お飾り王太子妃は初恋泥棒の隣国の王と結ばれる

 結婚式当日。

 控室の静けさの中で、ローナは鏡に映る自分を見つめていた。
 純白のウエディングドレス。柔らかな布が肩から胸元へ流れ、長い裾が床に広がっている。

 ——ついにこのときが……。

 身体の内側が、じんわりと温かくなる。
 嬉しくてたまらない。

 逃げるようにフィングルトンを去ったあの日からは想像もつかなかった。

 もうお飾りの妃ではない。
 心から愛してくれる人と、ようやく結ばれるのだ。

 コンコン、と控えめなノックの音が響く。
「ローナ、俺だ。入ってもいいか?」
 聞き慣れた声に、自然と頬が緩む。

「——はい、どうぞ」
 返事をすると、ゆっくりと扉が開いた。

 そこに立っていたのは、白を基調とした正装に身を包んだガイだった。
 金の刺繍が施された上着に、凛とした立ち姿。普段の気安い雰囲気とは違い、どこか威厳すら感じさせる。

 ローナの胸が激しく高鳴った。
 見慣れているはずの彼が、まるで別人のように眩しく見える。

 一方でガイは、こちらの姿を見て、少し照れくさそうに頬を掻いた。

「……綺麗だな、ローナ」

 真っ直ぐな視線で言われて、ローナの鼓動が更に早くなる。

「とても似合っているぞ、そのドレス」
「あ、ありがとうございます……。その、ガイ様も……とても素敵です」

 言葉がうまく続かない。
 あまりにも格好よくて、胸がいっぱいで。
 それでも、どうにか絞り出した言葉だった。

 こちらの心情を察してか、ガイはふっと優しく笑う。
「ありがとう」

 その一言だけで、また胸が温かくなった。

「そろそろ時間だ。行こうか」
「はい」

 差し出された手を取ろうとしたそのとき。
 廊下の向こうから、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
 言い争うような、荒れた声。

「……なんだ?」

 ただならぬ気配にガイは眉をひそめ、表情を引き締める。
 彼はローナをかばうように一歩前に出ると、様子を見に向かった。
 ローナもおそるおそるその後に続く。

 廊下では一人の男性が衛兵に取り押さえられていた。
「離せ! 俺を誰だと思っているっ! 俺はフィングルトンの——」

 その人物を目にし、ローナは驚愕を露わにする。
「マット殿下——!?」
 それもそのはず、相手は元夫でもあるフィングルトンの王太子、マット・フィングルトンだったのだから。

 乱れた髪、余裕のない表情。かつて見ていた彼とは、まるで別人のようだった。

「ローナ!」
 こちらに気付いたマットが目を輝かせる。
 必死に縋るように。
 こんな表情を向けられたのは初めてだ。

「おい、何があった」
 ガイが怪訝そうに問いかけると、衛兵の一人が緊張した面持ちで答えた。

「こ、この方が制止を振り切り、ローナ様のもとへ向かおうと……」
「ほう……?」

 ガイの目がすっと細められる。
 温度のない、冷たい視線。

 その圧に、マットの身体が僅かに強張ったが、それでも彼はローナから目を逸らさなかった。

「ローナ……頼む、戻ってきてくれ……。やはり俺には、お前しかいないんだ」

 掠れた声で紡がれた言葉に、ローナは目を伏せる。
 逡巡はほんの一瞬。
 既に答えは出ている。
 
 ゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐマットを見る。
「殿下……あなたが必要としているのは、私ではありません」
 一拍置いて、はっきりと言い切った。
「自分の代わりに仕事をしてくれる人でしょう?」

 マットの目が見開かれる。
「違う! 俺は——」

「そこまでだ」
 ガイの低く、鋭い声が反論の言葉を遮る。

 依然としてローナを守るように立ったまま、冷ややかな視線をマットへ向けた。

「もっと早くに気付くべきだったな」
 淡々とした声音で口にした後、ガイは静かに片手を上げる。
 その合図で、衛兵達が一斉に動きだした。

「なっ、待て——ローナ!」
 叫びも虚しく、マットはそのまま廊下の奥へと引きずられていく。
 やがて、その姿は完全に見えなくなった。

「……怖くなかったか?」
 振り返ったガイの灰銀色の瞳が、心配そうに揺れていた。

 ローナは小さく首を振り、安心させるように微笑む。
「大丈夫です。ガイ様がいてくださいましたから」

「——そうか」
 ガイの表情がふっと緩む。
 そして再びゆっくりとこちらに手を差し出した。
 ローナは今度こそその手を取る。
 温かく、力強い手。

 遠くから、祝福の音楽が聞こえてくる。

 礼拝堂では、既に二人の門出を祝うため、多くの人々が待っている。

「行くか」
「はい」

 ローナはしっかりと頷いた。
 過去を置いて。
 未来へ進むために。

 二人は手を取り合ったまま、光の差す方へと歩き出した。

 完