ぼくの神さま。


 そして、ぼくは再びリヒトさんと出会った季節を迎えていた。夏の盛りは過ぎ、それでも暑い日々の中、小部屋に持ち込んでいたあったかグッズはすでに部屋の隅の箱の中。
 箱に詰めるのは罪だけでなく思い出でもあるのだと、あの頃とは違う感覚に、ぼくも大人に近付けた気がした。

「……今日はリヒトさんは来ないか……買い出しにでも行こうかな」

 そろそろ足りなくなったひんやりグッズを買い足そうかと、お母さんの服を売ったお金を手に、ぼくは街に向かうことにした。
 近所で買っても良かったけれど、万が一お母さんに見つかってお金の出所を聞かれても困るし、タクロウくんたちに遭遇してカツアゲをされても困る。

 デパートや飲食店の建ち並ぶ駅前の方がいいかと、ぼくは木漏れ日の煌めく森を抜け、夏の日差しの照る道を歩いた。

「……あれ?」

 やがて川や砂利道のある田舎道から、人通りの多い駅前へと辿り着くと、ふと人波の向こうに、一際輝くさらさらとした黒髪の後ろ姿を見つけた。

「え、リヒトさん!?」

 思わず大きな声が出てしまう。突然呼ばれて驚いたように振り返ったリヒトさんは、人混みの中にぼくを見つけて瞬きした後、いつものように優しく微笑んでくれた。

「……びっくりした。ユウヒくん、後ろからでよく僕だってわかったね」
「リヒトさんのことならどの角度からでも見つけます! でも、すごい、リヒトさんと外で会えるなんて……!」
「ふふ、すごい偶然だね」

 いつもの黒を基調とした装いではなく、夏らしい白い服を着たリヒトさんがそこには居た。そのせいかいつもよりも眩しく輝いて見える。
 彼は偶然と言ったけれど、これは運命に違いない。嬉々として駆け寄ろうとして、ぼくはふと、彼の隣の存在に気付き速度を落とす。

「……ん? なんだリヒト、知り合いか?」

 そんな声と共に、リヒトさんの奥に居た長身の男が、すっと身を乗り出した。
 襟足の伸びた明るい髪色にピアスをして、首からシルバーのネックレスを下げた見知らぬチャラそうな男。
 躊躇いがちに近付くぼくのことを、まるで品定めでもするかのようにまっすぐ見つめる。

 リヒトさんを綺麗や美しいや可憐とするなら、この男はイケメンとか格好良いとか顔がいいとか、そんな言葉の似合う人だった。

「ああ、うん。彼はユウヒくん。教会の近くに住んでる中学生の子だよ」
「へえ……中学生か! 高校生くらいかと思った。ならうちの妹と同じだな」

 知り合い、なんて他人行儀な呼び方をされて、線を引かれているようでなんだか寂しくなる。けれど共犯者なんて関係性は誰にも秘密だ。

「あれ、アキラの妹さん、もうそんなになるんだっけ……? よその子は成長が早いなぁ」
「あー、親戚のおじさんとかもよくそれ言うよな」
「おじさんと同じ感想かぁ……まあいいけど」
「リヒトがおじさんとか、親戚中の子供の初恋泥棒待ったなしだろ。まあ俺もだが」

 ぼくをそっちのけで、楽しげに会話する二人の親しそうな様子にも胸が締め付けられたけれど、リヒトさんの知り合いに失礼な態度を取るわけにはいかず、ぼくはなんとか笑顔を貼り付ける。

「……えっと、はじめまして。雨宮ユウヒっていいます。中三です」
「雨宮……? なんか聞いたことあるな。あ、おまえ『星之瀬キラサ』って知ってるか?」
「え、星之瀬さん? はい……クラスメイトです」
「おおっ、そっか。俺は『星之瀬アキラ』。キラサのお兄ちゃんだ」
「……えっ、あ! お兄さん、確か俳優さんだって聞いたことあります……なるほど」

