しばらくして、学校は冬休みを迎えた。春になれば受験生だけど、ぼくはみんなのように塾や家庭教師を利用することはない。自分でなんとかするしかなかった。
だけど家でする勉強は苦ではない。むしろ嫌な現実を忘れられる、ぼくにとって有意義な時間だった。
絶対にタクロウくんとヨイチくんと同じ高校には行きたくないからと、どの高校でも合格できるようにぼくは頑張って成績を上げた。
そのお陰で、最近の進路相談では彼らの志望校より上の学校で特待生も狙えるかもしれないと担任から言われた。
もし特待生制度を利用できるなら、高いからとお母さんに嫌な顔をされそうな私立も受験できる。願ったり叶ったりだった。
それがまた、二人に気に食わないとイジメられる理由のひとつではあったけれど、イジメとは元来理不尽なものだ。
「ふう……冬休みの宿題終わり、っと」
親しい友達もいない、家族と遊びに行くこともない、宿題くらいしかやることのない本来退屈な長期休み。
しかしタクロウくんやヨイチくんに会わなくて済む自由と安寧の日々はぼくにとってすこぶる快適で、さらに今のぼくには、誰にも秘密の特別な場所があるのだ。
「さてと……今日も教会に行こうかな」
押し入れの奥に隠していた、集めた罪の詰まった黒い箱。それを宝物のように大切に抱えて、ぼくは日課となっていた森の奥の教会へと向かった。
冬の森の中は、夏とは違い虫の声はなく、鳥の羽音も聞こえない。今この森にある命はぼくだけなのではないかと、孤独な錯覚を覚える。北風が木々の間を通り抜ける笛の音に似た甲高い音だけが、時折耳を掠めた。
森の奥、ひんやりとした空気が包む廃墟の教会は、どこか閉ざされた別世界のような感じがした。
「……土を掘る音は、しない」
耳を澄ませて、相変わらずの静寂にぼくは溜め息を吐く。
そして裏庭を覗くことなく、建物の入り口に向かった。
今日こそは、リヒトさんは来るだろうか。あの日彼に線を引かれてから、まだ一度も会えていなかった。
相変わらず立て付けの悪い扉を開けて、重く鈍い音を響かせながら、ぼくは礼拝堂へと足を踏み入れる。中はすきま風のせいか、やけに寒かった。
見上げた創造主の像は、誰からも手入れされないせいか、端々がすっかり錆び付いている。信仰を失った神は、もはや意味のない飾りでしかないのだ。
その脇の暗幕に隠された、二階の小部屋へと続く階段をゆっくりと登り、ぼくは無人の室内に溜め息を吐く。
「……やっぱり、今日もいないか」
夏の間は窓を開けてもしばらく死臭の取れなかったこの部屋も、今はあまり感じない。
鼻が慣れてしまったせいもあるだろうか。ミーティアの存在は既に、完全に土の中なのだと実感する。
「……」
寒さのせいか無性にあのぬくもりが恋しくなって、久しぶりに泣きそうになった。
指の埋まる柔らかな黒い毛並みも、流星のようなキラキラとした宝石の瞳も、気まぐれに揺れる尻尾も、時折甘えたようにみーみーと鳴く声も、もうどこにも存在しない。
こうしてミーティアを思い浮かべて胸の中に広がるのは、身を切るような罪悪感ではなく、ただ愛しさと切なさだった。
苦しみの記憶に覆われずに済んだのは、すべてリヒトさんのおかげだ。
「やっぱり、罪はちゃんと眠ってるんだ……よかった」
ぼくが眠らせた罪は、赤い箱に入れたミーティアと、オレンジ色の壊れた櫛。
今は罪を思い浮かべても、当時のような苦しみはない。ぼくはソファーに腰を下ろして、持ってきた黒い箱を開けた。
お母さんの派手なピンクの口紅は、クレヨンのように落書きに使って塗る部分をぐちゃぐちゃにした。お母さんの顔を久しくまともに見ていないから、記憶の中の顔もピンク色でぐちゃぐちゃに塗り潰されている。
ヨイチくんの黄色から水色に光るガラスのストラップは、いつも彼のメガネにしてやりたいと思うように、ハンマーで粉々に砕いてみた。ちょっとだけすっきりして、彼らがいつもぼくを殴ったりする気持ちが少しわかった。
タクロウくんの紫色のシャープペンシルは、日頃の恨みを晴らすように、バラバラにして名前の刻印をやすりで削り取った。いつかぼくの記憶からも彼の存在が削られたらいいのにと思う。そうすれば、ぼくはもう少し違っていた気がする。
小日向さんのミントグリーンのポーチには、粉々にしたヨイチくんのストラップの欠片とタクロウくんのシャープペンシルのパーツをなくさないように詰め込んだ。大好きなタクロウくんの私物と一緒なら、盗まれたポーチも本望だろう。
小日向さんの計らいで何度か話すことになった星之瀬さんの藍色の表紙のノートには、恋のおまじないなのか、ヨイチくんの名前が書かれていたページがあったから、なんとなく盗んでバラバラにして破いた。別に彼女に好意はないけれど、小日向さんといい、あんな奴を好いているなんて愚かだと思った。
昨日教会に向かう途中、駅までの道のりを聞いてきた知らないおじいさんの落とした茶色のハンカチは、部屋の掃除に使って汚した。知らない人の物に手を出すのはさすがに良心の呵責を感じるかと思ったけれど、オレンジ色の櫛を壊した時のような感情はなく、ぼくにとって罪を重ねることの意味が変わったことを改めて実感した。
「……ふふ」
集められた色とりどりの罪はステンドグラスのように鮮やかで、きっとリヒトさんも気に入ってくれるだろう。
一つ一つは弱いかもしれない。だけどこれだけの罪があれば、きっともう線を引かれたりしない。ぼくを立派な共犯者だと認めてくれるはずだ。
「認めてくれるかな……ぼくの神さま」
ぼくはみんなの大切だったものが入った箱を、慈しむように抱える。やがて窓から差し込む柔らかなお日様が心地よくて、そんな幸せを想像しながらうとうとと微睡んだ。



