ぼくの神さま。

「んん……痛い」

 目が覚めて、一番最初に腕の筋肉痛を感じた。重怠い身体に、昨日の出来事が夢ではないことを改めて自覚する。制服に袖を通すと、わずかに土の匂いがした。

「……いってきます、お母さん」

 独り言のように呟く挨拶には、いつものように返事はなく、施錠の音が大きく響いた。
 男を利用して、親ではなく女として生きる派手な化粧の母親が、ぼくの制服の汚れに気付くことはない。
 酔い潰れ寝ているお母さんを起こさないようそっと家を出ていくのは、いつもならなんだか虚しくなるものの、今日は心の秘密基地に守られているようで安心した。
 教会での出来事は、誰にも知られてはいけない。ぼくと神さまの秘密だ。その片鱗さえ誰かに見せることはタブーのように思えた。

「……」

 通学路をのんびりと歩きながら、今日の放課後もあの教会へ行ってみようかと考える。

 あの森は元々私有地らしく、廃墟となった教会周辺は、明確に立ち入り禁止のテープが張られている。そんなところに侵入している時点で罪といえば罪なのだが、彼に会うには、あの場所しか心当たりがなかった。

「……また会えるかな……ぼくの神さま」

 廃墟で殺人鬼と鉢合わせ、さらに再会を望むなんて、他の人が聞いたら卒倒ものだろう。それでもぼくは、昨日の出来事を運命だと感じていた。

「……うわ!?」

 学校に近付いた頃、不意に後ろから強い衝撃を受けた。思い切り叩かれたか、勢いよくぶつかられたかしたようで、痛みと共にバランスを崩し転んだところに、頭上から白々しく声をかけられる。

「……あれー? ユウヒじゃん。わりーわりー、見えなかったわ」
「うわぁ……土まみれだな、おまえ。そんな汚い格好で、毎日毎日よく学校来れるよなぁ。いっそ尊敬するよ」
「うむ。タクロウ王の名において、雨宮(あめみや)ユウヒにどろんこ男爵の称号を与えよう」
「あはは、だってさ。よかったなぁ?」
「……べつに、いつも汚れてるわけじゃないし……今のこれはタクロウくんのせい……」
「あー? 聞こえねーなー」
「……っ」

 耳障りな声の主は、クラスメイトの『日暮(ひぐらし)タクロウ』と『茅見(かやみ)ヨイチ』だ。
 背が高くて運動神経がよくて、クラスでは人気があるけれど、ぼくのことをすぐに叩く乱暴者のタクロウくん。
 その隣でメガネを光らせながら嫌味に煽るのは、タクロウくんの親友ポジションのヨイチくん。
 ニヤニヤとした嫌な笑みを浮かべながらこちらを見下ろす彼らは、一年の頃からぼくのことが気に入らないらしく、いつもぼくを目の敵にしていた。

「オレならそんな汚ねー格好で人前に出れねーわ。学校になんてムリムリ。存在するだけで恥ずかしくなる!」
「ひどいなぁ、タクロウは。雨宮クンは学校にしか居場所ないんだから、そう言ってやるなよ。な、雨宮クン?」
「……、……」

 小学校から一緒のヨイチくんは、暴力的なタクロウくんからフォローするふりをして、すべてわかった上でぼくを見下す。
 そもそも家にも、学校にも、ぼくの居場所はなかった。逃げ場所にしていた秘密基地の教会さえ、今まで罪の意識で苦しい場所になっていた。

 だけど今は、教会はまた許しの場所となった。ぼくの居場所には素晴らしい神さまが居るのだと言いたくなった。
 けれどもこんな奴らにぼくの聖域を穢されたくなかったから、唇を噛んで我慢した。

「ぎゃはは、どこにも居場所のないはみ出しもので嫌われものじゃん。かわいそー。オレならとっくに自殺してるわ!」
「まあまあ。……雨宮クン、学校ちゃんとこいよ? 心配しなくても、おれたちがたくさん構ってやるからさ」

 そんなぼくの様子に満足したようで、タクロウくんたちは幼稚で下品な笑いを浮かべながら去っていった。
 ぼくは溜め息を吐きながら立ち上がり、汚れた制服を手で払う。残しておいた昨日の名残が、あいつらの蛮行に上書きされたようで、なんだか悔しかった。