 通りで声も大きく、存在感があり華もある。リヒトさんよりも幾分背の高いその男は、大輪のひまわりのようで、そこにいるだけでなんだか圧倒されてしまう。

 アキラとキラサ。まさにキラキラ兄妹だ。リヒトさんとシスターも優しげな雰囲気が似ていたし、そんな遺伝子の強さを実感した。
 そこでふと、男に依存して生きる自分の母親を思い浮かべ、思わず自嘲する。
 しかしそんなぼくに気付かずに、アキラさんはキラキラの笑顔のまま言葉を続けた。

「はは、俳優って言っても、こいつと同じ地元の劇団の舞台役者だけどな」
「……こいつと、同じ?」
「ちょっと、アキラ……」

 アキラさんの言葉にリヒトさんが少し気まずそうな顔をして、窘めるように名前を呼ぶ。けれど、やっぱり彼は気にしない様子で言葉を続けた。

「ん? なんだ、聞いてないのか? リヒトも俺と同じ劇団員なんだよ」
「リヒトさんが……役者さん?」
「ああ。『劇団トワイライト』……地元じゃちょっとは有名なんだがなぁ。大学ではファンだって言ってくれる子も多いから、慢心してたな。俺たちもまだまだだ」
「……」

 知り合い、劇団員、大学生、ファン。
 そんなぼくの知らないリヒトさんが一気に押し寄せてきて、ぼくは眩暈に似た感覚を覚える。

 ぼくの世界はリヒトさんが中心なのに、リヒトさんには別の世界がある。
 一方通行のそれが裏切りのように感じられて、そんな自己中心的な嫉妬は、夏の日差しみたいに胸の奥をじりじりと焦がす。

 外に生活があるのは当たり前のことのはずなのに、彼があまりにも浮世離れした美しい存在だから、その前提がすっぽり抜け落ちていた。
 ぼくにとっては、あの教会で罪を埋めながら、孤独なぼくを優しく包み込んでくれる優しいリヒトさんがすべてだったのだ。
 ぼくはショックで震えそうになる声をなんとか抑え、言葉を紡いだ。

「……リヒトさんって、学生さんなんですね。てっきり大人かと思ってました。……あ、もちろん若いだろうなとは思ってたんですけど! 年齢不詳というか……年齢って概念を押し付けるのも烏滸がましいというか」
「概念……? は、ちょっとわからないけれど。ふふ、中学生から見たらそうだよね。でも……成人していても僕もまだまだ子供だよ。きみと同じ」
「ぼくと同じ……」

 早く追い付きたいと思っていたリヒトさんにそう言われると、なんだか嬉しくなる。けれどそんな束の間の喜びに水を差すように、アキラさんはリヒトさんを小突いた。

「まぁたリヒトは、誰彼構わず誑かして……子供相手にゃ可哀想だろ」
「誑かし……って、別にそんなつもりじゃ……」

 馴れ馴れしい態度につい苛立つけれど、他にもリヒトさんの魅力に誑かされている人がいるのかと、気になる話題につい耳を傾ける。
 それと同時に、リヒトさんはぼくだけの神さまなのにと、やはり自分勝手な独占欲が浮かんだ。

「あの……」
「なあ、少年。俺たち今空きコマでさ。そこの喫茶店で時間潰そうとしてたんだ、おまえも行くか?」

 突然の誘いにぼくは戸惑う。リヒトさんとのお茶なら二つ返事だが、ただでさえ第一印象の苦手な初対面のアキラさんも居るのだ。ぼくは思わず視線を泳がせる。

「……えっと、ぼく、今そんなにお金なくて……」
「そんなの兄ちゃんに任せとけ!」
「こんなキラキラの兄を持った覚えないです……」

 ゼロ距離陽キャのペースに巻き込まれまいと必死に壁を作るものの、そんなぼくたちのやり取りを微笑ましそうに見守りくすくすと笑うリヒトさんに絆されて、結局ぼくは二人と共に喫茶店についていくことにした。