そして学校も終わり、ぼくは一度帰宅して、汚れた制服から着替えを済ませる。
いざという時に顔を隠しやすいよう、黒いフード付きのパーカーを羽織り、いつものように家を出た。
「……いってきます」
近頃お母さんは、あまり家に帰ってこない。たまに生活費がテーブルの上に置いてあるから、どこかしらで生きてはいると思うけれど、ぼくが学校に行っている間に帰って来ているのか、ここ数ヵ月顔も見ていなかった。きっとどこか、男の家にでも転がり込んでいるのだろう。
昔は自分を見てくれないことが寂しくもあったけれど、今となっては何をするにも自由なこの生活が、存外悪くないと感じる。
「……あ、あった」
家を出て教会に向かう道中にある、人が使ってるのを見たことがない寂れた電話ボックスに入り、ぼくは暗記したアキラさんの電話番号にかけてみた。
家の固定電話からかけてもよかったが、これから彼を消すのなら、出来るだけぼくに繋がる証拠を残したくはない。
連絡を取って、人気のない場所に呼び出して、こっそり始末しよう。そしていつものように教会の裏庭に埋めてしまえば、誰にも見つかることはないだろう。あそこは数多の罪が眠る聖域なのだ。
完全犯罪を目指すなら、もっと綿密に計画を立てるべきだとは思う。けれど今のぼくは、度重なる不快感からあまり冷静ではなく、急いで結果を求めていた。
そしてこの衝動のまま、実行に移さねばならなかった。
きっと冷静になってしまうと、元来気弱なぼくには、人を害するなんて出来ない。盗みと殺人はやはり違う重みだった。
その点、やはりリヒトさんは素晴らしい。ぼくよりも遥かに重い罪をいくつも抱えて尚、あんなにも優しく美しいのだから。
そして、ぼくも人を殺すことが出来たなら、より彼に近付ける。より彼の共犯者として相応しくなれるはずだ。
それは恐怖や躊躇いよりも強い、幸せな予感だった。
「あれ……? おかしい、出ないな。もう一回かけてみよう……」
受話器を耳に当てながら、いくら待っても電話が繋がることはなかった。番号を間違えたかと、ぼくは再びかけ直す。しかし、やはり何コール鳴らしても繋がらない。
「なんで出ない……?」
受話器の向こうで無機質に響く呼び出し音に、段々と嫌な想像をしてしまう。
もしかするとアキラさんは、今この瞬間もリヒトさんの傍に居るかもしれない。
ぼくの知らない場所で、ぼくの知らない話をして、ぼくの知らない顔をして笑うリヒトさん。その隣に居る、あのいけ好かない派手なチャラ男。
「……やっぱり、一刻も早くあいつを殺さなきゃ……」
少し乱暴に受話器を戻して、ぼくは電話ボックスを出る。ボックス内は熱気が籠っていて暑く、外の気温が少し涼しく感じた。
いつものように森の奥へと進み、教会に向かう。その間に何度もアキラさんに会うための計画を練り直した。
「……やっぱり確実なのは、星之瀬さんに呼び出してもらう……? いや、でもぼくに会うって知られた状態で何かあると後々面倒だ……電話番号を聞くのも中々賭けだったし……いやでも、あいつ友達多そうだし、ファンも居るとか言ってたし、それくらいじゃぼくには結び付かないはず……タイミングだけ気を付ければ……」
ぶつぶつと呟きながら、教会に辿り着く直前にふと立ち止まる。
「あ、ファン……そうだ、劇団……。たしか、『劇団トワイライト』。そこに行けば、会えるかも……」
直接人の多い場所を訪ねれば、誰かに見られるリスクは当然ある。けれど今日実行できなくても、まずは接点を作ろう。電話が繋がらない以上、それが最優先だった。
ぼくはUターンして、早速街の方へと向かった。鬱蒼とした森を抜けて、緑の多い田舎道を進み、川の上に架かる橋を渡り、やがて建物と交通量の増え始める通りに差し掛かる。
ぼくは駅前の歩道橋の上から、出来る限り周辺を見渡した。
劇団なんてもののシステムはよくわからないし、劇場の場所も知らない。そもそも今日そこに居るかもわからない。大学生と言っていたけれど、大学の名前も学年も何一つわからない。
何も手がかりがないのに急いても仕方ない。調べてからじっくり動けばいいと頭では理解していたものの、気付けば足が動いていた。
胸の中の黒いモヤモヤが今にも溢れだしてぼくの全身を覆ってしまいそうで、何かしていないと落ち着かなかったのだ。
「待っててください、リヒトさん……邪魔者は、ぼくがきっと排除しますから」
ぼくは彼のためと信じて疑わないまま、いつものように「いい子」だと褒めて貰える想像に身を委ね、足を進めた。
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