすぐに見つめた。
 
「清瀬……?」
「勝手に負けた気にならないでください。俺が誰のせいで、わざわざ寮に入ったか分かってますか? 別に両親がいなくたって自宅から通うことだってできたんです」
「えっ」
「いいですか。俺の家はこっからチャリで20分とかからないところにあります。両親は海外ですが、祖母の家もすぐ近くにある。寮に入る必要なんて、どこにもなかった。それをどうして入寮という選択肢を選んだか、わかりますか?」

 航平の瞳が、大きく見開かれた。その唇が、何かを言いかけようとして微かに震える。

「一年の夏休み前。全校集会で表彰される航平を見て、初めて同じ学校にいることを知ったんです。どうやったら近くに行けるか、それこそテニス部に入ることさえ本気で考えた。そんな時に父の海外転勤が決まって……。チャンスだと思いました」

 信じられないものを見るような目で、航平は「はあ」と短く息を吐いた。ふわりと体温が近づき、俺の首に腕を回した。

「言葉が足りないんだよ、稜は」
 
 一瞬のうちに、航平の熱が唇に重なった。

「あのさ、大事なことを後出しにするの、やめてくれる? ウチに来たことがある話だって、『夏に来た、蛍を見た』しかまだ教えてくれてないだろ」
「それは、電話じゃなくて、ちゃんと話したかったから」
「とにかく! もう昼休み終わるだろ? 食べるとき食べないと、な」
「……ごめん。焼きそばも唐揚げも、本部に置いたままだった。航平の姿を追いかけるのに必死だったから」
「いいよ、じゃあ戻ろう?」
「ですね、すみません」

 航平は「ぜんぜん」と笑った。立ち上がるとパンパンと浴衣のシワを払う。……いや、ちょっと待て。
 
「ちょっと待って、航平」
「ん?」

 振り返った瞬間の、無防備な唇を塞いだ。
 
「……んっ!?」
 
 驚きに固まる航平の腰を抱き寄せ、壁との間に閉じ込める。
 
「……ふあ、っ……はあ、きよ、せ……」
 
 唇を離すと、航平は潤んだ瞳で俺を睨みつけた。
 
「……稜、人の話聞いてた? もう時間だって!」
「聞いてましたよ。でも、航平が自分からキスしてきたのが悪い」
「それは、稜が変なタイミングで告白みたいなこと言うからだろ!」
「だったら、お返しされるのも覚悟してください」
 
 俺は、いまだに赤みの残る航平の首筋の「痕」を指先でなぞった。
 
「女の子には勝てない、なんて二度と言わないでくださいね。航平をメチャクチャにしたいと思ってるのは、世界中で俺だけなんだから」
「……っ、バカイケメン! そんな物騒なこと言うんじゃねーよ!」
「バカついでにもうひとつ。――その浴衣姿、明日の朝、もう一度じっくり見せてください」
「なに言ってんだよ、もう!」
「おねがい!」
 
 耳元で囁くように言ったら、「バカじゃないの」と航平が俺の肩を小突いた。
 もう中庭に戻らなければならない時間だ。
 
「おい、早く来いよ! 置いてくぞ!」
 
 ふたりきりで焼きそばも唐揚げも、クッキーも食べたかった。
 浴衣だって、誰よりも先に、一番近くで見たかった。離れていく浴衣の背中を見つめ、小さく息を吐く。
 
 ――まあ、いいか……。
 
 いまは、耳の先まで真っ赤に染まっているのを見るだけで十分だ。本当は、航平の部屋に忍び込むのは今日で最後にするつもりだった。でも、明日まで延長させてほしい。そしたら受験が終わるまで、航平の邪魔はしないから。
 
「航平、待って!」
 
 少し乱れた制服を整えて、愛おしくてたまらない航平の背中を追った。