「……ユウヒくんは、立ち入り禁止になる前の教会に来たことはあるかい?」
「えっと……。実はずっと昔、ここでやっていたクリスマス会に一度だけ……」
ぼくがまだ小学生になったばかりの頃。クリスマスなんて概念は家にはなく、それは保育園だけの行事だった。
卒園後突然なくなったクリスマスに泣いたぼくに、お母さんは「おまえが悪い子だから家にはサンタが来ない」のだと言った。
冬の楽しいイベントがなくなって、寂しく感じていた時。留守番中偶然ポスティングされたチラシで、教会で誰でも参加できるクリスマス会があると知って、一人でこっそり外出したことがあった。
あの時は森で迷子になり、地図の載ったチラシを握りしめて泣きながら辿り着いた頃にはとうにクリスマス会は終わっていて、飾りの片付けをしていたシスターや牧師さんに大層驚かれた。
それでも残ったケーキやお菓子を分けて貰い、ぼくはすぐに泣き止んだ。それだけではなくシスターがパイプオルガンの演奏と共に、讃美歌やクリスマスソングを聴かせてくれたのだ。
今にして思うと、あのケーキはシスターの分だったのかもしれない。愛情に飢えていたぼくに与えられた、甘くて幸せで、夢のような時間だった。
帰りは確か牧師さんに送って貰い、家に帰るとお母さんに物凄く怒られた。それ以来教会に行くのも禁止され、楽しいクリスマスはそれきりだった。
肝試しの時に二人に連れてこられて初めて、あの楽しかった場所が失われていることを知ったのだ。
「そっか……記憶の中でここが楽しい場所だったから、逃避先にここを選んで、秘密基地にしたいと思ったのかな」
「そう言われると、そうなのかもしれません……。二度目に来たのは偶然で、クリスマス会も小さい時のことなので、断片的な記憶なんですけど……」
「そっか……そんな幼い記憶の中でも覚えているそのシスターはね、僕の母親なんだよ」
「えっ!?」
朧気な記憶の中の、優しいシスターの面影。その温度が目の前の柔らかく微笑む彼と重なり、ぼくはやけに納得した。
幼い頃のぼくは、シスターに対して「こんな人が母親ならいいのに」と何度も思っていた。傍に居て安心する空気感は、母親譲りなのかもしれない。予想だにしない偶然の繋がりに、ぼくはまじまじと彼を見つめた。
リヒトさんはそんなぼくから目を背けるように少し視線を落として、揺れるランタンの明かりを見遣る。
「……この教会は僕にとって、亡くした母親の思い出の詰まった場所なんだ」
「シスター……亡くなったんですか?」
「うん……もう五、六年前かな。牧師も一緒にね。……だからこの教会は閉鎖になって、立ち入り禁止。……その上変な噂が立って、子供たちの笑い声が響いていたこの場所は、人を遠ざける忌み嫌われる呪いの場所になったんだよ」
優しい家族を亡くし、大切なものを勝手な憶測で貶され、孤独なリヒトさんが一人、温もりが薄れ朽ち始める静寂の教会に居るのを想像した。
或いは殺人鬼である彼が、何か事情があり母親さえ手にかけたのかと、そんな背徳的な空想もした。もしかしたら裏庭には、シスターと牧師の死体も埋まっているかもしれない。
「……っ」
ぼくがあらゆる思考を巡らせていると、リヒトさんは肩を竦めた。
「……ああ、ごめんね。きみの話を聞こうと思ったのに、つい話しすぎたよ」
それ以上語る気はないのか、彼は紙コップの紅茶を飲み干して、ゴミ箱代わりのビニール袋に捨てた。がさりと、やけに大きな音がした。
彼の抱える苦しみと、ぼくの抱える苦しみとは違うけれど、他でもないこの場所で孤独だったぼくたちが出会えたのは、紛れもない運命だ。
ぼくは語るために呼び起こした今も尚続く苦しい日々を思い返しながら、ぽつりと告げる。
「……ぼくは、リヒトさんに会えて幸せです」
「ふふ……そう。ありがとう」
「あなたはぼくにとっての神さまで……これまでの苦しみは全部、きっとあなたに出会うための試練だったんです」
「……ユウヒくん。あのね、僕は神さまなんかじゃない。それに、そんな大それた人間じゃないんだよ。……それこそ人を騙したり、傷つけたり……悪いことだってするんだから」
リヒトさんは少し眉を下げて、言葉を選ぶようにしながら困ったように微笑む。
初めて会った頃と変わらず美しいその人をまっすぐに見上げ、ぼくは言葉を重ねる。
「それでも……ぼくにとっては特別なんです。だから、リヒトさんの傍に居たくて、ぼくは……同じように埋められる罪を、作ろうと思ったんです……」
「……そう。だからあんな風に……」
ぼくの言葉を聞いて一瞬表情を強張らせたリヒトさんは、それでもすぐにいつもの穏やかな微笑みを浮かべて、それ以上ぼくの信仰を否定はしなかった。
「ねえユウヒくん。これからは、あんなことしなくても、ここに居ていいんだよ」
「え? でも……」
「今さら罪を増やさなくても……僕たちは、もう共犯者だからね」
「……っ、はい!」
神さまの許しを得た。ぼくはこれからも、彼の傍にいることができる。
思わず泣きそうになるのをぐっと堪えて、すっかり温くなった紅茶を一気に飲み干す。ぼくのすべてを知って受け入れてもらえた安心感からか、なんだか眠たくなってきた。
「ああ……今夜は疲れただろう。ゆっくりおやすみ」
リヒトさんはぼくの手から紙コップを受け取り、袋に捨ててくれた。それから、まだ冷たさの残る指で軽く頭を撫でてくれる。
その心地好い感触は、かつて泣きじゃくるぼくをあやしてくれた、シスターの優しさに似ている気がした。
「はい……おやすみなさい、リヒトさん」
誰かにおやすみと言われたのは、いつぶりだろう。ぼくは満たされた気持ちになりながら、ソファーに身を沈めた。



